天才児と公爵令嬢
小さな紳士は、私の手を引いて庭園まで案内してくれる。私達の後ろからは、侍従やメイドたちがぞろぞろと着いてきた。まるで大名行列である。
ロバート様は私の歩く速さに合わせてくださる。二人並んでちょこちょこと歩くことしばし。庭園へと繋がる扉へと辿り着く。
長方形の形をした居館の、入り口がある方面の反対側。その扉を開けると、素晴らしく美しい庭園が広がっていた。
「ここだよ」
「わぁ……すごく綺麗……」
私は思わず礼儀も忘れて呟いてしまう。ロバート様が軽く私の手を引っ張った。
「今は薔薇が見頃なんだ! おいでよ、見せてあげる!」
我が家にいる時よりも、生き生きとしたロバート様。自分のテリトリーにいる方が人は気楽にできるもの。ロバート様もいつもより肩の力が抜けているようだった。
季節はちょうど春。庭園には花の芳香が立ち込めている。飛んできた小鳥たちが樹木の枝に並んで止まり、チチチチと愛らしく囀っている。
陽光が差し込む中、二人で薔薇の咲き誇る花壇へと向かう。使用人たちは私たちから少し離れたところで佇み、遠くから見守っていた。
花壇までくると、その中でもひときわ愛らしい薄桃色をした薔薇をロバート様は人差し指で指し示す。
「この薔薇はね、母上の生国から持ち込まれた品種と、我が国の薔薇とを掛け合わせて生まれた新しい薔薇なんだ。父上と母上の結婚記念に生み出されたんだよ」
「王妃様ご出身のお国……フロランス王国からですか?」
「うん。フロランス王国は花の改良でも有名なんだ」
ロバート様のお母様は、我が国ロマンドの隣国フロランス王国のお姫様だった。
政略結婚で我が国に嫁がれたが、夫婦仲は大変よろしく、王様と王妃様の恋愛譚は幼い少女たちからご年配の淑女の皆様にまで広く愛されている。
私も前に、寝物語として聞いた覚えがあった。
私は薔薇をしげしげと眺める。ふんわりと柔らかな花弁が風にそよぐ。ロマンティックな恋愛譚にふさわしく、慎ましさと可愛らしさを兼ね揃えている薔薇。その愛らしさに私は感嘆した。
「素敵です。さしずめこの薔薇は、かのお国と我が国との友好を象徴してもいるのですね」
私の感想はロバート様に気に入られたらしい。繋がれたままだった右手に軽く力が込められる。
「そうだね。僕にとってもこの薔薇は特別なんだ。お父様とお母様の薔薇だからね」
それから一瞬の間が空く。ロバート様はじっと私を見つめて、どこか感動したように言った。
「……こういうことを言うのはあれなんだけど……マリー嬢は賢いんだね……」
「へ?」
「正直に打ち明けると、僕の言葉を理解してくれる同じ年頃の子に出会ったのは初めてなんだ」
ロバート様は真剣な顔をしていた。雰囲気の変化に、私は思わず息をのむ。
「自分で言うのは恥ずかしいけれど、どうやら僕は、他の子よりも物覚えが良いらしい。そのせいか、同じ年頃の子と話していても、話が合わなくて……。父上も母上も気にしないで良いって仰るけれど……僕、その……自分のことちょっと変だなって思ってて……」
ロバート様は照れたような、それでいて気まずさも入り混じった表情で私から視線をそらす。薔薇を見つめ、ぽつぽつと語る。
「同じ年頃の貴族の子供達と遊んだりしたこともあったけど、彼らには僕の話す内容は難しすぎるらしい。僕の言葉を理解してくれる子には出会えなかった。父上も母上も、皆がもう少し大きくなったら話も合うようになると言ってくださるけど、本当にそうなのかなってずっと不安だったんだ」
そして私へともう一度視線をうつした。その瞳は柔らかく、私への好意を示している。
「でも、マリー嬢は僕の言葉をちゃんと理解してくれてるだろう? 僕、それが嬉しいんだ。話が合う人が婚約者になってくれて、正直なところ安心もしてる」
それは私の予想だにしていなかった告白だった。
なぜロバート様が、こんなにも私に好意的に接してくださるのか。その理由の根底には、彼の悩みが関係していたらしい。
天才児の悩み……。私はなんと答えれば良いのかわからず、逡巡する。
ロバート様が私に好意的な理由が明らかにはなったものの、私は困ってしまった。どうやら彼は、私が彼と同じくらいの頭脳の持ち主だと思っているようだ。しかしそれは完全に買いかぶりである。
私が今のように子供らしくなくなったのは、「前世の記憶」によるもの。彼のような早熟さからではない。
そう……よく考えてみたら不自然さはあった。
たった六歳にして、周囲によく気がつき、礼儀作法は完璧で、婚約者にも優しく真摯に接する完全無欠な王子様。
……どう考えても普通ではない。子供って、そんなに物分りが良くないよね。
私自身に大人の思考が混じってしまったが故に見落としていたが、この殿下は、あまりにも優秀すぎる。私は前世の言葉である、『ギフテッド』という言葉を思い出した。
優秀すぎるが故の孤独感。それは特別な才能を持つ者にしかわからない悩み。きっとロバート様もそうなのだろう。そして、ひそかに孤独を募らせたときに、私にーーロバート様の言葉を理解できる婚約者ーーに出会った。
だから彼は、私と仲良くなりたいと思ったのだ。きっと私も自分と同じく孤独なのではないかとあたりをつけて。
「マリー嬢とは、四歳の誕生日と五歳の誕生日にも会ったことあったけど、その時は『普通の子』に見えた。だから、お見舞いで久しぶりに会った時の様子には驚いたよ。急に大人びて見えたから」
ロバート様からの鋭い指摘にぎくりとなる。大正解だ。私が今のようになったのは、大人の女性だった記憶を取り戻したから。だから子供らしい思考ができなくなっただけだ。
それにしても、ロバート様は記憶力も抜群らしい。四歳や五歳の頃のことを、私はほとんど忘れている。
「わ、私も……その……そう、成長したのです!」
「そうなの? でも、そんな急に人って変わるのかなぁ」
いぶかしげな殿下。私はこくこくと頷く。
「そうですよ! だから、ロバート様と話が合う子たちもそのうちたくさん出てきますよ!」
私じゃなくても!
「そうかな……うん、でもそうだといいな」
納得してくれたのか、ロバート様は嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
一通り庭園を見回った後は、お庭を眺めながらロバート様が用意してくださったお茶とお菓子を楽しんだ。私好みのこってりとしたクロテッドクリームと甘い苺ジャムをたっぷりとのせたスコーン。美味しくてついつい手が伸びてしまった。
満たされた思いで帰路の馬車に乗り込み、私はロバート様について考える。
今日のロバート様からの告白によって、私達の仲は前よりもさらに気さくになった気がする。友人とより親しくなるのは嬉しいことだ。
さしものロバート様も、現時点では恋愛云々には思い至らないようで、私達は婚約者ではあるものの、仲の良いお友達という立ち位置である。
そしてここに来て、ようやく私は理解した。どうやらこの世界は乙女ゲームとよく似ていながらも、乙女ゲームが正しく反映されているわけではないらしい。
乙女ゲームに描かれていたロバート様の悩み。それは、「父王のような立派な王になれるか不安であること」。しかし、今のロバート様の様子を見るに、この悩みは少し変ではないだろうか。彼は自分の頭の良さを理解している。その彼が、大きくなってから自分の能力を疑うようになるのだろうか?
私は窓から流れる景色をぼんやりと眺めながら考える。
乙女ゲームに描かれた悩みと同じ悩みをロバート様が抱いていないとは言い切れない。しかし、何か別のことを見落としているような予感があった。
王の資格……それは何だろう。頭の良さや武芸に秀でている以外にも、何かあるのだろうか。私には想像つかない王としての資格。それが何となく引っかかった。
キラキラと輝く金髪を持った王子様について考えていた時。私はもう一つのことに気がつき、あっと目を見開く。なんで気がつかなかったんだろう。行く前はあれほど気にしていたはずなのに。
私は気がついた。お城では一度も、ロバート様が血塗れになることはなかった、ということに。