体内にあるエクトプラズマが魔法の元に成りえたとは・・・。
1話 虎煌七雷隊入隊試験
第一闘技場
「はい、ズドーン!」
「デカいよデカい。仕上がってる!」
「大胸筋大陸ー!」
「からのー大陸大移動。ダブルバイセップス」
「地響きがぁ、うぉー揺れるぅ!!」
ボディビルドコンテストの如き声援が飛び交う。
「一筋一筋魂宿ってるー!」
「二頭筋氏サイコー」
「名前で呼べ馬鹿者。二頭筋は五郎丸じゃ!」
男は二頭筋を盛り上げる。
「五郎丸ぅ―!」
「三頭筋は?」
「剛田武!」
「僧帽筋は?」
「アジャの坊!」
「こ、これぞ肉体に表出した多重人格!」
「うぉー!」
第一闘技場では、武術への意欲がいつの間にかこじれ、ドSの脳みそとドMの身体のせめぎ合いで、全精力を筋肉の成長に注ぎ込んだ愛すべき変態、汰奴が、テラテラの肉体を見せびらかし、ポージング。全方位へのサービス。白い歯がキラリ。
15歳にして身長192㎝ 体重174kg 重量挙げ712kg。ほぼ出来上がっている。
「カーフデカいよ!」
「贅肉の村八分!」
「背中の般若がー、激オコーからの、ニッコリー!」
汰奴は客の声援に答え、広背筋などでで般若の顔を形づくり、自在に表情を操る。
対するは栖杏、女子である。身長164㎝ 体重58kg 重量挙げ645kg。医術院を管理する四番隊を希望しているが、身体への興味が筋肉への育成へとこじれ、マッチョ化した。栖杏はウェットスーツのようなゴム服を脱ぎ、面積の狭い布のみの姿となった。これがマッチョに対するマッチョへの礼儀とでもいうかのように。
トーナメントの敗者となった350期生達が闘技場の四方から掛け声を重ねる。
「ささみのたまもの!」
「太ももローストチキン!」
「鳥の超合筋!!もはやお前は超進化した鳥さんだー」
「とりー、とりさーん」
「羽ばたけぇ!」肩の筋肉をぴくぴく動かす。
栖杏は用意していた草を握り、黒く染み出た汁を身体に塗りたくる。サイドチェストのポーズ。
第一闘技場とは対照的に他3つの会場では殺伐とした雰囲気で試合の準備が行われている。
奇岩に囲まれた円形闘技場には客席がいびつに囲み、虎煌七雷隊の隊員で埋め尽くされている。
準々決勝ともなると、各隊の顔ぶれが入れ替わり幹部が前列に顔を見せ始める。
第一闘技場での敬意を欠いた不謹慎な盛り上がりに毒づき、口をへの字によじ曲げる隊員もいるなか、筋肉に特化した伍森班班長は自らの筋肉がうずき、タンクトップを脱ぎ、究極の肉体美を披露する。続いて班員達も、班長に続き肉体を披露しポージング。
賀茂性のみが武術雷術を学ぶ墨術院では卒業時に、七隊のうち希望の隊と班を記し提出することになっている。と同時に各隊各班からのスカウトがあり、双方の希望の中で調整がなされる。
汰奴は筋肉への愛にまみれ、テラテラと光る伍森班を希望している。闘技場では己の筋肉をラブレターとして、伍森隊長へ届けたかっただけである。
武術の腕前を見せようなど、ジャンクフードくらいに興味がない。
伍森隊長はしかと受け取ったと、頭の後ろで手を組み、腹筋と脚の筋肉をモコモコと盛り上げ、満面の笑みを顔面の筋肉で作り上げる。
そして大勢の筋肉を従え、ポージングを変え、両手を股間の前で逆ハの字を作る。マッチョな部下達は頷くと代わる代わる伍森隊長の股間を殴る。
殴り続けるが、木漏れ陽の下、心地よいそよ風を頬に浴びているかのような涼しげな顔。
彼の表情とは対照的に、筋肉とは大胸筋を隔てる溝のごとく、奥深いものであるという熱い思いが伝わってくる。
汰奴はひとしきり茫然とし、熱い涙が頬を伝う。背中の般若もしょんぼり。
「そ、そんなところにまで愛情を・・。なんと未熟だったことか。そして今まで君の存在に気づいてやれなかった」おいおいと声を上げ泣き、股間をのぞき込む。「君の名は・・」
伍森隊長はそこも見せてやろうとパンツに手をかけたところで大勢の部下が必死に止めに入る。
そろそろ試合が開始されるようだ。審判が時計に目を落とし、栖杏が構える。
首から上は知的な美人で、額の曲線の美しさだけで、飯がんまい。顔を見て、間違いであってくれと身体を見ると「う、うーん・・・うん・・・うん」分けて考えればどちらも魅力的ではある。しかし組み合わさると「うーん」
概ね皆好意的ではあるが、どこか釈然としない想いで彼女を眺める男達。
審判の「はじめ」の声とともに、温まっていた会場が瞬間的に沸騰する。
うぉーーーーー。
第三闘技場
蒸し暑さの苛立ちに交じり何やら不穏な邪気が揺らいでいる。
闘技場周囲に群がる敗者達の表情は険しい。
眉間に寄せた皺の横に、滲んだ汗が玉となりゆっくり流れる。
静寂を破り、ぼそりと声が上がる。
「不気味なんじゃその角」
第一闘技場の盛り上がりとは対照的にネガティブな言葉が、対戦相手の一人、楽弥の胸へ刺し込む。久々の鋭い言葉に、幼い頃から培った心の武装に隙が出来ていた。形のない黒い毒矢が胸に刺さり、黒くにじむ。
「その醜い角に父親の生首を串刺してやる、クソ化けモンが!」
先駆者の言葉の切っ先がが観衆の内なる怨念にフックをかけ、胸から引きずりだそうとする。彼らの感情のタガに亀裂が入り、剥きだしの言葉が力を得てとめどなく嘔吐、排出される。
「呪い殺されろ、モノノケ野郎」「殺人狂の息子のくせに」「図々しくも試験を受けやがって」「親父の命を返せ、化け物」「角を引っこ抜いて、目玉をくり抜いてやれ」「死んで詫びろ、詫び続けろ」「土下座姿勢でミイラ化しやがれ」
やがて四方からのどす黒い言葉が強烈な圧となって、楽弥のパーソナルスペースをせばめる。息苦しい。酸素を求めて心の神経が体外へと逃れる。身体からむき出しとなった心の神経が、鋭利な言の葉の刃に切り刻まれ酸っぱい火花を散らす。
幼い頃から受け続けた凄惨ないじめの記憶の断片がフラッシュバックする。
楽弥は前額部右からイビツで鋭い角が生えている。子供は人との違いを嘲笑する事が義務であるかのように一所懸命全うしようとする。
しかし、楽弥の場合、それだけでなく、子供らの心に棲む悪を肥大化させるのに充分な栄養素を持っていた。父親が虎煌七雷隊の3番隊隊長であったが、他国へ寝返り、虎煌七雷隊の隊員を大虐殺した。
隊員の父親への膨大な陰性感情が楽弥の身体に集約され、一身に重みを背負っている。その怨念が楽弥の左手を掴み地獄へ引きずり込もうとでもいうのか、左半身が重く不自由で、肘と膝が曲がらない。無理に曲げようとすると激痛が走る。
楽弥は、5歳で墨術院に中途入学してからは、目の前の対戦相手、伝角を中心に酷いいじめを受けていた。
第四闘技場で試合の準備をしている烏崑が転入してくるまで。
うんこではない。
第四闘技場
烏崑はこの黒蓮国を350年前に建国した唯一無二の王、賀茂大観の最後の子である。
大観は開花術に伴い、不老のまま建国以前からの生を終えていない。膨大な数の子がいるが、大観が最後の子と宣言した事で、王子の中でも一目置かれている。
賀茂性のみが墨術院で学ぶ資格があるのだが、烏崑は孤児の寺に送られた楽弥を気に入り、墨術院へ引き入れた。
楽弥の生い立ちを知り、いじめに合わないよう根回ししたつもりであったが、陰で行われた楽弥へのいじめはいつしか、表へと漏れ出し烏崑の知る事となった。烏崑が楽弥のクラスへ転入し、黒を白へと裏返していった。いくつかの白はまた灰へと滲んだが。
父親や親戚が楽弥の父親に殺されている。やりどころのない気持ちが楽弥に向かうのは仕方ないと理解はしているだけに、烏崑は墨術院に楽弥を引き入れた事に罪悪感に苛まれる事はあった。楽弥は楽弥で烏崑に罪悪感を感じて欲しくなくて、意識的に明るく振る舞っていた。
うんこは、間違えた。烏崑は試合前に整列したところであったが、第三闘技場の禍々しい盛り上がりに居ても立っても居られず「クソどもが」と踵を返し、拳に雷をまとわせる。
そこで「はじめ」の審判の声。すかさず対戦相手の樹紋の荒々しい手刀が烏崑の頬をかすめる。振り返りざまに咄嗟にかわした烏崑だが、身体を後ろに反らせたそのタイミングで、両足を蹴り払われる。尻もちをつく間際に片手を地につき、バネとして、後方へ飛び、着地する。
目の前にチラつく生肉に苛立つ空腹の肉食獣が、鎖に解放されたかのように爆発的な瞬発力で次々と烏崑を襲う。樹紋は元々の能力の高さはあったが、日常でも格闘でも事あるごとにブレーキを踏んでトップスピードには至らないタイプであった。ブレーキがぶっ壊れた目をしている。
「樹紋どうした?様子がちが・・」
烏崑の言葉まで噛みつき喰い散らかし、口の端からこぼす。
思い至る事がある。試合前に七番隊隊長の仙霊と何やら話をしていた事に違和感があった。隊長は雲の上の存在である。院生ごときが隊長とコンタクトをとる事は難しい。とはいえ、七番隊は異質ではある。
虎煌七雷隊の6番隊までの隊員で、重症を負ったり四肢が欠損していたり、精神疾患を患ったり、賀茂の犯罪者など訳ありのものが主に入隊する。
七番隊は主に種別院を管轄している。
建国より数十年前から女が自然とモノノケを宿す事象が発生するようになった。
世界を脅かすモノノケを排除することこそが人が生き抜く最重要課題である。そのような重要な任務であるにも関わらず、一線を退いた者達が種別院に関与するのかというと、女の孕んだ者がモノノケなのか人の子なのかを判別し、それがモノノケであった場合、女ごとモノノケを処分する。子を宿し最も希望に目を輝かせた女を殺害しないといけないのだ。是非やりたいと手を上げるものなどいない。
七番隊の席を見やると最前列に隊長の仙霊はいた。黄色に黒く呪術的な紋様が施された不気味な服を着ており、フードのため口元しか見えない。呪術的な化粧をしているようだ。
仙霊が樹紋の元々のポテンシャルの高さを見極め、目を付けた。そして試合前に快楽戦闘狂として高揚させ、ブレーキを隠した。そんなところか。
樹紋が涎を振り乱して、繰り出した拳が烏崑の鳩尾へねじ込まれる。ガフゥっと前傾になったところで、樹紋は噛みつこうと剝きだした歯が烏崑の耳を食いちぎりにかかる。烏崑は咄嗟に首をひねりかわしたが、歯先の感触が耳に触れた。立て続けに樹紋の右ストレートが烏崑の身体をかすめる。烏崑は状況に軽く混乱していた。樹紋の異様な迫力と間断ない攻撃に、反撃に転じる余裕がなく追い詰められ左足が場外の段差に触れる。飛びついてきた樹紋の両手両足は雷をまとっている。烏崑の目に雷が宿る。「悪りぃ」と烏崑はスクリューパンチを樹紋の左頬にぶち込んだ。樹紋は吹っ飛び地面に跳ね、仰向けとなった。一瞬でぼろ雑巾と化し白目を剥いている。股間だけが闘争本能を示し屹立している。行き所を失ったエネルギーが集約されているかのように見える。
烏崑は殴った感触の残るこぶしをさする。樹紋の顔面の骨は陥没しているに違いない。妙な緊張からの解放に額から汗が噴き出す。
「ごめん、大丈夫か?」
烏崑は樹紋に駆け寄り、頬を触ろうとすると、「触らないで下さい」と6番隊の隊員が、烏崑の手を制し担架で樹紋を運んでいく。6番隊は医術院を管轄している。
烏崑は大観王の血の良いところを抽出したかのようで、同期では武術において比べる対象はいない。虎煌七雷隊でも役職を除いて烏崑に有効打を与えられるのは数名であろう。それぞれ部隊を構成する班は規模により三層に別れているが、樹紋はメンタルさえ鍛えれば、上層に上り詰める可能性はあるかもしれない。
烏崑は「楽弥!」と第三闘技場を振り返る。
第三闘技場
伝角は、試合用の雷棒を使用し、楽弥のゴム服から露出した顔、両手、両肩、両大腿、両足の9か所を狙う。総ての賀茂性はブルーマー(開花者)となった賀茂大観の血を受け継いでおり、程度の差はあれ雷術を使用できる。大抵のものは、両手両足に電気ウナギに似た筋肉でできた発電機が備わっている。
雷棒に発電したものを蓄電し、調整された電力が、打撃時に放出される。
墨術院の卒業レベルでは、雷棒なしで身体の一部に電気を留める技術はほとんど有しおらず、タイミング良く、発電することは難しい。
発電自体も体力の消耗が激しい為、1日に数回程度しか出来ず、雷棒は必需である。雷棒の電力調整がされていなければゴム服の露出部位への打撃は、賀茂でなければ、感電死する事もある。賀茂であれば身体には脂肪が変性した絶縁体があるため、ある程度のダメージで済む。
楽弥の身体は至るところに不具合があり、発電に成功した事がないし、絶縁体があるのかないのか、雷術を受けた時のダメージが著しい。虐められていた時は、雷術の練習と称し大勢に押さえつけられ、顔面に大やけどを負った事が何十回とある。一生残りそうな傷が毎日のように刻まれた。幸か不幸か楽弥には異様な回復の速さがあり、翌日に痕を残した事はない。それがまた虐待者達を苛立たせた。
第三闘技場の外野。「顔面行け」「そこだ」「逃げんな」「ぶち殺せ」と楽弥へ毒をまぶした言葉をねじ込む。
楽弥は左半身は不自由であるが、準々決勝まで残るには理由がある。右半身の身体能力が並外れている。烏崑に墨術院を楽しんでいると思ってもらいたくて、いじめられないよう、右半身を鍛えた。左半身を補うに余りある、ありすぎる発達をみせ、腕相撲なら、汰奴でさえ子供扱い。右足だけで、同期の倍の跳躍力は優にある。
伝角は、必死に楽弥へ雷棒を振るうが右足だけで滑らかなステップでかわす楽弥を捕らえる事が出来ず息を切らしている。右足の自由さえ奪えばフルボッコの筈。執拗に右足へ雷棒を振り回すもヒットしない。
「逃げてばかりでイラつく野郎だ。不気味な顔しやがって」
楽弥は人工的に口角を上げることで、悪の波動を相殺しようと試みる癖がある。
彷徨う楽弥の視線が烏崑を見つけた。
烏崑は楽弥の不気味な笑顔を和らげるよう自然な笑みで返す。
そうして、楽弥の笑顔にようやく感情が帯びる。力を得た楽弥は4つ足歩行のように右手右足のみ駆使し、伝角と急速に間合いを詰め、伝角が雷棒を振り上げると同時に、楽弥は右足で地を蹴り、グンと伝角の懐に入り込み、雷棒を持つ手首を掴み、ひねり上げる。
伝角はへぎゃと顔を歪める。
「絶対的な後ろ盾ってのはこんなにも心強い」
「イテーよ、離せクソ野郎」と楽弥の顔に唾を吐きかけ、
「烏崑は何でこんな悪党の血筋を。権力の横暴だ。悪趣味な野郎だ」
楽弥は更に捻る。
「烏崑の事は言わない方がいい。腕が不可逆的となる」
「ぐっ、ちょっと待て。待ってくれ、分かった分かった。降参する前に、雷棒をこのまま落とすと、お前の足に触れる。後ろに投げるから少し緩めてくれ」
と、楽弥が一瞬手の握りを緩めた隙に、伝角が雷棒を背部へ投げると、瞬時に伝角は前かがみとなり、踵で雷棒の持ち手を蹴り上げる。雷棒は勢いよく楽弥の顔面にぶち当たる。楽弥の全身に電流が駆け抜け、剛直した状態で、背中から倒れ込む。そのまま痙攣しているところを、伝角は雷棒を拾い、楽弥に馬乗りとなり、顔面を殴り続ける。「ヒャハー、俺はみんなの恨みを背負ってここにいんだよ。ぶち殺してもぶち殺しても、何回ぶち殺しても足りねーんだよ」
通常危険と判断すれば審判は止める事になっているが、楽弥だからだろう。審判は止めるタイミングを見計らうよう装い、前のめりとなり、楽弥の方足を踏みつけ押さえている。
烏崑は「止めろ、審判止めろ、勝負はついただろ」と真っ青になり駆け寄る。
雷棒では電力が調整されているため、いくら絶縁体が身体に備わってなくとも、このような爆発的なダメージを与える事はない。雷棒に細工がなされていたに違いない。
楽弥は痙攣するまぶたにより、視界は激しく明滅し、ストロボのフラッシュが瞬く。第二闘技場でストレッチ中の哉毘が楽弥を見つめている。
第二闘技場
第二闘技場では哉毘と対戦相手が構える。哉毘の対戦相手は前の試合で、苦戦したらしく、唇とまぶたが腫れあがり、右腕は骨折しているのだろう、ギプス固定をしている。本来なら準々決勝を辞退するところだろうが、相手が無民の哉毘であるなら、もう一つ勝ち上がれるだろう。そう見込んで出場したのところだろう。
哉毘は1回戦を不戦勝で勝ち、以降もダメージの多い相手と戦い勝ち上がってきたようだ。涼しい顔をしており楽弥を見つめたまま、開始の合図を待っている。哉毘は一瞬、楽弥から目を反らし、対戦相手を睨みつけた刹那、相手は膝から崩れ落ちた。
審判のカウントも中途に痙攣している楽弥を心配してか第三闘技場へ向かい歩みから徐々に速度を上げる。
第三闘技場
楽弥への殴打は変わらず激しい。片耳に血が入っているため、ボヤボヤと周囲の音が聴き取りづらい。朦朧とした意識のなか、烏崑のしわがれた声ががなり声を上げ近づいてくる。止める観衆ともみ合い、はり倒し、力づくで楽弥の試合を止める気である。もしもそんな事になれば、いくら王子とはいえ、試験に失格となるかもしれない。
それはいけない。それはいけない。楽弥は笑顔を思い出し、かすれた声で「大丈夫だから」もう一度喉を広げ「烏崑、やめろ」
伝角は楽弥の角を雷棒で叩き折ろうと連打していた。伝角本人は意識してか名前に角が入っているだけに、楽弥の角をからかわれている声に不快感があったのかもしれない。一心不乱に乱打している。
楽弥は鬼のような形相で笑い、伝角から雷棒を奪いとると、地面に叩きつけ、木端微塵に破壊する。そして伝角の髪を引っ掴み、破片の散らばる地面へ叩きつける。伝角のぐらついた前歯に指をぶち込み、舌を掴み、引き抜こうとする。伝角はハグハガと音を立て、両目を剥きだし、恐怖に打ち震えている。あり得ない程舌が伸びている。
楽弥の一角の切っ先が伝角の右眼に小刻みに触れている。
「汚い舌は洗濯した方がいいよね」
伝角は震える足で床をそっとタップし、降参の意を示す。
「それまで」と審判は試合の終了を宣言する。
一瞬の事に何が起こったか理解できず、静まり返る観衆。話に聞く楽弥の父親の異常さを彷彿とさせる勝ち方に観客のたぎる心臓を冷気が吹き抜けた。
第一闘技場では汰奴と栖杏は、友である楽弥の試合の行方を横目で気にしていて、伝角の人として不愉快な振る舞いに、苛立ちを覚えていた。楽弥の普段見ないような一面に驚きはしたが、兎にも角にも圧縮したものが解放されたように感じ、腕を振り上げハイタッチをする。
楽弥は伝角の落ちた歯を拾い、渡す。伝角は楽弥を怯えた目で見上げて受け取らない為、楽弥は伝角の手に握らせる。楽弥の笑顔は痙攣している。楽弥の中では口角が広がり続け、止まらないような錯覚に苛まれる。
虎煌七雷隊の中には楽弥の父親に恨みを持つものが多くおり、怒号があちこちで響き渡っている。
楽弥は一度精神の崩壊を経験しており、フラットな状態に戻そうとすると、表情に不具合が生じ、制御不能となる事がある。異様な笑顔で、片目から涙がこぼれる。
楽弥はそんな時、心を鎮めようと角の根本を掴む癖がある。
右前額部から生えたイビツな角は黒く、削れたような箇所がいくつかあり、ダイヤのように輝く。
楽弥の父親、世阿弥は13年前大観王の首を狙い深手を負わせたが、破れ敵国の玄武国へ亡命した。黒蓮国は国として楽弥の父親を許さず、玄武国へ世阿弥を差し出さねば攻撃するとして戦争となった。
双方に多大な犠牲者を出すも結局勝敗はつかず、世阿弥を捕らえる事は出来なかった。当時4歳であった世阿弥の息子楽弥だけは生け捕りとすることで良しとされた。
大観王に深手を負わせる程の世阿弥の息子にして、謎の角を持つ楽弥。何か身体的な秘密があるのではと、医術院の管理やモノノケの解剖を担当する6番隊の研究施設で、過ごした期間があった。
結局、楽弥の左半身に角と同成分のものが大小いくつか貫かれており、楽弥の動きを阻害し、激痛の元となっている。その程度しか分からず、どこからそれらが発生したのか、その角に何か役割があるのかなど判然としないまま頭打ちとなった。それでも、何かしらの成果を得ようと、刺激による肉体の変化を見るとして様々な拷問が行われた。賀茂姓は無民と比べ肉体の修復の早さはあったが、それより以上に楽弥には劇的な回復力があった。
それがまた性癖に異常のあった当時の所長を刺激し、拷問の内容は日々エスカレートした。楽弥の心はその時完全に壊れて、廃人と化した。食事がとれず鼻からチューブを入れられ、涎を垂らし、排泄も垂れ流しであった。その後、ゴミを廃棄するかのように孤児院である薫陀裏丹寺に捨てられた。第二闘技場で試合を終えたばかりの哉毘や、寺のお姉ちゃんや坊主達の愛情で楽弥は徐々に色を取り戻していった。あれから10年経った今でも何かの拍子に精神にバグが生じる。
烏崑はがっしりと楽弥を抱きしめる。哉毘が7mのところにいた。
距離が縮まると思えた哉毘は踵を返し、背中が遠ざかっていく。
哉毘は寺に入った時から何かと楽弥の面倒を見てくれた。楽弥は覚えていないが、オムツも率先して替えてくれたし、食事の介助もしてくれていたらしい。よく混乱してバグが生じた時には胸を貸してくれた。最近はあまり貸してくれないな。当たり前だ。あの事で怒っている。
観衆は角は卑怯だとか、父親と同じで心のない奴だ、などざわついている。やがて声が大きくなる。「心臓を守るための隊員なのに、敵をふところに入れてどうする。失格にしろ!失格!失格!」失格のシュプレヒコールが始まりかけたところで、烏崑は使用されなかった楽弥用の雷棒に雷を込め、声の元へ投げる。彼らの足元が弾け豪快に火花が散る。
烏崑は「はけ口が欲しい奴ぁ、俺が相手になってやる。かかって来いやぁ!」とねめつける。
第一闘技場
汰奴と栖杏(栖杏)の戦いは、シンプルな打撃戦である。賀茂姓は、開花術を会得した大観王の血を引いている。遺伝子にもその特性が反映されており、雷術に特化した身体となり、脂肪の変性したものが絶縁体の働きをする。
しかし、極限まで筋肉をさらけ出したいサガの変態どもには、脂肪は惰性の権化でしかない。脂肪を極限にまで排除した結果、雷術を使用すれば、絶縁体が痩せているため、自身の電気で感電してしまう事がある。そのため、雷術は極力使用しない。
純粋な打撃戦の場合、汰奴より栖杏の方が、スピードがあり小回りがきくため有利である。栖杏は筋肉の格好良さ、美しさが入口の汰奴と違い、医術的な機能美としての筋肉に魅力を感じている。自己主張が強い多重人格の筋肉は統制がとりずらいが、栖杏はブレインが一つである。栖杏が勝利することは当事者も、周囲もうすうす気づいている。後は勝ち方である。お互いにお互いを配慮しながら技を繰り出し、かわし、防いでいる。
栖杏は汰奴を骨折させた場合、彼はその部位の筋肉をネグレクトしなくてはならない。
汰奴にとっては、最愛のペットに負荷という餌を与えず、クゥンクゥンと空腹に泣く筋肉の声に耳を塞ぎ、もがき苦しむ事になる。筋肉を育てる人に悪い人はいない。栖杏にとって、他人の筋肉でも親戚の子供のようなもの。傷つける事などとんでもない。ならば、ここしかない。汰奴が寝技狙いで、両足を掬いに飛び込こもうとする機微を察知し、栖杏は前方へ飛び込み、右足をバネに渾身の掌底で顎を突き上げた。
192センチの巨体が浮き上がり、すかさず栖杏は下に潜り込み、意識が飛んだ汰奴の筋肉を傷つけぬよう抱き止めた。
完璧なまでの筋肉への配慮に客席の伍森班長は筋肉の神に十字を切っている。
準々決勝が終わり、準決勝のカードが決まった。
楽弥VS哉毘と烏崑VS栖杏。事実上の決勝戦が烏崑VS栖杏で、優勝は烏崑以外には有り得ない。試験が始まる前から決まり切っていて、栖杏の勝ち上がりは順当であったが、副班長を凌ぐとも言われる烏崑は同期の遥か先にいる。
一方、楽弥と哉毘が残るのを予想したものはいただろうか。楽弥の右半身の力強さは知られたところであったが、雷術が使えず障害もあるため、3回戦を突破するのもどうかと思われていた。
もう一人の哉毘は、楽弥と同じ薫陀裏丹寺という孤児院で育った。丸坊主であるが、髪が伸びてくると金髪で、薄紫の目をしている。顔立ちも立体的である。
2歳の頃、華国へ向かう途中に遭難し、庵慈と哉毘だけがこの国へ漂着した。
庵慈は当時、今の哉毘や楽弥と同じ齢で、現在は薫陀裏丹寺の僧侶となっている。
遠方の国で姓を受けた哉毘が大観王の血を授かっている訳はなく、賀茂姓ではない。名も本来の名を当て字としたものだという。
黒蓮国では、大観王の血を授かり身体的に特別な能力を得た賀茂姓は選民的な意味合いを持ち、賀茂姓以外は無民と呼ばれている。双方には暗黙の役割があり、賀茂姓はモノノケを排除し、治安を保つ。無民は賀茂様に奉仕することで、黒蓮国に住まわせてもらっている。
大観王は開花術の会得により、不老で、建国以前から350年以上も生きており、モノノケに抗う為の遺伝子を残し続けている。
そして最後の子が烏崑という訳である。
賀茂姓と無民で交配する事は好ましくはないが暗黙の了解となっている。そういった場合には、賀茂姓から外れなくてはならない。
無民の中には、賀茂姓の血を受け継ぐ者達も多くおり、時には賀茂姓以上の能力を持って産まれる子供もいる。そういった事例が大観王の目に留まり、無民の中で、1年に1度大会を行い、優秀者には虎煌七雷隊入隊試験の参加が許可された。
無民の中でも、正確には賀茂系無民と純無民とがいて、どちらか判別するために、産まれて間もなく純無民には右手首に2本線、賀茂系無民には1本線の入れ墨か焼き印を押される。賀茂系の無民は賀茂の血が入っていることへの優位性を誇りとしていたりする。
どちらにせよ無民は賀茂姓との格差に不満があり、時折り暴動を起こす事がある。賀茂姓としては、偶発的に能力の高い無民が集まり、何かを画策された時にはその扱いに困る。無民の能力は把握しておいた方がいい。能力の高いものは内に引き込んでおいた方が管理しやすい。
無民としても、賀茂に入り込んだ無民が無民の地位の底上げのための改革してくれればと願った。
闘技場の立見席の一部に無民用の席として与えられているが、客席以外の隙間にも所狭しと身を縮め、哉毘を応援している。例外的に2名、無民から隊長にまで上り詰めたものがおり、無民用の席を確保したが、現在彼らはその地位になく、その頃に比べてだいぶ無民の席数は縮小された。
隊長にまで上り詰めた無民は別格で大観の血脈の血栓が変なところに飛んだようなものだ。
大抵の無民の優勝者は無民の大会では無双であっても、入隊試験では大抵1回戦で散っていく。
今期の試験は烏崑は別次元であるが、能力の高い院生がそろっていると前評判が高かった。賀茂姓と関わりのない無民(哉毘)は雷術も使えず、産まれながらの身体能力の高さもない。
哉毘が準決勝にまで残る事はかなりの想定外であった。
勝ち上がり方も相手が前の戦いで力を使い果たしており、運良く勝ち残ったように見える。
正直、楽弥も哉毘と対戦することになるとは想像すらしていなかった。無民の大会で優勝したと聞いた時には、単に賀茂系の参加者がいなかっただけなのだろうと思っていた。それ程、賀茂姓の血の有無は差を生む。薫陀裏丹寺の子供達は、週4日の無民の強制労働の合間に僧侶が修行をつけている。
強制労働は無民に暇を与えず、反乱を起こさせない。力をつけさせないといった意味合いもあり、哉毘の修行の時間も限られていた筈である。
薫陀裏丹寺ではモノノケに親を殺された無民達がやがて大人となり、寺の僧侶となるが、大抵は寺を出る事になる。彼らから自警団が成り、微力ながらも無民の被害を減らす努力をしている。
哉毘と一緒にこの国へたどり着いた庵慈が自警団のリーダーと寺の子供達の修行を監督している。
庵慈が子供達の指導を始めてから、賀茂系の無民に限ってだが、無民の大会の上位は寺出身者が占めている。一時的ではあるが、隊長にまで上り詰めた無民のうちの一人は庵慈の教え子でもあった。彼女に関しては、賀茂の遺伝が異様に強く表れていたため、庵慈の指導がどうのというレベルではなさそうだが。
庵慈自身も武術の才があり、数匹のモノノケを一人で斬り殺したとの噂があり、賀茂から一目置かれている。庵慈が自警団のリーダーになってからは国内の治安を守る2番隊からモノノケの情報が降りてくるようになった。
哉毘が鋭い目つきで楽弥を見やり、楽弥は目を反らした。
哉毘は客席へ上がり庵慈と何やら話している。庵慈はブルーの瞳で金髪に口髭を生やしている。髭を生やしているがどことなく中世的である。楽弥は丸坊主の哉毘が髪を生やした姿を想起する事がよくあった。異国人とはそういうものなのかとても美しく、目を離す事が出来なくなるような魅力があった。宝石をいつまでも見ていたくなるような感覚だ。
「哉毘はまだ怒ってんのか?」
と、烏崑は楽弥に氷の塊を投げる。
「ありがとう。目が腫れてて見えにくくってさ」
楽弥は氷を揉み込むように砕き、両手に顔をうずめる。
「整形手術2時間後みたいな顔してんな」
「更にイケメンになったら、烏崑に女の子が残らなくなっちゃうかも」
「大丈夫、俺男もいけっから」
「雑食かいな」
「哉毘ならいけっかも」
「ずるいよ、男まで。独占禁止法って知らないのか?」
「哉毘以外の男ならやる。汰奴の一つや二つ持ってけ。サービスだ」
「いらないよ。あんな人間大陸。奴にはアジャとか剛田武がいるし」
「大丈夫。剛田武よりは楽弥の方が少しだけイケメンに見える」
「何だよ、岩より少しマシって」
「ハハハ、剛田武の事を岩って、汰奴に言っちゃうぞ」
「やめろよ。汰奴は以外に繊細なんだから。それより、哉毘がいけるって本気?」
「良く見てみろよ。かなりの美人だぞ。性別にとらわれてるなんてお前も古い奴だな」
「哉毘以外の男は?」
「哉毘以外はスンともせんがね」
「どこがスンとすんの?」
「どこってそら、14歳ですからあそこがスンの一つや二つ」
「実は僕もたまに哉毘にスンとする時あるんだよな」
「だろ。楽弥がついに小夜を諦める時がきたか?」
小夜とは烏崑の双子の妹である。
「小夜は・・」
「楽弥は金魚のフンみたいにくっついてたもんな。いなくなってもうじき3年?」
「3年になる。で、その小夜の事なんだけど」楽弥は黙り込んでしまう。
「で?」
「で・・・」
「どした」
「小夜。あれが小夜だったのか、何ていうか」
「小夜がいたのか?」烏崑の表情が険しくなる。
「うーん。というか。この前、玄武国の拉致事件あったじゃん。哉毘が口もきいてくれなくなったあの件、話したじゃん。僕が圧倒的に悪いんだけど」
「あぁ」
「あの日知り合いを見つけて追いかけたって言ったでしょう。あれ、小夜・・な気がする。小夜なんだと思う」
「小夜がいたのか?」
「確実とは言い切れなかったから黙っていたけど、あれは思い返す度に小夜な気がしてならない」
「で、その、小夜がどうした?」
「見慣れない服装のやつら、玄武国の人間と一緒にいて、小夜は大きな箱を背負っていたな。僕と目が合って逃げたようだった。で必死に追いかけたけど僕の身体では追いつく事は出来ない」
「つまり小夜は玄武国の仲間になっていたという事?」
「そういう事なのかもしれない」
「玄武国の拉致は今に始まった事じゃないが、妹は3年前玄武国に拉致され、洗脳だかなんだかされ、土地勘のある妹に拉致の手伝いをさせている」
「そうなのかもしれない」
「奴らいったい何が目的なんだ。楽弥の父さんも結局はそういう事なんだろ。やつらに洗脳か何かをされて、したくもない事をさせられた。」
「うん。だと思う。この国も何か手を打てばいいのに。この国は我慢強いのか臆病なのか」
烏崑は楽弥の言葉を遮り、
「父様はきっと何かお考えはある。小夜だって最後の子の片割れ」
「ごめん、大観様を批判するつもりじゃあ」
「分かってる。小夜が生きているなら一刻も早く・・」
「そうだね。虎煌七雷隊に正式に入隊するにはまだ時間がかかるし、隊員としてでは個別行動は許されない。試験が終わったら玄武国の奴を探して、情報を吐かせたいと思っている。僕は父さんの・・イヤ何でもない」
「父さんの行方も探したいんだろ。控える事なんかない。ここの連中が何を思おうが、楽弥の父さんだって自分の意志でやったことじゃない。俺は分かってっから」
「ありがとう。もちろん小夜と拉致された子供達が最優先だけど、父さんに会いたい。父さんの無実を父さんの口から聞きたい。怖さはあるけど」
「信じよう。楽弥の父さんだって誰になんて思われようと息子にだけは信じて欲しいと思ってるって」
「そうだね。父さんはきっと生きていて、僕に真実を話したがっている」
「そういう事。信用ならねぇやつも多いかもしれないけど、俺には父さんへの愛情をぶちまけてくれ。俺だって、大観様への気持ちを自分の胸にだけしまっておけと言われたら苦しくて仕方ない。少なくとも汰奴や栖杏は絶対的に信じていい」
「ありがとう。何で烏崑がこんなに良くしてくれるのか未だに良くわかんないよ」
「好きだからさ」
「まさか」と楽弥は股間を押さえ、おどける。
「キモイわ、性欲じゃない愛情だ」
「烏崑に返せるもが今は何もないのが悔しい」
「貸し借りなんてくだらねー事考えんなよ。損得勘定なんて浅はかな関係だと思っちゃいない」
「そう言ってくれると気が楽になるよ。烏崑が大観様の片腕となった時、この国はもっと良くなる」
「その時は楽弥には手伝ってもらいたい」
「え?」
「お前の事だ。僕は烏崑の足を引っ張る存在でしかない何て考えるだろう」
「だって」
「だってじゃない。じゃぁどうする?」
「じゃあ・・じゃあ・・父さんを見つけ出して、濡れ衣を晴らし、玄武国に大きなダメージを与える」
「そういう事。だから国外を担当する3番隊のできるだけいい班に入って活躍するんだ。準決勝まで残ってるから、ある程度質のいい班には行けると思うけど、決勝まで残って俺を倒す気持ちで向かってきて欲しい」
「分かった。準決勝で哉毘をこてんぱんにして、更に嫌われて、そのストレスを全部烏崑にぶつける。優勝が見えてきたぞ」
「俺はお前に負けた哉毘を慰めてハートを奪うとするか」
「ずっこ」
第一闘技場では哉毘がストレッチを始めている。ゴム服の上に、ゆるやかな服を着ている。
このところ哉毘が好んで着ている。哉毘と険悪となる前、楽弥は何気なく「少し太った?」と聞いたら、「庵慈が美味しいものを作りすぎたせいだ」と顔を真っ赤にして、庵慈に野イチゴのパイを投げつけた。あり合わせの布地で作ったようで、よく言ってもヘンテコな服である。
烏崑は「本気で行けよ。負けた奴らは前の試合でのダメージが大きすぎたから負けたとか、無民だから舐め過ぎたなんて言ってるけど、それだけなのか?大観様の血の恩恵のない哉毘がここまで上がってきたのは、はっきり言って意味が分からないけど、庵慈さんと近しい血が関係しているのかもしれない。油断すると足元をすくわれる」
庵慈が斬り殺したとされるモノノケの内の1匹はC級のモノノケであり、モノノケ対策マニュアルには班長クラスが2人で対応するべきと記されている。
「そうだね。確かに庵慈さんはただならぬ感じはある。でもあの噂は・・」
「2番隊の記録には事実として記録されている」
「本当?」
「教えてくれた人は冗談を言うタイプじゃないから。多分本当だと思う。庵慈さんとつながりのある哉毘がF級くらいの能力があっても不思議じゃない」
「F級って言ったら隊員2名で対応するレベルじゃん」
「ははは、ちょっと脅かしてみただけ。手綱を締めていけよって事」
楽弥は角の根本を握る。
烏崑は楽弥の背中を叩き、
「でも、楽弥。お前も相性はあるにせよ、F級とやれるだけのポテンシャルはある」
「右だけならね。左半身が足引っ張るんだよ。F級かぁ。ムリムリ、隊員2人に勝つって事でしょ」
「落ちこぼれ隊員2人になら」
「なんだよ」と楽弥は笑う。
「とにかく、全力だしときゃ間違いないって。哉毘も手加減されて喜ぶタイプか?楽弥だって決勝で俺が右半身しか使わないって言ったらどう思う?」
「絶対に嫌だ。僕がどれだけやれるようになったか烏崑の身体に説明したい」
「だろ、そういう事」
「そうだね、ありがとう。全力で行くよ」
「あぁ、そんで決勝で待ってる」烏崑は楽弥の尻を強く叩き第二闘技場へ向かう。
楽弥VS哉毘
無民の声援が哉毘に偏るなか、汰奴が一人孤軍奮闘「らくやー」と野太い声を飛ばしてくれている。
楽弥と哉毘はお互いに構えたところで、審判が楽弥の角に15㎝程度のコテカのようなカバーをはめる。お互い雷術を使えないため、雷棒は持っていない。
「はじめ!」
審判の合図とともに、哉毘の蹴りや打撃が雨嵐のように吹きすさぶ。楽弥は目で追うのに精一杯で、攻撃に転じる余裕はない。次第に不自由な左半身は防御が送れ、強烈な打撃が肋骨を襲い、折れ、内臓にめり込んだ。更にもう一発左側腹部へ回転蹴り。楽弥は左手で反射的に創部をかばうと、哉毘の右膝より先の軌道が縦変化し、側頭部をクリーンヒットする。
楽弥は首が捻じりもげたような錯覚を覚えた。脳震盪と眼振とで、世界が歪んで見える。
楽弥は片膝をつき、無意識に足だけは踏ん張っている。哉毘は構えたまま攻撃をしてこない。
今デコピンでもされたら、軽く意識が飛ぶというのに。
楽弥は平衡感覚が保てず、上体が崩れ、頭部から地面に突っ込み、なんとか角で支える。しばらくこらえてから、ようやく手をつくことを思い出し、両手を頭部の脇につき、ふらつきながらも立ち上がる。急ごしらえの角のカバーはするりと抜け落ちる。
「何で?何でだよ!こっちは墨術院で血ヘドを吐く程訓練してたのに」
「こっちだって庵慈と訓練はしてた」
「強制労働4日してて、修行なんてたかが知れてる。ましてや大観様の恩恵もなくて」
「大観大観って、バカの一つ覚えみたいに。お前が知らないだけで、今の無民だってそれなりに力を補足する術を模索している。大観の能力に甘んじていると、足元をすくわれる。っていうか、無民の海を我が物顔で航海する賀茂どもをいずれ転覆させてやる」
「声が大きい。哉毘も隊に入りたいなら、言葉を慎め。危険思想は重罰だ。どの班も採ってくれない。無民への重労働は良くないと思うけど、賀茂がモノノケからこの国を守っているという側面も大きい」
「守っている?本気でそう思っているのか?こないだのモノノケと玄武の拉致事件ではっきりした。楽弥は女のケツ追ってたから知らないだろうけど」
月に1回虎煌七雷隊と自警団付き添いのもと子供達と市場へ出かける日があり、玄武国による拉致事件が起きた。玄武人はモノノケを使役している事があり、玄武人3人とモノノケ3匹に襲われた。
「自警団からなんとなく聞いたけど」
「なんとなく?目をそらさずきちんと聞くべきだろ。庵慈の依頼で隊員が護衛についている事で油断してフラフラと女んとこに消えた。お前がいない間に緑の狼煙が3発上がった。何を意味する?」
「D級のモノノケが複数出現」
「なのに、お前はすぐに戻ったか?」
「急いだよ」
「お前がのんびり急いでいる間に、モノノケと玄武人の混合だ。対するは下っ端の隊員2名と無民の自警団と俺だけ。D級は1匹でも隊員10名で対応するレベルだ。それでいて玄武人もD級の腕前はあった。つまりD級モノノケ6匹クラス。しかもモノノケには知性があるようだった。市場には2番隊の伊集班の班員が4名いて、狼煙を上げるなり、伊集隊長が到着。モノノケに雷槍を投げつけた。直線上にかん太がいるのに。かん太は腹を裂き感電した。かん太は一命をとりとめたが、意識障害と、腹がまた感染して苦しんでる。そして逃げ遅れた伝助は邪魔だと蹴り飛され、頭蓋骨が陥没した。賀茂は無民の事なんか何とも思っちゃいない。その後隊員が続々と集まって、80人近くになったが、無民の拉致には目もくれず、子供達は隊員の乗る馬に踏みつけられたりと散々だった。俺はかろうじて3人奪還したけど、結局6人は連れ去られた。お前がくだらない初恋の相手だかなんだかにうつつの抜かしてしる間にだ」
「僕がいたところで役に立ったかは分からないけど、死んでお詫びしたいくらいの気持ちはある」
「子供達を連れ返してから死ね」
と哉毘は、楽弥の顔を目掛け左の拳を握った刹那、何かのエネルギーが楽弥の顔面を捕らえる。哉毘の拳はまだ着弾していない。楽弥ははそのエネルギー体をギリギリまでこらえ、頸部の動脈が怒張する。顔面に目に見えないボーリングの球を押し付けられているようである。
「哉毘!」と庵慈が首を振る。哉毘は頷く。
「おも・・」楽弥は右手でエネルギー体をはねのける。その刹那、哉毘はあえて遅らせていた左の拳を楽弥の右頬に叩き込む。楽弥は半回転して倒れ込む際、右手を地面にめり込ませ、何とか耐える。またしても眼振。
「3番隊に入って子供達を絶対連れ返すから。すくなくともそれまで死なない」
「死んでしまえ、スケベ野郎」哉毘は片手でプッシュアップした状態の楽弥の腹部を蹴り上げる。
ガハァッと、楽弥は仰向けとなり、腹を押さえる。
楽弥はゆっくりと立ち上がりながら、「ず、図々しいと思うけど・・・子供達を・・奪還するには、哉毘だけじゃあ無理・・だ。僕達で協力すべき」
「都合のいい事を。反吐が出る。スケベ野郎」
哉毘は楽弥に近づき、左手を瞬時に閉じた。その刹那、また透明のエネルギー体が、楽弥の鳩尾に直撃した。反射的に楽弥はくの字となり、楽弥の鋭い角が、哉毘の服を中央を線状に切り裂く。楽弥が顔を上げると、哉毘の白い腹が露わとなる。哉毘は慌てて跳び退く。哉毘の腹は微かに膨れているようだった。
楽弥が顔を上げると、哉毘は顔を真っ赤にして、服の中央を押さえる。舌打ちをして「だから、このスケベ野郎」と小声でつぶやく。
「ごめん、ケガしなかったか?」
「うっせぇ」
薫陀裏丹寺の子供は、親をモノノケに殺され、本人も命からがら助かったというケースが多い。四肢の欠損や、一生ものの傷を持つものも多い。中には傷を人に見られたくないと思うもいて、肌を見せたがらない子もいる。哉毘も彼らと同様に何か見せたくない傷があるのだと思っていた。着替えやトイレ、風呂は別でやっていた。
哉毘は膨れた腹を見せたくなかったのだろうか。
哉毘は「もう終わらせる」と呟き、庵慈をチラと見ると、庵慈は首を振る。
「でも・・」
楽弥が1歩近づくと哉毘は1歩後づさる。
哉毘は意を決し、深く呼吸をすると、右手で、胸元を押さえながら左の拳から、エネルギー体を発射した。無色であるが、空気の歪みのようなものから、楽弥はおおよその位置を予測。回避を試みる。いくつかの直撃は避けたが、肩や腰などにボーリング球状のものがガシガシあたる。動きが鈍り、左膝に直撃した。粉砕骨折しただろう。
「哉毘、やめなさい」庵慈の声。
「どうしろって言うんですか」と哉毘は声を押し殺す。
楽弥は薄気味悪い笑顔の片鱗が見え隠れする「哉毘、強いな。こんな隠し玉まであったとはな。そしてまだこんなもんじゃなさそうだ」
楽弥は爬行しながらじわじわと哉毘に近づく。楽弥にとっては、左半身など元々使いものにならない。
哉毘は楽弥に打撃を与えるが服を気にしてか先ほどの勢いはない。楽弥の顔や全身の至るところが骨折し、腫れ、青くなり出血するが、前へ前へ進む。楽弥はニィヤと笑い、右手を地に着け、それを支点とし逆立ちとし、両足を回転させ、徐々に速度を上げていく。楽弥の尋常でない右腕の力が成せる技である。回転しながら迫ってくる楽弥に哉毘は楽弥の右足を左腕でガードしたが、吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる刹那、胸元の右手を離す。
哉毘の無防備となった胸元。膨らみかけの白い乳房がトップギリギリまで露わとなる。
「はい?」楽弥の回転がゆっくりと止まる。「お、おお、おんな?」
涙目の哉毘は楽弥の股間に踵落としをぶち込む。「こぉのスケベ野郎!」