表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エクトプラズマ―ズ  作者: 金澤 俊志
3/3

エクトプラズマーズ

ふと見つめていた足元のエノコログサの影がいつの間にか細長く伸びていた。風に揺れ、揺れるたび、闇に滲んでいく。

あぜ道に佇む楽弥は俯き、堂々巡りの考えが再び振り出しに戻り、思考が途絶し、また考えを巡らせる。

詩乃姉は麒麟Ⅲ型へと変態し、内臓の肉片となり、そのなかを紅璃が泳いでいった・・・。

彼女はいつも前向きで、人の嫌がる仕事を率先して行い、誰からも好かれていた。みんなの愛が集約されたような人だった。常に周りにはちびちゃん達に囲まれ、カラフルな笑顔の花をいくつも咲かせていた。

そんな詩乃姉の最後の目は、苦しみ疲れ果て、残りの膨大な人生を失う虚無感、不運への漠然とした恨めしさがない交ぜとなり、死臭を放つ枯れた花のようであった。あの目が楽弥の脳裏から離れない。


麒麟Ⅲ型の一件のあと、烏崑は医術院へ入院となった。

哉毘は隊員となる可能性を考慮して、初めて賀茂の機関で受診する事となった。

楽弥も哉毘と一緒に受診するよう言われたが一転、待機するよう命じられ、その後何も音沙汰がなかった。楽弥には賀茂と同等の権利を受ける事に反対する勢力が一定数いる事は知っている。珍しい事ではない。楽弥としても、以前受診した事があったが、処方されたものを服用したとき、激しい嘔吐と下痢、全身に蕁麻疹が現れ酷い目にあった。並外れた回復力

を持つ楽弥でなければ死んでいたかもしれない。医術院の誰かしらが悪意をもってやった事だろう。その後は口にするものに痺れがないか確認してから咀嚼する癖がついた。

医術院にまた拒絶されたのか単に忘れ去られただけなのか、そんな事などどうでもいい。

それよりも種別院である。種別院に配属される事は全くの想定外であった。あそこは身体的に損傷した人か、精神疾患のある人のみが配属されると聞いていた。

自身では自覚がなかったが、確かに身体損傷という部類に入るとも言える。左手足は激痛でどうしようもない。

でも、準決勝までは残った。それなりにやれるというところは見せたつもりだった。弐・参番隊として現場に急行する際でも、右足で補う事は出来る。

弐番隊に配属されたしても、参番隊に異動する場合がある。

しかし七番隊は他の隊からの脱落者で、上へ戻る術はない。何より玄武国へ行き、子供達を救い出す事、そして父を探し、濡れ衣を正す事が出来ない。

人生詰んだ。

詰んだ・・・。

何度考えても詰んでいる。もう一度始めから考え直すか・・・。あー疲れた・・・。

思考途絶・・・。

・・楽ちゃん・・・・。

もう一度呼ばれる。

「楽ちゃん」

ふんわりとしてあまやかな花の匂い含んだようなやさしいこの声。緊縛していた感情が一気に弛緩し、熱い涙となり溢れ出す。

「とっこおばちゃん」

「楽ちゃん、頑張ったのね」

楽弥を我が子のような目でみつめ、抱きしめる。

「おばちゃん」

楽弥はおばちゃんのふくよかな身体に身をゆだね、嗚咽した。

とっこおばちゃんは、元は薫陀裏丹寺の孤児であり、結婚するまでは寺で住み込みで働いていた。

楽弥にとっては母親のような存在であった。四番隊の研究施設で廃人状態にされ、寺に捨てられ、身も心もぼろ雑巾のようであった楽弥の心に血を通わせてくれたのが哉毘であり、詩乃であり、とっこおばちゃんであった。

「寺には楽ちゃんの居場所があるんだから」

入隊試験に落ちたと察してくれたのだろう。

否定をしない楽弥に話を続ける「ね、おばちゃんは前から言ってたでしょ、楽ちゃんに意地悪ばっかりする人のところに行ったら、おばちゃんの心が疲れちゃう。入隊試験に参加出来るほど強い楽ちゃんがここに居てくれたら、おばちゃんも心強い」

「寺に居れたら・・、寺に居たい・・。でも子供達を奪い返さないといけない」

「それは庵慈さんが何とかしてくれるわよ。知ってる?噂じゃ、隊員さんよりも強いんだって」

「ずいぶん信頼されてるな。嫉妬しちゃうよ」

「庵慈さんもここに来た時には、今の楽ちゃんくらいの齢で、妙な言葉しゃべってたけど、必死に努力して信頼されて今みたいになったの。だから楽ちゃんだって頑張れば庵慈さんみたいになれるわよ。さぁ、もう帰ろう。外はいつモノノケが出るかも分からない」

「そう、何でおばちゃんも一人で出歩いたりして、危ないじゃんか」

とっこおばちゃんの顔が曇る。

「うん、今日は入隊試験だから寺の人達も、隊員さんもほとんど出払ってたの」

「そんな時は出ちゃダメじゃんよ」

「うん、うちの桃子に子供が出来たの。分かったらすぐに連れていかないと罰則があるでしょう」

桃子はおばちゃんの娘で新婚である。何度か会った事がある。

「種別院に行ってきたの?」

「そう。ちゃんと夫の子だから何も心配いらないって言ってたけど、種別院で人の子と認定されるまではやっぱり不安よね」

種別院では、妊娠発覚から2週間は子宮の成長速度や、触診などの検査の他、モノノケを妊娠すれば、子宮だけではなく、全身に根が広がる為、細胞診なども行われる。

問題がなければ解放されるが、人外の認定された時点で妊婦は殺処分となる。妊婦は恐怖のあまり鬱となり流産に至る事もあるらしい。胎教には最悪だが、モノノケを出産すると、多数の命を奪う恐れがあり、天秤にかけ致し方ないとされている。

もし、桃子さんのお腹に宿っているのが人ではなかったら・・・・。

もし、モノノケごと桃子さんを斬れと命じられたら・・・・

もし、桃子さんを僕が斬ったととっこおばちゃんが知ったら・・・。

楽弥は発狂しそうな衝動を必死に呑み込む。


楽弥とおばちゃんが寺に戻ると、玄関には多くの靴が乱雑に脱ぎ捨てられていた。

地下に子供達が集められているのか下から子供達のすすり泣く声が聞こえる。

何かあれば、子供達は地下に避難することになっている。

本堂には松氷(まつごおり)和尚と自警団の面々が集まっていた。

「楽弥か、とし子は下に隠れてなさい」松氷和尚が鋭い口調でとし子を地下に促す。

和尚の袖からは出血した腕が見える。

「何があったんですか?」

「モノノケにやられた」

「どこで?」

「庭じゃ」と指さす。

今までモノノケが寺の中に入って来た事はない。

「小五郎と光雄が連れてかれた」と和尚は沈痛な面持ちとなる。

小五郎は5歳、光雄は9歳である。共に足が不自由で逃げ遅れたか。緊急時は大人が抱いていく手筈となっている。

「今モノノケは?」

「北の方へ飛んで行った」ここから北の国壁は近い。国壁の外側には深さ数十mの堀が一部を除いて囲んでいる。その為モノノケが襲撃してくる箇所は限定される。しかし翼のあるモノノケにとって意味をなさない。

「鳥型?」

「コウモリのような翼の人型、かん汰が市場でやられた時に似た奴がおった」と火消しの源さんが唾を飛ばして話す。いつもの酒盛りの途中で駆け付けたようで、頬が赤らんでいて、手には乾物を握りしめている。

楽弥が小夜を追いかけていた日にいたモノノケ。という事は、玄武国と関わりのあるモノノケの可能性が高い。

「追っても無駄じゃ」和尚が楽弥の機微を察し語気を強めた。

「でも」

「衝動に任せて無駄な労力を使うな。限りあるエネルギーを適切に分配し、今あるものを守らなければならない」

「それじゃ、子供達を諦めろって言うんですか」

「そういう事になる。わしら弱者で無民で、捕食者をどうにかする立場にない」

「そんな・・」

「我ら劣性種が優性種の賀茂を飛び越えて玄武国を何とかするなど不可能なこと。認めたくはないかもしれんが、賀茂の庇護なしに我らの生活は成り立たない」

楽弥は唇を噛む。僕は賀茂だから・・だから・・・?

沈黙ののち、源さんが口を開く。

「しかし、玄武国は何がしたいんだろか」

「情報を収集するだけなら拉致が多すぎる。奴らがこの国を乗っ取りたいなら戦争を仕掛ければいいだけの話」

「もしやモノノケの餌として?」京さんが口を開くと、源さんは血相を変え、

「物騒な事を言うなや、冗談でもゆるさんぞ、大事な子供達を」と胸倉を掴む。

「モノノケが人と共存しているとして、モノノケに人の味を覚えさせるのは危険すぎる」と松氷和尚。

「希望的観測だろ。敵地に行って死なないまでも虐げられない法はない」

「また京の野郎、根暗な奴だ。んじゃあ、子供達があまりにも可哀そうじゃねぇか」

「何を?お前みたいに頭の上にひよこが舞ってるようなお花畑野郎は、大丈夫大丈夫って何も動かねぇ」

「何も動くなって話を和尚がしたばかりだろう」

「だからお前は単純なんだ」

「静かにしないか、みっともない。子供の頃からちっともかわらん」と和尚。

「和尚、源の奴が喧嘩を売ってきただけですぜ」

「何を?」

楽弥は苦笑いし、「そういえば、拉致された時、警備の弐番隊の人はいなかった?」

「入隊試験で無民の暴動があったから、もうこの地域の警備はしないとよ」と源さんの鼻息が荒い。

「賀茂の人間も多くが拉致されているから、賀茂の居住区域と国壁に人手を割いているという側面もある」

「国壁を守っているのは国内だから弐番隊になるのか?」

「国外の敵だから参番隊。玄武国は巨大なモノノケが国壁を襲撃するタイミングで他方か入り込んでくる傾向がある」

「その巨大なモノノケと玄武国の繋がりは?」

「分からない。偶然だと思いたい。玄武国がそれだけのモノノケを従わせる事が出来るとしたら、この国に勝ち目はない」

「賀茂の野郎は大嫌いだが、奴らに頑張ってもらうしかないのかもしれんな」

聖餐(せいさん)の儀が終わってから壱番隊が動き始めるという話もある」

「何だそのなんちゃらの儀式って、人さらいより大事なんか、とっとと動けよ馬鹿らしい」源さんはどこに隠していたのか一升瓶をあおっている。

楽弥は差し出された酒に首を振り、説明する。

「聖餐の儀っていうのは、煎餅みたいなのを大観様の体となぞらえて、食する儀式。賀茂にとって神である大観様に少しでも近づきたいと願うようなもので、普段は大観様と壱番隊しか入場を許されていない巨大な洞窟で年に1回行われている。僕にはありがたみは分からないけど、多くの人が涙を流して大観様への信仰を口にしてたりする」

「差別主義者がそんなに立派かね。そんで初めて聞いたが壱番隊ってのは何だい?」

「大観様の血が特に濃いとされ、一人一人が隊長レベルの能力があるらしい」

「そんな隠し玉があったから余裕ぶっこいてんだな。そんでそいつらはたくさんいるんかい?」

「それが謎に包まれてて、マスクやマントで覆われててて、どんな顔をしてるかも分からない。出産した時点で、判別されるらしい。賀茂の女性が臨月の時に、壱番隊の待機した黒い部屋に連れられ、出産し大観様の血が強いと判断されたら、その段階で子供は壱番隊に入隊する。親は愛着が湧かないように顔を見る事もないらしい」

「という事はいつも嫌味な賀茂の連中も壱番隊に比べたら劣等者ってことか。ざまぁだコンコンチキめ」

「底辺に向かってしわ寄せが増えるのは世の真理なんじゃろ。底辺の沸々とした苛立ちの熱で、上位はホクホクと温まっている」

床板の外れる音に続き、「楽にいちゃん」と幼い声。

楽弥が振り向くと、丸坊主の沙穂(3)と千佳(5)がとし子に手を引かれている。

「沙穂、千佳、トイレか?」

「うん。怖かった。怖かったよう。あのね、あのね、こごちゃんとみっちゃんがね」

千佳が破顔し、泣き出すと釣られて沙穂もわーとポロポロ涙をこぼし、楽弥に駆け寄る。

楽弥は2人を抱きしめ、「兄ちゃんがいるから大丈夫だよ」と2人のうっすらと伸びた柔らかい毛をなでながら、種別院でいつか2人を手にかける姿を想像し、胸が苦しくなった。

「哉毘は戻ってますか?」慌ただしく庵慈が玄関から声をかける。

「庵慈さんと一緒に医術院に行ったんじゃ?」

庵慈も本堂に上がり、

「医術院まで送ったが、無民は入れないから外で待っていたんです。しかし待てども連絡がないものだから、入院にでもなったのかと思って、問い合わせたら、診察の前に帰ったと。何故、診察せずに帰ったのか。帰ったにしても哉毘は私が待っている事を知っている」

「医術院に囚われている可能性は?烏崑と対等以上の試合をした事が賀茂に都合が悪いからとか」

「なくはないが、受診に行くまでの哉毘の様子も気になるところもあった。詩乃が変態した事へのショックからだと思っていたが、身体を・・・」と言いかけ、一同を見やり、庵慈は和尚達に、楽弥を少し借りると言い、本堂の扉前まで楽弥を連れ出すも

「身体がどうかしたんかい?」源さんは恨めしそうに耳をそばだてているため、

庵慈と楽弥は玄関へ移動する。

「哉毘は身体を診られる事にも抵抗があったのかもしれない」と庵慈は楽弥を呼び寄せ耳打ちする。

「でも、庵慈さんは身体の事知ってたんでしょう」

「訳あって私が今までそのように振る舞ってもらっていた」

「じゃあ、哉毘が庵慈さんに相談して、受診しないようにすればいいだけの話なのに・・・もしや、庵慈さん、哉毘のお腹の事知ってる?」

「お腹?」

「この頃腹が痛むと、だが、生理痛だから大丈夫と言っていたが」

「僕と対戦した時に一瞬お腹が見えたんだけど、見間違いじゃなかったら一瞬膨らんでいるように見えた」

「モノノケを宿してると言いたいのか?」

「違うと思うけど詩乃姉ちゃんの事があったばかりだから、過敏になって逃げたのかな」

「どのくらい膨らんでいた?」

「少し太ったのかなって思って」

「楽弥君、ここは任せていいか?私は哉毘を探してくる」

「待ってよ、僕も行く」

「そうだな。確かに人手は多い方がいい。紅璃に先に見つかったらややこしくなる」

「紅璃さんはお腹の事は知らない筈」

「楽弥君との対戦で腹を見せて、少しでも疑いがあるなら情報屋が動きだしている可能性がある。彼らの情報網と嗅覚をあなどっちゃいけない」

「哉毘は土地勘のある修行場にいるかもしれない」

「僕は他に行きそうなとこを当たってみる」

「寺の警備に土竜班が来る事になっている。私と楽弥は哉毘を探してきます」と庵慈は和尚に声を掛ける。


庵慈は寺の井戸のうちの一つへ降り、昔の坑道の先、石切り場に向かっている。そこは鹿王山(かのうざん)の中腹にあり、子供達の修行場となっていた。弐番隊では手に負えないモノノケが坑道へ入り込み封じ込めて以来、井戸以外の入口は全て閉鎖されたままとなっている。修行場には朽ちたモノノケの骸が飾り立ててあり異様な不気味さがあった。

庵慈は不気味なものに見慣れておく必要があると、子供達にあえて骨に触れさせるなどしていた。

楽弥も墨術院に入るまでの間、修行していた事があるが、何の役に立つのかよく分からない事が多かった。修行時間の後半は松明を消して闇の中で行ったりしていた。暗闇の中で誰が目の前に立っているかを当てたり、半眼で組手試合をするなどして、感じる事に重きを置く訓練だったと思う。それらが哉毘の今の能力を育んだのであろうか。


楽弥は提灯をかざし墨術院を探したが、哉毘の名を呼べども返答はなく、哉毘が配属される参番隊の修平班に同じく配属となった仲間に依頼し問い合わせてもらったが、音沙汰はないとの事。

楽弥は途方に暮れ、足がおもむいた先に愕然とした。出来るならここへは来たくなかったが、確かめねばなるまい。

医術院の裏にそびえる種別院。

種別院は圧倒されるほど巨大な岩をくり抜いて作られており、物々しい。正面は分厚い扉に閉ざされ、窓には厳めしい格子がはめ込まれている。この中でモノノケが変態したところで、おいそれと逃げ出せるような隙は見当たらない。それでもいくつか補修されている箇所があり、そういう事なのだろう。そして、岩の凹みや周囲には札や供え物がびっしりとあり、『娘を返せ』『皆殺しにしてやる』『せめてお骨だけはお返し下さい』など娘を失った親たちの怨念が壁につづられている。

建物自体が巨大な墓のようにさえ見える。

哉毘は既にここに収容されてしまっているのだろうか。哉毘が女性としてここに居るかもしれないという状況が呑み込めない。哉毘が女・・・。

種別院の分厚い扉が開き、年配の夫婦が蹴り転がされたあと、即座に地べたに這いつくばり、「お願いです。娘はまだ無事何でしょうか。たった一人の子供で、私達にはあの娘しかいないんです」

えらく痩せた貧相な男が夫婦を見下し、

「ゴミケラどもが、毎日毎日ウジ虫みたいに湧きやがって。お前らが来ていいのは入院のときだけ。なぁ字が読めねーのか。無民なんて『モノノケの入口』が増えるだけなんだからみーんな殺しちゃえばいいのに。僕達はこんなお仕事したくないの。この世界の足手まといなの。気づけないのかね。しっし。猫ちゃんの方が生きてる意味があるっつーの」貧相な男は、夫婦にキセルを振り回し、追っ払う。よく見ると男の右の頭部に直径5㎝程度の穴が空いている。あの状態で生きていられるのか・・・。

男は楽弥の視線に気づくと睨みつけ、「殺すよ」と唾を吐き、入口に戻る。入れ違いに紅璃が出てきたのに跳び退き、「行ってらっしゃいませ」と下卑た愛想笑いを浮かべる。

紅い髪の悪魔の化粧をした女は、今にもエンジン音を轟かせそうな車椅子をとめ、楽弥に気づく。

「あ、あの・・」楽弥は哉毘の名を出しそうになり、寸前で呑み込んだ。名前を出すと哉毘の膨れた腹を知らせる事になる。

「お前は闘技場で坊主の子と一緒にいたな」

「ぼ、坊主の子がどうかしたんですか」

「その子は今どこにいる?」

「知りません」

「本当だな。私への嘘は一人の命では足らない。お前と大事な人間がもう一人潰れる事になる。文字通り潰れる。もう一度聞く。坊主の子はどこにいる?」

紅璃のあまりの迫力に自立神経が馬鹿になっている。指先と顎が小刻みに震えからっからに舌が乾き、心臓があべこべな動きをしている。大事な人が誰なのか頭を巡らせるも思考途絶。何も出てこない。

「まぁいい」と紅璃は車椅子を発信させた。

ヤバい。ここで分かった情報は2つ。種別院に哉毘の腹部の情報が伝わっている。そして哉毘の居所の見当はついていない。あの悪魔より先に哉毘を見つけなければならない。しかし、見つけてどうするんだ。本当にモノノケを宿していたら?何にせよあの悪魔に見つかったら大変な事になる。哉毘、どこに行ったんだよ。烏崑に助けを求めるか。でも、そんな時間はあるのか。分からない。哉毘が行きそうな場所・・・。修行場も土地勘はあるが、何か違う気がする。何かが無意識を登ってきていて、意識の傍まで来ている。手を伸ばしてもすり抜けていく。何だ、もどかしい。手触りは何か懐かしい。もう一度無意識に手をつけ、集中・・・そこにいる・・・・とある風景がフラッシュバックする。

4年前だ。

巨大なモノノケが、北門近くの壁をぶち破った事があって、寺の職員と子供達も、その修復に駆り出された事があった。壁の厚みは20m程度あったが、やったのが巨大なモノノケで、壁の損傷は凄まじかった。

内側から瓦礫を登り外の世界へ通り抜ける事が出来き、大人達が外側、子供達は内側の修復をしていて、子供達は好奇心から外を見に行きたがったが、無民を管理する六番隊に追い返された。しかし火消しの源さんが、外の世界に生えていたマンゴスチン様のものを土産に持ってきてくれた。

哉毘と楽弥はその白い果実をいたく気に入り、夜に寺を抜け出し、果実をとりに行った事があった。

その日は煌々とした満月が世界を照らしており、そのせいか2人の気持ちも異様に高ぶっていた。

修復中の壁は、新たに破壊された壁のせいで、簡易的に外側をモルタルで固めただけで良しとされた。中は空洞で、瓦礫が雑然としていた。

壁の中、楽弥は暗闇に慣れているという哉毘に手を引かれ、つまずきながらも10数m歩いたところで、どん詰まりにいくつか光が漏れているのが見えた。外を覗くと、地面に果実が転がっており、見上げると、立派な果樹がそびえている。

2人は興奮し、モルタルの壁穴を広げ、哉毘が抜けてから楽弥を引っ張りだした。

2人は片っ端から果実の皮を剥き、口いっぱいに頬張った。お互いの顔が可笑しくて、腹を抱えて笑ったりした。

壁から50mから100m先には、いくつかの途切れはあるが、巨大な堀が国を囲んでおり、堀に守られている安心感が2人にはあった。

堀の途切れている箇所の付近には国壁の上で参番隊が、多く警備しているため、堀の内側に入ってくるモノノケは、翼のあるものか、堀を越える程のジャンプ力を有するものだけである。そう、2人が見上げる先にあるようなものだけである。

巨大な飛龍の胴に巨大な(くい)が貫かれ、そのまま壁に突き刺さった。

凄まじい爆風とともに、2人の身体よりも大きな石が降り、転がり、哉毘と楽弥は咄嗟に身体を丸めた。

飛龍は串刺しとなったまま、壁に張り付けられており、暴れるたび、暴風が2人を襲い、紙切れのように飛んでいく。堀に落ちた楽弥を哉毘は咄嗟に掴み引き上げ、壁の穴を目指す。壁の穴は崩れ落ち、大きな空洞となっていた。

すると、巨大な猿人型のモノノケが異様な滞空時間で堀を飛び越える。ズーンと地響きに揺れながらも、2人は空洞へと必死に駆けていく。

横目に見た飛龍のすぐ近くには飛び方もおぼつかない幼体の飛龍が舞っている。

飛龍は幼体の飛龍へ離れるよう金切り声を上げ、表情でも訴え、翼をばたつかせる。

猿人型が飛龍の成体に近づくと幼体が猿人型の顔の周りをうるさく飛び回り、はねのける。

幼体は楽弥のすぐ横に叩きつけられると、仰向けでピクつく。哉毘はすかさず、人と同サイズの幼体を抱き上げ、空洞へと向かう。見上げると猿人型が一行を見下ろしている。楽弥は咄嗟に空洞にスライディングするも、猿人型はしゃがみ込み、空洞へ手を伸ばす。

猿人型の伸びてくる手から逃げ延びたかと思いきや、幼体は覚醒し、哉毘の手をすり抜け、成体の元へと飛んでいく。

すると、壁から杭が引っこ抜け、張り付けとなっていた飛龍も串刺しのまま地面に落ちる。地響きに壁穴の天井から瓦礫が落ちる。哉毘は頭を抱える楽弥の上に落ちる岩をいくつも粉砕した。

猿人型は壁穴から腕を引き戻していく。

哉毘は何を思ったのか、「楽弥は行ってろ」と幼体を追う。

楽弥も舌打ちし、外へ戻ると、猿人型は飛龍成体の翼を破り、地面に叩きつけ、首を捻じり、息の根を止めた。騒がしい幼体を再び跳ね除けたところで、国壁から参番隊が、バリスタ(据え置き式の大型弩砲)を発射する。

雷を仕込まれた大型の矢弾が次々と連射され、着弾するたびに凄まじいスパークし、猿人型は膝を突きながらも、凄まじい跳躍力で堀を越え、走っていく。

途中片足を巨大な蟻地獄にとられ、中から跳びだした無数のピラニアのような巨大蚤にみるみる骨にされていく。

哉毘を探すと翼を痛めた幼体に噛みつかれながらも抱きしめていた。


4年後の哉毘はそこにいた。あの果樹の下で夜空を眺めていた。

「哉毘」楽弥はそっと声をかける。

哉毘は夜空を見上げたまま。

「待ってるの?」と楽弥は続ける。

哉毘はあの日の幼体を待っていた。

哉毘は傷ついた幼体は介抱し放ち、数日後気になって戻ると幼体はそこにいた。

哉毘は幼体をティアニーと名付け、この場所で時折り会っていた。来る時もあれば来ない時もある。

「子供達を取り返しに行くの?」

哉毘はフと笑い振り返り、

「何でもお見通しだな。変態するまでにどれだけ時間があるか分からないけど、やれるだけの事はやる」

「本当にお腹にいるの?」

「動くんだ。こいつ、医術院の待合室で初めて動いた」

「・・・」

「触る?」

哉毘は楽弥に歩み寄り、腹を触らせる。

哉毘の腹を通して何か管のようなものが触れた。

「あぁ。いる」

「ただ種別院に殺されるよりは、救えるものは救ってから乗っ取られたい。楽弥なら分かるだろ」

「分かるけど、分かりたくないよ・・」楽弥は嗚咽しながら「僕も連れて行ってくれないかな」

「分かってると思うけど、これは特攻隊のようなもので、目的を果たせる可能性は極めて低い。自己満足で終わるものだ」

「種別院に配属になった。女の人達を手にかけながら生きていくよりも、哉毘と少しだとしても時間を共有できる方が、絶対にいい」

「・・・ごめん。変態する姿を楽弥には一番見られたくない・・かも。発想が女みたいだな」と自嘲する。

「女・・だったんだね」

「気づけよ、こんなに色っぽいんだから」

楽弥はぐしゃぐしゃな顔のまま笑う。

「男より男前な性格なクセして」

際立つ男らしさから匂いたつものが女の色気であったんだと思う。

「必死に男らしくあろうとしてたのかな。身体が変わってきてたから、最近は本当に辛かった。こんなにおっぱいも大きくなるし、生理なんかも始まっちゃうしさ」

つい、胸を見てしまう。押さえつけるものがなくふくよかである。

「何で男のフリをしていたのか聞いてもいい?」

「女はモノノケを宿す事もあって女には注意を払われる事が多く、動きずらいと庵慈が考えての事」

「何か企んでたって事?哉毘のあの不思議な能力と関係があるの?」

「・・・ティアニーが来るまでだ。ティアニーは必ず来る。ティアニーが来たら、帰ると誓ってくれ。やっぱり楽弥を連れて行くわけにはいかない。楽弥にはお願いしたい事がある。そして、私の代わりに庵慈の計画に協力してほしい」

「・・・分かった」

「ありがとう・・・」哉毘は大きく息を吐き、「まず、これを見てもらうのが分かりやすいか」と、目を瞑る。スーっと息を吸い込むと、半開きにした口から白く発光した煙がたなびく。そして、白く発光した気体が液体へと変質し、勢いよく噴射する。

哉毘は白い液体を掴むと固形化している。

「持って」

楽弥は受け取り、

「これは?」ほんのり温かい。

「これはゲロ」

「え?」

「嘘だよ。真面目か?別に汚いもんじゃない。全部庵慈の受け売りだけど、この白いのはエクトプラズム」

哉毘は白い固形化したものを楽弥から受け取り、遠くへ投げ、「(えん)」と発すると呟くと、白いものが巨大な炎となり、熱風が広がり、消失する。

「凄い、こんな事・・麒麟みたい」

「もったいないけど、今のは大サービス」と哉毘白い歯を見せ、「少し難しい話になるけど、体内には物理的ではない(あな)がある。その孔がこのパワー、エクトプラズムの源と言っていい。その孔は宇宙だとかあの世だとかとつながっているらしい。庵慈は宙界(ちゅうかい)と呼んでいる。エクトプラズムはそれらの(あな)を塞ぐ蓋の役割をしている。孔の位置は人によって違うらしいが、ほとんどは丹田と言われるヘソの下あたり、女性では子宮のあたり」

「モノノケが女性の子宮に入り込むのと・・」

「関係している。で、その孔だけど、人は死ぬ時、その孔から魂が抜けていく。魂というのはその人の記憶を包括したエクトプラズムの集合体なんだ。エクトプラズムの蓋部分が最も高密度で、そこから全身に広がっている。そしてエクトプラズムはうっすらとだけどこの星全体にも充満している」と星空を見上げる。

「僕の身体にもあるんだね」

「そう、誰の身体にもある。だけど、人ぞれぞれその量は違っていて、俺の家系は並外れて多いんだ。だから体外のエクトプラズムも感じやすく、そこらに佇む魂の記憶も感じようと思えば感じる事が出来る。いわゆる幽霊ってやつだ。この能力を遮断できるようになるまではきつかったな」

「確かに霊が見え続けてたら気が狂うかも」

「一族でも女にエクトプラズムの量が多い傾向があったから、魔女の一族と呼ばれてたらしい。でも、エクトプラズムも有限だから量が多いからって使ってたら人と同じになる。簡単に使うっていうけど、使いこなすのには血ヘドを吐くような訓練とセンスが必要」

「哉毘は庵慈と訓練をしてたの?」

「食事中も頭の上に巨大なエクトプラズムを浮かせてた。透明で球体のやつ。だから、小さい頃は食べ物味なんか分かったもんじゃない」

「いつから修行してたの?」

「ものごころついた時から、ずっと庵慈が一緒。こう見えても俺は国王の娘で」

「お姫様なの?」

「言いたくないけどそういう事。何とかこの能力で小国を維持してきたけど、知力の高い吸血種のモノノケに攻められて、国を追われ、散りじりとなり何とか生き延びた。以前から東洋にはエクトプラズムを自在に操り、量を増やす術を持つエクトプラズマーズがいるという噂があって、そこにはモノノケを駆逐するために、世界各国から、産まれつきエクトプラズムを多く有する者達が集まり、修行をしているということだった。その国を目指し船に乗ってここまで来たんだけど、途中海でモノノケに襲われ座礁し、当初乗り込んだ25名が庵慈と俺だけになってしまった」

「そうだったのですか、哉毘姫様」

「急に様とつけるな気持ち悪い。しかも姫もというな。名前も本当はミアだし」

「ミア姫様か」

「赤子の頃の呼び名だ」

「何で哉毘なの?」

「庵慈が始めここの女性の名に当て字をして美哉毘としたが、急遽男の設定となり哉毘となったらしい」

「そうでしたかミア姫様」

「にやにやするな」

楽弥は悲しい顔をする。

「悲しい顔をするな」

「だって、悲喜こもごもの情報多すぎて圧縮して詰め込もうとしたら暴発始めて、情緒がバグって・・それにせっかく姫様とも知り合えたのに」

「姫いじりすな」

哉毘は空を見やる。怪鳥が飛んでいるが、ティアニーではないらしい。

「それでここがエクトプラズマーズの国なの?」

「残念ながらここではないらしい。でも大観はその国で修行してエクトプラズマ―になったんだと思う。だからここまでの国を統治できている。いいか悪いかは別にして」

「雷術はエクトプラズムから成ってるの?」

「エクトプラズムは万能物質と呼ばれていて訓練次第で、物の複製も出来るし雷術にも変容は出来る筈。俺は出来ないけど、庵慈は雷術系だから少し出来るらしい。でもエクトプラズマ―になるまでは使わないというか使えない。エクトプラズマ―になるにはある程度の質量が必要だから、無駄使いは出来ない」

「エクトプラズマ―の能力は遺伝する。そして賀茂達は技術はともかく雷術自体を本能のように使える。体力を回復するみたいにエクトプラズムを回復するという事になる」

「メカニズムは分からないが賀茂らを見るとそういう事なんだろう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ