姉マリアさんとサンドロどん1
「奇跡認定局局長、マリア。緊急事態につき、至急サンドロ猊下に取りつぎ願います」
サンドロが枢機卿府の方の執務室で無く、内務省庁舎内の長官室に在室している事は、“レイシャ”により確認済みだ。
庁舎受付としてはアポイントの無い来客など取り次ぎたく無いのだが、姉マリアさんは有名だ、またサンドロ枢機卿と昵懇な事も知っている。
何より、局長レベルの人物が緊急を告げての面会依頼だ、それでも取り次がない様な変態受付も居ない。
待合室に通されるが、それ程待つ事も無く執務室に案内される。
執務室の様相は、僧侶の物では無い。僧形の官僚大臣だから当然と言えば当然だ。
またこの坊さま、やたらとゴツい。骨太の所に肉体鍛練を欠かさないので、無駄に筋肉が有る。武道鍛練では無く、肉体鍛練つまりボディビルダーなので無駄にマッチョだ。
ただ、威圧感はパ無い。法王庁の内務省長官を、……政争を潜り抜けてきた坊様なのだ。
マカロフが移籍して来るまで、先代の法王の元、特務省庁を切り盛りしてきた実績も有る。Ⅰ、Ⅱマリア婆とも面識が有ったりもする。
十分に胆の練れた大坊主だ。
「猊下、急な面会依頼にも関わらず、貴重なお時間を割いていただいた事、感謝いたします」
姉マリアさんは、叔母のアンナさんを見習い、内ヅラ外ヅラの使い分けが上手だ。
「構わん、構わん、マリアどんの面会依頼なら何時でも構わんよ、それに丁度良いタイミングでの面会じゃ、拙僧の方もマリアどんに話が有ったのじゃ」
なんじゃろう?
マリアどんは腹の中で反芻する。勿論おくびにも出さない。
「話……ですか、奇跡認定局に関与するお話でしょうか?」
内務省では支配向きが違う、奇跡認定審問関係ならば、特務省にまず話が通る。マカロフの大坊主からそんな話は聞いて居ない。
(内々の審問か、超面倒臭ぇタリぃ)
腹の中で、そんな事を瞬時に毒吐く姉マリアさん、勿論おくびにも腹の内を出さない。
「いや違う、順を追って話すが、その前にマリアどんの緊急事態報告の方が気になる、何が起きたんじゃ」
起きたと言うか、起こしたのだが……勿論そんな余計は言わない。
「実は猊下。奇跡認定審問官証が……新たに持ち主を選出しました、これにより、私は審神者能力と共にその資格を失います」
嘘で有る。そもそも、アレと審神者能力は全く関係無い。アレは所有者以外が保持すると臭いだけの保管庫の鍵だ。
ただ、部外者である内務省長官にそんな事は分からない。
「誠か!だとしたら一大事である」
いや、全然一大事では無い。大事と口に出来るのは、現時点ではジャンヌさんだけだ。アレの匂いは背筋が粟立つ程に苦手な臭いだ。
サンドロのオーバーアクションに、姉マリアさんは調子に乗る。この女、基本お調子者だ。
「奇跡認定審問官証は聖遺物、聖カルタスの祝福を得ています。即ち、選ばれし者は聖カルタスの祝福を得た後継者。
……私は速やかに職務を退き、還俗しなければなりません、聖カルタスの大御心に沿わねばなりません」
やたらと吹き始める姉マリアさん。深い意味は全く無い、調子に乗っただけである。
「何とも。聖下はこの大事をご存知で在られるのか」
「いいえ……つい先程の聖選別でした。本来ならば、先ずは特務省長官に報告を上げるべきなのですが………」
「ああ、マカロフどんは兼任長官じゃ、外務省の方が多忙じゃろうが…今は居らんのか」
「マカロフ猊下は不在なのです、そう囁かれました。私にはサンドロ猊下の他に、こうして懇意に面会願える枢機卿の方々は居りません」
「いくらでも頼ってくれい。分かった、聖下には拙僧から報告しよう」
咄嗟にだが、ここまで吹き散らかせるのだから大した物だ。三流詐欺師の面目躍如だ。
さて、妙な経緯での法王への報告となった訳だが、法王庁内では別に変では無い。
行政組織図的には直属の上官を通さないでの上申なのだから、本来ならば懲罰対象なのだが、そもそも特務庁は法王直下だ。マカロフは代理である。
姉マリアさんの上司は法王本人となり、組織的には姉マリアさんが直接報告に上がっても良い物に思えるのだが……
法王は神の代理人だ、姉マリアさんの司祭位では徳業不足で面会不可なのだ。法王に面会するに司教位階が最低ラインだ。
慈悲を受ける側の一般信徒は当然別。パンピーは、逆に法王に会える事が味噌だ。
更に行政組織図では不可な報告だが、姉マリアさん、ジャンヌさんは共にサンドロ枢機卿(当時は大司教)から洗礼を受けており、出家と共に法系列はサンドロ系列となった。
だから、姉マリアさんの言葉をサンドロを通して法王に上申する事は、通例的に有る事なのだ。
宗教国家は、これだからややこしい。
ただ、姉マリアさんにしてみたら、そんな事は非常にどうでも良い事で、サンドロとの面会の為のダシでしか無い。
数年来の依頼である、縁談周旋の成果こそが知りたいのだ。
やっとこ還俗するのだ、元々求道的自律自戒生活なんぞに興味は無い、ごく普通に家庭を築ければマリアさんはそれで良いのだ。
……バロト家はその異能により景信教に取り込まれた家だ。
その能力により、誰が教会に送り込まれるのかは、幼少時に粗方定まってしまう。
テレーズ、ルイーズ姉妹が教会に送られる事は、聖霊鳥と対話出来る事で定まってしまっていた。
その反動で、テレーズさんは子供の頃から結婚願望が強いのだ。
………性格は自前で、生まれた時からあんなであり、教会でネジ曲がった訳では無い所が悩ましい。
更にローザンヌとの出会いにより、その資質が開花した。ローザンヌの異能とテレーズの資質がとても相性が良かったのだ。
テレーズの異能と、では無い。あの妙な小策士気質と言うか、イタズラ小僧気質と言うかペテン師気質がだ。
「そこで猊下、私は業務引継が済み次第に還俗いたします」
「うむ……残念じゃが、最初からそう言う約束で有るからの。して、誰が引継のじゃ」
「……妹のルイーズ、現異端審問二課長、ジャンヌ助祭が聖選別されました」
「おお、ジャンヌどんが……姉妹二代に渡り、いや、アンナどん…ローザンヌどんも御一族であったな、一族三代に渡る奉職、聖下に代わり礼を言いますぞ。永きに渡りお疲れ様でしたな」
頭を下げる習慣は無いので目礼だ、サンドロは言葉を繋げる。
「マリアどんは還俗後は如何するのじゃ、御実家に戻られるのかな」
一応はそのつもりだ、だがそれも一時的な物で、本命は嫁入りだ。少しせっつく。
「はい、ですが私はバロト本家の出ですが、家督を継げる訳では有りません。何処へ出る事になります……なので……」
婿か何かを紹介しろと言いかけて、サンドロが言葉を被せる。
「ならば好都合、マリアどんは在家信仰者組合に加入せんか?
いや拙僧の話とは正にこの事で、組合長のローザンヌどんから人材を送って欲しいと催促されていたのじゃ」
なんじゃと?何の戯言じゃっどん。
即座に腹の内で反駁するマリアどん。
表面にはおくびにも出さない。いっそ大した物だ。
「猊下、在家信仰者組合ですか?人材との事ですが、私には荷が勝ち過ぎる様に思えますが……評価いただいた事は嬉しく存じますが……」
嫌だ!とはっきり宣言したつもりなのだが、相手は海千山千の大坊主、“嫌だ絶対やりたくない”と宣った所で、急性難聴に成った如く完全無視する様な手合だ。
「悪い話では無いぞマリアどん、そもそもローザンヌどんとマリアどんは仲良しじゃなかか。
行く行くはローザンヌどんの跡継として在家信仰者組合を継承すれば、バロト家本家としてもマリアどんを軽視できまいて」
(むっ、確かに在家信仰者組合の組合長に収まるならば悪い話でも無い。
ローザンヌの奴は、あの妙な異能のお陰で名声が高いけれど、本人自体は阿呆みたいに空の器だ。
ならば私がとって替わる事も出来る筈。
ローザンヌを上手して、実権を奪うのも面白そうだ。けど、何をやらされるかが分からない、野郎の思考は読めな過ぎる)
「猊下、そもそも叔母上は何故に人手を欲したのですか?信仰者組合に人材無しとは思えませんが」
これは本当だ。各々事情が有って還俗するのだが、信仰を捨てた訳では無い。
能力の程は知れない、だが、還俗したことで逆に信仰心が篤くなるのも事実で……と言うか宗旨に不満が有るならば在家信仰者組合になぞ所属を望まない。
なので、在家信仰者組合は一枚岩に近い結束力を誇り、教義の元に奉職するに吝かでは無いのだ。
まあ、筋金入りは恐ろしいのだよ。