第30話 怒り
リトアの放った黒光に正面から対抗するオリアナ。
全身がかつて見たことがないほどに輝き、圧倒的な力を押さえつける。
しかしそれは火事場の馬鹿力だ。盾の代わりに構えたランスは徐々にひび割れ、荒れ狂う暴風が殺傷力を持つ刃となってオリアナの全身に創傷をつくる。
「オリアナ!」
「下がっていろクリス! 巻き込まれるぞ!」
少しずつ後退していくオリアナは手足を振るわせて歯を食いしばっている。
彼女では護りきれない。力尽きるのも時間の問題だ。
俺のせいだ。軽率だった。あれほど油断は禁物だと警戒しておいて、好機と見れば簡単に飛びついてしまった。
アルテナの時と同じだ。勝ちを急いだ。自分の戦略を押し付けるばかりで相手の思惑をまるで考えていない。だから最後に逆転される。
「どけ、オリアナ! 俺が吹っ飛ばす!」
なんとかオリアナを救出するために大剣に力を込める。
そんな俺を後ろ目に見たオリアナは、穏やかな顔で微笑む。
「クリス、お前と再会できてよかった。私は二年間、後悔ばかりで死んだように生きていたが……最期に満足して死ねるならこんな人生にも意味があったのだと言える」
「な、なに言ってる。いいからどけろ!」
怒気を込めて叫ぶ。
まるでこの場で死ぬ覚悟を決めたようなオリアナの言葉を聞いて、胸の奥が冷えていく。
殺してたまるか。せっかく昔のような関係に戻りつつあったのに、こんな場所で無に還るになんて認められるか。
「ふざけんな! お前は俺が守るって言っただろ! お前が死ぬくらいなら、俺がここで……」
「あの時言わなかったが、実は心に誓ったことがあった。クリス、お前が命をかけて私を守ろうとした時は、潔く死のうと私は決めていたんだ」
「なんで!」
「なんでって……それ以上の絶頂はないだろ?
女として意中の男に守られ、そして『白騎士』として庇って死ねる。これ以上に恵まれた死に様は他にない」
言っている意味がわからない。
好きだから傍で生きていたいのではないのか。
もはや狂気に等しい感情論だが、俺は頭から彼女の言葉を否定することができなかった。
全てに満足したようなあんな笑顔を見せられて、それは違うと口にすることがあまりに残酷なことのように思えてしまったのだ。
「クリス、私はお前を慕っている。生きてくれ」
「…………」
何も言えず、俺は掲げた剣を下ろす。
退く気はないのだろう。
下手に聖なる力を放出してオリアナを傷つけてしまっては元も子もない。俺は動けなかった。
「まるで夢のようだ。夢に見た展開だ!
頼むから今しばらく覚めないでくれよ……いいところだからなぁ!!」
未だ勢いは衰えない黒光。
それを正面から受け止め、それだけに留まらずオリアナは跳ね除けようとする。
「はぁあああああッッ!!!」
喉が張り裂けそうな声を上げるオリアナ。
俺は夢を見ているのだろうか。
自身と他者を聖なる力で守護する『白騎士』。対象者は体に淡い白色の光が宿り、人数が少ないほどに光の強さと防御力が高まる。
その『白騎士』の特徴とは異なる現象が、俺の目の前に現れていた。
オリアナを中心として広がる薄く輝く光の壁。
人間ではなく空間そのものに防御的作用が働いているように見える。事実、光の壁は徐々に広がり、リトアの黒光を押し退け始めていた。
職業の役割理論。
職業とは天啓ではない。
職業とは不変ではない。
職業とは己の才能であり、研鑽と熟練によって進化し変容する。
アルテナの語った話が本当のことだとするなら。
オリアナはこの土壇場で自らの可能性を拡張したということなのだろうか。
「っ!」
押し返せる。
そう思った時、光の壁に亀裂が生じた。
手応えがないと思ったリトアがさらに出力を高めたか。
あの女、いったいどれほどの力を隠しているのだ。
再び圧され始めるオリアナは、ガラクタに成り果てたランスを地面に刺して足場を固定する。
それからの出来事は一瞬だった。
オリアナは自らの生命力を全て絞り出すような絶叫を上げ、目を覆わずにはいられない程の光を周囲に放出する。
俺の周りで、まるでガラスが割れるような音が響き渡った。
光が収まった頃、俺は腕をどけて周囲を確認する。
裏庭は原型を留めていないほどに荒れ果てていた。まるで嵐の後のように木々が倒れ、冒険者ギルド本部の一部も倒壊してしまっている。
そして俺のすぐ目の前には、うつ伏せで倒れているオリアナがいた。
「オリアナ!」
すぐさま駆けよってボロボロの上体を持ち上げる。
顔を覗きこむと、頬にいくつもの切り傷をつくったオリアナは静かに瞼を閉じていた。
あれだけ痛みに耐えておいて、どうしてここまで安らいだ顔ができる。
俺は震える手で彼女の頬に触れる。冷たくはない。むしろ熱いくらいだ。この発熱が彼女の全霊の証だろう。
「……バカな。単なる『白騎士』風情が、私の最強の一撃を退けるなんて……」
声がして、俺は前方を睨む。
リトアは瞳を震わせて、動揺した面持ちを見せる。
あれがあの女の全力か。確かに凄まじかった。かつてパーティーで対峙したドラゴンの息吹が可愛く思えるほどに。
しかし、それだけだ。それだけでしかない。
「……わからねえか、リトア。オリアナは命をかけてお前の攻撃を防いだんだ。お前の全力なんて、その程度なんだよ。本気の本気で命かけてる人間には届きはしない」
「なんですって?」
相当苛立っているのか、リトアの赤い双眸が血走って見える。
だが恐ろしくはない。
リトアがどれだけのバケモノだろうが、俺より遥かに強い存在だろうが、もはやそんなことは関係ない。
「殺す。お前だけは絶対に」
「殺す、ですって? アナタが私を? ふ、ふふふ……あははははは!
クズが雑魚に庇ってもらって、怒りの敵討かしら? そういうの、無駄骨って言うのよ」
「無駄かどうかは、わかりません」
リトアの横。
どこからか飛んできた木に手を添えて立つアルテナが会話に割って入る。
アルテナは剣を握った片腕を腹部に回して、額から血を流している。
先ほどのリトアの攻撃。俺を標的にしてはいたが、周囲にもかなりの被害をもたらしている。
その本流を真正面から受け切ったオリアナの底力は相当なものだったのだと改めて認識した。
「ふん。こっちはまるで眼中になかったというのに二次被害で満身創痍じゃないアルテナ。そんな体でどうするつもり?」
興醒めとばかりに冷めた視線をアルテナに向けるリトア。
風圧だけとはいえリトアの必殺をオリアナの盾なしで受けたのだ。ダメージは相当なものだろう。
アルテナは戦える状態ではない。
俺がリトアを倒す。
そう意気込んだ時、リトアの背後に大きな影が聳え立った。
「満身創痍だからなんだってんだ?」
「――――っ!!」
音もなくリトアの背後に現れた人物。
目を見開いて彼女は後ろを向く。
その人物を確認した俺は、思わず叫ぶ。
「爺さん……!?」
リトアに殺されたはずのグランの爺さんがそこにはいた。
片腕を失い、今にも息絶えそうな面持ちの爺さんは左腕を掲げて拳をつくる。
「ウラァ!」
拳に聖なる力を溜め込み、唖然と見上げるリトアの顔を殴りつけた。
亡霊を見たように硬直していたリトアはランスで防ぐこともなく、蹴りつけられた小石のように地面を跳ねて転がる。
地面に片手の指を食い込ませて勢いを殺すと、リトアはグランの爺さんを睨む。
「グラン・アーガス……!? 生きていたの!?」
「オレも死んだと思ったんだがな。テメエらが近くでドタバタしてるもんだから目覚めちまったんだよ、クソッタレ」
不死身かこの人は。
身内ながら異常な生命力に戦慄していると、グランの爺さんは俺に目を向けてくる。
「クリス。テメエ人の剣を勝手に持ち出しやがったな」
「い、いや、これは……」
言い訳に困った俺は視線を彷徨わせる。
こっちはてっきり死んだものと思って、敵討のつもりで剣を持っていった。
あんな有様を見せられて息があるとは普通思わないだろう。
「まあいい。どうせオレはこんな有様だ。くれてやるよ、ソイツは」
「……いいのか?」
「ああ? ……まあ、少しは名残惜しさもあるがな。あんな小娘に不意打ち喰らわされて目が覚めた。オレはもうダメだ。現役じゃあとてもじゃねえがやっていけねえ。それによ、」
言葉を切り、グランの爺さんは地面に横になっているオリアナを見た。
「あの小娘はオマエが斬るべきだ」
ドクン、と俺の心臓が高鳴るのを感じる。
「我慢する必要はねえだろ。誰だって怒るぜ、こんな場面」
俺は顔を伏せる。
全く、グランの爺さんには敵わない。
この人は全てわかっていて言っているのだろう。
俺の明確な欠点。唯一それを補う術があるのなら、それは大剣アスカロンのような無茶についてこられる武器しかない。
「使い物にならなくなるかもしれない」
「構わねえ。『龍殺し』のグラン・アーガスは今日をもって引退だ。どうせなら華々しく退きたい」
そう言うグランの爺さんは、どこか吹っ切れた表情をしていた。
「私を斬るだのなんだの……好き勝手言ってくれるわね、アナタたち。死に損ないの老人が一人加わったくらいで戦況がひっくり返るとでも?」
ゆらりと立ち上がるリトアは冷徹な瞳を向けてくる。
グランの爺さんに殴られた頬は少しだけ腫れてはいるが、大したダメージにはなっていない。
「ひっくり返るさ。テメエ勘違いしてるぞ。コイツはな、クリス・アルバートは最強の『聖剣士』だ。オレのことばかり警戒していたオマエは初めから間違えてたんだよ」
グランの爺さんの言葉を聞いたリトアは目を細め、俺を見る。
「確かに火力は警戒に値するけれど、鈍足で剣筋は単純。大した脅威ではないわ。
こんな人間が最強の『聖剣士』だというのなら、そもそも『聖剣士』に対する警戒度そのものを見直す必要があるわね」
「言ってくれるな。確かに最強ってのは誇張かもしれんが、火力に関しちゃ俺は誰にも負けねえよ。リトア、お前にもな」
「私の攻撃をオリアナ・エルフィートを盾に凌いでおいて、よく言えたものだわ」
小馬鹿にするように失笑するリトア。
我慢、しなくていいんだろう。
正直もう限界だ。
グランの爺さんが生きていたことは嬉しいことだ。それについては素直に喜ぶべきことだろう。
だが俺は俺自身と、なによりリトア・ガーネットという存在が許せない。
口にした言葉一つ守れない情けない俺のせいで、かけがえのないものを失った。大切なものだった。もう二度と手に入らない、唯一無二の仲間だった。
「爺さん、オリアナを頼む」
「ああ」
「アルテナ、爺さんと一緒にできるだけ離れていろ」
「私も戦います」
「ここからは周囲に気を遣っていられない。仲間を巻き込みたくないんだ。頼む」
「…………勝算があるんですね?」
「まあな」
手に握る剣に力を込める。
放出するのではなく剣身に留めた聖なる力は毎秒輝きを増していき、ついには太陽の光に匹敵する輝きを湛える。
「いくぞ、リトア」
「……確かに。少しだけ危険ね、その剣。けれど私には届かないわ!」
互いに地を蹴り、刹那の中で大剣とランスを交える。




