1.孤独な王様
遠い昔、貓の王国がありました。貓の王の妖術で外敵からは見えず、貓だけが住む貓の楽園でした。
ある時、山の神様が来年の元旦は特別な年になる。その祝いの余興として、我に最初に新年の挨拶を行ったものに、褒美として、一年間動物の王様にしてやると言った。
ただし、一匹だけ褒美をやるのではやる気も起きないものもいるだろうから、最初から十二番目までは褒美を与え、到着した順番毎に、一年代わる代わる王様にしてやろうと言ったのだという。
それを聞きつけた貓達は、我らの王様こそ、動物の王様に相応しいと囃し立て、貓の王様はその余興に参加することにした。
だが、ずる賢いネズミに騙されて、貓の王様はまたたび酒をしこたま呑まされて、参加することすらできなかった。
貓の王様は怒り狂い、神々がいる正月の祝いの席で暴れたために、一柱の神様から罰を与えられて貓の王国は滅んでしまった。
その王国の貓で、生き残った僅かな貓達は生きて行くために、各地へ散り散りになった。
貓の王様一人、死ぬ間際、怨み呪いを掛けて死んだとされ、その呪いが後世にも残り、貓の王の血筋にはとても強い妖力が宿り、宿敵ネズミと罰を与えた神様へ復讐するようにと言い伝えたのだという。
子猫の黒猫は、父からその昔話を聞いて、飽き飽きしていた。何かと言えば、貓王血筋であり、お前こそ貓王の生まれ変わりだとかなんとか、耳にタコであった。
母は、黒猫を産んでからというもの狂言壁が酷くなった父に呆れ、家を出てしまった。
母が家出してからそう経たないうちに、父は流行病で亡くなって、黒猫は孤独になってしまった。
狩りも教わらず、食べるものもなく、家も父が死んでからは何故か朽ちて、休める宿もなく、黒猫は途方に暮れていた。
とある嵐の日、こんなついていないのは、愚な貓王の呪いのせいだと恨むも、腹は減って減ってふらふらとぼんやりして外を歩いていたら、竜巻に攫われてしまった。
暗闇に堕ちて行く、もがいても、もがいても浮上することはなく、黒猫は泣きながら手を伸ばすと、一筋の光に包まれた。
パッと目が覚めて、肩まで伸びた艶の良い真っ黒髪の青年は起き上がった。
「まぁた...あの夢か...」
大きな欠伸と共に、ボサボサの髪を乱暴に左手でボリボリ掻いて、はだけた作務衣の懐にその手を入れると脇腹をボリボリ掻きながら、また大きな欠伸をし、両手を上に伸ばした後にどっこいしょっと呟き両膝に手を付くと立ち上がった。
ガニ股でズンズン早足で歩く割には、部屋の畳、木の廊下でさえ、足音がしない。
バン!!
締まっていた障子を豪快に開け、顔だけぬっと中へ出す。中は、長方形の年季の入った長いちゃぶ台があるだけ。
「あれ?お婆婆、いねーじゃん。めっずらしい。まーだ、寝床か?」
障子は開けたまま、青年はお婆婆の寝室へと向かった。
寝室の前の廊下、青年は廊下に両膝を付いてから、スーッと音を立てないように障子を開けた。お婆婆に、人が寝てる場所で乱暴に開けるやつがどこにいると、昔、何度もこっ酷く怒られて以来、静かに開けるようにしているのだ。今でも、その事を思い出すと、尻が疼く。
「お婆婆〜」
泥棒かのように忍足で中に入り、お婆婆が寝ている布団の横に正座して、小さな声で呼び掛ける。
反応は、ない。
もう一度、呼び掛けるものの返事はない。仕方なさげにふっと小さくため息付いて布団をぺらりと半分捲れば、抱き枕があるだけでお婆婆はいない。
「なんだよ...全く...」
何故かその時はザワザワと落ち着かず少し焦った気持ちがあって、居ないだけで何事もないのはいい事だったのだが少し気が抜けて、そう呟くも、何かその小さな胸騒ぎは治らない。
だから青年はお婆婆の敷布団に、サッと手を置く。
ひんやりと、冷たい。
ビクッと肩が小さく跳ねて、何かを察知したかのように血相を変えた青年は、バタバタと足音を鳴らして足早に部屋を出るとお婆婆と大声で叫び、部屋の障子という障子を片っ端から開けて回り、最後、北のヒヤッと朝の今時は冷たい台所に辿り着いた。
お婆婆は、台所の入口でうつ伏せになって倒れていた。
手にはコップがあって倒れ、中の水は床に流れ出てしまっている。
「お婆婆ぁ!!!」
そう大声で叫んび慌てふためいた青年は、お婆婆の隣へ早々に近寄って、顔の横でガクッと両膝と両手を付いて俯くと、グッと唇を強く噛み締めた。うっと泣き出しそうになるのを必死に堪え、左手を伸ばしてお婆婆の背中を小さく揺すった。
「起きろぉ〜...お婆婆ぁ〜...俺には...俺には...お婆婆しか、いねぇんだよぉ〜...」
「...うっ...なんだい...全く...図体がデカくなっただけで...泣き虫なんは、ちーぃとも変わらんで...全く...いいから、起こしとくれ...」
「...あぁ??」
「あぁ、じゃないよ!この、馬鹿タレ!!早くおし!!」
「う、うん」
青年はお婆婆の剣幕に圧倒されて、お婆婆をひょいっと軽々と荷物みたいに脇へ抱える。それができるのは、お婆婆が幼稚園児くらいでとても背が小さく体重も軽いから。と言っても、大の大人だ、青年の方にも力があってのことだが。
「獅輝!!あたしゃ、荷物じゃないんだよ!もっと、慎重におし!」
「へ〜い...あ〜、五月蝿い、五月蝿ぁ〜」
ひょいっと軽く荷物みたいに上に投げから落ちてきたところをお姫様抱っこで抱え直すと、五月蝿いと言う割にはニコニコと嬉しそうな顔をして、意気揚々とお婆婆の寝床へと向う。
「だーかーら!荷物じゃないんだよ!」
お婆婆はぞんざいな扱いにムッと眉を寄せ、青年の後頭部をバシっと遠慮なく平手で殴る。
「いて!なんだよぉ〜、全く...つーかさ、倒れてた時は肝が冷えたぞ!変な小芝居するなよな!」
「ふん!お前みたいな半人前残して、落ち落ち死ねるかい!あたしゃー、腰が痛いんだよ!拾って育てた恩を直ぐ、返しな!さ、あたしゃの代わりにさっさと朝餉作ってきておくれ!」
「へいへい、分かったよぉ〜。お婆婆は、ぎっくり腰だもんな!しゃーない、しゃーない!ぎっくりじゃぁ〜、動けないもんな!飯くらいこの後、パパっと作ってやるよぉ〜」
お婆婆を布団に寝かせた後に両手を頭の後ろで組んで、嬉しそうな顔しながらケタケタ笑い、青年は鼻歌混じりに部屋を出て行く。
その様子を布団の中で見送って、お婆婆はほっとした顔をすると深いため息を吐き出した。その時やっと気が抜けたのか、顔色はますます悪く疲れがドッと出たようでもあった。
「...ちょいと能天気だが...助かったわ...全く...ふぅ〜...もう少し、朝餉ができるまで少し寝るとするかい...」
そう言いながら何か思い出した様にふっと笑みを零した後、少し悲しそうな顔をして呟き終えると、すっと力が抜けたようにお婆婆は目を閉じて眠ってしまった。
お婆婆は、夢を見た。遠い、遠い、お婆婆がまだ、花盛りだった娘の時分。
お婆婆は勝気で、男勝りな所があった。女だてらにという言葉が嫌いで、わざと少し乱暴に聞こえる様な言葉を選んで、女一人でも大丈夫だと強がって一匹狼を気取っていた。
仲間がいない訳ではなかったが、若さ故に、粋がっていたとも言える。それは、仲間内で一番最年少だったからだ。
そんなお婆婆を見かねて、仲間の一番歳上の長が、化け貓の青年をあてがった。
長が、森で腹を空かして倒れていた化け貓の少年を見つけて拾って青年になるまでひっそりと育てていたのだ。
長には子供がおらず、見所がある化け貓を自分の子として育てていた。ただ、お婆婆は最後に入った弟子であり自分の子のようにも思っていた。
だからこそいい加減、あの勝気な態度を改めさせたくて、この純粋な化け貓であれば、未熟なお婆婆を変えてくれる、そう思ったのだ。
その化け貓の青年は元々仲間がいなく、長に育てられたがここまで大きくなるまで誰にも知られぬように隠されてきたために、警戒してか仲間がなかなかできずにいた。
長とは恩義を感じているのか従順だったが、一人で過ごす事の方が多かった。
二人は、どことなく似ていた。
ただ、お婆婆と違うと言えば、その化け貓の青年には大きな夢があった。王様になりたいという、夢。
お婆婆は、化け貓の青年をいやいや世話しながら、それでも化け貓の青年が豪快で阿呆であったため、何年も何年も一緒に暮らしていたものだから、だんだん情が湧いて、惹かれていった。
青年も成人して立派な大人になり意外にもお婆婆の手助けで仲間とも打ち解けてきた頃、お婆婆の仲間の勧めで修行の旅に出ることになった。
お婆婆も一緒に行こうと、化け貓の青年に誘われた。
だがその頃にはお婆婆もだいぶ成長し、自分の役目をしっかりと理解し責任というものを感じるようになっていた。
上に立つものとして、お婆婆は下の者達を放って自分だけ好いた者と一緒に旅へ出ることが、悩みに悩んだがどうしてもできなかったのだ。
昔の自分なら、いや、本当は一緒に行きたいという気持ちもあった。それ程、化け猫を好きになっていた。
けれど、お婆婆は行かなかった。
でも、化け貓は、そんなお婆婆を責めることはなく、むしろ誇らしげであった。
そして、約束を交わした。
必ず、修行が終わったら、お婆婆の元へ帰ってくると。
化け貓が元気に修行の旅に出て、何年も何年も経って、やっと帰ってくる約束の日となった。
お婆婆や仲間達は歓迎ムードで、その日、盛大な宴を用意していた。
だが、化け猫は帰ってこなかった。
仲間達と一緒に、化け貓の行方をお婆婆は一生懸命手を回して探した。一人、二人、仲間達が次々に諦めても、お婆婆は一人探し続けた。
年老いたからとお役御免と役を降り、やっとの事で自身で化け貓を探す旅に出れた。
それから長い年月を掛けて気力が持つ限り探し回ったが化け貓の行方はついに分からなかず、途方に暮れて沖縄、人里より離れた山と海がある自然に溢れた美しい島、今の家がある場所に流れ付き、体力、特に気力がなくなってその地に定着してしまった。
今の姿になって昔の様には身体も動かせず、勢いもなくなってしまった。幸い、いい仲間を持ち、今も連絡は取り続けている。だから、もし、化け貓が旅から帰ってきたら知らせが来る手筈になっているから、ずっと忙しく生きてきて気持ち的に疲れてしまったのもあって、ここでのんびり知らせを待つのもいいかと思ったのだ。
だが、運命は奇なるもの。
そう思った矢先、今までにない大きな台風が島に直撃した。
ああ、これで人生終わりか。
化け貓も探し出せず、弱気になっていたというのもある。
それも運命か、そう諦めかけていた時、竜巻の中に何かを見つけたのだ。
そう、子猫、黒い猫。
運命だと、お婆婆は思った。
何故かなんて、野暮。
勿論、化け貓と似ていたからに決まっている。
あんなに小さい姿なわけはない、化け貓と会った時にはもう青年だったのだ。
けれど、何故か似ていると思ったのだ。
お婆婆は、また生きる希望を、その時やっと見出したのだ。
それからは、火事場の馬鹿力とでも言うのか、嵐で大荒れの海へ船を出し、海に落ちた子猫を荒れ狂う海へ潜って、奇跡的に助けた。
その時のお婆婆は、それこそ海の神、ワタツミそのものであった。
助けた子猫を、お婆婆は育てた。母とはこういうものかと、世の母を感心しながら奮闘した。
不慣れで戸惑う事はあったが、次第に母性が生まれたせいか、内より並々ならぬエネルギーが湧いてきた。それに、子供というのは、やたらと元気で、それこそ弱っていたのは初めだけ。エネルギーが自然と、必要だったとも言える。
姿は年老いたままだったが、化け貓と過ごしたあのワクワクするような日々を思い出させ、子を育てるのは大変ではあったが、楽しくて仕方なかった。
ある時、子猫が今が高校生くらいの見た目だとすると中学生くらいの頃か、お婆婆の呪い(まじない)に興味を持ち、自分も覚えたいと言い始めた。
粘り強く教えを乞うものだから、あまり気は進まなかったが渋々教えることにした。すると、覚えの良い猫は、呪いをすぐに覚えてしまった。と言っても、そんな大層な呪いではないのだが。
そして、一等満月が輝いていた日、猫は人の姿になった。
無論、お婆婆は分かっていた。
そもそも、動物と会話ができる術は持ち合わせていない。何となく、伝わるものはあってもだ。
子猫の時に、難なく会話ができた時から、これはまだ力がちゃんと目覚めてないだけで、化け貓族の貓であろうと思っていたのだ。
そこまで、夢が覚めた。と言っても、昔の記憶であるが。
ふよふよと湯気と良い香りが漂って、その夢もすっかり記憶の奥底。夢より現実、現金なもので、空いていないと思っていても側で朝餉が運ばれてくれば、生きている以上、食べたいと思うものなのだ。
近頃、身体が一刻、一刻、病魔に蝕まれていくのをお婆婆は感じてはいたが、永遠に続くものなどなく、長く生きすぎた、それもあるかもしれないと思う事もあった。
それでも、腹が減れば食べれるし、目が覚めれば起きて、家事もできる、掃除もできる。
まだまだ、死ぬ時ではないと、一日一日を大切に生きていた。
「ほら、お婆婆!俺が作ったスペシャル、朝餉、たーんと食べて、さっさと元気になれよ!」
お盆に乗せた朝餉を畳の上に置くと、そんなしんみりしているお婆婆を起き上がらせて、獅輝は元気に精一杯に笑顔を作る。
お婆婆の心中を察したような、ぎこちない笑顔だった。