不毛な休暇の使い方
「愉快な人であったな司祭殿。あれが噂の聖女殿か、堅苦しい人柄だと思っていたが、良い笑顔で笑う」
「騙されては駄目ですよマリアさん、叔母様は廃棄レベルの変人です、私はついさっき本当に碌でも無い物を飲まされました、一見すると普通のコーヒーなんですが、実は肥料だったと言うオチがつきましたよ」
更に詳しく語るなら、それは未消化の象のウンコであるが、首都ど真ん中の新市街で声高に明かす話でも無い。
「稚気の抜けない人柄なのかな?イタズラ好きか?」
「稚気と言うか、キチと言うか、………私の結婚祝いだそうで、土産にもその肥料を渡されましたとも」
肥料と言うが、別に麻袋に適当に詰められているわけでは無い、現地では高級嗜好品だ。
普通に豆だけを選別洗浄し梱包されている、姉マリアさんに渡された物は、更にハンスがブレンドし焙煎した物で、普通に高級コーヒー豆だ。
ただ、現行の法解釈で肥料扱いなだけだ。
「聖女殿だけでなく、司祭殿も……いや、助祭殿もであるが、面白い人達だ。仲も良い事で有るしな」
Ⅰ、Ⅱマリア婆さんは、ついこの間ジャンヌさんと共にカストーラに赴き、そこで姉マリアさんの縁談妨害の話をジャンヌさんから聞いた。
更にその依頼人が、ついさっき弟子入りした聖女アンナで有ると知った。
知った上で、仲の良さそうな親族の心情を推し量り、なんとも心に影が射す思いがした。
実情は、本当の本当に他愛なくも碌でもない物なのだが。
Ⅰ、Ⅱ婆さんは、何となくこの三人が気に入った。だから三人に対し、一方のみの心情的な肩入れをしない事にした。
その代わり、体を使う様な荒事は各々に手助けしてやろうと云う、余計な決意をした。
客観的に見るなら、各々の事情を斟酌せず言われるままに暴れると云う訳であり、迷惑この上無い決意なのだ。
「そう言う訳でマリアさん、……私もマリアなので変な感じですが、慣れませんね。
口直しにお茶をしたいのですが、マリアさんも付き合って貰えますか」
「わたしは構わない、司祭殿こそ構わないのか、近頃時間を捻出するに忙しくしていた、戻ってからも一仕事有るのだろう?」
「たまには良いでしょう、街中をこうして歩くのも、久しぶりなので気分転換になります。ジャンヌ……ルイーズが奇跡認定官証を引き継いでくれたお陰ですね」
アレは奇跡認定局内の聖遺物保管庫の鍵でも有るので、基本屋外に持ち出し禁止だ。
それ以前にアレ自体が聖遺物である。
紛失どころか、傷の一つも付こうものなら、どんな神罰が下るか分からない。
本当に厄介な聖遺物である。
ジャンヌさんは貪着無く装着したまま出歩いているが、本当はアウトだ。
まあ、あんなゴツイ十字架だ、傷は兎も角、落として気がつかない間抜けもいないだろう。第一、落とせば即臭う。
「差し障りが無ければお供しよう。思えば飲食は故国の物に近い物ばかりだから、たまにはこちらの物も面白い」
食嗜好はなかなか変わらない物である。
深煎りブラックコーヒー嗜好の中年親父が、ある日を境にメロンクリームソーダばかりを愛飲する事が無い様に、生活環境が変わろうと飲食物は嗜好に合う物を意図的に選ぶ物だ。
拙などは子供の頃からトースト派で、三食の主食がパンだ。ご飯はたまにだが40年配の今だに米食は敬遠だ。
食生活は頑固な汚れと同じで、感性から剥がれない、多分ドクターストップがかかるか、ポックリ死ぬまで変わらない。
こうして二人は商業区の飲食店街の方へと移動して行った。徒歩だから気楽な物だ。
レオンは、久しぶりの休暇だ。昨晩自身の縁談話に始まり、兄夫婦の近況や甥、姪の自慢話、最近の新市街流行など、とりとめの無い話に花が咲き就寝が遅くなる。
外泊届けは昨日一日限りだ、だから今日は陸軍兵舎に戻らなければならない。
とは言え、士官である、更には中尉である。年齢の割に偉いのだから士官用の戸建兵舎への帰舎となる、軍人だから手荷物は少ない、とっくに引っ越しは済んでいる。
ただ、全て備え付けの備品と言うのも味気無い、家具などは必要無いが、軍事用ではないカップ類は欲しい所だ。
携行糧食の缶コーヒーは、立場上容易に手に入るが、キッチン完備の士官用兵舎で態々飲む様なシロモノではない。
そんな訳でカップ類、コーヒー紅茶を買いに出ると云う名目で、街中へ繰り出した。
首都の地理には明るい方のレオンだが、800万人の大都市を網羅する程には詳しく無い。
休暇の使い方としては不毛の部類だが、街歩きを楽しんだ、まあ、人それぞれだ。
大通りを一、二本外れた裏通りを歩く、裏通りとしたが大都市の裏通りだ、特にいかがわしい様な、怪しげな店舗など有る筈もなく、と、言うかその手の店はこんな時間に営業してはいない、そもそも歓楽街は旧市街とその周辺だ。
ゾロゾロと尾行を引き連れての街歩きだ、本人はそんな事など知らないが、尾行する側からしたら、なんか矢鱈と同業者がいる事に気付く。
互いに牽制しながらの尾行だ、やりにくいったらありゃしない。
目についた書店や衣料品店、雑貨屋にレオンはフラり立ち寄る。
特に目的、いや、コーヒーカップかティーカップ、それらを淹れるポットを探す名目でブラついているのだが、明確な目的は無いに等しい。
雑貨屋を仮の目的地とし、何件かの雑貨屋を巡り、とある雑貨屋に辿りついた。
ティーカップ類が充実した店で、アンティーク陶器なども扱っている様である。
レオンはフラりと立ち寄った。
「いらっしゃい」店主の常套挨拶だ、大概の店舗で採用されている。「ませ」まで続くバージョンも有る。
それに対して返事を返す者は、馴染み客か、挨拶一日百人運動実施中の暇人くらいか。
当たりの良さげな店主に、多少の居心地悪さを感じながら目礼を返す。
店主は、先程まで読んでいた新聞に再び目を落とす。
能書きは敵だ、この手の商店で、“何をお探しですか?”だの、“お客さんは初めての来店ですね?”だの、“これが最近売れています、”だの、余計を言うと逃げられる物だ。
物取り、強盗の類いでない事は見て一目分かる、第一雑貨屋強盗など聞いた事も無い。
どうせの犯罪なら大店を狙うものだろうし、もしくは銀行へ行く、それが物の道理だ。
なのでほぼ無関心を装い放置がベストだ。
………なのだが店主にしたら内心驚き物だ。
(何故に中尉が、まだこちらから接触はしていない、偶然の来店か?商品のカップ類をかなり熱心に見ている事だし)
そう、ここは四連合王国、首相府直属機関、国家安全保障局諜報部アルニン支部の偽装輸入雑貨店だ。
レオンの来店は偶然と言えば偶然だが、首都新市街一等商業地に、清々と店舗を構えていて、雑貨屋巡りがなされていれば、そのうち辿りつかれても不思議は無い。
レオンの休暇の情報は、既に大概の諜報機関が入手している、連合も同様だ。
非公開、非公式の砲撃試射が行われた事も、その日は兄の元に泊まった事も、また、今現在ただの休暇で散策している事も、逐一報告を受けている。
ただ、リアルタイムで尾行をしている諜報部員から、緊急で“中尉”が支局に向かっているとの一報は、店主のランド局員を驚かせるに充分だった。
“中尉”との接触機会を窺っていたアイランズに即座に情報伝達される、アイランズは近くのホテルに滞在しているのだ。
「親父さん、そこのカップは何用だい、小ぶりなカップだけど、矢鱈と薄いね、割れやすいくないか」
声をかけてきたのは“中尉”からだ、声質が若い、連合王国にとって、悪魔の様な事を仕出かした軍人認識なので、ランドは資料通りの若さに意外な気がした。
もちろんそんな感情など、表情筋には1ミリも漏らさない。
「ああ、それはね、実用品じゃ無いんだ。いや、使えない事は無いよ、ただ卵殻程の薄さのカップだから放熱が早いんだ」
「そんなに薄いのか、本当に……ねぇならば何用なんだ?コレクターアイテムとするには華が無いし、壊れやすそうだから使えないし」
「それがお客さん、華は有るのですよ。柄は縁回りにラインが入っているだけの、極めてシンプルな装飾なんですがね、底を日に翳すと透し絵が見えるんです、卵殻磁器といって清那製のお茶用カップなんですよ」
同じ様な磁器は葦原国にもある、こちらは卵殻手といって西洋風のカップである。輸出用だ。
珍しさもあって底を見やる、確かに注意して見ると人物画がうっすら透ける、流石に商品を勝手に覗く気にはなれない。
「お客さん構いませんよ、光に透かしてご覧なさい、別嬪さんの肖像画が見えますとも」
言われるままに採光窓からカップを透かすと、異国女性の顔が透ける、驚いた事に陰影も透けるので、まるで鉛筆画の様な立体感がある。
レオンが感心していると、面白いでしょう、そのティーカップ。と、声をかけられた。
店主の物ではない、アルニン語では無く公用語での話かけだ、レオン目線ではつまり異国人である。
アイランズのお出ましだ、スーツ姿の如何にも商売人と云う成りに、レオンは少し身構えた。