姉マリアさんと聖女様1
「大層ご無沙汰致しました、叔母様におかれまして、御健勝にお過ごしされている様子で何よりです」
「そんな他人行儀な、テレーズさん、私のことは何時も通り外面婆とでも呼んで下さいな」
「んな!そんな事言った試しは無い、叔母様、呆けが始まったのですか」
ならばそれはそれで重畳。と、シレっと続ける姉マリアさん。
ここは新市街の商業団地内、在家信仰者組合社屋の応接間。
来客者は姉マリアさん、対応者は在家信仰者組合長のローザンヌさん。とうとうご当人の登場だ。
「まあまあ、落ち着いて、紅茶キノコでも飲んで下さいな」
「………相変わらずですね、叔母様。今度は紅茶キノコですか、………頂きます」
発酵飲料だ、好き嫌いは別れる。ただ発酵の過程で加糖するので口当たりは悪く無い。それから紅茶キノコブームはとうの昔に冷めている。
「テレーズさん、何でもウチに来て頂けるそうですが、お勤めの方は如何されました?奇跡認定官の成り手は見つかりましたか?」
姉マリアさんはやはりと確信した、ローザンヌさんはテュネスの穀物受け入れの件など頭に無い。
「妹のジャンヌ助祭が奇跡認定審問官証に適合しました。今私の後を継ぐべく教育中です」
「………貴女妹が居たの、初耳ね」
そんな事は無い、ローザンヌさんは叔母だ、早々に教会行きが決まっていたので分家申請をされたが、(出家なので法王庁市国籍となる、還俗した時アルニン国籍に戻るが戸籍は新規となる。その時誰が当主となっているか分からないので、予め分家しておくのが通例だ、つまりテレーズ姉妹も厳密には本家を外れている)現当主アロルドの妹なのだから本来は本家の人間だ。
ジャンヌの出生洗礼にも立ち会っていたりもする。ギリ出家前だった時の事だ。
ただ、矢鱈と兄弟姉妹の多い一族だ、誰かと勘違いしている可能性も有る。
有るけど、正すのが面倒な姉マリアさんはそのまま流した。
「妹は異端審問局へ行きましたから、叔母様の耳に届かなかったのでしょう」
と、言うより姉マリアさんが局長を継いだのが19の時だ、ジャンヌさんと5歳違いだから、ジャンヌさんが出家前にローザンヌさんは引退している、だから接点が無いのだ。
「どんな異能なの?異端審問局なんて野蛮な局でやっていけるの?」
やっていける、と言うよりやっていたのだ、自分の後を継いで奇跡認定官になると報告したばかりなのだが。
「審問二課長を奉職していましたよ、奇跡認定局に移動となりますが、当分は兼務する事になりました」
やんわりと間違いを正したつもりだったのだが、ローザンヌさんの関心はそこに無い。
「すると、今アレを所持しているのはルイーズさんですか、今すぐ呼んでもらえる事は出来ますか?」
「いや、いや、叔母様、名前までサラっと出て来るのに、何で続柄を忘れている、やはり呆けが来て………」
「たった今思い出したんですよ、そう、愛らしい子でしたね、何故か拳闘なんて野蛮な闘技に凝っていて、無敗のチャンピオンだったとか何だとか。………野蛮な子」
「いや、それは私だ。なあ、叔母様、ひょっとしてワザとやってないかい」
「そんな事有るわけ無いでしょうが。貴女には大変世話になりましたし、こちらに来ていただいたら、また大変世話になりますし、貴女の小知恵には一目置いているのですよ」
「微妙にディスってませんか?叔母様、まあ確かに、私の知恵は小知恵で浅薄浅慮。
この間もテレジアの奴に三流詐欺師の才有りと感心されました、畜生」
「それより、アレの保持者のルイーズさんとすぐに連絡が取れますか、貴女の異能で」
話が噛み合っていそうで、噛み合わない。実は馬が合いそうで合わない間柄でも有る。
「いや、私の“レイシャ”は伝書鳩じゃ無いので無理です、それにルイーズも矢鱈と忙しいから無理ですね、私にしてから叔母様との面会時間を捻出するのに苦労しました」
「そう。残念ねアレの匂いを比較したかったのに。それじゃテレーズさん御機嫌よう」
スクッと立ち上がるローザンヌさん、用は済んだと言わんばかりだ。
「待て、待て、待て、こちらの用は済んでいない、それから何?アレの臭い比較って、今そんな事してたの」
「だって、貴女どうせ難しい話をするのでしょう?担当する者と代わった方が良いと思うのよ、貴女もそう思うでしょ」
「叔母様、叔母様も組織のトップなんだから下に丸投げしないで話を聞け、馬鹿者。
それからまた妙な研究をしている様だけど、程々に」
「いえ、いえ、足掛け……多分10年は研究しているライフワークですのよ、その紅茶キノコも研究の一環なのです」
つまり、聖女時代から執念深く続けている研究と云う事だ。
「周囲に迷惑を掛けていないのならば別に咎めは………いや、かけてますね、絶対。
一応お伺いしますが、何を研究しているのです?場合によっては手を貸しますよ」
有料で。と言う一言はご愛敬。
「いいえ、アレの所有者が貴女からルイーズさんに移ったのなら、貴女では役に立ちません、役立たずです、駄目ですよ貴女は全然」
カチンときたが、姉マリアさんとてローザンヌさんと付き合いは長い、他意は多分無い事くらいは分かる。
「ルイーズは一時的に部下になるので、何なら業務命令でこちらに向かわせますよ、その程度には役に立ちますって」
「流石ですテレーズさん、公私混同はとても感心しませんが、その大雑把さは大した物です。
よろしい、お礼に私の研究成果を貴女に体験してもらいましょう、考えてみたら貴女もアレの体験者ですからね」
「いえ、いえ、大体見当がついたので遠慮します。
アレの臭いの比較と言っていたじゃないですか、つまりアレの臭いの再現をしていたのでしょう、………そんな益体もない事に10年もかけて。
一周回って逆に凄いですよ」
「ちょっと待っていて、ブレンドは私じゃ出来ないから直ぐに調合させるね」
「“ね”じゃ無い、聞け人の話を、要らんから作らせるなって」
「私はね、昔から不思議だったのよ、明らかにアレは発酵系の臭素なんだから、臭いのキツイ発酵食品から、臭素を選別して配合すれば再現可能なんじゃ無いかとね」
「だから、要らんて」
「だけど、やってみると大失敗、ただ臭いだけの代物にしかならない、臭素を増やせば増やす程、重ねれば重ねるほどに外れて行く」
「いや、元々がただ臭いだけの代物だから、そもそも研究自体に意味が無い」
「つまり、臭素が重複していない、重なっていないのよ、例えるならば数種類の香水の蓋をまとめて開けただけの感じね」
そう言ってローザンヌさんは呼び鈴を鳴らす、建前は還俗した僧侶で運営されているのだから、身分的な上下は無い。
しかし、元司教で聖女と呼ばれたバロト家出身の組合長だ、組合局員上から下まで組合長への忠誠過多だ。
呼び鈴の三秒後には組合長補佐事務員が入室する。
「お呼びでしょうかローザンヌ様」
跪きそうな勢いだ、教会内部でする中腰立礼だ、互いに還俗者なのだから本来不必要な敬意礼である。
ローザンヌさんの雰囲気が変わる。
「サラ、すみませんが、料理長のハンスを呼んでもらえますか、調合をお願いしたいと伝えて下さい」
「畏まりました。……ローザンヌ様、お客様はマリア様とお見受けしました、一言ご挨拶をよろしいでしょうか」
「あら、サラはテレーズさんと面識が有ったのですか、勿論構いません。
テレーズさん、こちらに」
嫌だと拒否する理由も無いので、姉マリアさんも言葉に従う。確かにサラとは面識が有る、と、言うかローザンヌさんが肝心な事を忘れている様だ。
教会特有の敬意礼を交わす。
「お久しぶりですマリア司祭様、御健勝に過ごされているご様子で何よりでございます。
妹様であるジャンヌ課長は如何されていますでしょうか」
「ジャンヌが私の後を継ぐ事は聞いていますね、いま奇跡審問官教育の最中で、異端審問二課長職の兼務で忙しくしていますよ」
まあそれだけでは無く、縁談妨害の指揮をせっせと採っているのだから世話が無い。
「近い内にジャンヌ課長の元にお伺いしますので、マリア司祭様からそうお伝えくださいませ」
「今他にも仕事を抱えている様なので、難しいかも知れませんが、伝えましょう」
挨拶は終わりとばかりに終礼を交わす。二人は私服なので、教会式の挨拶は妙な案配だが、何千回と無く繰り返してきた作法動作だ、動きが体に染み付いている。
見るものが観れば、本職が成りを変えているだけと分かる。
サラが退出するとローザンヌさんが尋ねる。
「テレーズさんとサラは接点が有りましたか?記憶に有りませんが」
まだローザンヌさんの雰囲気が違う、纏う空気は姉マリアさんの上司となるマカロフに似ている。
「はあ。叔母様、サラは退出しましたからお気を楽に。
………久々ですが、本当に叔母様の異能は独特ですね、傍目には本当に組合長に見えます、威厳すら感じるのだから大した物ですよ」
ローザンヌさんの異能は、超自己暗示だ。
異能とするのも大袈裟な気もするが、ローザンヌさんのそれは少し違う。
その“役”になりきってしまうのだ、結果、雰囲気や威厳、オーラなども“役”に付随して纏ってしまう。
今はサラの存在に“組合長役”になりきっていたのだ。実物はナンなので。
そう、聖女の“役”も難なくこなせるのが、ローザンヌさんの異能なのだ。
“役”なのだから、別にローザンヌさんは多重人格では無い、妙な好奇心から知り得た膨大な情報から、自己知識により演じている“役者”な訳である。