姉マリアさんとマリア婆さん3
「問われず名乗るは烏滸がましいが、問われて名乗らぬは道義に反す!」
姉マリアさんが、何か語り始める。この娘(当年26)は相当お調子者だ。
「産まれは当地ロマヌスで、何の因果か得度をし、皆が崇める聖域の、奇跡の庭の華一輪!」
呆気にとられた黒蛇会一党が、いや、周囲の人混みが思わず聞き入る。
「人呼んで、知略百計、鬼謀千出、浅慮万端、表裏比興の“灰のマリア”たぁ、あ!あ・た・しの事だぁ!!!」
ダン!と芝居ならば足音を踏み鳴らす所だが、石畳にそれは無い。
それから姉マリアさんはそんな異名で呼ばれた事など無い。名乗った事も無い。
つまりこの場の即興だ、ついでに言うなら意味も無い、お調子者に変なスイッチが入り調子に乗った結果だ。
舞台芝居の類いなら拍手喝采の場面だが、と、言うかこの手の芝居啖呵は、こちらの文化圏外の演出で、アルニン人には何だかよく分からない。
何でそんな妙な事を姉マリアさんが知っているのか……は“レイシャ”の囁きが有るからとしても、当人が自分の言った言葉の内容を、理解しているかどうかは不明である。
ただ、一人の初老婆には通じた。
「カ呵呵呵呵!呵呵呵呵呵、面白い!本当に司祭殿は面白い!実に愉快!実に痛快!気に入った、マリア司祭殿よ実に気に入った。
司祭殿とは相性も良い、よし、兄弟になろう、嫌だと言っても勝手に姉と俺は呼ぶぞ」
お調子者がそれに応じる。
「否はないぞ妹(推定年齢68)よ、其方の言葉に異論無し、天主様も御照覧在れ」
今度は婆さんがそれに応える。
「ならば誓うぞ司祭殿、天神地神よ照覧在れ、我等兄弟産まれし時は違えども、死したる時は同年同日同刻をば請い願わん」
姉マリアさんが続ける。ノリノリだ。
「桃園結義の故事に習うは一人足りぬが、菅仲、咆淑の交わりや、刎頚誓いの相如、簾頗の義の如く、ここに義兄弟の誓いを成さんとす、天主様、ここに居合わせし人々よ、我等の誓いを見届けたまえ!」
ここで姉マリアさんは大仰に十字を切り、婆さんは両手を重ねる差手立礼で、姉マリアさんを拝した。
妙な案配だが、ここに最悪な義兄弟が誕生した、呆気にとられていた衆人も、次第に引き込まれ、拍手喝采だ。
姉マリアさんの語ったチンナの故事は分からないが、義兄弟の誓いに関する来歴と理解出来たのだ。
ケッタイな誓いに、黒蛇会の上げた気勢はたじろいだ、なにやら端から主導権を取られてばかりで、更に言うなら勝手が違う。
レオンサイドもそれは同様だ、何やら展開が想定外で読めない。
レオン襲撃に対する備えが無駄に……いや、無駄では済まされない、こちらの手の内を他諜報組織に見られている、近日中に連合王国の諜報機関で有ると割れる筈だ。
即刻、件の雑貨屋を引き払う必要が生じてしまった。即刻退去しなければアルニン警邏庁国家安全委員会に踏み込まれてしまう。
ならば、このどさくさ紛れに“中尉”を拉致し、本国に送還しなければ、拠点撤退に見合うだけの益が無い。
顔繋ぎ、厚誼友好を図るつもりの機会が、妙な外野の芝居で台無しとなった。
アイランズが、手下にその指図を出す正にその瞬間に、またもや婆さんが邪魔をする。いつの間にか姉マリアさんを引き連れてレオン一団に対面だ。
「済まぬが暫し姉を預かってくれぬか、ざっと見回した所、ここが一番手練れが居る、休暇中の軍人なのだろ?、姉は物持ちだ、謝礼はしよう」
「え?あ、いや」いきなり話を振られて、レオンはしどろもどろだ。
目の前の初老シスターとパルト市街の運送屋の同一性を疑っていたが、こうして話すと、別人だと感じた、雰囲気がまるで違う。
「しゃんと返事をせい、軍人云々は兎も角、妙齢の子女(当年26)を暴漢から守るのは男の努めだろうが」
ここら辺は実戦経験者、現状認識からの頭の切り替えは早い。
「その通り、灰のマリアさんですか、こちらに、アイランズさん、店主さん、それからそこの貴方と貴方、こちらのご婦人の護衛を手伝って下さい」
こんなでレオンは戦闘指揮官だ、テキパキと指図をする。
拱手で婆さんは礼をすると、一際甲高い足音を立て、チンピラの群れに突っ込んだ。
「ちょ!ちょっとマリアさん!ズラかるんじゃ!」
これは姉マリアさん、今更ながら、本当に紛らわしい。
「いや姉さん、天晴れな啖呵に口上だ、チンピラ供は寄せ付けないから安心な」
そこらから徴収した男手だ、腕っぷしは強そうだ。
「ああ、格好良かった、お嬢さん、役者さんかい」
これも徴収した男手その2。
その他にもやんやと男手が集まる、また姉マリアさんが調子に乗る。
「まだ無名の女優なの、たまたま似た台詞廻しを昔にやったから、悪乗りしたのよ。
売り込み中よ、顔を覚えてくれたかしら」
「あのシスターは?」
アレは私のボディーガード。と姉マリアさん改め、灰のマリアさんが超適当にレオンをあしらった。
と、まあこちらは呑気な……ばかりでも無い、どさマギにレオン拉致の機会が外れた。
周囲の注目が灰のマリアに集まり過ぎ、また律儀にそれをガードするレオンに麻酔薬を嗅がせる事は不可能だ。
方針が二転三転した結果、アイランズは撤退指示を出す、レオンの拉致や殺害など現状では不可能だ。
元々レオンとは、客と雑貨店関係者であると云う関わり薄い間柄だ、雑踏に紛れはぐれても、こちらを探す事も無いだろう。
そう踏んでの撤退だ、今なら他諜報組織の目はレオンと灰マリアに釘付けだ。
連合王国諜報部員は混雑に紛れて、バラバラに撤退した。
結果、早期レオン接触調略は頓挫する。こんな展開は、流石に読めないから仕方ない。
キチは刃物を持たなくても充分怖い。
低い、元々小柄の婆さんだが、その体勢は子供の目線ほどの高さだ、身を屈めたのではなく、極端な前傾姿勢だ、ただ、その速度は脅威的であり、婆さんはそのままチンピラ郡に突っ込んだ。
極端な前傾姿勢のまま、婆さんはチンピラその一の下腹部(丹田)に頭突きだ。
墨家瞬歩頭突。婆さんの呟きだ、そのまま跳躍し、チンピラそのニの頭頂に打ち下ろしの掌打。
ピンと、馬鹿みたいに硬直するチンピラそのニ。発経が、脊髄を抜けたのだ。
掌打を拿に変え頭髪を鷲掴み、アクロバッティックに体勢を側転させ、チンピラその三に、しなやかな足蹴りだ。
小派、空歩鞭脚。チンピラ三の耳を掠めて鎖骨に打ち下ろしだ。
そのまま体ごと落下し、再び超低体勢で左前払脚。
そのニ、その三がまとめてスッ転ぶ。
タン!甲高い足音と共に、その四に疾駆する、低位置からの突きが四の鳩尾に入る、くたりと崩れるその四。
遨家疾駆長打。これはお馴染みの技。
タン!甲高い足音はその都度だ、連経はしていない、練歩もだ。
発経は移動のために発している、手加減も然ることながら、これだけの人数の前で、連経歩様や、奥義の練歩を繰り出す程、婆さんは迂闊では無い。
三歩程の間合いを、縮地走、墨家瞬歩で詰め、速度を拳に載せた“素拳”のみでの攻勢だ。
だから喫茶店内での、質量無視の魔法の打撃には見えず、術理は理解出来る。
群衆は矢鱈と素早い婆さんが、次々とヤクザ者をブチのめしている風にしか見えない。甲高い足音を気に留める者は、………レオンしか居ない
目撃者は語ると云う奴か。
「灰のマリアさん、あのシスターはボディーガードとの事ですが、私にはあの動きに見覚えが有る、ナザレ州のパルト市街からあのシスターは来たのでは?」
妙な質問に灰のマリアさんがマジマジとレオンを見やる。
軍人だ、身のこなしから分かる。灰マリアさんは軍人に詳しい。いや、兵制とか兵科とかではなく、体格にだ。
キッツイ軍事訓練により、贅肉が無いのは勿論、筋肉の質が細い、と言うか絞まっている。
サンドロの様なビルダー筋肉は太いだけなのだが、実戦的筋肉は、肉の部分が細く密度が有り筋が張るのだ。
「軍人さん、マリアさんを知っているんですか?私も詳しくはマリアさんの事は知らないんですよ。
確かに、闘法がここいらの物じゃ無いですね、最初の打撃なんか、人間業じゃ有りませんでしたし。
軍人さん動きに見覚えが有るとの事ですが、何処の格闘技なのか分かりますか?」
若い男性との会話は久しぶりの灰マリアさんだ。
何やら“レイシャ”が囁いているが、後回しだ。レオンは別段超絶イケメンでは無いが、不細工とは程遠い。
こんなで良家の男子だ、遺伝上の確率からしても、不細工はまず産まれない。数世紀もの間、不細工遺伝子は混入していないからだが、これは古い名家なら大概そうだ。
斯く云う灰マリアさん事、テレーズ.バロトさんも同様だ。
だから灰マリアさんはあまり美男、二枚目、イケメンの類いは興味が無い、一族が皆そんなだから珍しくも無いのだ、
ついでに言うなら、バロト家の面々は、それは大層アレな人格者が多いので、幼少時の刷り込みから、美男美女=変人との認識なのだ。
悪い事に、叔母のローザンヌさんや、妹のルイーズさんもそうなので、(客観的にはテレーズさんがチャンピオンなのだが)奇人変人に辟易している身としては、イケメンの類いは敬遠なのだ。
なので、半端イケメンのレオンが珍しく、と、言うか、この人は変人じゃ無いのかな?などと云う、失礼、とも、発想が変、とも、あんたが言うな、とも、方々から突っ込みが入る、実に奇妙な好奇心が沸いたのだ。
勿論、もとよりの軍人体躯好きと云う、珍妙な嗜好が有っての事で、こんな修羅場で呑気にレオンと会話を楽しんだ。
そうこうしている間に、マリア婆さんがチンピラ集団を片付けた。
ヤクザの若頭は、もう一発同じ位置に猛ビンタを喰らい、完全に顎が折れ失神した。