悪魔将軍
何かがいる。暗闇の奥深くで聞こえていた獰猛な咆哮が、迷いながら、近づいてくる。不穏な振動が地響きのように鼓膜を揺さぶる。
楽弥は漠然とした負の予感に心臓から拍出される血液に異物が混じるようだ。いつだっただろう。この感覚を味わった事がある。『子宮物色』と言われるアレではなかろうか。
モノノケは女性の子宮に宿る数日前から、人々の夢の中に現れる事がある。
モノノケが実際に女性の子宮を物色しているのかは定かではないが、そう呼ばれている。
そういった現象から墨術院では、全人類は精神の底でつながっている。共時性があると教えている。
精神の底、更に奥深くにモノノケの世界があるとしている。一部の密教では、精神の底へ潜り、モノノケの世界との分断を計ろうとするものがあるらしい。
咆哮が聞こえなくなった。モノノケは去ったか?
暗闇の中、突然凄まじい圧を背中に感じた。振り返りざま、緑色の巨大な何か。近すぎて何であるのか把握できない。咆哮の爆風により、楽弥は吹き飛び、緑色の全容が明らかになっていく。両手両足は亀の甲羅で出来た防具に覆われている。頭部にも甲羅で形作られた兜で覆われている。膝下だけで成人男性一人分のサイズである。
間違いない。ミドリモンという奴だ。緑色の身体に甲羅を有するのはミドリモンと言われ、この地域に出現することが多いらしい。この種は多様性があり戦闘能力を分類する事が難しい。それぞれの個体により、H級から特級までいるとされる。この威圧感から、少なくとも班長が複数で対応するべきC級、いや、班長が6名以上で対応すべきとされるB級以上ではなかろうか。
栖杏が数日前に唇を白くし、鬱々としていた事があった。聞くと巨大なミドリモンの夢を見たと言っていた。自分の子宮に潜り込み、身体を乗っ取られるかもしれない。計り知れない恐怖に苛まれていた事だろう。こいつが近々、黒蓮国もしくはこの地域のどこかの国に出現する。
夢にモノノケを見た場合には、弐番隊の窓口へ報告しに行かなくてはならない事になっている。弐番隊は情報を元に対策委員会が開くのである。
ミドリモンから楽弥が見えていないのか、ミドリモンは楽弥を素通りし、咆哮を上げながら遠ざかっていく。
楽弥のバクバクとした心臓は冷や汗で熱を下げ、まどろみに溶けていく。そして入れ替わるように歓声が次第に現実味を帯びて確かなものとなっていく。
楽弥が開眼すると、四番隊の医療テントの中にいた。どれだけ経ったのだろう。隣では処置をされた樹紋が横になっている。樹紋とは何かの術を施されたのか獣のように烏崑へ立ち向かい、散った男である。烏崑に左頬が陥没させられた事も関連してか、左目は開かず、幾分舌が回らないようである。
「よぉ、楽弥」
「樹紋・・か?誰か分かんなかった。顔がヒデブじゃん」
「お前だって変わらんよ。痛つぅ。試合の記憶が全くない。烏崑も酷いよな、力の差があるの分かってるんだから、手加減してくれりゃいいのに」
「手加減してそれかもよ」
「マジか?」
「でも、樹紋に限っては少し男前になったんじゃないか?元が失敗した福笑いみたいだったしな」
「もしかして目が二つに減った?」
「かろうじて」
「よっしゃ。って元からじゃい」
テントの外で歓声が上がる。
「受けた?」
「受けるか。それより、今闘ってるのは」
「そう、烏崑と哉毘、何かすっごい事なってるみたいよ」
「何だよ、凄いって」
楽弥は全身痛に身体をギシギシさせ、テントの外に出るが、人だかりに遮られ何も見えない。
太陽はいつの間にか暗黒の雨雲に閉ざされ、重く垂れこめた空に、稲光りが閃いている。
楽弥は角の先端を握りながら観衆の肉林を掻き分け、なんとか最前列にたどり着いた。
烏崑が烏崑であるのか分からないくらいに顔面が損傷している。顔が腫れ、鼻腔や眉尻から血を流し、右眼を開ける事が出来ない。しかも、烏崑が雷棒を握っている。電流に耐性のない無民の哉毘に雷棒を使っている。それほど追い詰められているというのか。
烏崑とは対照的に綺麗な顔をしたままの哉毘は楽弥との一戦で破損した服を簡易に修復して着用している。下にゴム服は着用していないようだ。哉毘は烏崑の雷棒をかわし、縦回転横回転しながらアクロバティックな技を繰り出し、烏崑の頭部を両足ではさみ、地面に叩きつけ烏崑は雷棒を手放す。哉毘が関節技をきめるも、烏崑はそれを返し、逆に関節技を決めようとする。
烏崑の右腕がバチッと閃き、雷術の予感ともに哉毘は一旦距離をとり、透明のエネルギー体を発射。烏崑が避けたと思いきや、透明のエネルギー体がもう一つ飛んでおり顔面に直撃。烏崑の雷術は消失する。めくるめくの技の応酬に脳が追いついていかない。
入隊試験のレベルからはかけ離れている。
哉毘は楽弥と対戦していた時よりもスピードや技のキレが段違いとなっている。烏崑の攻撃を寸でのところでかわしている為、ほとんどダメージを受けていない。
哉毘は無民で、あのエネルギー体の意味も分からない。そして女でもあった。白く豊かな胸がフラッシュバックする。哉毘に恋に近しいような感情を覚えていたのには、どこかで女性であるのを感じ取っていたのだろうか。
楽弥は複雑な心境から声援を発しようとして言葉を呑み込む。
烏崑は両膝に手をつき、息を切らしている。「いやーしんどい。雷術生成には体力使うんだけど、全部不発」
「仕方ないだろ。一発でも食らえば多分こっちの終わり」
「あと何発いけっかな」
観客席中央の国王席を見やると、御簾を外す作業をしている。いつの間にか観覧されていた大観様がもう帰られたという事だ。「参ったな。こんな無様なとこ。俺が弱いっていうより、哉毘が強すぎるんだけど、伝わるかな」
「残念だが、俺の玉は透明だからな」
「そうだな。お前に玉はなかった」
「ぶっ殺す」
哉毘は瞬時に間合いを詰め、回し蹴り、とび膝蹴りなどを繰り出し、烏崑はかろうじて避けるも、フェイントを駆使したローキックをまともに食らい、烏崑の左下腿は横にくの字に曲がる。
「へへ、重いな。完全にいっちまった。透明な重金属でも巻いてんのか?」
烏崑は素早く雷棒を拾い、右足に固定し、包帯で巻き付け、哉毘の攻撃を何とかしのぐ。
雨がポツリと落ち、哉毘の火照った頬を冷やす。
「哉毘はどの班希望してるんだ?」
「入る班なんかどうでもいい。すぐに班長になって隊長になる」
「個性の強い班長達を従わせて隊長になるのは難しい。哉毘みたいなのは参番隊なら油陀班がいいかな。大観様に従わないから、俺は嫌いだけど。魅かれるところはある。無民出の班長が作ったところだし、平の隊員でも、班長や隊長クラスの人がゴロゴロいるし」
「油陀班長は無民出なのか?」
「今の油陀班の原型は楽弥の父さんが作った世阿弥班」
「世阿弥さんは無民だったのか?」
「無民とは言っても、賀茂系無民で、雷術の腕前はとんでもなかったみたい。雷を落とし放題だとか」
「楽弥は雷術からっきしなのに」
「世阿弥班には開花術に近しい何かがあって、能力のあるものを見出し、能力を引き出すという秘術があるとされている。哉毘みたいな異術を使う人ばかりと聞くし、本当にぴったりかもな」
「そんな班があるのか」
「ただ、公に姿を現すことはめったにない。俺に勝ったら紹介してやるよ。その代わり、俺が勝ったらデートな」
「は?男なんかとデート出来るか」
「女が好きなのか」
「そ、そんなの、今までこんなだったから分かんねーよ」
「もうバレちゃったんだから女に馴染んでいけよ」
「や、やっぱりもうバレちゃったのか?」
「バレた」
「見えた?」
「見えた」
「どのくらい?全部?」
「惜しかったな。もう少しで大事なとこ見えたのに」
「そこは見えてないんだな」
「俺の位置からは」
「じゃあ、他の位置からはどうだったんだ?」
「さぁ」
「さぁじゃない。どうなんだ?ちくしょう、楽弥のクソ」哉毘は思い出し、顔を赤らめ胸を掻き抱く。
「何で今まで男のフリなんてしてたんだ?」
「あー、見えてたかな?あー」哉毘は坊主頭を抱える。
烏崑はニヤと笑う。
「勝ったらデートな」
「負けはしない」
「負けないならいいだろ」
「勝手にしろ」
烏崑は「了」と発し、手刀や蹴りを繰り出す。
大きな稲光りが閃き、雷鳴がとどろく。続いてざぁざぁと勢いよく雨が降り注ぐ。
烏崑の攻撃は左下腿の踏ん張りがきかず、哉毘に弾かれ、顔面に一発食らう。
すかさず哉毘は透明のエネルギー体を飛ばす。しかし、雨によって可視化され、烏崑はそれをかわす。そして、跳びあがり、四肢にバチバチと蓄電し、着地とともに濡れた地面に、電流を放電する。電流は哉毘の方へ走る。
烏崑も感電するが、耐性があり、ダメージは少ない。
哉毘に電流が接する間際に跳びあがったると、烏崑は狙っていたとばかりに、左下肢に添え木固定していた雷棒を投げつけた。哉毘は空中で避けきれず、蹴り返したが、スパークし、黒焦げとなる。烏崑は、蹴り返された雷棒を顔の前で両手をクロスさせ、ガード。
哉毘の姿を確認しようと、ガードを降ろすと、巨大な透明のエネルギー体が烏崑の顔面に直撃する。
哉毘は雷棒を蹴り返すとともに、烏崑の動きを予測し時差でエネルギー体を発していたのである。
お互いにダメージは甚大で、倒れ込む。
烏崑と哉毘は意識がないのか、動きが見られない。
「哉毘、烏崑」
楽弥は闘技場に上がろうとするも、審判に制止される。
賀茂からの烏崑への声援と無民からの哉毘への声援に二分される。
楽弥の目の前で哉毘の指がピクと動いた刹那、審判が哉毘の指を踏みつける。
楽弥は「踏んでる」と、手を伸ばし審判の足を払いのけると、「今のは哉毘への加勢とみなし、哉毘を失格とする。勝者、烏崑」
場内に歓声が上がる。
「いや、今、哉毘の手を踏んだでしょう」
「私も見てた。剛田武も、アジャの坊も」と汰奴が筋肉に同意を求める。
「つまみだせ」審判は運営委員会に指示を出し、黒蓮隊が楽弥と汰奴を取り囲み、もみ合う。
起き上がった哉毘も、「楽弥を離せ、ドブネズミのはらわたどもが」と賀茂をぶっ飛ばす。
賀茂らは「調子に乗るな下民どもが」と野次を飛ばし、雷術を施した石つぶてを次々と投げつける。
楽弥と汰奴は哉毘の壁となり、石つぶてを受け、小さい感電が続く。
「お前ら」哉毘がつぶやく。
無民は「哉毘が立ちあがったんだから、哉毘の優勝じゃろが」「卑怯もんの人でなし」「賀茂なんか、ちょっと身体から電気が出るだけで大した事ない。無民の方が強いんじゃー」と、賀茂の客席に向かい、落ちている木っ端や、石つぶてを投げ始める。
四番隊の隊員が烏崑を守りながら担架に乗せている。
いつの間にか楽弥と汰奴の前、巨体が立ちはだかり、石つぶてから守っている。班長の伍森である。賀茂らは伍森に物をぶつける訳にはいかず、賀茂と無民との物の投げ合いとなる。やがて、お互いに闘技場になだれ込む。
「みんな、やめろ、やめてくれ。無駄死にさせたくないから、出場してんだ」
哉毘は、無民たちを遮るも、脇を抜け、鎌やつるはしを手にして、駆け抜けていく。
人の波が交わるかに思われたその時、「変態だー」と声が上がり、双方はつんのめりながらも、勢いを止める。
顔面蒼白の妊婦がおぼつかない足元で、入場口から入ってきて、人々は妊婦と円形に距離をとり、妊婦が「だ、だすげて」と手を伸ばし近づくと、悲鳴を上げ、逃げていく。
「詩乃姉?」楽弥はつぶやく。
「詩乃姉なのか?」と哉毘。
妊婦の女性は、薫陀裏丹寺で一緒に孤児として育った詩乃であった。1週間前に姿を消し、玄武国に拉致されたかもしれないと捜索していたが、モノノケを身ごもり、逃亡していたのである。種別院に見つかれば確実に処分される。
哉毘と楽弥は詩乃に駆け寄り、抱きとめる。
「楽ちゃん、哉毘ちゃん。ごめんね、本当は種別院に行って、モノノケごと殺してもらわなきゃいけないんだけど、怖くて」としゃくりあげる。まだ17歳である。怖くて仕方なかったのだろう。
「でも、私がみんなを殺しちゃう事考えたらもっと怖くなって、でも自分で死ねなくて。だから、七雷隊に殺してもらおうと思って」
「詩乃姉、どうすればいいんだろう。本当にモノノケなの?」
「だって、私、男の人と何もしてないのに、このお腹・・・。最後に2人に会えてよ・・良かった。変態が始まりそう。離れて・・誰か・・殺して・・」と、2人を突き放す。
いつの間にか、詩乃の周囲を2番隊の菰田班と謝花班が囲っている。
詩乃は落ちていた鎌を拾うと、切っ先を腹へ押し込もうとした。その刹那、詩乃のヘソから、緒が飛び出し、鎌をはたき落とす。そして、飛び出たヘソの緒が波打ちドゥリュ・・ドゥリュグリャとモノノケを排出していく。菰田班と謝花班の班員は次々に槍に蓄電し、詩乃姉とへその緒からの排泄物に投げつける。
「詩乃姉!」
「やめろ!」
四方から串刺しとなる詩乃。
未完成の得体の知れない緑色のヘドロ状のものは、中の本体が鋼板のようで刺さらず、槍はバラバラと落ちる。
「やはり麒麟Ⅰ型じゃあない代われ」
と班長の菰田と謝花が前線に立ち、続いて、相米班長と、峰班長がそれぞれの雷式武具を手にし、四方から攻撃を繰り出す。しかし、まだ形を成さないながら尻尾状のものにになぎ倒される。
4班は夢情報により、麒麟係として対策をたてていた。
モノノケは膜の中で形作られ、モノノケのヘソから伸びるヘソの緒の先には妊婦の抜け殻がついている。ヘソの緒をストローのようにしてズリェリャと吸い込んでいく。緒の先端に残るのは、詩乃の長い髪。ゆっくりとすすられていく。
内側から膜を引きちぎり咀嚼し、全容が現れる。深緑りの鱗に覆われ、龍を縮めて、馬の形としたようである。全身から禍々しい黄炎と黒炎が吹き出している。全身をくまなく舐める頭部は2本の角が生え、獰猛な鋭い牙が見え隠れしている。
麒麟三型はまだ、この世に馴染めておらず、足元がまだおぼつかない様子。
傍らには詩乃の着物が落ちているが、詩乃の数10倍の質量はあろうかモノノケが同一のものだとは思えない。
班長らが麒麟三型を囲み、じりじりと近寄るも熱気により、顔面が火照り、汗がダラダラと流れる。菰田班長が意を決し、半月刀で切りかかり、前額部に電流を流し込む。麒麟三型は前足が痙攣し、右回りに回り始め、ここぞとばかりに、4班長が急所と思われる部位へ、切っ先をねじ込む。と思いきや、黄炎と黒炎が噴出する。そして、炎が収束した時には、相米班長の頭は麒麟三型の口の中にあった。バリバリと音を立て、相米班長は食われていく。
菰田、謝花、峰は弐番隊の中でも10席と上位に位置する相米班長がなすすべなく、喰われていく様に顔面蒼白となる。
3人は構えたまま後ずさりし、距離をとる。
すると後ろから、「かっかっか。弐番隊の班長4人でもそのザマか。しかも、麒麟の対策を入念にして。お前らは参番隊の20席にも劣る。うちの副班でも、お前らより頼りになる」
参番隊7席の薫班長が馬上から見下ろす。「お前ら出涸らしみたいなやつらは後ろに下がっておれ。棚ボタ班長風情が」
「何を?勇敢に殉死された班長達を侮辱することは許さん」と、謝花班長。
「班長らが命を賭して国内のモノノケを駆逐したから、この国の安寧がある。城壁の上で外を眺めているだけの軟弱な参番隊が偉そうに」と、菰田班長。
「かっかか。モノノケにとって城内は所詮ゆりかご。産まれたての赤ちゃんモノノケしかおらん。離乳食の弐番隊がいきがるな。弱肉強食で、生存の為、進化を続ける外のモノノケがどれほどのものか。やつらの跋扈する世界を開拓し、あらゆるものを供給する参番隊こそがこの国のかなめ」
「何を。壱番隊をサポートするだけの金魚のフンの癖に」
「ほざけ。弐番隊は邪魔だ。薫班一斑だけで、麒麟の首をとる。いくぞ」
参番隊の薫班長は槍を振り上げる。薫班が呼応し、声を上げる。
薫班長の馬が駆け出し、勢いよく加速し、槍を袈裟斬りに振り下ろす。
麒麟Ⅲ型は避け、前足を支点に反転し、尻尾で、薫の馬の前足を横に払う。その刹那、薫はバランスを崩しながらも馬上から15m程度跳びあがる。薫の馬は横転し、身体を地面に打ち付けるも、回転し、立ち上がる。そして馬も空中で薫を背に乗せようと跳び上がる。
薫が馬の背に降り立つその刹那、馬の背中の異変に気付く。馬の背中に鋭利なものが突き立っている。麒麟の角?時既に遅し。薫の肛門に激痛が走る。薫は咄嗟に、馬の背に両手を突き、馬上から降り立つ。薫の馬の腹は一文字に裂けており、内臓が落ち、麒麟Ⅲ型の頭部が馬の腹に潜り込んでいる。
薫の肛門からはおびただしい出血が止まらない。しかしすかさず、槍を拾い、麒麟Ⅲ型の首元に電流を流し込んだ切っ先をぶち込む。途端に黄炎と黒炎が爆炎となり、麒麟Ⅲ型の周囲を覆う。
薫は爆風に吹き飛び、顔の一部がケロイド状となる。薫の馬は炭化し、崩れ落ちる。
麒麟Ⅲ型の炎が収まり、全容が姿を現す。薫の槍は分厚い皮膚を貫通し、切っ先だけが刺さったままとなっている。流血はしているが、致命的なものとは程遠い。
「薫班長。大丈夫ですか?」部下が駆け寄る。「馬鹿野郎。早く切っ先を押し込め」
班員達は役割で囮となり、攻撃組が切っ先にハンマーを次々ぶち込むも、切っ先は進まない。
「Ⅰ型なら最初の一撃で心臓に到達するんだがな。豪汰、足をやられた。馬を貸せ」
麒麟Ⅲ型の前足はワニの爪のようで切れ味が鋭い、近づくものを切り裂いてゆく。
薫の右の膝下は炭化していて、郷汰の馬に乗るのも難儀する。薫は左足で馬の横腹を蹴り、決死の覚悟で、麒麟Ⅲ型へ突っ込んでいく。飛び掛かった馬に、麒麟Ⅲ型は前足を張り手のようにして頭部を払う。一方、薫は馬が跳びあがるタイミングで、下方へ降り、麒麟Ⅲ型の懐に入り込むと部下の投げたハンマーを受け取り、「これでしまいじゃ!」切っ先に電流ハンマーをぶち込む。切っ先は更に首元の筋肉にめり込むと同時にぶぅわと黒炎を追い黄炎が、薫を包み込む。怒り狂った麒麟Ⅲ型は喉奥を開き、黄黒の炎が渦巻く。
麒麟Ⅲ型の血走った目と怯える楽弥の目がバチっと合う。焼かれる。楽弥の脳裏に渦巻く業火に身を削られる姿がよぎる。楽弥が咄嗟に腕をクロスし、顔を防ぐ。麒麟Ⅲ型の喉奥の炎の渦がせり上がり、発射した刹那、哉毘の巨大な透明のエネルギー体が炎を貫き、麒麟Ⅲ型の口へめり込み、口角が僅かに避ける。麒麟Ⅲ型は全力で抗い、透明のエネルギー体をかみ砕き、黄黒の炎をたぎらせ、前足の爪を地面に引っ掛け、前のめりに哉毘にぶれながらも焦点を定める。口角から黄黒炎を漏らしながら、土煙を巻き上げ、グンと一歩迫る度にコマ送りのように巨大さが増す。「逃げろ」と薫が麒麟Ⅲ型の前に回り込み、渾身のアッパーを突き上げる。しかし麒麟Ⅲ型は何一つ挙動に変化を見せず、前足で押しつぶし、哉毘に迫る。
楽弥は意を決し哉毘の前に立ち、モノノケ並の右腕を振りかぶる。更に楽弥の視界を背中が塞ぐ。「楽弥、お前は哉毘様を逃がせ」
庵慈である。
「でも」
「哉毘様にはすべき事がある。世界を変える核のうちの御ひとり」
「2人ともどけよ。俺がやる」哉毘が紅いモヤを帯びている
「Ⅰ型以外は手を出すべきじゃあない」庵慈も紅いモヤを帯び「賀茂らの前で力は使いたくないが」と麒麟Ⅲ型へスタートを切る。
「俺も行く」と哉毘も続く。
「力を見せた時点で隊員にはなれんぞ。その方が私にとって都合はいいが。紅くなるがいい」
「クソ」
哉毘の紅いモヤが消失する。
「クソ。楽弥いったん、引くぞ」
「なんだよ、さっきから紅いのとか。お前らいったい」
「説明は後。庵慈が本気になると、巻き添えで死ぬ」
哉毘が踵を返し、楽弥も続く。
楽弥が振り返り、麒麟Ⅲ型を見やると、麒麟Ⅲ型の頭部にどこからか飛んできた機械の一部がぶつかっている。それは巨大な砲弾かの如く、速度と重量を伴っている。
麒麟Ⅲ型はゴロゴロと横転し、地響きとなる。機械の一部と思われたものは、重装備した車椅子であった。そして機械の一部のような人が乗っている。悪魔のようなメイクを施していて、紅い髪を振り乱している。知性を持ったモノノケのようにさえ見える。
「悪魔将軍・・」
「紅璃・・」
菰田と謝花が呟く。
紅璃は起き上がった麒麟Ⅲ型の頭部で浮き上がったまま2本の角を左右に開き、「うるぁ」と声を上げると、右の角がバギと折れる。根本には麒麟Ⅲ型の肉片がついている。そしてその先端を麒麟Ⅲ型の目玉に突き立てる。
麒麟Ⅲ型は咆哮しながら、首をぶん回し、車いすと一体となった紅璃を振り落とす。
紅璃は左手で車いすを操作しながら、右手には重量感のある角を持ち、突進する。
麒麟Ⅲ型の角と紅璃は角で豪快にチャンバラをし、紅璃はあえて隙を作りバランスを崩したところ、麒麟Ⅲ型の左角が鋭角に紅璃の心臓を狙う。紅璃はすんでのところでかわし、麒麟Ⅲ型の角を片方の車輪で進み、車輪周囲から刃を出し、急回転し、麒麟Ⅲ型の首を駆け抜け、鱗と肉を削ぐ。麒麟Ⅲ型は悲鳴のような咆哮を上げ、黄黒炎を振り乱す。発炎のタイミングで、車いすが跳ね、回転し、着地すると、落ちていた槍を拾い、ぶん回すと先端に電流がバチバチとなる。電気メスと化した槍を回転させ、突進してくる麒麟Ⅲ型を切り刻んでいく。耳、手首、尻尾、牙、前足の左、右。紅璃は笑っているように見える。凶悪な麒麟Ⅲ型が不憫に見える程である。どちらがモノノケなのか分からない。鬼神と化した圧倒的な紅璃に震撼し、見ているもの達は末端の血流が消失していく。
「あ、あの人はいったい?」楽弥はつぶやく。
「無民から弐番隊隊長にまで上り詰めた・・・元隊長。紅璃」庵慈は目を細める。「楽弥も小さい頃に会っている」
「え?」
「薫陀裏丹寺の孤児だった」
「あの人が・・」
麒麟Ⅲ型は後ろ足で立ち上がり、二足歩行で炎を喚き散らし、突進してくるところ、紅璃は自在に車椅子を操作し、数センチの誤差もなく的確に炎を交わし、麒麟Ⅲ型の分厚い後ろ足の付け根を斬り裂く。足から離れた胴体はズシンと地を揺るがす。
手足を失いついにはダルマ状となった麒麟Ⅲ型は弱々しく炎を吐く事しかできない。
紅璃はフ―と息を吐き、車椅子を進めたところで、矢が地面に連なり行く手を塞ぐ。
「そこまでだ紅璃殿。種別院の範疇ではない」
弐番隊5席の児威寓班、班長の児威寓が班員を引き連れ、割って入る。
「種別院は変態するまでとなっている。変態後は我らの仕事。お引き取り願おう」
「笑える程想定した通りだな。決したのを見計らってきた出てきおった、小物が」紅璃は鼻で笑う。
「度重なる越権行為に我々は、元隊長への敬意として目を瞑ってきた。しかし今一度お伝えする。種別院は、隊の品位を著しく損なう。七番隊から切り離す方向で進んでいる。賀茂の敷地内に入るのにさえ申請がいる。ご自身の立場を改めて認識していただきたい」
「くだらん、学生の憧れる七雷隊のメッキが完全に剝がれずに済んで頭を下げるならまだしも。まぁよかろう。30秒でこの麒麟を生ゴミとしろ。お前ら程暇ではない。私は角を拾って帰る。チンタラやっていたら、余計な生ゴミが増えるかもしれん。私の性格はヒリつく程知っているだろう。イーッチ」
児威寓班は顔を引きつらせ、各々の武器に通電し、麒麟Ⅲ型の後方から斬りつける。
麒麟Ⅲ型は、出血が止まらず、朦朧とし、弱々しい炎を全身から発している。
児威寓班は順に斬りつけるも、紅璃のように刃が通らない。
「ジュウゴー」
児威寓は尻尾の切断部位に刀を突き刺し、電撃を流し込むと、麒麟Ⅲ型は三白眼となり苦しそうに奇声を挙げ、うなだれる。僅かな沈黙ののち歓声が上がるも、「気を抜くな。首を落とせ!」
児威寓班は一斉に跳びあがり、麒麟Ⅲ型の首元に刃を振り下ろす。その刹那麒麟Ⅲ型の黒目は生気に満ち、首で反動をつけ転がり、全身から炎がほとばしる。児威寓班員は空中で態勢を変えられないまま、爆炎に飲み込まれる。麒麟Ⅲ型はバカッと口を開き、その喉奥には黄黒の炎の渦がせり上がる。
進行方向には目を見開く児威寓の姿。「なっ」児威寓は覚悟した。
「サンジュー」
紅璃は児威寓を押しのけ麒麟Ⅲ型の口の中に飛び込みながら車いすから脱する。麒麟Ⅲ型は咄嗟に口を閉じ、一瞬の静寂のあと、麒麟Ⅲ型は内側からいくつもの光が走り、黒炎が燻し上がり、細切れとなる。
麒麟Ⅲ型の背中から紅璃がもぞもぞと姿を見せる。血まみれの悪魔と化した紅璃の顔のメイクが一部落ちている。紅璃は口をモゴモゴさせ、血まみれの歯をニとし、勢いよく生肉を吐き出し、肉塊を泳ぎ、もう一つの角をもぎ取り、車いすへ飛び乗る。
闘技場を時間をかけねめ回す。
誰もが目を逸らして行く。誰もが自身の肉塊で泳がれたくはない。
楽弥も視線を合わせる胆力はなく、逸らした先の哉毘を見ると、紅璃を睨み返している。
哉毘の視線を感じて、紅璃は目を合わせ、紅い血液にまみれた白い歯を魅せる。
2時間後、七雷隊入隊試験の合否が発表された。
それぞれの隊と班が記されている。
弐番隊1席の覇首班には烏崑の名がある。3席伍森班には汰奴。
参番隊7席修平班には哉毘の名がある。楽弥の希望していた参番隊にその名は見当たらない。医術院を管轄する四番隊の創仁丸班には栖杏とある。
墨術院などの教育、機械や兵器の研究開発をする伍番隊にも楽弥の名はない。
無民の労働管理や税の徴収、芸術や文化の発展に関連した六番隊にも楽弥の名はない。
種別院を管轄する七番隊に一名だけ記載されていた。『賀茂楽弥』。