姉マリアさんとマリア婆さん4
誰かが警邏に通報をした。まあ、当然と言えば当然だ、ヤクザ者が徒党を組んで乱闘をしているのだから。
厳密には乱闘ではなく、一対多数の乱闘とは呼べない一方的な戦闘なのだが、野次馬の正義感からしたらどうでも良い。
警邏の小班が甲高い笛を鳴らして接近だ。
婆さん、シレッと姉貴分となった灰マリアさんの所に戻り撤収を促す。
「大姐、警邏が面倒だ、このままフケよう。軍人の兄さん、大姐の護衛忝ない」
大姐の単語に二人は反応する。
「何?その大姐ってマリアさん?」
「大姐?チンナ……淸国の言葉?マリアさんと言いましたね、貴女は淸国の人ですか」
「そうだ。それから大姐とは姉に対する尊称だ、これからそう呼ぶぞ。
それより逃げるぞ大姐、兄さん、謝礼はそこの喫茶店に預けておく、俺の名を出せば通じる様にしておく」
「貴女もマリアさんですね?」
「劉と言えば通る様にしておく、ほら大姐逃げるぞ」
「それじゃお兄さん、世話になりました、お話楽しかったですよ、そうだ」
灰マリアさん……は馴染めないので、やはり姉マリアさんに戻す事にしまする。
姉マリアさんはそう言うと、“肥料”の小包みをレオンに渡した。
「高級コーヒー豆です、よろしければどうぞ」
と、“肥料”を渡して婆さんと仲良く逐電だ。
婆さんは然ることながら、姉マリアさんも拳闘トレーニングの賜物で健脚だ。
嵐の様な出来事に、僅かに放心したレオンだが、いつの間にかアイランズと雑貨屋店主とはぐれている事に気づく。
件の喫茶店とは目の前の店と見当がついたが、まさか営業を続けるとも思えない。
連れとはぐれてしまった事でもあり、そのままレオンは兵舎に戻る事にした。
本人に全く自覚が無い事では有るが、実は、以前婆さんに簀巻きにされた時に次ぐ生命の危機だった。
婆さんの時は秘技を見られた口封じの為に、今回は拉致が不可能ならば暗殺方向に、といった具合に。
軍務で敵撃破のほうが、まだ安全だったのだから、この男も業が深い。
まんまと逃げるおおせた二人はシレッと法王庁市国に入国だ。
「しかしマリアさんは強いですね、驚きました、外国、チンナでしたっけ、チンナの武術ですか?」
「そうだ。これでも師範位だった、後、亀から捕縛術を教わっている、こちらは日乃、葦原国、こちらの呼びかたでジバングの捕縄技だ」
「何でまたチンナからロマヌスへ?武術師範なら生活に困らなかったでしょうに?」
「それが困った。暗黒街で暴れ過ぎて指名手配だ、小馨師の故事に習いロマヌスまで逃げて来た、まあ、半分は好奇心だ」
「シャオシンシィ?の故事?」
「遨家極拳中興三大師の一人だ、若い頃にロマヌスに訪れたと云う、こちらの知識を元に暗打を編み出した、秘奥義もな。
更に小馨師の後を継がれた、翠馨師に“虚空黒手”の原型を伝えたと云う」
「何か凄い人ですね、マリアさんとでは、どちらが強いのです?」
少しマリア婆さんは呆れて言う。
「200年程昔の大師だ、俺が比べるられる事すら烏滸がましい。極拳の、いや、中原派生拳術史上の頂に在られるお方だ、伝説も多い」
「そんな凄い人なんですか、マリアさんも異常な程に強いのですよ」
「今代の遨老師や花師範にすら、俺は遠く及ばない、お二方は翠派の“虚空黒手”を使うのだ、俺は適正が無かったからな」
今は花師兄が遨家を継がれたかな。と婆さんは締めくくった。
身分証を提示して小門を潜る、私用は終わりだ、ジャンヌさんは異端審問との掛け持ちなので特務庁舎の一階に(ルッツァ地教会からだと不便なので中央に移っている。姉マリアさんが局長私室に居座っているので、優雅に客室暮らしだ)席が有るが、婆さんは奇跡認定局一本なので仲良く三階だ。
僧衣に着替え、執務室に入室すると局長補佐のテレジアさんが伝達報告だ。マリア婆さんの現役職は局長補佐見習いで、テレジアさんの下に入る。
「マリア様、異端審問三課から要請が入りました、ドモン司祭が現場で最終打ち合わせを行いたいとの連絡です」
「すると日時が決まったのですね、大聖堂の使用許可はどうなりました」
「対象者の乱雑さ加減を加味し、明日から4日の使用許可が出ました。だから局長、明日から大聖堂の方に詰めて頂きます」
「すると俺もか、テレジア司祭、大聖堂には詰所は有るのですか?」
「何か姐さんに畏まられるのは、恐ろしく思えます。他に目が無ければ従来通りで頼みます、姐さんは薬学の師匠でも有りますのでねぇ」
テレジアさんは、実は異端審問三課員でも有る。三課廃止により奇跡認定局への移動となったが、三課廃止は表向きだ。
またその実績を活かし、奉献会でアロマテラピー療養をしている。
アロマの種類には東方産の薬草も混ざる。
マリア婆さんが、ゴッドマザーだった頃に、ドモン司祭共々漢方薬指南をしていたのだ。
年が近い事も有り、当時マリア婆さんも妹分として可愛がっていたのだが、何せあれから40数年も経っている。
婆さん自体が70に近い高齢だ、テレジアさんも60を越している。
ただ、マリア婆さんは元よりの極拳術理の内絡効果で若々しい。気力の充実からか、近頃特に若返っている。
一見するとテレジアさんが年上に見えるので、妙な案配だ。
「そうは言うが、ここの仕事の仕切りを教わっている、けじめはつけるべきだ」
「と、言うより、劉姐さんは本気で出家した訳では無いでしょうに、極拳こそが宗とする教えと聞きました。ならば厳密には姐さんは異教徒のままなので、教会内の序列に拘る事も有りませんよ」
「分かった分かった。ならば食客として腕貸しするとしよう。お前は昔と本当に変わらんな」
「姐さんは、少し変わりましたか。世帯を持つと変わる物なのですねぇ、旦那さんは如何されました」
「死んだ。俺が看取った、と言うか俺が殺した」
姉マリアさんは仰天だが、テレジアさんはさもありなんと頷く。
「マリアさん、殺したって、何でまたそんな物騒な」
「元からそんな間柄だ、亀の奴は俺を捕らえに清那(淸国)から追ってきた捕方役人でな、すったもんだした挙げ句世帯を持つに至ったが、清那の皇帝崩御の報を聞き、公人に目覚めた様だ。
結果、武人として立ち会い、亀は死んで俺は生き残った。よくある話だ」
いや、全然無い話だ、何処の修羅の国の話をしている。修羅が話を続ける。
「祖国に送還されれば、俺は斬首だ。倅もまだ幼かったし、やむを得ん。ただな………」
「ただ、何ですか?と、言うか斬首って……何をやったのです」
「簡単に言えば、生きたい様に生きた、結果大勢殺した。だから斬首は妥当な刑罰だな。俺も若かったなぁ」
「“若かったなぁ”じゃ、ね。………いや、まあ良いでしょう。それで息子さんがどうかしたのです?」
「亀を殺す所を見られた。だからだろう、長じるにつれて、俺を殺す事ばかりを考える様になった。
戯けが、そもそも俺の指名手配の切っ掛けも、馬鹿を毒殺し損じ………あ!」
倅(剛史)の肩を持つならば、婆さんの超スパルタ教育による人格形成の歪みにこそ問題が有るのだが、婆さんは都合良く亀太郎殺害目撃が原因と見ていた。
現にⅡの方には懐いていたのだ。
まあ、そんな事より。
「なんですよ姐さん、いきなり大声で」
「それで思い出した!大姐よ、さっきの軍人の兄さんだ、どうにも引っ掛かりが有ったのだが、あれはパルト家の子息ではないか、何で首都に?」
話がとっ散らかり過ぎで理解が追い付かない。
指名手配だの、毒殺だの、いちいち話が物騒だし、それが何でパルト家に繋がるのか。
テレジアさんにしたら、姉貴分のマリア婆さんの出鱈目さは理解していたが、流石にこれでは分からない。
姉マリアさんは、パルト家子息の軍人の兄さんと言う言葉に反応する。
偶然かも知れないが、見合い相手と矢鱈に被る、と、言うか本人そのものならば偉い場面に出くわしてしまっている。
“表裏比興の灰のマリア”と大見得だ、流石に恥ずい。黒過ぎる。穴が有ったらダイブしたいくらいだ。
婆さんから事情聴取する必要が生じた。