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療養中の公爵令嬢

「お嬢様、おはようございます」

「おはよう、ミーシャ」


 私は毎朝起こしに来てくれる侍女へと笑顔を向けた。


 記憶を取り戻してから早くも一週間が過ぎた。

 高熱のさなかに思い出した前世の記憶。日本にいた「私」と公爵令嬢としての私。二つの記憶は当初、ぶつかり合っていた。けれども、熱が下がるにつれて次第に落ち着き、今の私として落ち着いた。


「あっ、お嬢様。無理に動こうとなさらないでくださいませ」


 ベッドから起き上がろうとした私を、ミーシャが慌てながら制し、もう一度横になるようにとうながしてくる。


「もうっ! ミーシャったら。私、すっかり元気になったって言ってるでしょ!」


 私は頬をぷくっと膨らませた。ミーシャはこのところすっかり過保護だ。


「ですが、お嬢様。まだ熱が下がったばかりなのですよ」


 ミーシャの琥珀の瞳が心配そうに揺れるのを見て、私は起きるのを諦める。

 ミーシャは、私よりも四つ年上の十歳。ヴォルフラム公爵家の遠縁にあたる子爵家の三女である。本来ならば遊びたい盛りの子供だろうに、早くもうちで侍女として働いている。貧しかった子爵家ではろくに教育も与えてあげられないという両親が、行儀見習いとして送り出したのだ。


「もうっ。ミーシャったら心配性ね」


 大人しくベッドにもぐった私を見下ろして、ミーシャはふふっと笑う。たった四歳しか離れていないとは思えないほど大人びた笑い。


「今日のお医者様の診察が終われば、いつもの生活に戻れますよ」

「はぁい」


 良い子のお返事をした私ににっこりと笑顔を返し、ミーシャはお医者様から渡された朝用の飲み薬の準備を始める。


 お薬、苦いから嫌なのよねぇ。


 とはいえ、ここで「お薬飲むのやだ!」と暴れるほど幼稚なことはできない。いや、確かにマリーの年齢で言えばそれくらいのわがままを言ってもおかしくはないのだが、四半世紀以上生きた日本人だった「私」の意識が、「無理! 駄々をこねるなんて子供っぽいこと無理だから!」と全否定してくるのだ。


「ねえ、ミーシャ」


 私の侍女であり、遊び相手でもあるミーシャ。彼女が私を振り返る。


「あのね……ミーシャがそばにいてくれると安心するわ。いつもありがとう」


 子供の私は、お礼を言うのにも勇気がいる。照れ臭くなって、顔を半分、羽毛布団に隠したままで感謝の言葉を伝える私に、ミーシャは明るく笑った。



 悪役令嬢だったマリー。

 彼女の人生は、乙女ゲームの中では語られない。しかし、マリーとなった私にはわかることがある。


 まだたったの六歳というのにもかかわらず、マリーはひとりぼっちだった。

 生みの母親は、マリーを産んですぐに儚くなった。

 公爵である父親は、愛妻の死から逃れるように仕事にのめり込み、城に泊まり込みで屋敷にほとんど帰ってこない。

 マリーがわがままを言うようになったのは、寂しさから来る承認欲求からだったのかもしれない。

 使用人達は、わがままを繰り返すようになった公爵令嬢に手を焼き、一定の距離を保って接する。


 こうしてマリーはわがまま令嬢に育ったのだった。


 峠を越え、高熱がようやく下がってからの一週間。私はわがままを言わないようにして、少しでも使用人からの印象を良くしようと試みている。

 熱は下がったものの、ぶり返さないようにとずっとベッド生活だったけれど、それもようやく終わりそう。


 高熱で生死の境を彷徨った娘にすらほとんど会いに来ない父親にはほとほと愛想が尽きたけど。

 けれど、気がつけば私にはミーシャがいた。


 わがまま放題だった私を、見捨てずそばに居続けてくれたミーシャ。例えそれが仕事だったとしても、この恩は忘れないわ。


 まずはミーシャともっと仲良くなって、それからほかの使用人たちとの関係も改善していくの!




 それから一週間後。私はのんびりとティータイムを過ごしていた。

 干し葡萄が練り込まれたずっしりとした生地の焼き菓子。焼きあがった後にたっぷりと蜜をまぶされた甘いケーキを頬張りながら、香りの良い紅茶を一口。紅茶には、子供の私に合わせてたっぷりとミルクとお砂糖が入っている。


 うん。最高。生きてるって感じだわ。

 私はほうっと息をついた。


「う〜ん……今日もケーキが美味しいわぁ」

「ふふっ、お嬢様ったら。お口元が汚れておりますよ」


 私が甘いケーキを堪能しているのを微笑ましく見つめながら、ミーシャはくすくすと笑う。侍女をしているとは言え、元々は子爵令嬢のミーシャにはいつも品が漂っている。

 一方、公爵令嬢の私は、口元に焼き菓子の食べかすをつけてるわけだけど……。

 品格……未来の悪役令嬢かつ、つい数日までわがまま令嬢の名を欲しいままにしていた私には足りないものである。


 しかし、そんな私にもミーシャはずっと、にこにこしている。


「すっかりお元気になられて……本当に良かったです」

「ミーシャったら! それ何回言うつもり?」


 私は呆れ半分にくるっと瞳を回した。


 熱がすっかり下がり、お医者様からも完治の太鼓判を押されてからすでに一週間が経過している。私はすっかり健康になった。

 今では、一日三食かつ、おやつまでしっかり完食している。健康優良児である。

 それなのに、未だに私が病人かのように扱うミーシャはかなりの心配性だ。


「何回でも言いますわ。だって、お嬢様が健康にお過ごしなのが本当に嬉しいんですもの」


 おっとりと微笑まれると、私は何も言えなくなる。私のメイドは、今日も絶好調に過保護である。


 彼女の過保護っぷりは、私の療養中、日増しに強まっていった。なんでも彼女いわく、故郷に残した妹を思い出して、放っておくことができないらしい。


 ミーシャときたら、今では私からほとんど離れず、一日中そばにいる。食事ですら、他の使用人が私の部屋まで運んでくれるの任せなのだから相当なもの。

 まるで母猫が子猫から一歩も離れず付き添うように、彼女は私のそばから離れない。


 このままでは使用人としての他の仕事に差し障りがあるのでは、と気にかかって尋ねたりもしたのだが、「私はお嬢様のお側から離れませんよ」と、可愛らしく両手を拳にしてみせる彼女に私は折れるしかなかった。


 彼女にこんなにも甘えていいのかな、と思わなくもないけれど、正直なところ嬉しさもあった。ミーシャと過ごす毎日は、私に穏やかな心の余裕を与えてくれた。

 孤独だった私にとって、今や彼女は単なる侍女ではない。親友とも呼べるような存在になった。そして時には姉のようにも感じる。


 そんなこんなで、ミーシャとすっかり打ち解けた私は、二人きりの生活を楽しんでいる。


 ……残念なことを一つ挙げるとするならば、彼女以外の使用人と仲良くなる作戦は難航中だってこと。

 どうにもミーシャ以外の使用人達は、私のことを避けているようだ。まぁ、たしかにいくら人格が変わったっていっても、それは傍目からはわからないわけで。わがまま令嬢の汚名は返上できていないままだ。


 しかし、私は記憶を取り戻すまで今の暮らしに疑問を持ったことはなかったが、記憶を取り戻してみれば、マリーの置かれている状況は異常だった。


 マリーの身近な家族は、遠方に住む祖父母を除けば、父と父の後妻である義母だけだ。

 私の母と貴族には珍しい恋愛結婚を果たした父は、母が亡くなって以降、酷くふさぎ込んでいたらしい。しかし、ある日いきなり一人の女性を連れてきた。それが私の現在の母である。


 当時、子爵家令嬢だった義母と父がどこで出会ったのかは不明だ。しかし、彼女と再婚すると、父はまるで別人のように仕事に打ち込むようになった。

 仕事狂いになったことで家に寄り付かなくはなったものの、結果的には立ち直ったと言えなくもない。

 妻を亡くしてふさぎ込み、家で酒浸りだった父を更生させたとかで、義母の周囲からの評価は高い。


 さて、ここまでは記憶が戻るまでのマリーの情報である。幼いマリーにはわからないだろうと、使用人達が口さがなく噂話をしていたのを、幼い頃のマリーは聞いていた。

 実際、マリーにはよく意味がわからず記憶の底に埋もれていた。それを掘り出してきたのは私だ。

 二十代の半ばを過ぎた私には、マリーの状況が的確に理解できた。


 記憶が戻る前のマリーは、義母のことを嫌っていた。

 義理の母である彼女が、前妻の娘である私のことをどう思っているのか。はっきりしたところはわからない。

 けれど、あまり好かれてはいないんじゃないかと思う。


 理由は二つ。一つは、マリーが本邸ではなく、本邸から棟を移した別邸に住まわされていること。そしてもう一つは、義母とろくに会話した記憶がないことだ。


 記憶を取り戻して早々に、この状況にツッコんだよね。そりゃ。

 いくら使用人がいてくれるといっても、まだたった六歳の幼い少女を、別邸でひとりぽつんと孤立させるとか! 人でなしじゃん!


 実父に見捨てられ、継母から冷たい仕打ちを受けていたマリー。

 そりゃ人格も歪むわ! 声を大にして叫びたい。


 父親がマリーの状況を知っているのかも定かではない。しかし、興味もないのだろう。記憶を掘り返してみても、父親と会話した記憶はろくにない。

 頼りになりそうもない父親は、もはやいない人として扱おうと私は決めた。


 ミーシャ以外の使用人と顔を合わせるのは、食事を運んでもらう時と、部屋の掃除をしてもらう時のみ。

 それ以外の時間は、ミーシャと二人きりで過ごしている。

 ぶっちゃけると、私はミーシャになつきに懐いた。


 そりゃそーでしょ! ひとりぼっちで孤独だったマリー。わがまま三昧の彼女に、唯一優しくしてくれた相手である。

 それも、高熱が出た後の弱っていた時だったのだから、なおのこと。


 私は紅茶をこくっと一口飲んで、斜め前に立って私を見守るミーシャを見つめた。

 人参のような明るいオレンジレッドの髪は、仕事の邪魔にならないように、背中で一本の三つ編みにして垂らしている。琥珀の瞳と、ほんのりと浮かんだ雀斑。まだ幼いけれど、将来の美貌を約束された整った顔立ち。

 メイドのお仕着せをきっちりと着こなしたミーシャが、私から向けられる視線にこてんと首をかしげる。


「お嬢様。どうかなさいまして?」

「なんでもないわ」


 うん。いいの。

 私にはミーシャがいるもん。


「ミーシャがいてくれて良かったなぁって思ったの」

「まぁ! 光栄ですわ、お嬢様」


 微笑むミーシャの瞳は、慈愛に満ちている。


 乙女ゲームの中では影も形もなかったミーシャ。ゲームではいわゆるモブの役どころだったのかも。


「こーんな別嬪さん、モブにしておくとか逆にもったいないよね」

「何かおっしゃいまして?」

「ううん、なんでもない!」


 乙女ゲームに転生って意味不明だと思ってた。けれどそろそろこの記憶と向き合っていかないと。

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