“肥料”の市場調査
時は僅かにさかのぼる。
口直しに喫茶店に行く事にし、マリア婆さんと件の店へと向かう姉マリアさん。
老舗の喫茶店であり、と、言うかバロト家コーヒー豆輸入部門の卸先であり、実質輸入豆の宣伝店である馴染み喫茶店だ。
何代か前のバロト本家の当主が、引退後に道楽で始めた喫茶店である。
姉マリアさんも、コーヒー豆輸入部門に投資して、初めて存在を知った喫茶店だ。
何度か忍びで、テレジアさんやジャンヌさんと訪れたりしている。
目当ては飲み物ではなく、軽食のパンケーキであり、パンケーキ用のメープルシロップの余りをその時の飲物にも入れ、飲食するのが密かな楽しみであった。
蜂蜜では溶けにくく、味わいが濃厚なのでコーヒー紅茶にはあまり合わない。
メープルシロップかメープルシュガーが程よい甘味となる。
ただ、姉マリアさんは軽食目当てで喫茶店に寄ったのでは無かった。
目的の一つでは有ったが、実際は土産の“肥料”の市場調査である。
市場に受け入れられない豆では仕方ない。
姉マリアさん的には商品になると踏んだが、山師では無いのだから市場調査をしたいのだ。
“レイシャ”に今の所“肥料”に関する囁きは無い。だから駄目かと言うとそんな事も無い、全部が全部囁きが当たるのなら、姉マリアさんはとっくに一財産を築いている。
囁きに従ったコーヒー豆も、儲けたり損したりであって、結果そこそこ儲けている訳だし、何より、レオンを見合い相手に囁いている。
もし、現状のレオン情報をサンドロが知っていたら、間違いなく候補から跳ねた筈である。
拳闘関係もそうであり、やはり全部が正しいアドバイスでも無かった、丸っきり被弾せずに勝ちばかりを拾えた訳では無い、打ち合いの末もぎ取った勝利も有る。
だから姉マリアさんは、重要参考程度に囁きを捉えていた。
それに、この“肥料”は当たると姉マリアさんの感が告げているのだから、“レイシャ”の反対が有った所で変わらない。
店長に来店を告げた、この店長は姉マリアさんの肩書きを知っている。
バロト総合食品、嗜好食品部門コーヒー豆貿易部の出資者としてだけでなく、バロト本家(厳密には出家中なので違う)の人間で、現当主の長女あると云う超VIPである事も。
当然出家中であるとも知っている。法王庁で何をしているか迄は知らないが。
「こんにちはテレーズさん。今日はコーヒーにしますか?紅茶も新名柄を入荷したのでお試しになさいますか」
店長はオーナーでは無い、いわゆる雇われ店長だ、だから逆にプロ仕事をするのだ。
「実は店長さん、(姉マリアさんは店長の名など知らない)面白い豆を入手したのでテイストして欲しいのですよ、できたら、こちらのお客さん達にもテイストしてもらって感想を聞きたいわ」
新入荷の豆や茶葉を、ロハで提供し試飲してもらう事はまま有る。
肥料扱いだが、それは輸入区分であり実際はコーヒー豆だ。現地では普通にコーヒー豆として流通している。
そんな食品はざらに有る、例えばハーブティーなどは茶葉扱いではなく生薬原料扱いだし、度数の高いブランデーをケーキ作成用の食品だと言い張り、小瓶による販売を断固実行したり、(注200㎖以下なら調味料扱いとなる、食品は税率が低い。当然普通に酒として呑む)
最近流通しだした煙草は、処方箋不要の喉の治療薬扱いだ。(ハッカ飴なども処方箋不要の治療薬扱いだ、医療品は食品よりも更に税率が低い)
そのうち何れ個別に本来の区分に落ち着くだろうが、流通初期にはよく有る事だし、チャンス期間でも有る。
健康被害が出たら話しが違ってくるだろうが、それらは現地では普通に飲食されているのだから問題はない。
ただ、いくらなんでも象の排泄物との情報は伏せたい。割りと知名度の高いコピ.ルアクですら敬遠する者は敬遠する。
豆を渡して二人は席に着いた、婆さんにも“肥料”を勧めたがやんわりと断られる。
姉マリアさんも“口直しにきたのが本来の目的。”などとほざいて普通に紅茶とパンケーキセットだ。
つまり自身が飲む気などサラサラ無い、商品としての“肥料”である。
店長が豆を挽いて“肥料”を淹れる。コーヒー独特の豊かな薫りが漂う、薫りは一級品だ。
一口テイストする。
「豊かな風味、酸味、えぐ味、熟成豆のマイルド感。さてテレーズさん、熟成豆ですが、コピ.ルアクでは無いと分かります。
この豆は一体何処の産地なのです?売り物になりますよこの豆は」
プロの評価は上々だ。
「詳細は言えませんが、コピ.ルアクの様な製法豆ですよ、知人のオリジナルブレンド焙煎なのですが、個性が強いと聞いていますね」
「ん?ブレンドですか、単一種の豆の様でしたが」
「熟成の加減で単一豆なのに個性が別れるそうですよ。知人は料理人なので個別に香りを元にブレンドしたと聞きました」
店長は成る程と頷きながら、些か妙な豆特性に首を傾げた、象の体内熟成豆は寡聞にして聞かないのだろう。
喫茶店の店長は、別に奇想天外面白豆の探求者じゃ無いのだから、知らなくても当然かもしれない。
何せ国内で、コーヒー豆として流通していないのだから。
店内の客も、薫りの良い上質豆のテイスティングに協力的であり、概ね好評だ。
勿論ロハに対する多少のリップサービスも有るだろうが、真に不味い物に評価は出来ないのだから、やはり好評なだけの味わいは有るのだろう。
姉マリアさんは、この“肥料”の輸入元であるカステラーニ商会の伝を叔母に頼むと共に、ブレンド……と言うか、豆選別をどうするかを考える。
叔父を頼るか、それともコーヒー豆貿易部の品質保証管理者に選別ブレンドをやらせるか。
そんな事を考えていると、店の正面ドアが景気良く開いた。
何か、白ずくめの大男と、その取り巻き二人が入店した。
「おお、良い薫りだなサントス、景気はどうだ」
派手な大男が陽気に話し掛ける、サントスとは店主の名だ。
悪くは無いですよ旦那。と受け流す、派手な旦那とやらは、地廻りヤクザか何かだと姉マリアさんは当たりをつけた。
特に珍しくもないので関心も無い、店主のサントスがコーヒーのテイスティングを勧めている。
ミカジメの集金に寄った訳では無いらしい、本当に只の見廻りだ。
縁故主義が浸透しているアルニンでは、別にミカジメ行為は反道徳的行為では無い。
この手の輩が見廻る事で、未然に防げるトラブルも有るのだ。
800万人の超巨大都市では、現警邏局員の人員だけでは治安維持は全然足りない。
これは今に始まった事ではない、帝政期以前の、古代ロマヌス時代からそうだ。
自然と地元の実力者に頼る形となり、元より習慣的に染み着いている相互扶助の精神から、対価として金銭を提出する形となった。
これは物納の場合も有るし、人手人工の場合もある。
現日本人感覚で近い物としたら、町内会費だろうか。
してみると、アルニンの地元ヤクザ組織の親方は町内会長ポジションとなる。
「おお、旨いな、何だこの豆は、もう一杯もらえるか」
ロハだ、遠慮は無い。まあ、評価が高い事は分かったので、市場調査をしただけの収穫は有った。
気に入った様で、二杯、三杯とお代わりだ、取り巻きもそれに釣られる。
「なあ、サントス、仕入れ先を代えたのか、矢鱈と旨いコーヒーだがよ」
「市場調査のサンプルをお配りしたのですよ、仕入れ先を変更した訳じゃ有りません。旦那の口に合う様で何よりです」
ピクリと派手男の眉が上がる。
「サンプルって事は、売り込みが有ったって事だな、誰だい。やっぱ仕入れ先を変えるんじゃねぇのかい?」
「………馴染みのバイヤーさんですよ、今までにも何度か市場調査に協力したことが有りましたよ、旦那」
サントス店長が咄嗟に取り繕った、バロト本家の令嬢に地廻りヤクザを関わらせる訳には行かない、雇われ店長のサントスにしたら、地廻りヤクザより大商屋の大家の方が恐ろしい。
「俺達に紹介してくんねぇか?バイヤーなんだろ、こっちにゃ卸先の伝なら山ほど有るから、そいつにとっても悪りぃ話しじゃねぇ」
「………つまり旦那は、商取引をしたい訳なんで、全うな話しなら繋ぎますが、少し時がかかりますよ」
すぐそこに当人がいるのだが、“この人です”などと即座に紹介する程、サントス店長は粗忽では無い。
女性の二人組だ、破落戸に毛の生えた様な地廻りヤクザの三人に、おいそれと引き合わせられる物じゃ無い。
ただ、商取引ならば交渉代理人を立てれば良いので、テレーズの益を考え、時を稼いだのだ。
地廻りヤクザの顔で、確かにテレーズの卸先が増えるとしたら、悪い話しでも無いのだから。
「気を使わなくても結構よ、店長さん。そちらの親分さんを紹介して下さいな」
姉マリアさんが自分から首をつっこんだ。