11. 知らない一面
(ああ、またあの奴隷のような日々が始まるのね)
しかし、これから始まる地獄は今までの比ではなかった。
もう少しで屋敷に着くと言うときに、父から買い物を頼まれた。そんなの自分がすることではないと思ったが、この空間から出たくて承諾した。
「もうあいつは用済みだからな」
「そうね、少しでも高く売れればいいんだけど」
エレナが降りた馬車の中でそんな会話がされているとは知る由もなかった。
エレナは馬車から降りて市場があるところに向かった。買い物は時々させられていたので、どこに何があるか大体わかるが少しでも外にいたくてゆっくり買い物をしようと思った。しかしその矢先、エレナは急に後ろから布を当てられた。
(何!? はなし…て……)
薬を嗅がされたエレナはあっという間に気を失ってしまった。
エレナが気を失った頃――
ロゼッタと婚約することになったリヒトは姉妹なのだからエレナと大して変わらないだろうと思っていた。しかしその考えは間違っていた。ロゼッタはいままでの婚約者のように、もっと大きい部屋がいい、侍女をもっと増やして欲しいと文句を言ってきた。リヒトはもちろん聞き入れなかった。
その日もいつも通り夜遅くまで仕事をしていた。仕事を終えて部屋に戻るといつもついているはずの明かりがついていなかった。
(今日はもう寝たのか。珍しいな)
そこまで考えエレナがもういないことを思い出した。
(そうだった。あいつはもういないんだな)
リヒトは心にぽっかりと穴が空いたような感覚を覚えた。
翌朝、リヒトが目を覚ますといつもは隣の部屋からエレナが出て挨拶をしてくるはずなのに、今日は起きてこなかった。
(いや、もうあいつはいないんだ)
いつの間にかエレナがいる日常がリヒトにとって当たり前になっていた。仕事中もエレナのことを考えてあまり集中できなかった。
(どうして俺はあいつのことを忘れられないんだ)
次の日、疲弊した顔でクリスタが執務室にやってきた。
「どうした? 何かあったか」
「陛下、ロゼッタ様のことで申し上げたいことがあるのですが」
「婚約者のことは興味ない。お前に全て任せているはずだ」
「その、こんなこと私が言うべきではないと分かっているのですが、エレナ様を婚約者に戻していただけないでしょうか」
リヒトはエレナという言葉に反応した。
「なぜだ。理由を聞かせろ」
クリスタはロゼッタの素行を話した。ロゼッタの使用人に対する扱いの酷さ。少しでも自分の思い通りにいかないと近くにあるものをすぐに投げること。その姿はとても王妃に相応しいとは言い難かった。さらに、ロゼッタの口から信じられない言葉が飛び出したのだ。
「王宮の使用人も大したことないのね。まだエレナの方が使えたわ」
その言葉を聞いたクリスタはロゼッタを問い詰めるような形で聞き出した。
そこでエレナがシンクレア家でどんな扱いを受けていたかを聞いた。その内容は耳を塞ぎたくなるほどひどいものだった。普通の令嬢と違うとは思っていたもののまさかここまでとは思いもしなかった。
リヒトはその話を聞いてエレナの態度に納得した。それと同時にシンクレア家の人間にひどく腹を立てた。
「陛下はエレナ様が普通の令嬢と違うことには気づいていらっしゃいましたか」
「ああ、あいつは今までのやつと違って俺に一度も文句もわがままもいったことはない」
「ええ、そうなんです。それにエレナ様は一度も侍女である私に『命令』をされたことがないんです」
「どういうことだ」
「あまり私に負担をかけたくないとご自分でできることは全てエレナ様がお一人でされるんです。それでもご自分でできなくて私に何か頼むときは『命令』ではなく『お願い』をされるんです」
確かにその姿は容易に想像できる。
「……それに、これはエレナ様に陛下には絶対に言わないで欲しいと言われたのですが」
「なんだ。言ってみろ」
リヒトはエレナのことをもっと知りたいと思った。
「陛下は体調が悪いふりをして興味を惹こうとする人は嫌いだとおっしゃったことがあるじゃないですか」
「ああ、言ったが?」
それを言ったのも事実だし実際そう思っている。
(しかし、それがどうしたと言うんだ)
「陛下と一緒に食事をされた時もエレナ様は本当に体調を崩されていたのですが、その言葉を聞いて以来エレナ様はどんなに体調が悪くても必死に隠されていたんです。もし体調が悪いことを陛下に知られたら、もし倒れたら嫌われるからとずっと無理をされていたんです。先日陛下が王宮を離れた際はずっとベッドで横になっておられました」
「そんなはずはない。あいつは俺を笑顔で見送っていたんだぞ?」
「いえ、エレナ様は陛下を見送った途端倒れました。しかし、このことは陛下には黙っていて欲しいと。これ以上陛下に嫌われたくないとおっしゃったんです。エレナ様は嫌われるということにひどく怯えておいででした」
(全然気づかなかった。あいつはエレナはいつも笑顔で俺を見送ってくれて笑顔で出迎えてくれてた。とても体調が悪そうには見えなかった。くそっ、隠すのがうますぎるんだよ。体調が悪い時はそう言ってくれれば……。いや、俺がそれを拒んだんだよな)
今更だがリヒトはあの時言ったこと後悔していた。




