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36 忠告とお願い

 

「はぁ」

 リヒトは執務室で1人ため息をついていた。


 早ければ明日にはエレナが王宮からいなくなるかもしれない。そのことを考えると、仕事なんて手につかなかった。今までリヒトが夜遅くまで忙しくしていたのは、エレナに帰りたいと言われたくなかったからだ。エレナのことを避けていたのだ。本当はエレナと一緒に過ごしたい。ほんの少しでも長く。


 でも、帰りたいと言われるのが怖い。エレナが幸せならそれでよかったはずだった。たとえ自分のそばにいなくても。でも、いざエレナに会うとやはりそばにいてほしい。自分が幸せにしたい。


 エレナの両親たちが王宮にやってきたのは、なかなか帰ってこないエレナを案じてのことだろう。自分の決心がつかぬ()に迎えが来てしまったのだ。


 リヒトは風に当たりたいと思い、窓を開けた。窓からは中庭でエレナと彼らの両親が楽しそうに話をしている姿が見えた。エレナの幸せそうな表情は彼らといる時しか見れないものだった。少なくとも自分には見せてくれたことがない。エレナがリヒトと話すときは、緊張して少し顔がこわばっている。それもそうだ。エレナにはひどいことをたくさん言ったし、たくさんした。それでもエレナは笑いかけてくれたし、いつでも優しかった。今更後悔してももう遅い。


「はぁ」

 リヒトは何度目かわからないため息をつき、椅子に座った。


 今日は早く部屋に戻ろう。最後にちゃんとエレナとお別れしよう。優しいエレナのことだから悲しい顔で見送ったりなんかしたら、きっと罪悪感を抱いてしまうに違いない。


 そんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえた。

「サラです。今少しお時間よろしいでしょうか?」

(サラって確かエレナの母親の)

「どうぞ」


 そこには、さっきまでエレナと楽しそうに話していたはずの女性が立っていた。

 リヒトはサラをソファに促した。

 リヒトを前にしてこんなに堂々としている女性は、滅多にいないだろう。と言うより、彼女の目はどこかリヒトを恨んでいるような、そんな目をしていた。リヒトに何をされたのか、何を言われたのかをエレナから聞かされたのかもしれない。


「私がここにきたのは、エレナのことについて少しお話ししておきたかったからです」

(まあそうだろうな)


 初対面の2人の唯一の共通点といえば、エレナのことしかない。

「何でしょうか?」

「私はエレナを傷つけた家族はもちろん、あなたのことも許せません。しかし優しいエレナはあなたのことを許している。それどころか感謝さえしています。ならば私が許さないわけにはいかないでしょう。あなたが過去にエレナにしたことは忘れます。エレナのために命をかけてくれたのですからあなたのエレナを思う気持ちは本物でしょう。しかし、エレナは鈍感ですから。他人(ひと)の心にも自分の心にも」


「自分の心?」

(他人の心に鈍感というのは理解できる。だが自分の心に鈍感というのはどういうことだ?)

「エレナはシンクレア家の人たちのせいで自分の殻に閉じこもってしまう傾向があるんです。自分の気持ちを話すことを恐れているんです。だから、自分も気づかないようにと心を深く閉ざしてしまったんでしょう。そのせいで、エレナはなかなか自分のことを話してはくれません。だからエレナが何を考えているのか、何を思っているのか、私には想像することしかできません。ただ、一つ言えるのはエレナはきっとあなたの思っている以上にあなたの言葉に傷ついていたと思います。彼女自身は気づいていないと思いますが」


 リヒトはエレナに強く当たった後、エレナが倒れたとクリスタから聞いたことを思い出した。

(俺は一体どれほどエレナを傷つけていたんだろうか)

「その顔だと何か思い当たることがありそうですね」

「ああ、すまない」

「私に謝られてもどうしようもないわ。ただ、悪いと思ってるならこれからはエレナのことをしっかり見てください。彼女の声なき声を見逃さないでください。気づいてあげてください。私の願いはそれだけです。どうかお願いします」


 サラはリヒトに頭を下げた。

「確かに俺はエレナの気持ちを勝手に決めつけていたかもしれない。忠告感謝する」

「エレナには人一倍幸せになってほしいんです。だからもし、エレナのことを傷つけたりなんかしたら、今度こそ絶対許さないと言うことを肝に銘じておいてください」

「ああ」

 エレナが出会ったのが彼女でよかった。リヒトはサラに脅されているというのにそんなことを思っていた。


「では、今夜にでも2人できちんと話し合ってください」

「いや、この書類を片付けたらすぐ向かおう」

「わかりました。エレナには私から話しておきます」

 そしてサラは部屋を出て行った。


 この書類さえ終われば今日はもう仕事はない。リヒトは先ほどまでとは違い集中して机に向かった。


 部屋を出たサラはエレナの元に向かった。

「エレナ」

「お母さん、どうしたの?」

「さっき少し陛下とお話ししてきたの。それで、しばらくしたら陛下がいらっしゃるからあなたの思っていること、不安なことなんでもいいから陛下にきちんとぶつけなさい」

「う、うん」

「大丈夫。きっと受け止めてもらえるから」

 エレナの緊張した顔を見て、サラは抱き締めた。


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