姉マリアさんとサンドロどん2
「それじゃが、マリアどんは、先頃南方大陸のテュネスで内乱が有った事を知って居るか?」
(いや、知らんがな。テュネス?初耳じゃっどん)
……この女の思考は楽しい。
「いえ、猊下、私は俗世に疎く存じません。
猊下の様に重責を担う立場に有りませんので耳が疎いのです、申し訳有りません」
「何も詫びる事では無か、確かにマリアどんの言う通り、俗世の外国の一争乱じゃ。特務省の関与すべき事でも無い、ましてや奇跡認定局なら尚更じゃ。
ただ、独立行政区の食を預かる在家信仰者組合としては関心事じゃ」
衣食住の全て外部に依存しているのだから当然だ。
後年の独立行政区、法王庁市国に居住する人口は必要最低限の人員しか所在しないが、この頃はに7万人程が所在していた。
市国民、と言うか僧侶だけの人頭であり、在家信仰者、出入りの業者、その他人員は当然勘定外での人口である。
しつこいが信者数は億に届くので、純市国民の人口(僧侶)はこれでも少なく感じる。
「食?ですか?確かに法王庁市国は領土を持たない国家で、食は全て輸入に頼っている事は存じてはいます。ですがテュネス?ですか、そこが分かりません。食料品輸出国なのですか?」
「その通り、穀物の一大輸出国である。先の争乱、対外的には内乱とされているが、実は四連合王国とフランク王国の代理戦争じゃ」
(で、有るか。んでそれが在家信者組合とどう繋がるんじゃ)
姉マリアさんは余り国際情勢に興味は無い。目先の、手の届く範囲での策謀を練る事は得意なのだが………
サンドロが続ける。
「フランク王国の意を受けたアルニン政府が内乱のテコ押しをし、現政権が実権を奪取したのじゃ。そこで幾つかアルニン政府と協定が結ばれたのじゃが、テュネスは農業国、主輸出品の穀物の関税緩和を求め、またアルニン政府ではそれを認めた」
(ほにほに)
姉マリアさんは飽きてきたらしい、凄まじく投げやりだ。
勿論、おくびにも出さない。
「そこでアルニン商工会議所と農業会議所から、在家信仰者組合に輸入穀物の受け入れ要請が有ったのじゃ」
「そうでしたか。しかし猊下、仮にテュネス?ですか、テュネスの穀物を法王庁市国で受け入れた所で、テュネスに何か益が有るのですか?市場としての規模は小さいですし」
姉マリアさんにしては慧眼だ。人口的には小都市にも及ばない規模の市場であり、テュネスにしても旨味の有る話とは思えない。
「マリアどんは政治の話は不得手の様じゃな、テュネスとしては、アルニン政府の口利きで、法王庁と友誼を結びたいのじゃ、穀物輸出はその一環じゃ」
(なんでじゃ?そもそも南方大陸は景信教の普及率は高く無いじゃんよ)
その程度の事は、流石に司祭位に有るのだから分かる。
「旧テュネス政権の政策は親連合じゃった。それがアルニン政府の介入により、親フランク、アルニンへと代わり世情は不安定じゃ、そこで人心安定に我々を利用したいのじゃろ」
列強勢力図的な内海版図では、四連合王国は強大である。南方大陸の諸国家では連合王国に対抗する……と言うより列強国に単独で対抗出来る国は無い。
なので、なにがしか強国のヒモがついているのだ。
四連合王国人の人柄国柄はドライだ。連合王国離脱を選択し、それを成功させたテュネスは、当然制裁対象となる。
テュネスは農業国であり主輸出品は穀物である。つまり連合が周辺国に圧力を掛ければ輸出品は売れない。また穀物類は工業製品と違い腐る、安定消費が望まれるのだ。
そこでアルニン政府の出した対抗策が………
「それまで教義が浸透しなかった南方大陸で、多くの人民を教化する為、テュネスに南方教会の設立を条件としたのじゃ、行く行くはアルニンの様に国教としたい」
そう、宗教による同盟だ。景信教宗教勢力はほぼ内海全域に及ぶ。
連合が政治的圧力をもってテュネスに圧力をかけるのなら、こちらは景信教宗教大同盟として対抗する。
そもそも、四連合王国の国教会である景信新教は景信教と対立関係に有る。四連合王国の国威を下げる事は、法王庁としても望ましい。
「猊下、私には政治は分かりません。ただ、テュネスが法王庁に恭順を示し、法王庁がそれを受け入れる意味で、穀物輸入、教会設立をする事は分かりました。
しかし、それが在家信仰者組合、叔母上の人材要請と繋りません。やはり在家信仰者組合に人材無しとは思えません」
「ああ、マリアどん済まない。余計な先入観を与えてしまった様じゃ。話は簡単で、要は外国人のテュネス人と、対話出来る程度に公用語を話せる人材の要請なのじゃ」
在家信仰者組合は還俗者で運営されている。
公用語のベースとなった古代アルニン語は法王庁内で使用されている。聖書が古代アルニン語で記されているからだ。
なので在家信仰者組合員も古代アルニン語はは読み書き出来る。
読み書きは出来るが、会話は出来ない、正確な発音が分からないし、そもそも古代アルニン語で会話する意味が無い。
普通にアルニン語で会話すれば良いからだ。
高位聖職者ならば、役柄上共用語で説法説話をこなすが、そんな高位者が還俗し組合加入する訳が無く、組合構成員は専ら修道士や修道女、高位者でも助祭しか居ない。
司祭以上になると、各地教会を任されるので普通還俗しない。
バロト姉妹の叔母、ローザンヌの位階が司教で有ったのは異例的な話だ。
彼女は景信教の広報的な役割をこなし、裏を知っている者からすれば噴飯物だが、市井では聖女として名高く、また首都ロマヌスで非常に人気は高い。
………流れからして、本作に登場しそうな辺りが悩ましい。グダグタキャラばかりを増やすまいと反省したばかりなのだが。
姉マリアさんは司祭位階であり、教義の説法布教が出来る。つまり古代アルニン語、ひいては共用語が堪能である。
サンドロ枢機卿にしてみたら、ローザンヌと縁者であり、共用語に堪能なマリア司祭が還俗するならば、彼女を勧める事は当然だ。
さて、姉マリアどんにしてみたら思案のしどころだ。
15で出家し、11年もの間世間と隔絶されている。世間知らずとは自分自身で分かっている。
何やらこのムキムキ爺は難しげな話をしていた。ハッキリ言えば超面倒臭い。
ただ現実問題、実家に戻った所で碌な待遇を受けない事は確かだ。
どこぞに政略結婚に出される事になるだろう。適齢期を過ぎている事を鑑みて、良くて狒々親父の後妻、悪くて狒々爺ぃの世話人兼後添えだ。
それが嫌だから、顔の広い枢機卿であるサンドロに縁談周旋依頼をしたのだが、このムキムキ爺は忘れている様だ。
(少しつついてみよう)
姉マリアさんに敬老精神は無い。
「そうでしたか……つまり通訳、この場合は秘密保持の為、口が堅く信頼出来る者で無ければならないのですね」
流石に唯の通訳人が欲しいとは思わない。
ムキムキは南方教会の設立云々と言っていた。
おそらくテュネス側との交渉窓口も兼ねると予想出来る。
法王庁、テュネス政府との直接的な接触は互いに不味い。旗幟鮮明をするのは下策だ。
ここは、表面的には数有る商取引国の一つとして取り繕いたい。
こんなで姉マリアさんは小策士だ。小知恵は回る。
「マリアどんは家柄からしても適任なのじゃ、どうで有るか、一つやってみんか?」
適合条件の一つだ、還俗前提なのだから、先方(この場合はテュネスのみでなく出入りする人全般だ)はこちらを唯の宗教関係者としか見ない。
ローザンヌの様に知名度が高ければまた違うのだろうが、無名なのだから普通家柄を見て物を言う。
バロト家は法王を出した事も有る名家だ。先ず軽んじられる事は無い。
小策士が策謀する。
「猊下、私は実家を出て10年も経ちます、バロト家は私に重きを見ず、力添えをする事は無いでしょう。
有力者の直接的な後見が得られれば、私も心強いのです。出来る事なら年格好が釣り合う後見人が望ましいのですが……還俗もする事ですし」
かなり直接的に姉マリアさんは催促した。
これで通じなければ、相手は猿か蟹か臼であろう。
サンドロ枢機卿は苦笑いだ、どうやらこの大坊主猿蟹臼では無いらしい。