【10】初めての魔物、初めての御使い
「これが、我の作りし最初の魔物か……」
収縮した光の球体はやがて消えると、一体の魔物の姿が現れた。
人型のその魔物は膝を抱え身体を丸めた格好のまま、ゆっくりと床へと降りてくる。
固唾を呑んでそれを見守る俺と、魔王様の目の前で魔物は静かに降下し……
そして玉座の背もたれにぶつかり、丸まった格好のまま
床に転がった。
「なんじゃとっ!?」
目の前で起きたあまりにも間抜けな出来事に、驚愕の声を出す魔王様。
まぁ、俺と魔王様の真上って玉座の真上ってことだからな……
もう少し位置の調整とか、なんとか出来なかったんだろうか。
「……か、考えてなかった……」
あ、そうですか。
ついさっきまでの感動とかドキドキとか、なんだかそれらが全て一気に台無しになったような気がする。
「う、う~ん……」
なんて事を考えていると、床に転がっている魔物がうめき声を漏らし、動き始めた。
「よ、ようやく目覚めたか、我が作りし眷属よ!」
まだ丸まったままで、覚醒までもほど遠そうな魔物に向かって言い放つ魔王様。
……頬を一筋の汗が伝っていくのは、見なかったことにしよう。
「ん……? ふわあああ」
魔王様の声に触発されてか、それとも自然にかはともかく……魔物が目を開け、身体を伸ばしながら大きなあくびを披露する。
その動作は、なんとなく寝起きの猫のようにも感じた。
「……………………」
しばらくゆっくり伸びをしてから、それからのそりと起き上がる魔物一号。
魔王様はそれを急かすようなこともなく、ただ黙ってじっと見守っていた。
そんな主の様子にはまるで頓着することもなく、ゆっくりとゆっくりと立ち上がって。
「……おはようございます」
……動作と同じく、とてもとてものんびりした挨拶を口にした。
「お、おはよう、我が魔物よ」
マイペース過ぎる動作についついボーッとしていた魔王様がハッと我に返り、言葉を掛ける。
どうでもいいが誕生した第一声が『おはようございます』って、なんかの業界なのかここは?
「えーっと……キミ、誰?」
そして返ってきた言葉は、あまりにも予想外のものだった。
ちらりと魔王様を見れば、あんぐりと口を開け呆けた顔になっている。
ちなみに魔物の容姿は、まず人型。
そして全身を鎧に覆ったようなゴツい感じの、見るからに厳つく強そうな姿。
例えるなら暗黒騎士と形容するのが一番しっくり来るか。
そんな見た目で口から出たのは、間延びしたおはようと主に対する『キミ、誰?』である。
その破壊力は推して知るべし。
「あ、う、あ、う」
変な声を出しながら、ギギギギと油の切れた機械が動く音でも出しそうな感じで、魔王様がこちらを向いて。
「ジョー、どうしよう!? 失敗しちゃったかもー!!」
と、素に戻ってのテンパりぶり。
突然名前を呼ばれるのはなんともこそばゆい。
「あー、キミが僕を作ってくれた魔王か。どうも、はじめまして」
こっちがごちゃついてるのなどお構いなしに、のんびりとした口振りで挨拶する魔物一号。
……魔王様を呼び捨てと言うのはどうなのか。
「ごほん。うむ、無事に生まれたようでなによりじゃ」
待て、魔王様。
呼び捨ては不問なのか。
「えぇい、お前はうるさいのじゃ! 初めての儀式が成功したのじゃ、少しぐらい大目に見ても悪くはなかろう!?」
……俺の時は目覚めてすぐからお仕置きされたようなイデッ!
「……? 魔王ちゃん、誰と話してるの? それになんか怒ってるけど」
「気にするでない。それより其の方の名を考えねばならんな」
俺の思考が読み取れない魔物一号には不可解な光景だったようだが、それへの問いは適当に流して話す魔王様。
呼び捨ての次はちゃん付けかい……
「名前ー? んー、適当でいいんじゃないかな」
「そうはいかぬ。おまえは栄えある我が魔王軍の、最初の魔物なのじゃからな。記念的な意味も込めてしっかりと名付けねば」
記念的な意味って、そんな動機でいいのか、魔物の名付けが。
「……お前、あとでちょっと来い」
「来いってどこへー?」
「あぁ、おまえではない。こっちの話じゃ」
俺のツッコミに対して睨みを効かせて言った魔王様に、不思議そうに訊ねる魔物一号。
なんだかややこしいな……
そう考えると俺と魔王様の意志疎通って、物凄く便利なんだと実感する。
「……うむ。そうじゃな、おまえの名はトファースと言うのはどうじゃ?」
「トファース? 変な名前だねー」
「うぐっ」
魔王様、そこは痛い顔するんじゃなくて怒るところですよ。
「わ、わかっておるわぃ!」
「ねーねー、他に誰かいるのー?」
「と、とにかくおまえの名はトファースじゃ! よいな!?」
「んー、まぁ別にいいけどー」
納得してるのかしてないのか、特に表情というものがないからわからないものの、トファースは微妙な口振りで承諾した。
「まぁ、とりあえずはやることもないから、城内でも見て回るがよい」
来客かよ。
ツッコミを入れる度、ガツンガツンと魔王様の踵が打ち込まれているが、もうそこは省略。
「うん、わかったー」
魔王様の指示?に従い、トファースはのそのそと重い足取りで玉座の間を後にした。
やっと魔物が出来たと思ったら、ますます先行きが不安としか言いようがない。
「……さて、城よ」
うっ。
トファースの姿が扉の向こうに消えたのと同時に、低く重い声で魔王様が口を開く。
「……ちょっと人型は出来ぬか」
先程のツッコミへの強烈なお仕置き。
そう覚悟していた俺の耳に届いたのは、予想もしていなかった問いかけだった。
人型、ですか。
「うむ、さっきの手の要領でな。手よりも難しいとは思うが……」
えーと、何だかわからないけど、とりあえずやってみます。
んー……まぁ、前の自分の姿でいいか。
あんまり自分の顔とか好きじゃないけど……
「そ、そうなのか?」
魔王様の言葉には答えず、意識を集中すると懐かしい感覚が俺に生じていく。
はっきりとその感覚が定まって、視界を……『眼』を開くと、目の前に魔王様が立っているのが見えた。
腕を上下させ、手を閉じたり開いたり。
膝を上げ下げ、首を回して周囲に視線を巡らせ。
まだ数日しか経ってないはずだが、そうして俺は久しぶりの人型の身体の感覚を試した。
「す、すごいな。まさかこうも早く、人型を成すことが出来るとは……」
俺を見て、少し見上げるような姿勢で感嘆の声を魔王様が漏らした。
「えぇ、まぁ、元の自分の姿をイメージしたら意外と上手く出来たみたいですね」
「なんじゃ、わざわざ喋るのか。別に今まで通り思考だけでも構わぬと言うに……」
あぁ、そういえばそうだっけ。
思いながらも久しぶりの人……の形の姿。
やはり自分の口で話したいのが、正直な気持ちである。
「って、これで喋ったら魔王様には鬱陶しいのか?」
「まぁ、ちと鬱陶しいかのぅ。別に構わんがの」
「そうですか、それじゃあ遠慮なく」
「……少しは気を遣え、城よ」
構わないと言ってみたり、気を遣えと言ってみたり。
魔王様のわがままには困ったものである。
「なにをっ!」
ヤバい、思考したツッコミに反応して魔王様が俺ににじり寄ってくる。
「うわわわっ、すいません! 調子に乗りました……って、あれ?」
人型での初めてのお仕置きを覚悟し、眼を閉じた俺だったが特に何も起こらず。
そーっと目を開けると、すぐ近くにジト目で俺の顔を覗き込む魔王様が。
「あの、なんでしょうか……?」
タラリ冷や汗を流しつつ、問いかけるも返答はなく。
ジロジロと俺の顔を凝視していた。
「……変な顔」
ぐぶっ。
しばらく顔を眺められた後、ぼそっと聴こえた魔王様の言葉は俺の胸を串刺しにした。
目線を横にスライドさせ、続けて身を翻しこちらに背を向ける魔王様。
「我はこんな変な顔のやつに、あんなに悩んでおったのか……まったく、厄介な城じゃ」
「いや、そんな。そこまで言わなくても……そりゃ俺の顔なんて」
追い打ちの愚痴をぶつくさと呟いて。
俺が少し文句を言いかけたところで、不意に背中をもたれかけさせてきた。
え? え!?
なにこれ!?
「ふふっ、さっきもお前は玉座の背もたれだったんじゃ。こうしてもよかろ?」
「……はい」
輝くような、俺には輝いてるようにしか見えない笑顔を浮かべて問いかける魔王様に、俺は頷くしか出来ないのは言うまでもなく。
なんてズルいんだ、俺の魔王様は。
なんて思いながらも、心がほんのり温まるのを感じていた。
「これ、調子に乗るでないぞ、我が城よ」
「わかってますよ、魔王様」
そんな顔で言われても説得力ないな。
思いながらも俺も笑って答えた。
「で、じゃ。お前、トーファスについてどう思う?」
「トーファス……あぁ、俺と魔王様のイデッ!」
「……その言い方はやめよ。我が恥ずかしくなろ」
人型の時は俺の足の甲を踏むんですね、魔王様。
城そのものだった時よりも痛い気がした。
「えー、トーファス……なんと言うか、思ってたのとは違ったような」
「うむ、やはりお前もそう思ったか……」
俺の口にした感想に、魔王様は微妙な顔でそう言葉を吐き出した。
なんと言うか、パッと見は強そうだが態度だったり動作だったりが、どうにも頼りなく不安感を覚えさせる魔物だった。
果たしてこれからどう扱うべきかは、俺としても悩んでしまう。
「備えた魔力許容量は、かなりのもののはずなんじゃが……」
「問題はあの性格、ですよねぇ……」
「うむ……」
そんな風に、俺と魔王様の二人が悩んでいた時だった。
城の近くに無数の気配が近づいてくるのを、感じ取ったのは。
「魔王様!」
「うむ。また人間たちがこの城へ来たようじゃな」
恐らく、先刻の兵士三人が戻らなかったことが原因だろう。
その事に不審、或いは危機を覚えて今度は大人数でここへやって来た。
そんなところではないだろうか。
「まさか、こんなに早く人間との二回目の戦いになるとはのぅ……」
「魔王様……」
言う魔王様の顔色は悪い。
先刻の戦いを思えばそれも無理はないだろう、魔王様は本当は戦いが怖いのは俺にもわかっていた。
「すっかりお前には我を知られてしまったようじゃの。じゃが、気遣いは無用じゃ。いずれはこうなるのは判りきっておったんじゃからな」
「……魔王様は、俺が必ず守ります!」
「頼りにしておるぞ、我が城よ!」
見つめ合い、頷き合って俺と魔王様は共に動き出す。
戦いは先手を取った方が有利なのは、いかなる場合に置いても動かせない事実。
先刻のような後手に回る戦いで、魔王様を危険に晒す訳にはもうしたくなかった。
そこでふと気付く。
「! トーファスがまだ城内の散策をしてます!」
「しまった、忘れておった!」
あの様子じゃ、間違いなく人間たちに先制攻撃を受けるのは明白だった。
心に焦りが膨れ上がる。
「何か呼び掛けたりは出来ないんですか!?」
「それを今、調べておる!」
玉座の間を出て、走りながら言葉を交わす。
トーファスを見つけ次第、城内にまた仕掛けを施し敵を迎撃する。
だが、肝心のトーファスを無事に見つけられるのかどうか。
「くっ、もう入口に着いてしまう!」
階段を駆け下り、目に入ったのは開いた城の扉。
まさかトーファスは外に!?
不安が走る速度を上げさせていく。
外の、城の門へと通じる庭園が徐々に見え始めてきて。
「ねーねー、魔王様! 人間やっつけたよー!!」
聴こえてきたのは切迫した状況には不似合いな、間延びしたトーファスの声。
そしてそこに広がっていた光景は……
「あれ、それ誰ー?」
大量の人間の兵士たちの、無惨で哀れな姿になった亡骸の山だった。
「お、おまえ……これ、おまえがやったのか……?」
「うん。なんか襲ってきたから、やっつけといたー」
散乱、と言う表現がぴったりだろうか。
重装備に身を包んだ兵士たちは、どれもが原型を止めぬ程に肉体を破壊され、広い範囲に転がっていた。
「それで、魔王様と一緒にいるのは誰ー?」
呑気に問い掛けるトーファスの声を聞きながら。
俺と魔王様は目の前の光景にただ、茫然と立ち尽くすだけだった……