【17】可愛いあの子は落ちこぼれ!?
「これが結界ですか」
「うむ。これで今までよりも城の守りは堅くなったはずじゃ」
魔王城を包む結界を見渡しながら呟く俺に、魔王様は満足そうな顔をして得意気に言った。
だが、それでも。
もしあの光の柱が降り注いだら、やはり終わりだろうと言う思いは払拭できない。
「……考えても仕方がないあるまい。」
「そうですね」
俺の思考を読んで言った魔王様に、頷く以外の返事は思い付かなかった。
「さて、戻るかのぅ」
「じゃあ、俺は人型を解きます」
「うむ」
意識を緩めると、俺だった人型が崩れ城の一部へと戻る。
それを見届けてから、魔王様は玉座の間へ向かって歩き出した。
「ようやく戻ったか、ボーラ=ススよ」
「き、貴様は……いや、貴方は……」
玉座の間へ戻ると、そこにいた見慣れない男……まぁ、たぶん魔族だろうけど……が、魔王様へと声を掛けて来た。
銀色の長髪に、俺の知識にある貴族のような雰囲気の装い。
そして禍々しい印象のあるマントを纏った、言いたくないがイケメン風の男。
「余がわざわざこんな場所まで出向いて来たと言うのに、出迎えの一つすら満足に出来ぬとはな」
「も、申し訳ありません……何分、人間の軍勢との戦いの直後で慌ただしく」
「言い訳はよい」
「…………」
男の険のありすぎる言葉の数々に、魔王様は珍しく殊勝な態度で応じるが、それにすら無情な一言で切って捨てられてしまう。
……率直に言って、嫌な感じしかない男だった。
「ほぅ、汝の城は余が気に喰わぬ様子だな。ボーラ=ススよ、城の躾一つ満足に出来ぬとはな。……やはり落ちこぼれは落ちこぼれか」
!?
まさか、俺の思考を読めるのかこの男は!?
「先程からの無礼の数々。余の力で消滅させられての償いをお望みか?」
「や、やめてください、お兄様!」
……は?
全身からの強烈な魔力の迸りに戦慄した次の瞬間、魔王様の口から飛び出した言葉に俺は目が点になった。
「ふん、まあよい。たかがこの程度の城如きに余の魔力を振るうなど、愚かでしかないからな」
「……寛大な処置に感謝いたします、お兄様」
お……お兄様!?
魔王様にお兄様がいたなんて……衝撃の事実だ。
「それにしても汝の城は煩いな。いったいなんだ、この出来損ないの城は? 汝は己の城一つすら満足には作れんようだな」
「そのような言い様は、いくらお兄様と言えど」
「言えど、なんだ? ボーラ=ススよ」
「……いえ、なんでもありません」
「情けない奴め」
お兄様口から放たれる言葉の数々に、魔王様は悔しさを堪えていた。
俺も自分の主……いや、もう主なんて存在ではないのかもしれない。
そんな魔王様を貶められる事への憤りが、抑えきれない。
「なんなのだ、この城は? 余の知る魔王の城とは些か違う感じがするが……ふん!」
グオァッ!
お兄様が唐突に放った魔力の波が、城の床をポッカリと穿つ。
見た目の破壊はそれほどではないが、俺に襲い掛かるダメージはとてつもなかった。
「お兄様っ、何を!?」
「礼儀のなっていない城には躾が必要だ」
ぐっ……思考が、まとまらない……
苦悶に喘ぐ中、お兄様からの芯まで凍るような冷たい視線が突き刺さるのだけは感じ取れるが。
「魔王として立った以上は、城ぐらいはまともに造ってもらいたかったがな」
グウゥッ!!
再び放たれた魔力の波。
「やめて、お兄様!!」
魔王様の悲鳴を聴きながら、俺の意識はそこで途切れた。
「……ろ。……きろ」
遠くから何か声が聴こえる。
重く抗い難い闇の中で、誰かの声が。
「起きろ……起きてくれ!」
!!
悲痛な叫びに呼び起こされて、俺の意識は一気に覚醒をする。
「あ……!」
「ほぉ。余の魔力波を二度も受けて、まだ消滅しなかったか」
気が付いた俺に安堵の声を漏らす魔王様と、感心したといった口調のお兄様の言葉。
「その『お兄様』と言う呼び方はやめてもらおうか」
言ってお兄さ……男が床の俺の意識のある辺りに向かって、魔力を溜めた手を広げる。
「もうお止めください、お兄様!」
「ふん、よかろう……」
俺の前に立ちはだかり叫ぶ魔王様に、男はつまらなそうな顔で言って手を下ろした。
「『魔王様』か。落ちこぼれの分際で、汝もずいぶんと偉くなったものだな?」
「…………」
睨み付ける魔王様などまるで意にも介した様子もなく、吐き捨てるように言う男。
魔王様はただ、それをじっと耐えて聞くばかり。
それにしても、何者なんだこの男は?
魔王様の兄らしいと言うのは会話の流れから理解できるが。
「ボーラ=ススよ、貴様は城に知識も満足に与えられぬのか?」
「それは……私も想定外の出来事がありまして」
「まぁ、いい。ならば教えてくれよう。余はラース=ボウ、ボーラ=ススの兄にして第三魔王である」
第三魔王?
そう言えば、以前に魔王様との話の中でそんなことを聞いたような気はする。
俺の魔王様が人間界に来るよりも前から、他の魔王が来ていて侵攻を進めている、と。
「それぐらいの知識はあるか」
俺の思考を読み、冷淡な口調で言うラース=ボウ。
その全身からの放たれる威圧感は、まさに魔王と呼ぶに相応しい威厳と風格があった。
「そして余が妹、ボーラ=ススは第五魔王。最後にこの世界へとやって来た魔王である」
って事は、他にも魔王は三人いると言うことになる。
他の魔王もラース=ボウのように圧倒的な存在感と力、そして魔力を備えているのだろうか?
「無論だ。もっとも、魔力許容量だけならばボーラ=ススが飛び抜けておるがな」
……そうなの?
しかしさっきの俺への攻撃は、魔王様のとは比べ物にならない威力があったんだが。
「余が妹は魔力許容量は飛び抜けていて、それの扱い方が未熟だからな。それに甘い」
扱い方の上手い下手、それだけであんなにも違うものになるのか……
それに甘いと言うのは、悔しいが俺も認めざるを得ないところではあった。
「くっ……」
ラース=ボウの言葉と俺の思考を受け、魔王様が歯噛みする。
それでも何も言い返さないのは、魔王としての序列やらなにやらがあるからなのか。
「それだけでは無い」
「お兄様!」
「なんだ? まだ教えてはいないのか、ボーラ=ススよ」
薄く笑みを浮かべて言うラース=ボウに、魔王様が制止の声を上げる。
なんだ、何を言おうとしているんだ?
「まぁ、言えぬのも無理はないか。なにせ汝は……」
「やめて! お願いだから、それだけは言わないで!!」
声を張り上げ懇願する魔王様を嘲り笑いながら、ラース=ボウが言葉を続ける。
焦らすように、勿体つけるように、露骨に狼狽する妹の姿を愉しむように。
「お兄様! やめてえええ!!」
魔王様がついに泣き出してしまう。
それを待っていたかのように、ラース=ボウは言葉を口にした。
「余が妹ボーラ=ススは、我が父である魔神と人間の女の間に生まれた、ハーフ魔王なのだよ」
玉座の間を衝撃が走り抜ける。
俺を始めとした魔物たちは言葉もなく、そしてこの場には魔王様の押し殺した嗚咽だけがあった。
「人間とのハーフな魔王など、一族の恥さらしよ。父上となぜこのような落ちこぼれを、魔王の列席に加えたのか……」
泣き崩れた魔王様を冷淡に見下ろしながら放った言葉には、ラース=ボウの怒りのようなものが感じられた。
俺の胸の中に形容しがたい何かが込み上げてくる。
「そういえば、さっき人間どもと戦ったと言っておったな?」
「はっ……南方に存在していた人間の国から侵攻があり、それを撃退いたしました」
答える余裕のない魔王様に代わり、シェイドヌークが前に出て告げる。
その顔に浮かぶのは困惑だった。
「撃退? 違うだろう、あれは」
「……は?」
「神に救われたのだ、貴様らは」
シェイドヌークからの報告を無下にはね除け、ラース=ボウが口にしたのは思いもよらない言葉。
神?
神に救われた、だって?
「見ていたのだろう、人間の国に落とされた光の柱を。あれは神の放った裁きの光だ」
再び、玉座の間にいる魔物たちが言葉を失う。
圧倒的な神秘性と畏怖、見たものにそれらを与えていたあの光が神の手によるもの。
その事実がもたらす、あまりにも衝撃的な驚きに。
「そんなこともわからぬとは、落ちこぼれの魔王が作り出しただけはあるな。城も、魔物も」
「もう……お止めください、お兄様……」
泣き声で魔王様が言う。
さきほどのラース=ボウの暴露で、心は折れているはずなのに。
それでも魔王様は、それ以上の臣下への侮辱を止める為に言葉を口にした。
「……まぁ、いいだろう。別にこんなくだらぬ事が目的で来た訳ではない」
「…………」
興醒め、といった顔で魔王様を一瞥したのち、ラース=ボウはそう告げる。
思うことはいくらでもあるが、魔王様が耐えているのだ。
俺がここで食って掛かる訳にはいかなかった。
「ここへ赴いたのは余の妹の様子を見る為、そしてこれより始まる東方の人間の国との、大きな戦を告げるためだ」
「大きな戦、ですか……」
「忌まわしき神の力に助けられたとは言え、汝らは人間どもに大きな打撃を与えた。その事実に、余も含めた他の魔王も一念発起されられたのだ」
少しだけ、ラース=ボウがこれまでとは違って見えた。
魔王とは言え、落ちこぼれと蔑む妹とは言え、やはり同族への想いというものはあるのかもしれない。
そう感じさせる何かを、俺はラース=ボウから感じ取っていた。
「それでは余は戻らせてもらうぞ。せいぜい城を落とされぬようにすることだ。さらばだ、ボーラ=スス」
「ご武運を、お兄様……」
どこかぎこちなさだらけではあったが、そうして魔王の兄と妹のやり取りは終わりを告げた。
「……ジョー」
なんですか、魔王様?
魔王様の寝所、ラース=ボウとの会見の後に魔王様は俺を伴いここへと戻ってきていた。
やたらと豪華なベッドに倒れ込んでから、しばらくの時間を経てようやく口を開いた。
「……失望した、のではないのか」
何に、ですか?
魔王様は怯えている。
自分が人間とのハーフであると知られた事に。
そして、その事実を知られたことで、臣下から自分に向けられる目が変わってしまうことに。
「お前の思っている通りじゃ……我は、もうどう振る舞えばいいのかわからぬ……」
弱々しい声でそう言って、魔王様はふかふかの枕へと顔を埋めた。
確かにラース=ボウの言った魔王様の出自には驚かされた。
だが、同時に納得のいくことであったのも間違いではなかった。
魔王でありながら、彼女には非情さは感じられなかったからである。
「……悪かったな、魔王らしくなくて」
他の魔物はどう思ってるのかわかりません。
が、俺は何も変わりませんよ、魔王様に対する気持ちは。
「まったく、お前は……」
ふてくされたような言い方ではあったが、その声からは先程までの不安さは和らいでいるように、俺には思えた。
「迫害こそされはしなかったが、我はいつも孤独じゃった」
そして始まる、お約束の身の上話。
「……やっぱりやめじゃ、この話は」
あぁ、いや、ちょっとした冗談ですよ。
いわゆるいつもの、余計な一言ってやつですよ。
「空気も読めんのか、お前は……」
まぁまぁ、気を取り直して話の続きを。
「じゃが、母様だけは我に優しく接してくれてな……母もまた魔王の一族の中では孤立した存在じゃった」
魔王様の顔が穏やかさを覗かせる。
母親との楽しかった記憶を、話ながら思い浮かべているのだろう。
「それ故になのか、それとも人間としての感情からなのか。理由はともあれ、我にはずっと優しくしてくれたのじゃ」
両方なんじゃないだろうか。
どんな経緯だったのかはわからないが、人間が魔の者に囚われそこで生きていくのは並大抵の精神では、不可能に思える。
「……母様は我が父が滅ぼした国の王女だったらしい。戦利品のようなものだと、いつか言っておったな」
……この辺りは人間でもよくある話だ。
とは言っても、俺の知るのはあくまで本やなんやらから得た情報として、だけだが。
「そうなのか? 意外に魔族も人間も、似たようなものなのかもしれんのぅ」
本当に意外そうに魔王様が言った。
それで魔王様が生まれた……と言う訳か。
「うむ。そして兄様たちや他の魔族からは迫害されていたが、我には母様がいた。母様の優しさを受けて我は素だったからの。それ故に我はどこか人間の甘さが芽生えているのかもしれん」
の、わりには俺に対しては頻繁にお仕置きをしていたような……
「照れ隠しじゃ」
あぁ、そうですか。
「お前は、我の出会った二人目の人間……じゃったからの。まぁ、出会った時点で城じゃったが」
……そりゃまぁ、戸惑いもするか。
それで、魔王様のお母様は今は?
「とっくに亡くなっておる。人間は短命じゃ、ハーフと言えども魔族である我とでは比べ物にならぬくらいに、な」
すいません、嫌なことを聞いてしまって。
でも、何となく俺が魔王様に対して、そこまで抵抗がなかった理由もわかったような気がしました。
「我も最初は戸惑ったが……最初にこの世界で傍にいてくれたのがお前で、本当に良かったと思うておるよ」
魔王様……
「じゃが、さっきの兄の言葉で他の魔物はどうするかのぅ……」
うーん、たぶん大丈夫だとは思いますよ。
「しかし、半分は人間なものが魔王など魔物からすれば……」
この魔王城にいるのは、その半分は人間の魔王様が生み出した者たちですよ?
「う……まぁ、それはそうじゃが……」
それにもし、他の魔物が愛想を尽かしたとしても……
「しても……なんじゃ」
……俺はずっと魔王様の傍にいますから。
「ジョー……」
魔王様の目に涙が溢れる。
俺は俺でこんなセリフを口にして、恥ずかしさでどうにかなりそうではあった。
つくづく人型になってなくてよかった。
「なっててくれた方がよかったのにぃ……」
魔王様の拗ねたような言葉に、心底やらかしたと反省した。