姉マリアさんとマリア婆さん1
「なんだい、姐さんがバイヤーかい。サントスも人が悪ぃな、隣に居るじゃねぇか」
サントス店長はシレッとした物だ。
「トーゴさん、こちらは見ての通りの女性の二人組です、直接引き合わせられる訳が有りませんよ。貴方達は男を売るのが商売です、間に人を立てる事が通例ですよ」
信頼がねぇなぁ、と派手男、トーゴとやらがほざく。
姉マリアさんが首をつっこんだのも、特に“レイシャ”が危険警告をしないからで、純粋に商取引話しができると踏んだからだ。
この辺りは世間知らずと言われても仕方ない、例の聖女グッズ販売関係も、飲食業の出店依頼も、公共施設の押さえも、全て法王庁なり、バロト家なりの肩書きが有っての事だ。
今の姉マリアさんは、只の嗜好食品バイヤーの小娘(当年26)としてしか見られていない。
間に人を立てれば、肩書きが通用してヤクザ組織でもそれなりの者との交渉となったのだが、ここに居るのは地回りを命じられる様な小物だ。
トーゴにしたら、金になりそうなツルを発見したから、シノギにしようと画策したに過ぎない、つまり、バイヤーを食い物にするつもりであった。
ヤクザ者なら当然の発想だ。
トーゴの不運は、そんなヤクザを蛇蝎の如くに嫌悪する、暴力婆が姉マリアさんの隣に居た事だ。
「姐さん、あんたもバイヤーなら分かってるだろ、卸先の新規開拓なんぞまず不可能なんだって事くらいは、俺達に任せてくれれば、そうさな、100は卸先を見つけてやるぜ」
「そちらの条件はどんな具合です?仲介手数料なら相場で卸値一割ですが、100件も仲介してくれるなら色をつけますよ」
「姐さんは世間知らずだろ、俺達に仲介を頼むんならそんな端金じゃ話しにならんよ」
カモだ、トーゴは姉マリアさんをそう踏んだ。隣の老シスターとの間柄は分からないが、多分友人か何かだろうから、教会と敵対するとは思えない。
ならば押しの一手だ。
Ⅰ、Ⅱ婆さんは無表情で成り行きを見守っている。………危険な兆候だ。
「ご覧の通り小娘(再告当年26)ですからね、世間知らずですよ。それに危ない橋は渡りたく有りませんので、コツコツと卸先を開拓してきたのですよ、ハッキリ言えば余り暴力組織に関わりたく有りませんね」
「まあ、まあ、姐さん気を悪くするなって、姐さんは俺達を嫌うが、俺達ゃ便利っちゃ便利だぜ、荷の運搬や集金までキッチリこなすしよ、運搬人足代を込みだと思えば悪い話しでも無いぜ」
そして入荷先が知れれば、バイヤーは用済みで、トーゴが入荷商会と直取引をする。そんな絵図だ。
「旦那、口を挟む訳じゃ無いけど、それくらいの手配なら、こちらのお嬢さんは簡単につけますよ、むしろ折り合いを探った方が……」
店長がどちらにとも取れる提案をする、バロト家とも地元ヤクザ組織とも揉めたくは無い。
「うるせえ!すっこんでろサントス!こりゃ対等な取引だ、余計をほざきやがるとテメエん所の女房子が路頭に迷うぜぇ」
この恫喝は、実は対姉マリアさん用だ、こちらが暴力組織である事を知らしめる良くやる手だ。
もしサントスが横から口出ししなければ、手下が段取り通り口をはさむ手筈で、こちらは派手にぶん殴って暴力を実演する。
テンプレ的恫喝手段だ。ただ、決して対象者に手出ししない。
むしろより丁寧に上待遇に交渉する。堅気素人なら、そのギャップに慄き冷静は保てない、ほぼ条件を丸飲みとなる。
トーゴにしたら、サントスの口出しはナイスフォローで有った。
「済まねぇな姐さん、デケぇ声上げて。こちとら威勢が良いのが売りなんだ、で、姐さん、卸値の半値でどうだい。
運搬人足の手配がつけられるそうだが、継続的に100件以上の配達手配となると骨だぜ、悪りぃ事は言わねぇから任せときな」
「2なら考えても良いわ。いくら何でも半値はボリ過ぎ。ただ、新規契約手数料は別途に払うって条件でどうかしら」
「2じゃ話しにならんよ、ただ、新規契約手数料ってのは良いな、幾ら払う」
「最低半年の継続卸契約で、そうね、一件3万リーラでどうかしら、大口ならば別途で色をつけるわ。
契約書と引き換えに現金払いするわよ」
「百件で3百万リーラに歩合付きか、悪く無い。ただよ卸値の2は無い、もうちっと色つけてくれや、ウチに任せて貰えりゃトラブルは起こらないぜぇ」
トラブルの辺りに力を入れる、取り巻きのチンピラがヒヒッと笑う、トーゴはそのチンピラを張り倒す。見え見えの恫喝だ。
店内の客は、一人二人と退店しだした。怖いもの見たさの暇客が、息を潜めて伺っている。
姉マリアさんは動じない。芝居である事は見抜いている、こんなで審神者審問も行う奇跡認定審問官だ、トーゴの挙動やチンピラの目配せから寸劇であるとは知れていた。
ただ、煩わしくもなってきた。実の有る話しならば兎も角、益にならない話だ。
そもそも“肥料”の仕入れ値がまだ分からない、卸値は取り敢えずコピ.ルアクを参考にして高めにする予定だ。
だから卸値の2割でも、win winの取引なのだが、このヤクザ者はその辺りを聞いてこない、つまり余り関心が無いと云う訳だ。
即ち、商取引契約や商道義など守るつもりが無いのだろう。
商品の持ち逃げか、仕入れ取引ルートの強奪を図っていると、そう姉マリアさんは判断した。
そこで姉マリアさんは聞いてみた。
「頼もしい話しですね、ひょっとして五大シンジケートの何れかの人達なのですか?」
首都のヤクザ組織は、大体五つの大組織の何れかに所属している。バロト家はその家格規模から、それなりに各々のシンジケートに顔が利く、そちらから打開を探ろうとしたのだ。
流石に非合法行為行使同業者組合などと云う戯けた組合などは無いが、………いや、言い方を変えただけで、シンジケートがその役割を果たしていると言っても良いだろうか。
カストーラもその五大シンジケートの一つで、旧市街、新市街の一部を勢力下に置いている。
他シンジケートも、そのうち登場するかも知れないが、今は取り敢えず関係無いので細かく語らない。
「当たり前だぜ姐さん、カストーラ系列だ、ここいらは……」
「おい、一つだけ聞く、お前らは旧市街の“空き地”の管理はしたことが有るか」
Ⅰ、Ⅱ婆さんが話に割り込んだ、小柄な老シスターの存在を、端から無視していたトーゴは怒気を発する。
「話の最中だ、婆さん、さっきまでみてぇに下向いて黙ってな、何処のシスターか知らんが、領分が……」
「おい、チンピラ、つまりカストーラの“空き地”を知らないんだな、するとカストーラの3次か4次の弱小組織か」
カストーラの“空き地”とは、かつての婆さんの住みかだ。掘っ建て小屋がそこにあり、マイケル一党の武術道場でもあった場所だ。
カストーラの面子が、婆さんの出奔後も管理し、ファミリー発足の地として、新規ファミリー加入者に整備させている、言わばカストーラの聖地だ。
旧市街の“空き地”と言われて、反応が無いとしたら枝の枝かモグリだ。
「ババア!弱小組織呼ばわりとは良い度胸だ!」
言うが早いかコーヒーカップを、Ⅰ、Ⅱの頭上スレスレに投げつける。
カウンターで婆さんはシロップ差しをトーゴの右目めがけて弾く。指弾術の応用だ。
シロップ差しは右目に命中し、右顔面はシロップまみれだ。
悪い事に瞼を切った様だ、追い打ちで流血で視界が塞がる。
まるで現実味の無い事態に、周囲の客はおろか、当事者のチンピラ一党、姉マリアさんですら呆気にとられる。
小柄な老シスターが、怒気を発するや否や躊躇なく暴力を振ったのだ、派手な大男ヤクザですら、当てない様にカップを投げたのに、である。
痛みは、ほとんど無い。ただ、カップを投げつける、ほんの僅かに視界が狭まる瞬間を狙ってのカウンターだ。
トーゴは思考停止する、理解が追い付かない。
流血やシロップによる視界不良に今更ながら驚き、同時に激昂する。
が、あまりに反応が遅すぎる。
ババアッ!
と、怒鳴り上げるよりも早くに、マリア婆さんはトーゴの右目死角より回り込み、右胸部肋骨に掌底短打を見舞う。
カッ!と悲鳴とも嘆息ともとれる吐声と共に、大男のトーゴは通路に弾かれた。
目を疑う打撃だ。更に不思議なのはそれ程の強打に見えない打撃で、小柄な初老シスターが、倍の体躯の男を軽々と弾き飛ばした事ではなく、そんな重い掌底打が全く無音だった事だ。
作用反作用の法則で、大男が弾き飛ばされる力量と同じだけの反動力量が、マリア婆さんに掛かる筈なのだが、そんな様子は無い。
タン!
トーゴが弾かれるのと、ほぼ同時にマリア婆さんは甲高い足音を踏み鳴らす。
小柄な身長に、更に腰を屈めた低重心の独特な姿勢で、トーゴを追う、いや、迫る。
噴。と一声、気合いとも吐息とも聞こえる呼声と共に、重心を崩したトーゴの横隔膜に右肩からの体当たりだ、いや、左の中段拳短打もトーゴの臍下に放っている。
馬車にでも跳ねられた様な鈍い打撃音と共に、これまた派手な破壊音を立てながら、トーゴは出入り扉を粉砕しながら吹き飛んでいった。
遨家、倒壁肩衝。初級技だ。
Ⅰ、Ⅱマリア婆さんがボソリと呟いた。
婆さん何か格好良い。