ミシン軍曹
食事内容は至って普通だ、パンに野菜スープにグリルチキン。チーズが三切れと赤カブの酢漬。量だけは有る。
時間的にまだ早いので、食堂舎は空いていた。
まだ5時を回ったばかりだ、ピーク時は午後7時位だから当然か。
学生食堂の様な感じだが、大人数に対応するとこんな物だ、ただ学生と違い食事はロハである。当たり前だが、アルコールの類いは無い。
外出許可を貰い外に飲みに行くなり、軍轄酒保なりで購入して勝手にやれと言うわけだ。
因みによくよく出てくる軍轄酒保だが、これは別に軍で運営している訳では無い。
軍の衛生指導を受けて販売や営業許可を得ている店舗や販売店だ。
まあ、軍内で妙な病気が蔓延しない為の措置だ。どこで使うのか知らんが、避妊具の類いも販売している、厳しい軍の審査を通過してだ。天晴れ。
大昔は、軍隊の後方に付かず離れず従軍し、兵站を担ったと言う。兵士相手に様々な物資を販売したと云う。
日用雑貨、食品、酒、後は言わずもがな。
つまり性病が蔓延する土壌が培われているので、いつ頃からか軍で指導する運びとなった。
一口に軍轄酒保と言っても、食品専門、酒専門、雑貨専門、飲食専門、酒場専門、女専門、それら複合とジャンルが別れる。
生活向上商品販売業同業組合、飲食業安全衛生同業組合、特定保健衛生業同業組合にそれぞれが加入している事が大前提で、軍の指導下に入る。
ただ、軍人の駐屯地周辺なので経営的に失敗する事はまず無い。支払いは綺麗だし、トラブル発生時の訴え先は明瞭だからだ。
そんなこんなで軍轄酒保なる物は存在した。
「明日からの事なんだが、お前はどうする?」
二人は早食いだ。着席即完食だ、これは軍人の特技でも有る。のんびり食事などしてはいられない。
演習時など、交代で三分以内で携行糧食を完食する。もしくは食える時に食っておく。
ただ、アルは生まれつき食が早い。筆者と同じだ。
「開発部で遊んでいるよ、軍曹達は訓練か何かか?一日中走ってんだろ、ザマァ見ろ」
誰かが言った名言に、体を鍛えるならば、“走るか泳ぐか馬に乗れ”と言う物が有る。
馬に乗るのが一番楽に思えるが、実は一番キツい。
走るにせよ、泳ぐにせよ、所詮己れの体を酷使するだけだ。
まる一日、馬に気をやり、馬の疲労を避けて乗馬するのは骨だ、尻も痛くなる。
馬は賢い。駄目な乗り手は、疲れるだけなので乗せたく無いから、ヘボの言うことを聞かなくなる。
だから乗り手は馬に熟知せねばならず、騎乗するだけで精神的にも疲労する、更にその状態で一日強歩せねばならない。
僅かでも気を抜くと落馬する、鐙と鞍は決して体を保定してくれない。落馬を避けるには適切な体重移動と、腿で鞍越しに馬の背を絞めるしか無いのだ。
軍で馴致された馬ですらこれだから、古代ロマヌス人が、裸馬に跨がり戦場を駆けたとは信じがたい。
「いちいち憎たらしい馬鹿だな。まあ、お前は民間人だから、一緒に走れとも言えないしな」
中央に所属が移り、メンバーが大幅に抜けてしまったが、第三砲台火砲術研究室、三砲研のメンバーにガリレイ技術少尉も名を連ねている。
なので、三砲研繋りで、特に軍令に従う義務が薄いアルが開発部に入り浸ってもおかしな話では無い。
一号工房工廠責任者のガリレイが、許可を出しているからだ。
「そうだ、軍曹、糸と針が達者な奴を知らないか?」
「………お前、軍人を何だと思ってんの、裁縫なんぞ……と言いたい所だが心当たりがある」
「マジで、流石色物軍人、伊達に気が違っていないね」
「喧嘩売ってんなら買ってやりたい所だが……なあ、アル、今髭がチリチリするんだが、カバか?」
「やっぱ分かるんじゃん。ジョージ君が軍曹の髭を引っ張って遊んでる。仲良しだね♪」
「………カバを追い出すまでは我慢してやる、けしかけられても気味悪いからな。
それで裁縫の件だが………俺は足踏みミシンを使える」
「巫山戯んな!貴様それでも軍人か!ミシンなんぞ女子供の玩具だ!そんだけシャアシャア人殺ししといて何がミシンだ!恥を知れ!」
馬鹿の怒声に周囲が騒然とする。そりゃそうだ。ここはガラの悪い場末酒場じゃない。
あまりガラは良くないが、軍施設の食堂舎内だ、アルコールの類いは無いのだから、水でも飲んで激昂した粗忽者がいる事になる。
珍しいから注目が集まる。
「ああ、良いんだ、良いんだ、別に喧嘩じゃない、こいつは名うての馬鹿だから普段からこんななんだ、気にしないで飯を続けてくれ」
ダッドが周りを取り成した。大人の余裕である。
喧嘩騒然になれば、怖い憲兵が飛んでくる。
厄介事は御免とばかりに周囲は散った。
「どういう事だ!説明しろ!それによってはただじゃ済まさん!」
「………一応は聞いてやるが、ただじゃ済まさんとは何する気だ、お得意のウンコ関係か」
「で、軍曹以外には居るのか?今先生留守だから、軍曹とダーレンさんとで連中の面倒見ているんだろ。抜けて良いのかよ」
「誰だったか、手芸が趣味の奴がいたが……忘れたな、別に開発部で刺繍をする訳じゃ無ぇんだろ」
マリオ軍曹だ。ただ、彼の刺繍は前衛的過ぎて、作品を披露できないのが残念だ。グロ系、スプラッタ系、お洒落系混合のカオス作風である。………病んでいるっぽい。
「阿呆みたいにゴツイ工業用のミシンになるが、軍曹マジで使えるのかよ」
「連中は砲班単位で砲班長に指示させる、ダーレンのおっさんが総括すれば問題無いだろよ」
会話のテンポが少しづつずれているが、最早互いに相手に合わせる努力が惜しいのだ。
ただ、グダグダ話を続けてても仕方ないので一点だけ。
「何で軍曹はミシンなんぞ使えるんだよ、返答次第では……」
それはもう良い。
「実家が仕立屋だ。被服もやるが、布製品の縫製下受けが専らだ。
お前はパルト市街の出自だから知らんだろうが、ナザレは軍港城塞都市だから、軍需産業が多い。
ガキの頃から家業を手伝わされた、だからゴツイ工業用のミシンも使える」
「尊敬するぜ!だから軍曹になったんだな」
「……まあ、そんな所だ」
………?アルの言は兎も角、ダッドのを説明するならば、幼少時より来る日も来る日も軍事用の背嚢やポーチを作らされて、家業に嫌気がさしていた所に、たまたま目にした募兵広告に飛び付いたのが、若かりし頃。
勉学不足で、超不人気兵科の砲兵科にしか行けず、今日に至る。
おつむの方は、まあ、普通に過ごす分にはマトモなので、勉学が出来る環境になった事だし、勉強して他兵科に転科しても良さげな物だが、性分に合うのか、今では砲兵科の曹長だ。
「んじゃ軍曹にやってもらおう。いやね、開発部の縫製部隊は、例の防水帆布で軍船の帆を作っていて手が足りない。
いろんな配合比のアレで試したりするから、当分他の試作を作れんそうだ」
防水効果云々より、強度的な絡みも有るのだ。
「ん、布の開発じゃ無いんだな、縫製ってことは、また人殺しの道具を発明したのかよ。業が深い馬鹿だな、だからキチなんだよ」
「今度のは違う。と、言うかあまり人殺し向きじゃ無い。まあ、お遊びだ」
馬鹿だのキチだのは、今更否定も肯定もしない。お互い様だと、信じて疑わないからだろう。
「………隊長が言っていたが、作りたいから造るのが天才たる由縁だそうだが、お前の場合は、なんと言うかキチガイの天才だな。
なんだよお遊びってのは、ちっとは真面目にやれや」
「真面目に人殺し道具の開発をするのは、なんか恥ずかしいから嫌だ。
遊びってのは、習得するにそう見えるだけで、割とマトモな軍事訓練になるんじゃ無いかな?知らんけど」
「何作るんだ、考えてみたら靴底みたいなマトモな発明もあったからな」
特許申請が特許庁を通過し、製法が広く民間に広がれば、むしろアルは平和的で偉大な発明家として名を残しただろうが、そうは問屋が卸さなかった。
まあ、ウンコシリーズは、平和的な存在じゃ無いので当然の事ではあるが。
珍しい事に、この後ダッドが酒保へ誘うのだが、図面作成を理由にアルは断った。
アル自体がレベルアップしたのか、或いはおつむの重要な器官が逝かれたのか、あまり死臭が気にならなくなったそうなので、一頃よりは人が多い場所が平気になっている。
だが、基本アルは人付き合いは面倒で嫌なのだ。
それに、臭いは兎も角、相変わらずシリーズの面々は見えている訳だし。
生首だの、グロい磯巾着だの、穴人間だのを愛でながら、一杯やる程には逝かれては居ない。
アルの目には、まるで地獄の竜宮城の様な有り様なのだ。
鯛やヒラメの舞い躍りの代わりが、つまり彼奴等な訳である。
まあ、同情の余地はある。南無阿弥陀仏アーメン。