本当は怖いマリア局長4
「まあ落ち着け小僧。考えようによっては俺の功練相手になった方が幸せだぞ」
「どこをどう押せばそんなケッタイな台詞が出る、そもそもなんだそのゴォンリィェンってのは、こっちの言葉で話せ」
「まあトレーニングだ。俺は未習得だった“黒手散打”の功練が出来るし、お前は“虚空黒手”を使える様になるだろう、悪い話ではあるまい」
婆さんの基準は、あくまでも遨家極拳だ。テレーズ、ルイーズ姉妹やローザンヌ組合長は婆さんのお気に入りであるが、彼女達の所属する組織の都合には感心が無い。
テレジアは、婆さんのそんな所を見越して線引きをしたのだから、実は婆さん一番の理解者だ。
それで、一番の非理解者がこの阿呆だ。殺されかけてばかりなのだから、少しは学習しそうな物なんだが。
「馬鹿かババア!そんなもんいるか!つまりババアに殴られるだけの話じゃんかよ」
「言葉を返すが、馬鹿と言う方が馬鹿なのだろうが。何だ、“虚空黒手”に興味は無いか、目視不可の(見えないだけで打感は有るのだから相対者には牽制になる、虚打も同じ)牽制打、実打、虚打を打てるのだぞ、小僧は防御を本能的に使うようだが、どうやった?」
「知るか!あばよ!」
当たり前の事だが阿呆は逃走を図る。ここに居ても碌な事が無い………所か、未来すら無くなる。
「仕方ない、足を折るか」
婆さん鬼畜が過ぎる、逃がす気は無い。浸透経で体を麻痺させ、担いでカストーラまで走る気である。遨家極拳の術理では、連経運動なら疲労はしないのだ。アル程度の体格なら担ぐに問題は無い。
余談だが、だから婆さんは運送屋を始めたのだ、連れ合いの亀太郎が事務方だった。
脱兎の如くと逃走だが、元より婆さんには縮地走が有る、一呼吸程の間も置かず難なく追い付き、身を落として右前払脚。
しかし婆さんの脚払いを何かが防ぐ。
「ヌッ、“黒手防盾”か、やるな」
すかさず婆さん、体を捻り左中脚打をアルの膝関節に放つ、蟹挟みの要領だが、これも不可視の何かが防ぐ。
婆さんそのまま“何か”に発経だ。
カン!
大理石に放った、発砲音みたいな発径音と違い、鉄床を金槌で叩いたような音だ。
した方も、された方も驚く。
「あれっ!消滅ってか?婆さん、今何した?」
蟹挟みで地面に転がされながら呑気な質問だ、今する質問でも有るまいに。
「何とな、通経したら何と無く分かったぞ。“黒手”とは死霊か、消滅間際に俺にも死霊の記憶らしき物が流れてきた。まあ、それはさておき」
防いだ“何か”は消滅したのだ、足を折るに雑作は無い、右の踵でアルの足首を掛けるとアル膝裏を支点に半回転。阿呆は俯せ状海老反り状態に拘束だ。
「手当てはするから許せよ」
このまま足絡み状態で、テコの原理で足首を折っても構わないが、さすがに婆さんではウエイトが足りない。
旦那の亀太郎から教わった捕縛捕縄術は、婆さんの極拳術理とは理が違うので、経絡の出番は無い。
だから婆さん、手っ取り早く発経散打をアルの足首に打とうとする。鬼畜である。
「四号!ジイちゃん!アレクサンダーズ!助けて!」
俯せ海老反り状態の阿呆がわめく。大聖堂の中から突風が押し寄せ、そのまま婆さんを弾く。
「ヌッ」
と一声、空で体勢を整えて着地する。婆さん、小派の空歩は得手だ、空中の体捌きには定評が有った。
そして、自分を弾いた“物達”を見る。
「なんと!これが“黒手”の正体か、まんま化物ではないか、すると老師や花師範も化物を使役していたのか………面白い!」
面白がっている所に何なのだが、使役とはちと違うのだ、アルは別物。
“黒手”とは成分自体は同じだが、個別に意思など無く、それこそ術者の手足に過ぎない。アルのは意思有る化物そのものだ。
「何だババア、見えるのかよ」
「見える様になったな、さっきの通経で死霊の記憶が覗けたからか?
カ呵呵呵呵、何だ小僧、お前周りは化物だらけじゃないか、まるで間抜けな道化の王だな」
姉マリアさんとはまるで感性が違う。姉マリアさんはこのアルのざまを“死者の王”と恐怖したのだが………
「ジイちゃん達を悪く言うなババア!さあアレクサンダーズ、あのキチババアをやっておしまい!」
カブトムシケンタウロスがジイちゃんらしいのだが、バアちゃんも居るンだよ。
「戯け!目視出来るのなら“黒手”など話にならん、ただの乱取相打だ、カ呵呵呵呵!」
婆さんのこの余裕は何処から来るのだろう?
ただ、この勇姿は奇跡認定局の総員に畏敬の念を抱かせる事となる。
対霊装を施した局員は、目視出来るとまでは行かないが、化物の気配は強く感じるのだ、殺意や暴気、害気は肌に刺さる程に強く感じる。
遨家だけでは無く、極拳の、経絡拳の大元は原始中原に普遍的に存在した、シャーマンである巫祝である。
巫祝とは原始原初的な儒であり、儒とは人が雨を而うと書く事から分かる様に、雨乞いシャーマンがその実である。
日照りや洪水、地震や落雷。人身ではどうにもならない天変地異の事象に、許しを乞い願うのは人情だ、これは今昔差程に変わらない。
許しを乞うに、贄を捧げるのもこれまた人情であり、対価は最も価値が有る同種同族である。つまり人柱だ。
贄を捧げる相手である自然現象に、親しみ易い人格、神格を与えられ太古神は生まれた、それは気安く身近な存在で有った。つまりは自然現象への恐怖の裏返しだ。
驚異的であり、恐怖で有るがこそ、身近に親しく接し、恐怖から逃れた。
だから人柱は可哀想な贄では無く、神に親しく接する巫女であり、神の友で有り供え物で有った訳だ。
億万の人々に想われ、恐れられた対象は、想われが故に存在を成し、人が世に有るが為に成立した。
神とは、つまり人為で有るのだ。
自然の驚異を母体とし、億万の人々の恐怖にかられた想いが形作り、捧げられた人命の量が、信仰を産み存在を強固にした。
つまり、人霊である悪霊と人為で有る神とは本質的に同じであり、神に仕える原始儒、巫祝、巫覡は、神に仕えるように悪霊にも接する事が出来るのだ。
時として贄ともなる巫祝は、その立ち位置から、深く神と同調した。
元来、意思や言葉やを持たない自然現象が、人々の凝り固まった想いや命を捧げられ、それを核とし、やがて神としての意識を持つに至り、祭事や祈りにより深く同調した巫祝に超自然原理知識を授けた。
経絡もその一つであり、原始儒者、巫祝はこれを重用した。
経とは運動助力であり、絡とは意思を含めた気の循環である。
大地には地絡が巡り、時に潤い、時に枯れ果て。
地経は大地を震わし、大河を曲げ、時として大陸そのものを移動させる。
それを人体に当てはめたのが人中経絡である。
その深奥は、人中経絡の人絡を大地に奉納し、地経を借用する事に有る。
大陸すら移動させる力量の拝借である。地経の万分、億分の借用ですら、人の身に過ぎた力量である。
そんな膨大な力量の前で、高々人霊の集合体である悪霊など物の数では無い。
だから、経絡の絡奉納の技法の一つである練歩を操るマリア婆さんが、人外の化物ごときに怯む道理が無いのだ。
こんなで極拳術理を極めた、歴代でもトップクラスの師範の一人なのだから。
タン!、婆さん本気の始発発経だ、これから先は連経練歩の本気の闘いとなる。
始発発経ですら、周囲の瘴気は浄化する様に散る。
闘法は同じ、婆さんは体格の不利を補うべく粘身功を修めている、化物相手で勝手が知れない、だから経減衰の有る縮地走は使わない。
比較的緩やかな歩法で、人馬群に割って入る、大物は八匹、小物は目測五十凸凹、湧いて出てくる人面瘴気、無数。
婆さん、一歩毎に連経練歩だ、化物達、本能的に経絡を恐れるのか手出しをしない、つまり、連経中はガードしているのと同じだ。
「遨家絶掌」
ヌルりとした動作だ、体幹重心を一定に保たない歩様でそう見える、見慣れた速度重視の発経打では無い、ケンタウロスの馬胸部?に右掌打を打つ。
カン!
金属音と共に化物の馬胸部が弾け飛び消滅だ、同時に婆さんをガードしている経絡が途切れ瘴気が押し寄せる。
目視不可ならこれで詰みだが、婆さん今は見えるのだ。
タン!と始発発経を踏み直し、ヌルりとした足取りで連経だ。
マリア局長一同は、意識不明の局員を対霊装を施し、聖水を撒いて簡易結界とする。
「マリアさん一人に任せる訳には行かない、局員、燭台を手に火を灯せ、陰風に消させるな、私に続け!」
マリア局長の手には“マグダルのルッカ福音書”が有る、聖人と呼ばれた者が生涯祝福した“呪物”であり、ここ法王庁市国に於いては、最大限の神聖性を発揮する。
マリア局長を先頭に、聖火を灯した局員が、聖歌を口ずさむ。
本職の聖歌隊程では無いが、彼等とて心得は有る、次第に音声が揃い、気力が満ちる。
瘴気は押し返した。
形は違うが、先ほどの婆さんの叱咤と同じだ。気脈、この場合は気力、気合いを音声に載せたのだ。
気を載せた歌は、魂すら揺さぶる。理屈はそれだ。
婆さん、聖歌のバックミュージックをつけて化物と交戦する。
絶好調だ。