凶暴老シスター
「もう一国はチンナと程近い島国、アシハラ、国号、日乃国ですよ。
マルコ.フゥ.ポーロの東方見聞録で出てくる、黄金の国ジバングがそうですよ」
ランドがそう答える。ただ、極東の島国としてしか認識していないレオンとしては大して感慨も無い。
そう言えばそんな話も聞いた事が有る様な無い様な?そんな程度で有る。
『チンナの卵殻磁器を真似て、透かし彫りの有る物も有りますが、むしろ独特な絵付が魅力ですよ、まあこちらは卵殻手、卵殻磁器に限った話では有りませんが』
あまり美術品に興味が無いレオンだが、家柄は良い。伝来の美術品、絵画、調度品などで、幼い頃から目が鍛えられている。
具体的な焼物絵付は説明出来ないが、記憶の中にそれらしいものが浮かんでくる。
マイゼンやゼーブルといった、こちらの磁器絵とはまるで雰囲気が違い、景色画、モチーフ画、花鳥画、人物画などが単色であったり華美な多色で描かれていた。
逆に先程購入の卵殻磁器の縁取りのみの彩飾が、新しく感じた。
チンナ国内流通用だと言っていた、彼の国人の感性では華美な装飾を好まないのかと夢想する。
アンティークや骨董はそうした夢を創造する楽しみが有る物だ。
もっとも、レオンの購入磁器は、アンティーク品ではなくて比較的新しい品では有るが。
一行は、ゾロゾロと尾行者を引き連れて件の喫茶店に差し掛かる。
尾行者が滅多矢鱈といる事は、アイランズやランドは承知している。
その中に連合王国諜報部員も居るのだから当然だ。
二人は正体を入念に隠してのアルニン潜伏だ、だから即座に連合王国諜報部員で有るとは割れない筈である。
表向きの行動は、雑貨小物バイヤーと雑貨店店主の記録しか残っていない。
今日まで、アルニン警邏庁国家安全委員会のガサ入れが無かったのだ、身バレはしていない。ただ、今回は相手が大物だ。
最悪、雑貨屋拠点に調査が入る可能性も考えられる。
道々わざとらしい位に商品の話に興じたのは、雑貨商店主とその客を関係を知らしめる為だ、アイランズにしても今日の所は顔繋ぎ位にしか考えていない、そもそも突発的な出来事だ。
継続的な顔合わせをするためにも、件の喫茶店を利用したのだ。
雑貨に興味を持ってくれて、店に通う様になるば上出来だし、また喫茶店の常連になってくれればしめた物だ、顔を合わせやすくなる。
レオンの職務立場上、酒場通いは考えにくい(流石に首都に軍轄酒保は無い、と言うより必要ない、民間酒場も軍需産業品店舗もアルニン商工業会議所の厳しい指導が入っている、もめ事を起せば営業資格を剥奪される)
だから嗜好飲食店の紹介は有効との判断だ、喫煙はしないと調査済みだし、同様にギャンブルの類いも行わないとも。
まずは信用獲得の下準備だ、調略の類いは急いては駄目な物だ。
紹介する、と言うより今たどり着いた喫茶店は老舗の喫茶店だ、席数もカウンター席を合わせ20席程。
別に連合と縁も所縁も無い店だ。
その喫茶店、飲食業安全衛生同業者組合に加盟しているだけでなく、嗜好食品販売業同業者組合にも加盟しているので、店舗内でコーヒー豆の焙煎販売や、各種紅茶葉の販売も行っている。
アイランズ、ランド組の不満としては、コーヒー豆の焙煎の薫りが強く、紅茶の繊細な薫りが分かりにくい事であるが、禁煙店舗で有る事が贔屓の所以である。
「こちらですよ、パルトさん………でも何やら様子が……」
様子が不穏だ。
店の中から罵声が聞こえる、野太い怒声だ
誰かと対話しているようだ、怒声、罵声に間隔が開く。
他国の人間には奇妙に感じる事だが、アルニン人は喧嘩の最中でも相手に意見が有れば聞き入る。
だから怒声、罵声の間に相手の反論が有ると分かり、また喫茶店内で騒いでいる者がアルニン人と知れる。
800万人の国際都市だ、他国人も多い。
『何やらトラブルの様子、残念ですが他所を当たりましょう』
一推しであり、雑貨店から程近いので、レオンがフラりと来店の際、通報(商家が伝を作るためによく取る手段、有料で依頼人物の来店を教えてくれる)を受けやすかったのだがこれでは仕方ない。
アイランズにしてもトラブルは御免だ。
ドンガラガッシャーン!
踵を返そうとした所、店内から派手に派手な大男がフッ飛んできた、高価なガラス嵌め込みドアと共にだ、石畳に打ち付けられながら道中央にまで派手に転がる。
そのまま派手男は伸びた。
辺りはシンと静まる、伸びた大男はどう見ても堅気ではない。純白のスーツに派手な色目のシャツ、純白の革靴。
シャツが普通で人相がまともなら、まるで花婿衣装の様だ、真っ当な人間の感性をしていたら、こんな格好で出歩きはしない。
店から、これもまた堅気とは思えないのが駆け出してきて、件の花婿衣装に縋る、兄貴、兄貴とうるさい。
やや時を置いて、店から老境に差し掛かった小柄な修道女が出てきて、そのうるさいチンピラの髪を鷲掴みにする。
意外なキャラクターの登場に、周囲は呆気にとられた。
「小僧、さっさとその弱小組織とやらを呼んでこい、俺がナシをつけてやる、それまでこの間抜けは人質だ、嫌ならこの場でお前の両目を穿つ」
右手で親指、人差し指、中指の三指で揃えた鶴嘴の型をとり威嚇だ。
まあ、Ⅰ、Ⅱマリア婆さんだ。一人称が俺なのでⅡのほうだが、近頃その線引きが曖昧だ。
最近暴れてばかりだし、慣れ親しんだ暴力の世界に戻った事により、人格が再統合しつつ有る。
元々一つの人格を、暗示により二つに分けたのだから、どちらかと言えば、ベースのⅠにⅡが吸収されたとしたほうが理解が早い。
いや、厳密には人格は三つなのだが、三つ目の人格は言わばⅠ婆さんの裏人格で最初からⅠ婆さんと癒着していた。
早い話が運送屋時代の商売人人格だ。元来短気なⅠ婆さんに、商売人の苦労など不可能だ。
そこでその過度のストレスから、新たにⅢ婆さんを形成し無意識下で丸投げしていたのだが、実はⅢ婆さんの存在はⅠ、Ⅱ共に知らない。
Ⅲ自体も、個別に確立した自我ではなく、商売担当人格なので、運送屋時代はⅠ婆さん人格の裏方として活躍していた。
それがここにきて、元のバイオレンス生活に戻り、消滅する様にⅠ婆さんと統合したのだが、それが遠因でⅡ婆さんも統合しつつ有るのだ。
冷静な判断をするために人格を分けたのだが、比較的冷静なⅢ婆さんが完全統合する事により、あまり冷静担当のⅡ婆さんが必要なくなった事がその理由である。
………実に難儀な婆さんだ。精神科に掛かれと言いたい所だが、この時代にはまだ無い。
極悪シスターが鷲掴みを解放すると、チンピラはわき目も振らずに飛んでゆく、何れ仲間の所だろう。
「起きろ。何時まで伸びている」
婆さん、脇腹に蹴り入れる、何かのコツが有るのだろう、花婿衣装はゲロゲロと黒い液体を戻す、多分コーヒーだ、醤油の可能性は低い。
あちこちぶつかりながら転がったのだから、当然あちこち痛む。花婿痛みに呻きながら踞った。
人垣ができる、どうやら花婿は嫌われ者らしい、ザマァ、だの、いい気味だ、だの、止めを早く、だのギャラリーは言いたい放題だ。
レオン一行、人垣に飲まれて身動きがつかない。
それに妙な案配で妙なトラブルに巻き込まれたのだが、群衆心理なのか、野次馬根性が生成されるのか、その他大勢に紛れると見物したくなるのが人情だ。
アイランズ、ランドとしては離脱したい所だが、同時にトラブルの原因を見極めたくも有る。
呑気な話だが、この店は彼等のお気にでも有る、些細なトラブルなら問題ないが、地元ヤクザ組織の大事なら敬遠しなければならない。
見た所、派手男は地元ヤクザの地廻りだが、問題はシスターだ。
正体が知れない、チラリと異端審問二課が頭によぎった。
異端審問局がパルト小隊に接触した報告は受けた、だが肝心のパルト“中尉”には興味を示さなかったとある。
審問局の方向転換で“中尉”に接触を図る可能性も有るが、こんな派手な手段は取らないだろう。
小柄な老シスターが派手に大男を伸す。
もしこれが、異端審問局の手だとしたら、一体何のための小芝居なのか………。
………パルト“中尉”の暗殺実行の可能性がアイランズの頭に瞬時に浮かんだ、つまりこれは陽動と。
アイランズは早口の母国語でランドに指示を出し、追跡役の局員に手配せをする、“中尉”のボディガード指示だ。
緊急措置であったのでアイランズの落ち度とは言えないが、当然この動きは他組織の尾行者に感知される。
意図は不明、組織も規模も不明な諜報部局員らしき者が、レオン.パルトに接触したと、連合王国諜報部には嬉しくない情報が即日に流れてしまった。
当の本人は、そんな事などつゆ知らず一野次馬に徹している、確かに無関係者にすれば面白げな喧嘩騒動では有る。