超適当な地鎮祭
空気が澱んでいる。まだ朝と言っても良い時刻であるが、なにやら薄暗く見える建屋だ。
草木の類いは、無惨に枯れ果てて、いや、腐れていた。
………瘴気が見て取れる気がする。
数日前まで、極普通の士官用の兵舎であった。ちょこちょこと異変が囁かれる程度の、どこにでも有る建屋だ。
異変に馴れた海兵ならば、噂にも成らないようなささやかな怪異だ。
例えるならば、ヤギが馬糞を放る様な、猿が蟹とワルツを踊ると云う様な、ほんの些細で微笑ましい怪現象でしかなかった。
………それはそれで研究をするだけの価値は有る現象だが、ここには及ばない。
ザワザワと人の、いや兵馬の雑踏が耳につく様な、そんな幻聴がする気がする。
幻聴がすると断言しないのは、意識を雑踏に傾けると、途端に聞こえないからだ。あくまで無意識下でのざわめきだ。
たまに整列したと思われる騎馬群が、疾走する様な気配を感じる。幻覚か。
繰り返すが、白日下だ。こうも堂々と怪異が起こると、恐怖よりも好奇心を刺激されるらしい。
一般軍属を始め、非番の軍人、高級士官の家人などが、例の歩兵士官用の兵舎に、怖いもの見たさに集まっていた。
その中心に彼等は居た。庭の柵外で、妙な祭壇らしき何かを設え、供え物を捧げてある。
はい、アウト。レオンとダッドは、関り合いになりたくないとばかりに回れ右をするが、変人二人に見つかった。
「ああ、軍曹丁度良い、犬か猫の死骸を持ってきて。豚の生き血でも良いや」
「馬鹿野郎!そんなもん何で俺が手配出来ると思った!大体軍施設にんな物有るかよ!この変態野郎!」
ダッドが正しい、しかし脊髄反射で悪態をついたため、周囲の注目が集まった。脱出不能事態だ。
誰かが“バミューダフォー”と呟いた、彼等のユニット名だ。メジャーになったものだ。
「技官殿、贄か何かなのかね、山羊の頭蓋骨ならば手配がつくが……」
ゴーンの私物だ。従卒の背嚢に常に持たせてある、テュネスにも持参していた。コイツは一体何処に向かっているのだ。
「流石軍師さんだ、軍曹も見習いな」
………何を………
周囲の野次馬の想いを地文が代表する。
「少佐殿、アル技官、一体何を始める気ですか?あまり妙な事は………」
時既に遅しでは有るが、常識論を振りかざした方が、しないよりはややマシだ。
「ちょっとした実験だよ中尉、中尉は知らないだろうが、この士官兵舎はいわくの有る建物で、何度か教会による鑑査が入っている。直接的に言えば悪霊祓いを行った」
「そうなのですか。初耳でした。ですが少佐殿や、アル技官がしている事が繋りません、悪霊祓いですか?」
「中尉、言葉を選びたまえ。教会関係者でも無い者が悪霊祓いなど出来る訳が無い、出来たとしたら審問が待っている」
では何をしている、悪霊祓いでは無く悪魔召還でも行っているのか。そういえばゴーン少佐に黒いローブでも纏わせればそれらしい。
“悪魔神官”
そんなイメージが浮かぶ。
言葉を呑み込む。
「まあ物は試しだよ先生。悪霊祓いじゃ無いよ、“地鎮祭”だよ」
犬猫の死骸や豚の生き血を使った?
「何だアル、その“地鎮祭”とやらは。耳慣れない言葉だが、外国の儀式が何かか」
「そうだ、それをアレンジした。まあ新造船の進水式みたいなものだ」
新造船の進水式に、犬猫生き血を使うとは初耳では有る。
海神への供物として、酒瓶を船首で割るのは聞いた事が有るが。
さて微妙な線引きだ。たとえば、豊漁や豊作祈願などの儀式は、民間で普通に行う。別にこれらは異端的宗教儀式では無い。
これらを異端と言い出したら、迂闊に天気占いすら出来ない。ほれ、靴を放り投げるやつ。極東の島国では“下駄”なる履物で行うそうな。
ダラダラと尺を喰いそうなので説明すると、噂の絶えない歩兵士官兵舎に、アルを入舎させれば異変が治まるのでは?と云うゴーンの好奇心と下心から始まった実験だ。
結果は………大幅に悪化した。ただ、元々の些細な不成仏霊は………消滅した様だ。
四号は戦地でもそうだった様に悪食だ、共喰いをする。
してみると、浄霊には成功はした様だ。
アルが不貞寝して、やる気を見せないのを良い事に、奴等はやりたい放題だった。何名かの三号も喰われている。
アルにしてみても、別に奴等の保護監督責任が有る訳で無し、また凧帆で遊んでいる事が思いの外面白く、完全放置でコロンボと遊び呆けていたのだ。
そんなこんなで、プチ魔界と化した歩兵士官兵舎を何とかすべく、ゴーンが乗り出したのだ、ノリノリで。
こんなで有能な作戦参謀だ、留守中の情報収集も怠らない。ただ、琴線の有り様が変なだけだ。
明日出立する事でも有るので、ギャラリーを集めての“地鎮祭”となったのだ。
アルに尋ねると、昔、祖父にこの手の儀式を教わったそうだ。
………実際、そんな事をしなくとも、アルの移動に伴い怪異は止む。
だが、そんな事はアル自身未経験なので分からない事だし、戦々恐々とした皆を安心させようと、面白半分に儀式を行う事にしたのだ。
………更に有り体に言えば、ゴーンは暇をもて余していた。会報誌に載せるテーマも無かったので、悪霊祓いを……地鎮祭とやらを実施し、それの観察レポートを会報誌に載せるつもりで有った。
因みに、会報誌作成にかかる費用は自費である、年会費は今の所はロハだ。
初出時の切れ者参謀の面影は無い。
そうこうしている内に、悪魔的な祭壇に山羊の頭蓋骨を鎮座させ、供物として………ホットドッグを供えた。
売店で入手出来た死肉がこれしか無かった。加工精肉を死肉と称するには抵抗が有るが。
………それにドッグ繋りだ。豚も絡んではいる。良し。
聖杯と見立てた海軍御用達木杯に、ビネガーを注いで供えた。赤ワインが良いのだが、今は朝方だ。
軍施設内の売店に、流石に飲酒用のアルコールは置いて無く、酒保は閉店時刻だ。
仕方ないのでゴーンの従卒は、ホットドッグとビネガーを売店から購入してきたのだ。
軍務からあまりにかけ離れた上官命令であり、少し哀れである。この件に関しては抗命も可で有る。
頭蓋骨を除けば、食卓の様な祭壇の前にアルが鎮座した。
たまにアルがする土下座だ、ここいらには無い習慣だ。ただ、儀式の一環として見えるので違和感は感じない。
妙な呪文を唱え始める。
「マハーリ、クマ、ハーリ、タ、ヤン、バラ、ヤン………」
………セーフだと思うが字伏せが必要だろうか?
「食う寝る所に住む所、パイ……」
これは分かるセーフ。古典話芸は著作権が無いから安心だ。
「てけれっつのパッ!」
これも安全だ。これで終わりの様だが、別に変化は無い。当然ったら当然だ。
何の事も無い、外国雑誌から、それらしい呪文の様な文言を並べただけだ。
ただ、アルの祖父はこれで通していた。
身も蓋も無い話だが、この手の儀式は尤もらしいホラが肝だ。
アルは原文通りにほざいただけだから、発音上、元ネタの現地人にすら聞き取れない意味不明な文言だ。
そんなだから、異言語のアルニン人達に意味が分かる訳が無い。
そしてアルは立ち上がり断言した。
「悪魔は去った、もう大丈夫だ」
「地鎮祭だ!馬鹿!いちいち言葉を選べ!」
即座にダッドがフォローが入る。悪霊祓い所か、悪魔祓いとなると洒落にならなくなる。ギャラリーは多いのだ。
「心なしか、空気が軽くなった様な………アル技官殿はこれで終わりとの事だが、原因などは分かる物か」
原因はアル本人の滞在に有るのだが。
「この地は、悪意に満ちていた。悪意や憎悪が地に染み着いて、不幸が連鎖していた、ここに住むと、不幸を呼び込む様になるんだ。でも、全て済んだよ」
本当に超適当に放言だ。この手の台詞は、ちょこちょこニーズに合わせて手直しすれば、汎用可能だ。
「何だよアル悪意ってのは?そんなもんが地に染み着くだぁ?いい加減な事ばかり言ってんなよ」
止せば良いのにダッドが絡む。シャンシャンと手打ちにすれば良いのにね。
「んー軍曹なんかが分かりやすいな、つまり軍曹が大地としたら、ジョージ君が悪意や憎悪だ。な、分かりやすいだろ」
「分かるかよ、それよりカバを祓い落としてくれよ、どうも最近眠れねぇ、カバのせいなんだろ?」
「ストップ、曹長、ここでその手の話は不味い。アルに話が有って来た事だし、その時にでも相談してくれ」
「ダッド曹長、なかなか興味深い話だ。私にも聞かせてもらっても構わないか」
「ジョージ君を邪険にすんなよ、また尻っペタを噛られんぞ。ジョージ君、あんま四号に近づくと喰われるよ」
“バミューダフォー”誰かがまた呟いた、当人達は、自分達のユニット名だとはまだ気づいてはいない。