軍曹の恵比須顔
警戒態勢は解かれてはいないが、灯台砲台内は呑気な物だった。
夜襲の警戒で歩兵小隊は交代制で哨戒に当たる。海からの奇襲も考えられるので、こちらは砲兵、輜重兵が交代制で哨戒だ。
連戦だった。テュニス、テレ街道で連合軍を撃破し、街道を走破し、そのままテュニス市街を抜けて、灯台砲台に於いて連合王国海軍の艦隊を相手に防衛戦を行った。
三艦を撃沈し、(未確定、航行不能状態で敢えて攻撃中止、大破は確定)一個艦隊水兵の強襲上陸を阻み、更にもう一個艦隊に牽制砲撃を行った。
非公開、未確認だが、四連合王国大陸内海艦隊総司令、ジャン.ジャール海軍大将を狙撃により殺害した。
華々しい戦果だ。ただ、この戦果はテュネス軍総合総司令部に帰される事になる。
パルト砲兵小隊の現在の所属は、テュネス軍総合総司令部付特殊砲兵小隊だが、そんな小隊は正式には存在しない。
ゴーンが言いくるめて作らせた仮の身分だ、だから戦果云々は総合総司令に帰される事は当然だ。逆に戦功顕彰されても困る。
「その恵比寿顔、マジでキモいよ軍曹」
砲台内の兵士詰所を解放し、仮の休憩室兼司令所にしたところ、二個イチが漫才を始める。
「なんだい、その“恵比寿顔”って。アルはやたらと外国の言葉を知っているけど、どんな意味なんだ?」
レオンだ。暦では冬場なので、屋外で夜営などしたくもない。建屋があるのだから。
「意味って言うか、あんな妙な笑顔した恵比寿という爺ぃがいてさ、俺はキモい笑顔を恵比寿顔と呼んでる」
晩方から、ダッドはニタリニタリとあんな感じだ。悟りとも違うので、少し怖い。
「馬鹿王、この俗物の豚め、貴様には戦争の真理など分かるまい」
ニタリニタリと、妙な事をほざき始める二個イチの片割れ。やはり怖い。
「俗物の豚……流石キチがい、言うことに含蓄がある。んで、軍曹の見つけた真理って?」
「何か班長妙だねぇ」
「ダッド班長は基本妙だけどね」
「そウか?まとモな感じダが」
付き合いの長いブブエロには、静かな分まともに思えるらしい。付き合いの短いピエト、ラジオ両一等卒には、妙な親父にしか思えない様だ。
実はかなり危険な精神状態なのだが、それに気使える様な殊勝な面子ではない。
まあ、減るものでもない事だし、放っておこう。
「シャラップ外道供。戦争の真理とはな、それは愛だ。“汝の敵を愛せよ”だ」
数時間前まで、“試しに殺せそうだから”と云う理由で、水兵を皆殺しにしようとしていた男がよくほざく。
「軍曹、詰まらない、ありきたり、やり直し」
皆が続く。
「うん、つまらない」
「うん、面白くない、詰まらないかな」
「ダッド班長、オレはヒょうかスるぞ」
「曹長、教会関係者の前ではやめてくれよ」
ボロクソである。
「豚供には分かるまい、分かるまい」
どこまでフザケているのか分かり難い、マジだとしたら、まあ、減るものでもない事だし……
因みに、精神病なる概念はこの時代には無い。
医者の見立てで正気を失っていると判断され、かつ他者に危害を加える恐れ有りと判断された場合、鉄格子付の病室に連行される。退院は無い。
ただ、食事内容は良い様だ。
哨戒は主に旧火砲組がやってくれた。流石に機動架台組に負担をかけたく無かった様だ。
モス軍曹が中心となり哨戒人員を廻してゆく。
何せ隊長と曹長二人、機動架台組だから仕方ない。戦場を駆け抜けた事だし、ここで夜襲が有った場合、駆け付けるのが機動架台組だ。休息するのも軍務の内だ。
やはり疲れが出たのか、パルト砲兵小隊、特に機動架台組は泥の様に爆睡した。夜襲は無かった。
日が改まり総員点呼を取っていると、テュネス軍総合総司令部より伝令が来た。
昨日兄バクスタールからの伝達文が届けられたが、その時は既に連合王国艦隊は撤退していた。
まあ、艦隊砲撃の依頼内容だったので達成済みだが、これを以前頼まれた“鷹の目”の件としてカウントしてくれれば有り難い。レオンはそう思う。ゴーンに絞られたのはかなり堪えたのだ。
何せ博識にオカルトを混ぜた説教で、突っ込み所満載かつ、理路整然の正論で、精神的にかなり負荷がかかる。
総合総司令部の命令は、砲兵中隊を派遣するので交代し、パルト砲兵小隊は引き揚げて来る様との内容だ。護衛の歩兵もそれに習うとの事だ。
反対する理由も無いので復命した。
「隊長、宜しいのですか?昨日は夜陰に紛れて敵艦隊は撤退しましたが、本日再来し本格的な攻撃が有るやもしれません」
ダッドだ、何か一晩寝たら落ち着いた?様子ではある。
「曹長、体調は良さそうだな。なに、中隊人員での派遣だから大丈夫だろう。第一、我々の本来の任務は概ね完了した。引き揚げても大丈夫だろう」
レオンとしては報告書の作成が有る、落ち着いた所で作業したい。
「了解しました」
との返事だが、本当に大丈夫だろうか?
三章での話になるが、二個イチは本国首都ロマヌスにて景信教の異端審問官に追われる事になるのだが、元々はダッドを教会に通わせて正気にもど……心のメンテナンスする事が目的だった。
アルは別件だが、ついでにダッドの同行したのが運の尽きであった。
交代要員が到着する間に、来客があった。兄バクスタール提督とサンドロ海軍中佐だ。
昨日の今日で艦隊司令は忙し過ぎる筈なのだが、どうやら確認事項の様で一応軍務だそうだ。
やはり用件はアルの“鷹の目”に関する依頼の様で、アルが呼ばれた。
「やあ、久しいな技官殿。いきなりで申し訳ないが、技官殿がジャール総司令に何かしたのかね」
本当にいきなりだ。周囲に余計な横槍をいれられたくなかったので、不意討ち的な質問だったが、アルは公用語に堪能ではない。
小首を傾げたが、大の男がやる仕草ではない。キモい。
だが
「ああ、ジャージャーの事ね」
アルはダッドの肩上を見やり、そう答えた。
どうやらジャールの名を、本気で失念していた様だ。手掛けておきながら、あんまりである。