女二人 2
「だから、稀ちゃんに誘ってもらえてよかったよ。……ごめんね! こんな真面目な話……」
「そんな――」
海の方に目を向けたまま、少し寂しそうに笑う。
それを見てしまい、願い事の内容など聞かなければよかったと後悔しても遅い。
「――いえ、私の方こそ絵里さんがいてくれて助かりました。一人で登るのも、つまらないし」
それを聞いた絵里はまた笑った。さっきのものとは違う。これは愛想笑い、作り笑いだ。
「ありがとう。……あっ、そうだ! お守り買って帰りたいんだよね。写真も撮ったし、帰りのバスの時間も確認しないとね」
「ああ、そうですね。私も……お守り買っていこうかな」
子どもの頃から今までずっと、彼女は対人関係に悩んでいた。あの横顔はそれを物語っている。
私と同じ――――。
絵里の苦しい心境を垣間見てしまったばかりに、稀はそれ以降、相反する自分の考えに直面するはめになった。作り笑いで取り繕ったとはいえ、素直に自分の気持ちを話し曝け出すことのできる絵里。そんな彼女を見て面倒臭いと思う自分と、慰めたいと思う自分が同時に顔を出したのだ。
こんな矛盾を抱えたまま絵里といるのは、居心地が悪く、少し息苦しい。どういう態度を取ればいいのか、そもそも自分はどう接したいのか分からなくなってしまう。適当に相手をしてもらい、ただ稀の腹の底に溜まった嫌なものを忘れさせてくれさえすれば、それだけで良かったのだ。絵里にそれ以上のものなんて、求めてなんていなかった。ああ、鬱陶しい。
同情して慰めればいいのか、それとも関係ないと流せばいいのか。彼女をどうでもいい存在と割り切り、いっそぞんざいな態度でさよならを言えればどんなに楽だろうか。しかし引っかかるものがある以上、それを行動に移してしまうのは早計だと自分に言い聞かせた。
「タオルと、下着と……はあ」
思わず溜め息をついてしまう。一緒にいるのが息苦しいと感じているくせに、このまま別れるのは後味が悪いと思ったのか、それとも上辺を取り繕ういつもの癖が出たのか、気付けば一緒に風呂に入る約束を自分からしてしまっていた。海に沈む夕日を見ることになったのだ。それに合わせて着替えを用意している自分は憂鬱で、酷く滑稽だ。
まだ水筒に残っていたスポーツ飲料を一気に喉の奥へと流し込んで、深呼吸をして。
そうだ、明日になれば彼女は島を出ていく。それまでの辛抱だ。たかがあと数時間、突き放せないのならそれぐらいのことは我慢しなければ。
稀がこの島に来たのは小説を書く為で……そう、絵里のことは取材対象として見ることにしよう。そうすれば矛盾する気持ちを一旦置いておくことができるし、稀の気持ちが決まるまで保留にしておける。
……その前に彼女がチェックアウトする方が早いかもしれないが。
「よし……!」
部屋を出て、昨日と同じように一階まで降りる。浴場に続いている廊下まで進み、休憩用にと置いてある椅子に腰掛けた。ここで待ち合わせすることになっているのだ。
絵里が来るまでそう時間は掛からないだろう。そう思いながら肘掛けに体を寄せた直後、廊下を歩いてくる人影が視界に入った。
――絵里だ。
息を吐いて、事務的に口の端を上げて……稀はやってきた彼女を立って迎えた。
「絵里さん」
「ごめん、待たせちゃったかな?」
「いえ、私も来たばっかりですよ。さ、行きましょ!」
挨拶を簡単に済ませれば、まるで最初から女子の二人旅だったかのように隣に並んで、大浴場までの廊下を歩いて行く。
「そういえば、昨日も入ったんですよね? どうでした、夕日」
「それが昨日はいまいちで。雲が分厚かったから夕日がちゃんと拝めなかったんだよね。暫くは様子を見ていたんだけど、何時の間にか海の向こうに沈んじゃって」
「ああ、まあそういう時もありますよね。でも良かったんじゃないですか?」
「――え?」
「海に沈む夕日が拝めるって言っても、雲がなかったらそれはそれで困るじゃないですか。太陽を直に見ないといけなくなるってことでしょ? 雲があった方がじっくり観察できますから」
「……そういう考え方もあるね。言われてみればそうかも」
ほお、と妙に納得して頷いている絵里。
……なんか、彼女が都合良く利用されるの、分かっちゃうなあ。相手の裏を探ろうともしない。
稀にとっての絵里の良いところは、素直で流されやすいところだ。稀は彼女が前を向いてこちらを見なくなったのをいいことに、笑顔で引き攣りそうだった顔の筋肉をこっそり休ませた。
良く言えば素直。悪く言えば興味をそそられない、使い勝手が良いだけの面白味のない人間。
きっと旅行をキャンセルした友人も、稀と同じ理由で彼女と友達ごっこを始めたんじゃないだろうか。
「まあ、私はまだまだこのホテルにいますからね。絵里さんみたいに狙って入らなくても、夕日を拝むチャンスはいくらでもある――って言ったら、空気読めてないですね」
「――ひどい……私が今日で最後って分かってるのに」
「はは、ごめんなさい……だってしょうがないですよ、本当のことだしっ」
「ず、ずるいよ。羨ましい……!」
***
二人はそれぞれのペースで頭、顔、身体と順に洗っていく。絵里は長髪なので、頭を洗うのに時間が掛かっていた。先に頭を洗い終えた稀は、持参した洗顔料を手の平で泡立てながらシャンプーを流している絵里を横目で観察してみる。痩せ型でもなく、ぽっちゃりしているわけでもなく体系はいたって普通。胸の大きさも普通。腰のくびれはあるにはあるが言うほどのものではない。
本当に取り得っていう取り得がないんだな……。
性格は普通。外見も普通。だったら脱いで裸になれば何か見つかるかもしれないと思ったが、どうにも稀が彼女からネタを得るには裸を見たくらいじゃ駄目らしい。
……どうすれば心の奥底にある、彼女の本質に辿り着けるのだろうか。性格に欠点のある、害があるような人間には見えない。果たしてそれだけで友人ができないなんて事態になるのだろうか。実は意外と欲張りで、一生の友達に求める条件が厳しかったりするのだろうか。
もう見たまま、普通の人間として小説に登場させてやろうか。
「今日は雲で隠れる心配はないと思う。さっき部屋で確認したから。良かったのか悪かったのか分からないけど」
ぐるぐると考えているうちに足の先まで洗い終わり、露天風呂に行く前に内湯に浸かって体を温めていると、絵里が笑いながらぽつりと呟いた。
「……何言ってるんですか。良かったって思っておけばいいんですよ」
「あはは、そうだね」
さて、どうだったか――そうだ、確か山の上から海を見下ろした時は晴天だった。その後の天気の移り変わりは気にしていなかったが、確認した絵里がそう言うなら雲がかかる心配はないのだろう。今の稀は夕日を楽しめるような心持ではないので、どちらでも良いが。
「……そろそろ露天風呂に移動します? 体も温まったし。タイミングはばっちりの筈ですよ」
「うん、そろそろ外に行こっか」
そうして外に出て見た夕日は、嘘のように紅く色付いていた。雲はなく直視しても、言うほど眩しいということもない。
はて、このホテルに来て今日まで、自分は夕日をしっかり見たことがあっただろうか。稀は自分の言葉の軽さに一人頭を抱えたくなったのだった。
補足
夕日は昼間の太陽と比べると、分厚い大気のお陰で実は眩しくはない。




