ハンニバルスの誤り
今日は倉庫を引き払い、ザベス市より1㌔ほど南に離れたテュネス陸軍の野営屯所に移動する。
南門まで、先方の案内が出迎えてくれる手筈になっている。
と、その前に。
「総員集合!」号令を掛ける、任務開始だ。
10砲班、技官班、輜重班が整列する。大所帯になったものだ。
「総員点呼!」これはダーレンの号令。
慣れたもので、それぞれの班から点呼返信が上がる。人員に異常はない。
「総員傾注!」これはダッド。小隊内に准尉はいないので、二人が副長の任に当たる。
正式任命で無いのは臨時編成と云う事もあるが、准尉階級の人員を要請中で、いずれ配属されたらその者に副長を任せる予定だからだ。
「本日8時までに当市南門に小隊を移動する。
テュネス陸軍屯所から案内の人員が来るので、合流後屯所まで移動する。
……さて、昨日の事だが、バクスタール提督の要請もある事なので、公的には罰は与えない」
曹長二人はバツが悪そうにする。が、仕方ない、軍務から無断で離れたのだから。
「三日間の一等減食を科す。ただし技官班、輜重班は対象外だ。以上、行動開始」
罰としてはかなり軽い、食事制限で配給量一割減だ。公的な記録にも残らない。残るのは絶食処分からだ。
現在作戦行動中なので食事は携行糧食だ。
三日間の一等減食なので9食配給の内1食無配給となる。まさかレーションを開封減量して配給する訳にはいかない。
機動架台は手でも押せるから問題はない。だが通常架台の旧型砲と、重火砲架台はそうもいかない。
港湾内の交通厩舎に預けた軍馬を輜重班が受け取りに向かう。
その他の人員は引き払い準備だ。屋根下での宿営となったが、テントよりはマシである。
レオンはアルの元に向かう。
アルは昨夜から対話が増えた技官と、軽口を応酬している。
開発部の工房に出入りしている、民間工厰からの出向技官だ、アーガイル社だ。
砲のメンテナンスを請け負う技官だ。
レオンに気がつき、場を譲る。
「なんだい先生、特に悪い事はしてないぜ」
「いや、学問所の担任教師じゃないんだから、そんな子供じみた事聞かないよ。昨日バクスタール提督に君絡みで懇願された事があってね」
「髭の将軍様からか?やたらとリンゴ貰ったけどそれ関係?」
射撃の褒美に、リンゴを一箱アルが貰っていた。
「いや、でも後で一つくれるかい。
バクスタール提督は君の射撃術に感銘を受けたようでね、必要な時が来たら君にその腕を貸して欲しいそうだ。
悪いがその時は軍令となる。」
「ふーん、まあリンゴ貰ったし、髭だし、良いよ別に」
「アル、くれぐれも外でそんな事は言わないでくれよ。バクスタール提督は双子で、弟の方はテュネス軍の総司令だ」
「双子の将軍様か!すげえ弟も髭か!だからか!」
……まあ、何時もの調子か。やはり彼の扱いは曹長に任せよう。
南門に向かうと、驚いた事にテュネス陸軍は中隊人員で迎えに来ていた。
南門で合流予定だったゴーン少佐が、先方に対応をしている。
少佐は用意されていたホテルに宿泊したので、別行動だった。
同行の従卒は役得だ。
小隊を脇に待機させ、ゴーン少佐とテュネス陸軍指揮官の元に赴く。
踵を揃えて敬礼だ。
「アルニン軍総合総司令本部より派遣された、新型砲教導砲兵小隊隊長パルトであります」
「テュネス陸軍ハマクーラ方面師団所属歩兵大隊隊長陸軍歩兵少佐パストゥール。貴小隊をザバ市まで護衛する。ま、宜しく」
ぶっきらぼうな感じだが、力強く握手された。
「公用語が堪能でない、言葉が足らないかも知らんが、他意はない、ゆるせ」
「少佐殿は、バクスタール閣下と共にザベスに来られて、この先の平原で野営されていたのだ。まあ、早い話痺れを切らして出て来られたのだ」
ゴーン少佐が補足説明をアルニン語でしてくれた。案外この御仁は口が悪い。
予定では三日後の出発予定だったが、本日の出発になった。
二個中隊はバクスタールと正統政府首脳と共にハマクーラへ出立していた。
一個大隊をザベス市の防衛、治安維持の為に残すので、ザバまではここにいる中隊と同行する事になる。
大隊の兵員で40万人もの都市防衛は本来なら不可能だが、テュニス側に陸軍戦力が無い事が知れている。
治安維持の意味が強い。
内乱当初は何処からともなく賊が出没し、街道は通行不能となった。
二個大隊派遣で、ようやく治安が落ち着いたのだ。
……テュニスも小細工を弄したものだった。
小隊はテュネス陸軍と合流し、一路ザバを目指す。残留大隊を尻目に平原をゆく。
ザバ平原。歴史上名高い古戦場だ。
テュネスに存在した、海洋覇権国家タルタゴ。
イレニア海コルス島の領有問題から始まった争乱の、最終的な決着地。
名将ハンニバルスと、後に南方大陸征服者と冠されるスピッキオスの両英雄の戦いを、
まるで、見てきた様に実況する少佐に、レオンは辟易した。
(アルは、私の事を先生と呼ぶけど、ゴーン少佐の方がよほど教師らしいよ、勘弁してくれ)
佐官と小隊指揮官だから、二人は馬上だ。
だから、必然的に対話相手が決定する。目線が同じ高さだから会話しやすい。
ゴーン少佐は切れ者で、アルが言う所の古の軍師タイプだ。たまに発言が軍から離れた目線での物になる。総評すればやり易い上官だ。
ただ、この御仁は思考に妙な癖がある。
博識ではある。ただ博識にオカルトが混ざる。途端に胡散臭い人物になってしまう。
アルが最近混ざった様で、昨晩連絡に来た従卒に愚痴を聞かされる羽目になった。
「……と、云う訳で、ハンニバルスの戦略が根本から破綻していた訳だが、何故彼ほどの人物が根幹を見誤ったと思う」
「軍人故の視野の狭さかと」
適当に答えておいた。
「では、同じく軍人であるアルニン半島の諸将軍が、最終的な勝利を収めた理由は。彼等の軍事的才能は、ハンニバルスの足元にも及ばないが」
「彼等は軍人ではなかったから?ですかね」
「その通り。古代ロマヌス人は執政官を軍事司令官として出兵した。
彼等は軍人ではなく政治家だった、共存共栄をもたらす執政官に属国、属州は従い、ハンニバルスはロマヌス同盟の解体に失敗した」
大体理解した、ゴーン少佐が回りくどい言い方をする時は、伝える事がある時だ。
「テュネス資本の根は想像以上に張っていた。我々はハンニバルスと状況が似ている。
南方大陸派兵は好都合な事に長期に渡る事になる」
そう言うと、ゴーン少佐はククッと笑った。
史実では、ハンニバルスはアルニン半島に渡り、ロマヌス同盟解体の為に10年もの歳月を転戦する事になる。