義母と対峙する公爵令嬢
私がようやく、自分の記憶と向き合おうと決意した翌日。奇しくも、乙女ゲームの幕は開いた。
それを告げたのは、お義母様だった。
「マリー。王太子殿下がお見舞いにきてくださるそうよ」
その日、先触れもなく、お義母様は私の住む別邸へとやってきた。
応接室にある二対のソファは、足の低いテーブルを挟んで向かい合っている。私とお義母様は向かい合ってソファに座った。
そして告げられたのが王太子の訪問についてだった。
お義母様の名前はマーガレット。年は二十八。
日の光に当たるとほのかにブロンドがかる赤色の髪を、右肩から豊かに垂らしている。美人だけれど、どこか冷たい雰囲気があった。
陶器のように真っ白な肌には丁寧な化粧が施され、黒のアイラインを引いた瞳はぱっちりとして、長い睫毛で覆われている。
彼女に見つめられると何となく居心地が悪い。
茶色の瞳はごく平凡な瞳の色だというのに、奇妙な力強さがあった。
お義母様は、私のそばにいるミーシャを無視して、自分が連れてきたメイドに紅茶を二人分淹れるようにと指示した。
指示されたメイドは一礼すると、私の部屋を勝手知ったる様子でてきぱきと動き、紅茶の準備を始める。さらには、ミーシャが手伝おうかと声をかけても、露骨に無視する始末。ミーシャはおろおろとしている。
「マリー。話を聞いているの?」
「……聞いてます」
ミーシャを心配してそちらに気を取られていた私は、お義母様から叱られる。
「いいこと? 王太子殿下は、お忙しいさなかに時間を割いてあなたを見舞ってくださるのよ。失礼なことをしてはいけませんよ」
「はい」
「王太子殿下がいらっしゃる際には、私もこちらにいますから」
「……はい」
そりゃ継子を虐めてるなんて、バレたくないでしょうね。私は冷めた気持ちで、目の前に座る彼女を見る。
「幼いあなたがどこまで理解しているかわからないけれど……王太子殿下は、あなたの婚約者なのよ。将来のあなたの旦那様なの」
「わかってます」
紅茶を飲みながらお義母様は、私をちらりと見る。幼い私がきちんと意味を理解しているのか、疑っている目だ。
「私は大人になったら王太子様と結婚するってことですよね? つまりは、私は将来の王妃……」
「まぁ、そういうことよ」
いつになく大人びた私に、お義母様は少し戸惑ったらしい。きょとりと視線が動く。
当然である。前世の記憶を思い出した私は、ただの六歳の少女ではない。お義母様と同じくらいの年齢まで生きた記憶を持つのだ。
そんじょそこらのいびりには負けないからね! 会社のお局にだって負けなかったんだから!
脳内でボクシングのごとく、パンチを繰り返す私。表向きは澄ました顔を保って、砂糖とミルクが入った紅茶を大人しく飲む。
それにしても、と私は思った。
マリーの記憶は、どうやら高熱を境に、少しばかり欠陥していたらしい。
王太子と婚約者であった事実を、私はすっかりと忘れていた。
もともと、幼子だったマリーの理解が薄かったというのもあるだろうが、どうやら幼いマリーの記憶は、膨大な大人の「私」の記憶と混ざるうちに、押し負けて記憶の隅に押し込められてしまったらしい。
お義母様に言われると、王太子の婚約者であった記憶を思い出せるのだけれど、言われるまではすっかりと記憶から消えていた。
王太子との婚約。それはマリーが生まれてすぐに結ばれたものだった。
王家の血筋を守るため、王家は血が濃くなりすぎないように、時折、国外から姫を娶りつつも、自国の上流貴族との婚姻を繰り返している。
もちろん公爵家はその筆頭である。
何代も前から、公爵家は、王家から姫を降嫁されたり、あるいは公爵家から王家へと娘を嫁がせてきた。ヴォルフラム一族も、その例に従っている。
貴族と王族の婚姻。親戚同士になることで、王家は貴い血筋を保全しながら、さらには貴族たちからのクーデター対策をしてきたとも言える。
王太子はマリーよりも半年早く生まれた。年頃が釣り合うからという理由で、マリーは婚約者に選ばれたのだった。
つまり、マリーはずっと、将来の王妃候補として育てられてきたはずだった。
「はず」と言うのは、実際には教育はほとんどされず、それどころか別邸に押し込められてたからなんだけど。まぁ、まだ六歳だし。もっと大きくなったら、家庭教師でもつけるつもりだったのかしら。
乙女ゲームの悪役令嬢に転生。そういう小説のジャンルが流行っていたという記憶が、「私」にはあった。
記憶を取り戻した悪役令嬢は、王太子との婚約を避けようとするっていうのがテンプレなのだろうけど、残念ながら私は当てはまらない。
なにせ、生まれてすぐに決まっていたのだ。たとえ今より早く記憶を取り戻していたにしろ、赤子に婚約回避は不可能である。
王太子こと、ロバート・ヨハネス・ルートヴィヒ四世。サステリア王国の時期王と目される人物である。
そして、乙女ゲームでの攻略対象にして、悪役令嬢マリーの婚約者……。
「私」の記憶と、マリーの記憶が一致した。