本当は怖いマリア局長1
様々な碌でもない思惑や、勘違い、打算が渦巻く奇跡認定局局長執務室に緊急連絡だ。
余程緊急連絡なのだろう、異端審問三課員のドモン司祭自らが注進だ。
「局長殿、緊急事態だ、取り敢えず高貴信者控え室に廻した、大聖堂はヨードル局長から………」
「落ちつけ、ドモン。筋道を立てて説明せんか、お前は昔っから泡っ食いでいけない」
「劉さん、それが事態は一刻を争う。大聖堂の使用許可は明日からなんだが、対象者が今日来てしまった。明日面談と伝えて有ったんだが」
「何だそれは、ならば明日来させれば良いではないのか?」
「うーん、マリア局長、劉さんにはどの程度今回の件を開示して有るのです?」
ドモンの緊急連絡は主語が抜けていて、部外者にはさっぱりだ。だが、関係者には通じる。
マリア婆さんは、ドモン目線では部外者に等しい。だから姉マリアさんに聞いたのだ。
「粗方の事は伝えて有りますよ。それにテレジアさんの補佐になるので、今回の“聖騎士教育”の関係者の一員です。
それより、今日来てしまったのですか、本当に乱雑な人みたいですね。
普通、教会が日時を指定したのなら、厳守するものですがね」
バロト家出身の姉マリアさんは、信仰心、と言うより、教会への忠誠心が強い。
だから教会に敬意を持っていないアルの報告を、聞けば聞くほどにその人物を嫌いになっていた。
だから、今回“聖騎士教育”と云う洗脳作業に、何の痛痒も感じなかった。
むしろ全うな布教活動として捉えている。だから容赦する気が無い。
怖いねぇ。
「何でも、連れが奉献会に通院するついでだそうだ。どうしますマリア局長、このまま強行しますか?日を改めると次は何時になるか分からない。ありゃ真性の馬鹿だ」
どうやらアルの初期対応を、ドモン司祭がした様だ。
「あ~あ、ドモン司祭、ハッキリ言っちゃった。粗暴で低能、ただ、特異異能を有する教会に特に信仰心を傾けない変人。
考え様によっては洗脳しがいのある信者ですね。
局長、実行を進言します。先に伸ばして良い事なんて有りません、戸籍云々は受理したのだから、不信心から次に来るのが何時になる事やら」
建前上枢機卿が保証人となる保証書持参なのだから、申請窓口である地教会から法王庁の教育庁信者戸籍課に廻した形になっている。
なので戸籍云々は受理済みなのだ。ただ、新戸籍本籍地が法王庁内となる。
ややこしいが、出家では無いので市国籍では無くアルニン国籍だ。
本来ならば、それで終わりなので、アル自体が人物審査などを受ける理由は無いのだ。
だが、それは呼び出しの建前で、教会取り込みが前提の出頭命令なのだから、教会のシステム不案内アルにしたら、何だか分からないけど、呼ばれたから来ました。以外に理由は無い。
アルニン国籍皆信者(またまたややこしいが、歴史的に戸籍管理、信者管理は法王庁が行っている。アルニン政府が直接戸籍管理をするのは、まだ先の時代となる)なのだから、教会の要請に意味も無く反発する程には、アルは教会に感心は無い。
逆もまた然りで、信心薄く感心が無いのだから、面倒を押してまで足繁く教会に通う気も無い。
今日はダッドが治療理由で休養したのでその付き添いだ、面談出頭はついでである。
ちな、本来ならば翌日が出頭日時である事など忘却の彼方である。
「さて、短時間で深層洗脳は無理でしょうから、取り敢えず此方に足繁く通う程度には親教会になる暗示をかけましょうか、
ドモン司祭は驚愕洗脳法を選択しましたが、大聖堂の急遽の使用許可は下りないでしょう、ならば………」
「ああ、局長、“マグダルのルッカ福音書”を使用しますか。ならば沈迷薬の香タイプがよろしいでしょう」
「マリア局長、よろしいので?深い酩酊状態になるぞ、動けなくなっては始末に困るのでは?」
「幸い連れが居るそうだから、帰りは辻馬車でも呼んで貰いましょ。
と言うか、その連れも出来る限りの足止めしなくては」
補足だが、マグダルのルッカ福音書とは聖遺物の一つで聖遺物序列12位の高序列聖遺物である。
福音書とは預言者の言行録であり、ルッカの福音書の他にも3文書有る。
マグダルのルッカ福音書とは、性別不詳の聖人マグダルの所有していた福音書で、いつの頃からか、奇跡認定局に保管されていた。
この聖遺物は比較的新しく、文言は旧アルニン語で記されており、公用語が読める者ならば誰でも読めるのだが、聖遺物認定されるだけあり奇妙な奇跡が付随する。
読み聞かせると心が安らかになり、入眠の5秒前位の半睡眠状態に陥るのだ。不思議な事に、音読を止めると即座に覚醒する。
似たような体験は、学校教育を受けた人ならば経験した事が有ると思う。
昼食を消化中の、午後の古文の授業中になんかに起こりやすい。アレも不思議な事に終業チャイムで眠気が霧散するねぇ。
そこに審問三課調合の沈迷薬、薫香タイプで一気に譫妄酩酊状態にし、今回は深層暗示をかけるのだ。教会に友好的になるように、足繁く通う様に。
つまり薬物を使用した深層催眠術だ。聖遺物は福音書なので、使用に違和感を感じさせず、ごく自然に偽入眠状態にさせるので、この手の洗脳に誂え向きだ。
「薫香タイプならば、狭い方が良いでしょう。今教育庁の高貴信者控え室に待機中なのだから、小聖堂が近いですね」
「いや、マリア局長。薬剤手配が有る、こちら(特務庁舎)に近い方が良い」
「ならばいっそ、ここの一階の大会議室に誘導しますか?
審神者審問でも、異能審問でも無くなったので、厳密には異端審問三課預かりの洗脳教育ですし」
そこに異端審問局長のヨードルからの緊急連絡だ、大聖堂の使用許可が取れたらしい。
マカロフの名を出しての要請だ、教育庁施設設備管理局が逆らう意味も無い。
「大聖堂が使えるなら常法の聖水(沈迷薬物入り)服用からの聖歌導眠ですかね」
「いや、テレジアさん折角だから“マグダルのルッカ福音書”を使いましょう、聖歌隊の動員が多分間に合わないし、先代のアンナ様ほど、私は“教育”の場数を踏んでいないから成功するか分からない」
姉マリアさんも、流石に他部局のドモンの前で叔母様とは呼ばない。アンナと組んで幾人も“洗脳教育”をしてきたドモンは、聖女抜きにアンナの崇拝者だ。
「では沈酩香では無く、沈酩薬物入りの聖水使用と云う事で。
入眠導入は“マグダルのルッカ福音書”使用の変則教育という事ですね」
「あと、動員できる局員は大聖堂へ、折角使用出来るのだから目一杯威圧しなければ」
テキパキと段取りが済む、この辺りは流石に奇跡認定局と異端審問三課の合同“教育”だ。
「大姐、わたしは何をしたら良い。テレジアの補佐をすれば良いのか」
「いえ、姐さんは局長の付き人を兼ねた護衛を、アルフォンソなる蛮人は粗暴で殺人も辞さない半狂人。姐さんが護衛するなら安心できます」
アルフォンソとはアルの洗礼名だ。と、言うかアルフォンソから俗名のアルが決まった。こんなのは割りと多い。アルニン人は名付けに貪着が無い。
六男を意味するセクスティウスを、長男次男に普通に付けたりする。意味より響きとノリ重視だ。
「わかった。ただ、極端に凶暴な奴ならばどの程度やって良い、殺しては不味いのだろ」
不味いに決まっている、ここを何処だと思っている、しかし………
「無手なのは入国時に確認済みだけど、異能がハッキリしないから……出来たら拘束で済ましたいけど、劉さんの手に余るならば………」
「マリアさん、許可します。相手はあっさり殺人手段を選ぶ様な半狂人。局員に危害が及ぶ様な行為に出るのでしたら、マリアさんの判断に委せます」
つまり殺害もやむを得ないとのお墨付きだ。
盛り上がって来た所にナンなのだが、先ほどからジャンヌさんが居ないのは、司祭位取得のために、法親代理の元で修行中だからである。
助祭位では、奇跡認定局局長就任するに徳行位階不足である。法親の元で要修行であるが………、
ジャンヌさんの法親はサンドロ枢機卿だが、流石にサンドロの元で修行は出来ない、枢機卿は多忙に尽きる。
なのでサンドロ法子の中で、高位者の元での出張勤行中だ。
予定では、明日がアルの出頭日時なのだからジャンヌさんの落度とは言えず仕方ない。
なにを言いたいかと言えば、聖遺物保管庫の鍵、奇跡認定審問官証をジャンヌさんが外部持ち出し中だと言いたいのだ。
だが、心配は御無用。聖遺物保管庫の鍵は、もう数世紀も前に鍵部分を複製されて保管庫の開閉に使用されていた。
大体、奇跡認定審問官証と保管庫の鍵を一緒くたにしている事がイカンのだ。
だからアレは数世紀もの間、聖遺物保管庫の中で真の持ち主を待つべく埃をかぶっていたのだが、アンナさんが何かの弾みで聖遺物目録を引っ張り出し、目敏く見つけ出したのが発端だ。
もし、アンナさんの興味が他の聖遺物に向いていたら、その後にジャッジメントによる奇跡認定審問官選別は無かっただろうし、姉マリアさんやジャンヌさんが奇跡認定局局長就任は無かったかも知れない。
本当にやりたい放題の聖女様である。