姉マリアさんとサンドロどん4
「お待ちを、お話から在家信仰者組合の食品購入部との絡みからの縁談だと思いますが、嫁に?ですか?
この場合、嫁いでしまったら私は在家信仰者には加入不能なのでは?テュネスは外国なのでしょう?」
嫁いでテュネスに渡ってしまうと、当然在家信仰者組合……ひいては内務省と密な連絡が取れない、つまり窓口足り得ない。
「いやいや、先方はテュネス大使館に、公使としてアルニンに滞在するから数年はアルニンに居住する。
大使館は首都に有るから在家信仰者組合との連絡に問題は無いじゃろ……ただ……の」
(ただ……なんだ。あと出しは御免だぜぇ爺さま)
「何でしょうか猊下、問題が有る人なのですか?」
これでも姉マリアさんは変人変態に揉まれてきた。極端に変な野郎で無ければ考慮するに吝かでは無いと思ふ。
「習慣……の違いじゃな、テュネスでは一夫多妻が普通で、第二夫人の………」
「却下です猊下。つまり先方は景信教徒では無いではないですか。重婚は認められませんし、離婚も認められませんので、先方は教義に反する相手で、話になりません」
バロト家は数世紀も前から教会に取り込まれている、言葉を返せば数世紀分の景信教道徳倫理が刷り込まれているのだ。
奇人変人の小覇王みたいな姉マリアさんだが、こればかりは曲げられない。
そもそも彼女は、その性分からしたら意外な事に普通の生活を望んでいるのだ。
第一夫人、第二夫人とくれば三、四、五と来る事は間違いない。
先祖伝来の一夫一妻制で育った姉マリアさんからしたら、多妻など理解の外だ。
ただ、愛人、愛妾の類いには理解がある。本妻では無いからだろう。
「うむ、そうと言われると一言も無い。せめて先方が独身ならば改宗なり何なりしてもらえたのじゃが……この件は他所を当たる事にするか」
まあ、サンドロの大坊主とて、教義を無視してまで司祭位に有る者にゴリ押しはしない。簡単に引っ込めた。
「お許しを、バロト家は代々景信教徒でして、大昔には第一人者をも一族から出した事の有る家柄なのです、異教徒までは目を瞑りましょうが、明かに教義に反する相手とは相容れません」
「かかか、そこまで畏まる事も無い。ほんの思いつきじゃ。してマリアどん還俗時期じゃが」
「ご寛大感謝致します。さて、後任の教育が有りますので、半年……いえルイーズは覚えが良い娘なので、春には引継が終わるでしょうか」
本来ならば数年かけての教育なのだが仕方ない、呑気に構えていたら本当に三十路を越える。
そこからの縁談となれば、本当に狒々爺位しか残っていない、姉マリアさんにしてみたら冗談では無いのだ。
異端審問局長のヨードルには、ジャンヌさんに奇跡認定局長の引継をする事を根回ししてある。
此方には奇跡認定審問官証と云う聖遺物が有るのだから、聖選別云々を言い出せば、内情が分からない外部の人間に反対出来る訳も無いのだ。
あんな物すら己の還俗に利用するのだから、この小策士は侮れない。
「3ヶ月程で大丈夫なのかなマリアどん、拙僧は奇跡認定局の業務に疎い、期間が短かすぎやせんか」
「ルイーズも出家して6年も経ちました、全くの未修ならば数年の引継期間が必要でしょうが、妹は異端審問二課長を奉職する程には教義的組織的修学を修めています。
それに私が直接教育を施すので、問題有りません」
あんなでジャンヌさんは優秀だ、頭脳労働は苦手なだけで、出来ない様なうつけでは無い。
むしろ問題はⅠ、Ⅱマリア婆さんだ。
テレジアさんは他人事だと思っての無責任な放言だが、あれに宗教的な教義や儀式、作法を教えるに3ヶ月は足りない………と、言うか出家している自覚が有るかどうかも怪しい物だ。
いや、断言する。していないし無理だ。アレな中華坊主、花和尚の婆ァ版だ。
蟹かチンパンジーに四則演算でも覚えさせるほうが遥かに楽で有益だと思ふ。
掛算をする蟹……素晴らしい!
私情は兎も角Ⅰ、Ⅱマリア婆さんに教義は諦めて貰ったとして、儀式、作法の手順位は覚え貰わねば話にならない。
………まあ、ウン十年も客商売をしてきたのだから、まるっきり常識が欠落している訳でも無かろ。何とかニンジンをぶら下げて覚えて貰おう。うん。
そこに姉マリアさん待望の縁談リストがやって来た。もとい、執務秘書のティーダ助祭がリストアップした縁談紹介状を持って来た。
「それもそうで有るな……しかし月日の経つのは早い物じゃ。拙僧が洗礼した赤子が教会の重責を担う程に成長し、ましてや成婚する歳になるとはの……」
他人ん家の子供は成長が早い物だ。正月を迎えるたびにそう思ふ。
サンドロが一通り紹介状に目を通す。ティーダどんは年齢や性別で篩にかけただけで、それぞれの家の事情までは分からない。
直接面会し、条件や事情を把握しているのはサンドロなのだ、7、8枚の紹介状を跳ねて残りを姉マリアさんの前に積む。
アバウト勘定で20通程有る。これが多いのか少ないのか判断に迷う。
「在家信仰者組合の関係で外国は上手く無いからのう。どうれ、これなどはどうじゃ」
一番上の奴を勧めてきた。どらどら、とばかりに目を通す姉マリアさん。
アルニンの通産大臣の次男だ、やや歳がいっている。
「………一回り歳が違いますね、何故独身だったのでしょうか」
姉マリアさんは26だ、極東や東亜細亞なんかでは一回り12年勘定だが、アルニンでは一回りは10年勘定である。
地位の有る家柄で、次男あたりが30過ぎても独身とは何か有る。早くて10代、遅くても25で普通成婚だ。完全に政略婚だからこんな物だ。
「………熱心な信徒でな、拙僧と面識も有る若者じゃ……その、年齢からピンと来ぬかな、マリアどん」
(言い難そうじゃなお爺どん。………わからんノーヒントけ?)
「さて、35で猊下とも懇意な熱心な信徒ですか………あ!まさか」
姉マリアさんもピンときた、一頃社会問題ともなった風潮だ。
それはそうと、この女然り気無くサバを読む気配りは大した物だ。
「アンナどんの人気は今だに衰えんからのう、当時のアンナどんの人気はマリアどんも知っての通りじゃ。………アンナどんの還俗に合わせて求婚が殺到した物じゃ……」
それは覚えている、18歳の時にアレを引継がされて19で局長に就任したのだ、ローザンヌの奴は9つ違いだから当時28だ。
片腹痛い事に、奴の還俗を公表したら、毎日100通越えの求婚手紙だ、野郎とゲラゲラ笑いながら求婚手紙を吟味した記憶が有る。
結局、野郎は馴染みの定食屋の倅と結婚した。野郎の名声や家柄とは全く釣り合いの取れない結婚だったが、なんせ奴は金筋入りの変人だ。美食家でも無いだろうに妙な所で食欲に忠実なのだ。
他に思惑が有ったにせよ、変人の思惑なんぞ考えるにベクトル違いに愉快なだけだ。
やっかみや誹謗中傷により定食屋は廃業となったが、野郎はしれっと在家信仰者組合の組合長に収まり、亭主を専属の料理人として雇用している。
定食屋の親父の方は、ほとぼりが冷めた頃別の場所で本格的なレストランを始めた、割りと盛況だ。
一連の騒動で助力したのが他ならぬ私だ、だから奴は私に借りが有る。
………確かに姉マリアさんは、定食屋の倅とローザンヌさんが結婚する様に小知恵を絞り尽力した。………尽力はだ。
結果、定食屋は廃業に追い込まれたのだから、定食屋の親父にしたら余計な御世話だ。
こんな感じで姉マリアさんの策略は浅いのだ、在家信仰者組合に収まったから大団円となったが、それは姉マリアさんは関与していない。
ひょっとしたら在家信仰者組合入りはかねてより打診が有ったのかも知れない。
だとしたら本当の意味で尽力したのは、やはりサンドロの大坊主となり、姉マリアさんは一連の騒動の引き金に過ぎない。
「すると、叔母様に振られたクチでしたか……随分と引きずられた様子で何とも……」
御愁傷様でした。
「どうじゃ、それ以外は悪い縁談では無いと思うのじゃが……」
確かに悪くは無い、家柄も悪くも無いし、現職の通産大臣の次男で親の主席秘書を務めている。
行く行くは地方の執政官位には出世するだろう。
アルニンは縁故主義だ、若い内に現職大臣の執務政務に揉まれれば、伝は幾らでも出来る物だ。
また勤まるからには有能なのだろう。確かに良縁では有る………有るが、結婚願望が強いが故に妙に拗らせている姉マリアさんにしてみたら、30代は勘弁物だ。
ここいら辺は世間知らずと言われても仕方ない。
若い内から閉鎖社会に馴染んだ弊害でもある。
「……他にも有る様なので、そちらも精査熟慮しましょう」
まあ、そこそこ数は有る。夢見がちな姉マリアさんのお眼鏡に叶う物件も、一つ位は有るだろう。