姉マリアさんとマリア婆さん2
返す刀で、婆さん近くで呆然としているチンピラその一に、遠慮無く掌打をくれる。
顎の先を撫でる様に当てる、くたり、と、だらしなくチンピラは崩れ落ちる。
嘗掌顎触打、これは中位武技。婆さんの一人言だが技名を説明してくれるのは親切だ。
もう一人のチンピラはトーゴを追って店を出た。
「司祭殿、取引相手ならばこんなチンピラでは駄目だ。マイケル坊を紹介するから、この場は任せてくれ」
「マリアさん、貴女は一体?」
拳闘を習得している姉マリアさんにしたら、目の前で起きた質量無視の打撃が信じられない、魔法を目撃したに等しい。
短気な人物と理解してはいたが、これ程隔絶した武力を有しているとは思わなかった。
「遨家極拳だ司祭殿。これでも捨気して加減をしたのだ」
噴、とは気合いでも吐気でもなく、循環気脈を散らす捨気行為で有った、そうでもしないと、武術素人のチンピラなど肉塊になってしまう。
………つまり、アルの時は本気で殺すつもりで有った訳だ、桑原クワバラ。
ツカツカと店を後にして、道の真ん中で伸びているトーゴに、兄貴、兄貴と呼び掛けているチンピラの頭髪を鷲掴みだ。
「小僧、さっさとその弱小組織とやらを連れてこい、俺がナシをつけてやる………」
婆さん、ノリノリで恫喝を始める、故国では“烈火武后”だの“必没女帝”だの矢鱈と物騒な二つ名持ちの凶悪犯だ。
周囲が遠巻きにこちらを監視する様も、久しく無い状況だ。婆さん、それに気を良くする辺り救い様が無い。
手持ち無沙汰だ、時間潰しにトーゴを嬲りに……いや、情報を集める事にした。
みぞおちに入る様、脇腹から蹴りを入れ、内臓が破裂しない様に上手に加減する。婆さん、拷問術にも堪能なのだ。
気を取り戻しがつらゲロゲロと戻すトーゴ、何が起きたのか理解出来ない。
体が痺れる様に鈍く、起き上がる事が出来ない。
「おい、チンピラ、お前ん所の仲間を呼びにいかせたが、何人来る」
テメェ……と喚く間もなく再びみぞおちに蹴りだ、もう吐く物も無い、ただ、横隔膜に衝撃が走り呼吸が出来ない。
「何人来る」
幾らなんでも、この小柄な初老シスターがただ者ではないとトーゴは悟る、噂に聞く異端審問局が頭によぎる。
「あ、あんた、まさか噂の………」
「何人来る」
三度目のみぞおち蹴りだ、トーゴは息を吸うも吐くも出来ない、死に直結する恐怖が支配する。
撲る蹴るは、商売柄するもされるも慣れているが、呼吸不全にされた事は無い。
これは想像以上に恐ろしい事だ。
無意識下でしている事が、意識しても出来ないのだ。金魚みたいに口をパクつかせるが、呼吸が出来ない、吸えない、吐けない。
「何人来る」
四度目の問に、トーゴは失禁する、そしてボッキリと心の梁が折れた。
所属組織の名前から所在地、構成員人数、予想動員数、それら面子の名前、特長、など洗いざらい吐きまくった。
それから婆さんが常に携行している縛縄で、手足を拘束されてゆくが、全く抵抗をしなかった。
それくらいに心が折れ挫けた。
群衆に紛れてその有り様を見ていたレオンは、奇妙な既視感と共に件の暴力老シスターを凝視する。
記憶に有るパルト市街の運送屋の老婆に似ている気がした、気がしたと云うのは、先ずこんな所に居る訳が無いという先入観と、修道服姿である事と、あと、記憶より若く見えたからだ。
とは言え、あんな大男をテキパキと拘束してゆく捕縄術の鮮やかさに、同一性を感じた。
経験者は語ると云う奴だ。
レオン本人は呑気な物だが、その周囲は警戒態勢だ、ランドやアイランズはレオンの直近を警護し、更にその周囲を連合諜報員が囲む。
見るものが見ればメンバーが割れたも同然だ。レオン周囲の動きは、その他の諜報機関に注視される。
婆さんがトーゴの拘束を終え、何やら一方的に詰問をしていると、人混みを掻き分けて押し入る者が居る、一人二人では無い。
婆さんトーゴを中心に、ぽっかり空いた空間に連中は割り込んだ、言わずと知れた地元ヤクザ、“黒蛇会”の面子だ。
黒蛇会、ギリ厨二ネームでは無いだろう。
「なんだこりゃ、トーゴが殺られたって聞いたがよ、簀巻きにされてんじゃ死んでねぇだろ」
いかにもなヤクザ者が独り言ちる。
そいつ目指してツカツカと婆さんが歩み寄る、なんだぁ?との呟きも虚しく、張り倒される。
ビンタで地を舐めた事は初めての事だろう。
なっ!と黒蛇会の面々は呆気にとられる、と、言うか、婆さんが先手先手と動き過ぎる。
ビンタを喰らったのがチンピラの頭(若頭相当)だと、トーゴから聞いた特長から分かっていた、だからビンタで機先を制した。
今更ながら、修道服姿の初老婆だ、無双をするに目立ちすぎる。
ヤクザ者が衆人観衆の前で、初老婆さんにビンタされたからと、逆上しては男が廃り過ぎる、だから滅多に動けない。
逆に派手に婆さんがヤクザ者を吹き飛ばしたら、コイツらは蜘蛛の子散らす様に逃げるだろう、それでは詰まらない。
だからビンタだ、まあ、こんな威力のビンタなどこの婆ァにしか出来ないだろうが。
「この大馬鹿者が!貴様は下の躾も出来んのか!このウツケ者の戯けが!」
ビンタされた若頭のヤクザは、ベッと奥歯を吐き出す。ビンタで折れたのだ。
「いや、尼さんよ、いきなり奥歯折る事ァねぇだろが、何者だよ、歯ァ折れた事より、首が痛ぇや」
コキリと首を鳴らすのは、余裕を見せるハッタリだ、実際は顎にヒビが入る大怪我だ。
「見ての通りのシスターだ、そこの馬鹿が連れに絡んだ。聞けば木っ端組織の末端勢力のチンピラだと言う。
この落とし前はどう付ける、鈍器を投げつけられて、連れが怪我をする所だった」
投げつけられたのは婆さんで、カウンターでシロップ差しを目にぶつけたのだから、被害者面は図々しい。
「木っ端組織の末端勢力たぁご挨拶だが、ウチのトーゴが手出ししたのか?」
喋るのも辛い激痛だが、まさかシスターにビンタされて、痛くて話せないとは言えない。
顔色悪くも虚勢を張る辺り、若い者の頭だけの事は有る。
木偶に直接聞け!と婆さんトーゴに顎をしゃくる。
「おい、おい、トーゴさんよ、お前何してんの。ツッ、堅気さんに怪我をさせたら、ウチが挙げられんだぜ、ましてや教会さんに手出しして、馬鹿なのか?ッテェ」
泣きがいちいち入るので、いまいち締まらない。
「済まねぇ…頭……こんな…筈じゃ……」
息も絶え絶えだ、上手く呼吸が出来ないからだ、痺れも有る。
「何だよ、テメェ喘息かよ、あ~あションベンなんぞ漏らしやがって、イテテッ畜生が、お前、堅気になっちゃえや」
口では強気だが、分が悪い事がわかった。だからさっさとナシを着けて医者に行きたい。
そもそもトーゴが殺られたと聞いたから出張ってきたのだ、派手にやられてションベンも垂れ流してはいるが生きている。
「なあ、尼さんよ、何でトーゴがこんなになってんだ、ツツッ、何か顎まで痛え、尼さんがやったのか」
ならば、痛み分けで手打ちにしようと企んだのだが、婆さんは哄笑だ。
「カカカカ呵呵呵呵、何だお前、その顔は、人面茄子みたいな顔になってるぞ、ハハハ哈哈、カ呵呵呵呵、お前、馬鹿みたいだぞ、あまり笑かすな、呵呵呵呵呵」
人面茄子とは言い得て妙だ、何せ奥歯が折れて、顎にヒビが入っている、表面は赤黒く内出血し、また顔面の内出血は阿呆程腫れるのだ。
末生り茄子に、目鼻を書き込んだらこんな感じ感じかと、聴衆も吹き出す。
流石に若頭のヤクザも顔色が変わる、いや、変わったのだろう、顔面の変化なぞ内出血で判別がつかない。
若頭は、そもそもテメェがやった事だとブチ切れた。
「上等だァ!糞婆ァ!ここまで虚仮にされちゃァ、教会の尼だろうが屁だろうが相手してやらぁ!」
若頭の雄叫びだ、手下のチンピラも奮い立つ、オオッ!とばかりに呼応する。
殺気ばった気勢に、周囲の群衆は後退る。
それに待ったをかける者がいた、姉マリアさんだ。
「待ちなさい!教会相手に喧嘩上等など聞き捨てならない暴言よ、ここは法王聖下のお膝元!アルニンに住まう者なら口に出来ない雑言よ!そこに転がる粗忽者の始末は一先ず置いておき、貴方達の態度こそ改めなさい!」
色々と問題の有る娘(注26歳)だが、かつては法王も出した事の有るバロト家令嬢だ、教会への帰依度数は蒸留酒原液並みに高い、教会への雑言暴言に思わず気声を上げてしまう。
「何だ!テメェは!ババアの連れか!テメェも教会の人間かァ!」
ここで、姉マリアさんは妙な啖呵を切るのだが、続きは次回で。