28 お父さんとお母さん
「私のことお母さんって呼んでくれないかしら?」
「え?」
「おお、それはいいな。俺のこともぜひお父さんと呼んでほしい」
「そ、そんなことでいいんですか?」
「そんなことじゃないわ。とっても大事なことよ」
2人に期待した眼差しで見られ、少し恥ずかしい。でも、それで少しでも彼らに何か返せるなら。
「お、お母さん。お父さん」
しばらく口にしていない単語ではあったもののすんなり口をついてでた。まるで、昔から彼らのことをそう呼んでいたかのように。
エレナがそういうと2人は目に涙を浮かべて喜び抱きついてきた。今までで一番の笑顔なんじゃないかと思うほど、嬉しそうにしていた。気がつけばエレナの目からも涙がこぼれ落ちていた。
周りから見たらこのやりとりはただの家族ごっこに見えるかもしれない。でも今日、私は彼らの本当の娘になった気がした。
翌朝――
「エレナ、いつでもここに帰ってきていいんだからね。私たち家族なんだから」
「うん、ありがとう」
「エレナ、幸せでな」
「お父さんとお母さんも元気で。必ずまた会いにくるわ」
思わず涙が出そうになったけど、もう2度と会えなくなるわけではないのだ。それでもしばらくは会えないかもしれない。エレナは2人の姿を目に焼き付けた。姿が見えなくなるまで。
馬車の中で1人になると、急に寂しくなってきた。今まで1人が寂しいと思ったことなんてなかったのに。いや、幼い時はあったかもしれないが、ここ最近は1人が当たり前だった。周りに助けてくれる人なんて誰もいなかった。
そんなことを考えている時に、お父さんとお母さんの顔が浮かんできた。
(そうだ、これから王宮に行くんだ。弱気になんかなっていられない)
もしかしたら、もうリヒトが起きているかもしれないという希望を抱きながらエレナは王宮へと向かった。
気を張り詰めながら馬車に乗っていたので、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。エレナが目を覚ますと、ちょうど王宮に着くところだった。
エレナが馬車から街を見ると、明らかにいつもと様子が違った。街に人がほとんどいないのだ。いつもは人だかりがたくさんできているのに。
(何かおかしい。こんなに静かなんて。一体みんなどこに行ってしまったのかしら)
しかし、王宮に近づくにつれ今度は騒がしくなってきた。エレナは嫌な予感がした。
王宮についた途端、急いで馬車を降りた。
(お願いだからみんな無事でいて)
エレナは心の中で祈りながら王宮に足を踏み入れた。いつもいるはずの門番はいなかったためすんなり入ることができた。
しかし、中に入った途端目を疑いたくなる光景が飛び込んできた。王宮の中は戦場と化していたのだ。いつも綺麗に掃除されている王宮の床や壁は血で汚れていた。床に倒れている人の中にはうめき声を出している者もいるが、ピクリとも動かない者もいる。それは思わず目を瞑りたくなるものだった。
しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。今、王宮ではただならないことが起こっているのだ。エレナが行ってもできることはあまりないのかもしれない。それでもエレナは震える足を必死に動かしさらに奥へと足を進めた。
しばらくすると、あちこちから剣と剣のぶつかる甲高い音が聞こえてきた。エレナは近くに落ちていた剣を拾い上げた。剣術を習っていたのは幼い頃で今はうまく剣を振るえる自信はない。それでもないよりはマシだ。いざというときは自分の身は自分で守らなければならないのだから。
エレナは歩きながらなぜこんな状況になっているのか必死に頭をめぐらせた。一体誰が何のために王宮に攻めこんでいるのか。
(何もこんな時に攻めこまなくてもいいのに)
リヒトの目が覚めてないこのタイミングで――。
そこまで考えてエレナは疑問に思った。はたしてこれは偶然なのだろうか。ちょうどリヒトが眠っているタイミングで王宮が襲われたのは。もし偶然ではないとしたら、敵はリヒト眠っていることを知っているのだ。でも、いくら考えたところでエレナに敵の正体がわかるはずもなかった。
その時、逃げ遅れたと思われる使用人の姿を見つけた。ただその使用人は腰を抜かしたのかその場から動かなかった。エレナは考える前に足が動いた。使用人が敵に切られる瞬間、エレナは敵の剣を受け止めた。
しばらく剣に触っていなかったけど、どうやら身体が覚えていたようだ。あの時必死に特訓をしていてよかったと初めて思った。まさかこんなところで役に立つなんて思ってもみなかった。
エレナは敵と剣を交えて気づいた。どうやらこの相手は素人のようだ。動きも振りもどこかぎこちないし、無駄な動きが多いのが見て取れる。
「チッ。女が余計なことしやがって」
そう言って剣を振りかざしてきたが、容易く避けることができた。しかし避けれたのはいいが、エレナはこの状況をどうすることもできなかった。ここから進むにはこの男を倒さなければいけない。しかし、エレナにはこの男を切る覚悟なんて当然できていなかった。




