本当は怖いマリア局長5
化物達に同士討ちの概念は無い。そりゃそうだ、何せ共喰いをするような奴等だ。
だからヌルりとした足取りでケンタウロスを捌きにかかる婆さんに、三匹掛かりで突撃だ。
とは言え、三匹が互いに呼吸が合っている訳でも連携している訳でも無い。
偶然単騎突撃が重なって、ジェットストリームアタック風になっただけだ。
形状は騎馬だが無手の化物だ、突進で馬蹄で蹴殺すしか術がない。
不可視ならば避けようが無い攻撃だが、今は婆さん見えている。
僅か半歩程、墨家“瞬歩”で体を躱し、そのまま駆け抜ける化物馬腹を、黄派嘗掌でヌルりとなぞる。
嘗掌は黄派独自の化経浸透技だ、攻防一体の技だ。
力の誘導や受け流しをしつつ、経浸透を成す技で、撫でる様な動作から嘗掌と呼ばれた。
化物は、十歩の内に撫でられた腹側に身を捩り横転だ。それに構わず二頭目が迫る。
化物にも個性が有るのか、二頭目は人頭馬首を極端に前傾させた、前面面積を狭くした突撃だ。実際の馬はこんな走行は出来ない。
だから、動揺から反応の遅れを誘う心理戦が主目的の突撃なのだが、婆さんに迷いは無い。
そもそも気脈循環を絶えさせない連経練歩を成している、感情は起伏しない。だからありのままに出来る手段を取るまでだ。
タン!
僅かな足踏みで婆さんは空に舞う、物理的にはあり得ない跳躍だ。
「小派、縮地走跳斧刃脚」
クルリと空にて半回転の踵落しだ。これも物理的には大して効果の無い打撃だが、婆さんは経絡拳使いであり、化物共々物理力学対象外の術理攻撃だ。
前傾姿勢の人頭部に踵を喰らわし、質量の無い筈の、化物の頭部を足場に真横に跳躍だ。
二頭目は前傾のまま地に叩き伏せられ、勢いのまま地を滑る、ピクリとも動けない、バランスを崩して横転しながら滑って行った。
三頭目は婆さんが進行方向から外れたので方向修正の減速だ。
妙な所で物理法則に忠実なのは仕方ない。元は物理法則下で生きた人、馬なのだから。
むしろ、当たり前に物理法則を無視して動ける婆さんが妙だ。
奇跡認定局員臨時聖歌隊が大音声で大聖堂から行進する、先頭を行くマリア局長も聖歌詠唱だ。
大聖堂内の化物一党は全て外に出される。
幸い大聖堂は簡単に参拝者が近づけない様に垣根に囲まれている。
臨時聖歌隊の妙な演出と、野次馬が集りそうな物だが、そもそも今日は緊急で大聖堂のブロックごと参拝人数に制限がかかっている。
法王庁の、暗部に関わる汚れ仕事の為に急遽使用許可が下ったのだ、対象者が不審に思わない程度に人数制限が掛けられるのは当然だ。
それが幸いし目撃者数は最小限に抑えられた。
マリア婆さんを半包囲するような形に、臨時聖歌隊は布陣する。
白日晴天下だが、各々が所持する聖火の火を絶やすまいとする姿はいじましい。
実際、聖火に退魔的な効果などは無いだろう、だが、聖火を絶やすまいとの想いこそが肝要だ。
その想いこそが魔をはね除ける、“鰯の頭も信心から”とはこの事だ。
「遨家絶肩衝」
三頭目の減速に合わせての体当たりだ。
肩としたが、打点は右側体部全体だ。打点面積が大きくて三練打が満遍なく放てる。
アルの時の様な加減無しの、本気の全力打だ。
人相手では、オーバーキルそのものだが、化物相手では婆さんの人形にそっくり抜けた。威力が高過ぎた。
三頭目の化物はグズグズに崩れた。
聖歌詠唱を続けながら包囲陣員は移動を続け、現在では急造聖歌隊は婆さんを遠巻きに円周包囲する形に展開した、半包囲で悪霊を退散させるだけのつもりが、婆さんの退魔戦闘は悪霊を消滅させると分かったからだ。
甲高い足音のたびに、痺れる様な悪意、害意が消滅している。ならばこの機を逃す手は無い。
テキパキとマリア局長が局員に指示を出す、“マグダルのルッカ福音書”の神聖性と相まって、指揮下の局員は先代の聖女を思い起こし奮起した。
こうなると信仰者は強い。自分達の“正義を疑わない”と云うトランス状態になる。
肉体を持たない“悪霊”と、肉体を纏う“強靭な意思の魂”とでは後者が圧倒的に強いのだ。
一匹たりとも逃さない。
その想いが化物達を包囲した。
「黄派千手嘗掌」
嘗掌は、本来発経攻打を受け流し浸透経を流す技であり、相手のラッシュを捌く防御技であるが、婆さんは発経の効果に着目し、攻勢に転用した。
散打(表面爆発)より浸透打(深部浸透)の方が化物相手ではより多く消滅すると分かったからだ。
傍目には、空を撫でる様な、手刀を切る様な仕草の武術演舞に見える。
こんなで武術師範だ、それは緩急自在の舞いの様な演舞に見え、その様を正装した僧侶達が聖歌で祝福している様に見えた。
現に居合わせ、目撃した参詣者はそう思った。
大物、中型の始末を終えた婆さんは、後は拳を振るうまでもないと判断した。
犬程の二足の生首や鼬の様な小物の化物、不定形の瘴気、黒煙。悲しげな人面、波の様に崩れる人形。
こちらに攻撃する意図は無さそうである。
奇跡認定局員に包囲されている現状を鑑み、婆さんは包囲網の中心に連経歩で歩み、一際大きな発経音を立てる。
そして、妙な歩様と、清那の言葉で、三拍拍子の舞いを始めた。
トン、トン、タン! トン、トン、タン!。最後のタンが三練発経だが、経の力量は地表に流している。
しばらくそうして三拍演舞をしていると、明らかに瘴気、悪霊が消滅していっている事が分かった。
タン!
最後に、利き足による三練発経を地に打ち込むと、婆さんは舞いを終えた。
「成る程な、先人の言葉の“地祇の僖”とはこの事だったのか、俺は功練を積んだつもりで、何も積んでいなかったのだな」
と独り言ちた。
遠巻きに婆さんの舞いを見ていた参拝者からまばらな拍手が起こった、演し物が終わったとでも思ったのだろう。
「小僧は何処だ」
そう、肝心のアルの阿呆だが、とうの昔に逐電していた、それこそアレクサンダーズをけしかけた直後にだ。
超薄情で、こんな大それた事をしでかしながら一人逃走とはけしからん。
と、言われそうだが、よくよく考えてみれば、アルの阿呆はどちらかと言えば被害者だ。
野郎は呼ばれたから来ただけで、大聖堂に出頭したら、旧知の暴力ババアに出会い頭にぶん殴られて、更に足を折られかけた訳だから、隙を見て逃げるは当たり前だ。
化物をけしかけた?別に野郎は化物の保護責任者じゃ無いし、野郎も取り憑かれているだけで、飼っている訳でも無いのだ。
と、一応の弁護はしておいて、奇跡認定局としては、特定奇跡認定者をこのまま逃亡させる訳には行かない。
即座にマリア局長は業務主任の役職者に、特定人物出国禁止令を各出入国門に緊急通達する命令を発する。
忘れがちだが、奇跡認定局は法王直下部局であり、その権限は巨大だ。奇跡関連の局長命令は法王その人の聖令に準じる。
だから、マリア局長の特定奇跡認定宣言により、アルの聖騎士任命の芽は完全に無くなった。
マカロフの思惑や面子は丸潰れとなるが、特定奇跡体感者がこれ程多い(大聖堂に詰めた奇跡認定局員が全員証人だ)のだから、揉み消しはまず不可能だ。
大聖堂内の気絶者の手当てや救護のために、奉献会に救援を求めたり、他業務遂行中の奇跡認定局員の招集に努めたりと、現場の事後処理は煩雑を極めた。
それらの指示を飛ばしたマリア局長は、今だ舞い終えた場に佇むマリア婆さんの元に歩み寄る。
そして跪き、法王にする最上位の礼をとる。婆さんが何か言いかけるより早くマリア局長が礼を述べる。
「マリア修道女様、貴女様のお陰で化物は全て駆逐されました、局員の危機を救って頂いた事、奇跡認定局長として心から感謝いたします」
そう言うとマリア局長は十字を切った。
「貴女が居なかったら、悪霊の被害は法王庁全域に広がっていたでしょう………怖かった………」
震えながら、ボロボロと涙を溢し始める姉マリアさん。
事の最初から視えていた姉マリアさんからしたら、事態の収集はそれこそ奇跡的であったのだ。
対象者を中心に、悪魔の様な大型の化物が数体、中型の化物、小型の化物は合わせてざっと百余体。
当人の顔面中央から噴き出している瘴気が辺りを被い、その瘴気自体が意思有る波の様に蠢き、時に人面に、時に無数の腕となり生者に挑む。
聖遺物をその手にしていなければ、対抗はおろか対峙すら出来なかった。
死者の悪意や憎悪は、生者は本能的に恐怖する、正に身の毛もよだつ拒否反応をする。
その中、奇跡認定局長として、ただそれだけを拠り所とし、局員を叱咤しながら立ち向かったのだ。
視えなければ、不快な憎悪や悪意に反抗しようと立ち向かえるが、なまじ視えるのだから恐怖が先立つ。
恐怖は心を縛り、思考を硬直させる。
唯一の光明は、対象者さり化物を殴り飛ばした自分と同名の老修道女だ。
絶対にこちら側に取り込まねばならない。とは、この場にいないテレジア司祭の言葉であったが、正にその通りで有ると感謝した。
「泣くを止めよ大姐。俺は功練感覚で出来る事をしただけで、大した事では無い。
だが、大姐はその立場から逃げる事無く職務を全うした、それこそ涙を堪えてだ」
大姐のほうが立派で、それが“勇”なのだ。
と締めくくったのだが………薮の中の蛇を叩き出したのは、何を隠そうこのババアであり、化物召還もこのババアが阿呆の足をへし折ろうとしたからである。
野郎自体は水の中の大石みたいなもので、こちらから何ぞ仕掛けなければ、特に害は無いのだ、砲兵連中に特に被害は無いのだから。
それが英雄扱いで締めくくられた訳だから、無理が通れば道理は引っ込むとの格言通りな顛末だ。
ちな、後日この功績により、婆さんは聖騎士に任命される事となる。
奇跡認定局総員の推挙は異例な事であった。
長かった三章もあと三話で完です。