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又 貸 し  作者: 西禄屋斗
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2. 日曜日の悪夢

 勢いよく玄関を開けると、理佳りかは一目散に自分の部屋に駆け込んだ。そして、勉強机の脇にかけられた学生鞄を手にするなり、くるっと逆さまにして中身をすべてぶちまける。


 理佳にやや遅れ、二人の刑事──杉浦すぎうら神戸かんべが入って来た。


「どうです? ありましたか?」


「ない! ないわ! 確かに鞄の中に入れておいたと思ったのに!」


 乱暴に教科書やノートを掻き分け、念のため、鞄のあらゆるポケットも探ってみたが、由紀夫ゆきおから渡された『緋色の夢』は出て来なかった。


 帰って早々に何事か、と母が心配そうに部屋を覗きに来る。


「落ち着いて、よく思い出してみてください」


 神戸がなだめるように優しく言ってくれる。しかし、理佳はパニックだ。


「えーと、えーと……あの日は、あそこでハンバーガーを食べて……んーと、それから……」


 テストでもこれほど懸命に記憶を総動員させることはないだろう。理佳は必死に思い出そうとした。すると二人の友人の顔が浮かぶ。


「そうだ! あの日は朋美ともみ陽子ようこが家に来てたんだ!」


 二人のうちのどちらかが、理佳に黙って持って行ってしまったのだろうか。親友に断りも入れずに。――確か最初に飛田とびた龍之介りゅうのすけを理佳に薦めてくれたのは朋美だったはず。


 朋美も理佳と同じく読書好きである。どちらかと言うと、その影響を受けているのが理佳の方だ。飛田龍之介の『緋色の夢』を読みたいと、事あるごとに朋美が口にしていたのを思い出す。


 ならば理佳が席を外した隙に、悪戯心を起こして覗いた鞄の中から、念願だった『緋色の夢』を見つけ、ちょっと魔が刺した、というのは考えられまいか。


 即座に理佳はスマホで電話した。すぐ朋美に繋がる。


「もしもし、朋美!?」


『あっ、理佳? 何?』


 問い詰めるような理佳の様子に朋美は面食らったような反応だったが、そんなことに構ってなどいられなかった。


「朋美、私の鞄の中から『緋色の夢』を持って行った?」


『あっ――ごめん、持ってった』


 拍子抜けするくらい、朋美はあっさり認めた。


 理佳は怒るよりも呆れてしまう。


「何で他人ひとのモン、黙って持ってっちゃうのよ!」


『だって、すっごく読みたかったんだもん! 読んだら返そうとは思ってたんだけど、ほら、テストもあったし……今、ちょうど読んでたとこ。もうちょっとで読み終わるから、明日、学校ででも返すよ』


 理佳は頭痛がしてきた。


 由紀夫は、『緋色の夢』を松村まつむらから又貸ししてもらったがために殺されたらしいのだ。その本を朋美が持っていたらどうなるか――


「いい? 朋美、よく聞いて! その本、すっごくヤバいのよ!」


『えっ、ヤバい? まさか盗品とか?』


「違うわよ! ――いや、ある意味そうと言えるかも知れないけど……とにかく、今から取りに行くから、そこから動かないで!」


『えーっ!? 今から?』


「当り前よ! 言っとくけど、朋美に拒否権はないからね!」


『分かったわよ……』


「朋美、家にいるんでしょ?」


『うん。一人で留守番中』


「じゃあ、すぐ行くから、絶対に外出しないで! それから私が行くまで、家には他の誰も入れないように!」


『何それ? 新しいギャグ?』


「バカッ! じゃあ、待ってなさいよ!」


 理佳が電話を切ると、そばにいた二人の刑事がうなずいて見せた。


「住所は分かるね?」


「はい!」


「よし、行こう!」


 何が何やら分からない母を残し、理佳たち三人は再び覆面パトカーに乗り込み、朋美の家へと向かった。


 車を飛ばして二十分、目的地である児島こじま家に到着した。


 閑静な住宅地という場所柄、今日は日曜ということもあって、道路でキャッチボールをしている小学生やのんびり洗車をしているお父さんなどの姿が目につく。


 朋美の家は築三十年にはなりそうな外観の一戸建てだ。ただ、内部は数年前にリフォームされており、そんなに古さを感じさせない。


 理佳は車から降りるや、インターフォンを押した。刑事たちは周囲に警戒の目を走らせる。


 程なくして、玄関のドアが開いた。


「あっ、理佳。いらっしゃい」


「朋美ーっ! いらっしゃい、じゃないわよ! まったく、アンタって娘は世話を焼かすんだから!」


 のほほんとした様子の朋美の顔を見て、理佳は脱力した。


「後ろの人たちは?」


 朋美が、理佳の後ろにいた見慣れない二人の男性に気がついて尋ねる。


「あっ、この人たちは──」


 刑事たちを紹介しようとしたときだった。朋美の家の前に止めた覆面パトカーのすぐ後ろにタクシーが止まり、中から四十代くらいの婦人が降りた。何処にでもいそうな主婦、といった感じだ。


 だが、その婦人はタクシー料金を払わずに、さっさと降りてしまったようで、運転手の「お客さん!」という呼び止める声が聞こえる。その声で、理佳たちも気がついて振り返った。


 朋美の家へ真っ直ぐ歩いて来る婦人の手が、持っていたバッグの中へと伸びる。


 一瞬にして、二人の刑事たちに緊張が走った。


みなみ早智子さちこ!」


 その名前に、理佳は心臓が飛び出しそうになった。


 南早智子――


 松村まつむらいさお水木みずき由紀夫ゆきお殺害の容疑者――


 早智子はバッグの中から刃渡り二十センチくらいの文化包丁を取り出し、そのまま理佳の方へと向かって来た。


「――っ!?」


 刺される――という恐怖に、理佳は目を見開いた。


 すると、理佳を守ろうと、神戸が身を挺するように立ち塞がった。さらにその前に先輩刑事の杉浦が――


 文化包丁を握った早智子はためらうことなく突進した。


 早智子の身体は杉浦にぶつかり、その勢いに押されて、後ろにいた神戸、さらに理佳へと衝撃が貫く。団子状態でぶつかった理佳はよろめき、玄関のドアに背中を打ちつけてしまった。


「うっ!」


 それは誰が洩らした呻き声だったか。理佳自身であったかも知れないし、他の者だったかも知れない。


 痛みでつむってしまった目を開けた理佳の前で、こちらに背中を向けていた杉浦が崩れるようにして倒れた。


「杉さん!」


 悲痛な神戸の声。


 地面にとめどなく血があふれ出す。杉浦刑事は南早智子に刺されたのだ。


「キャアアアアアッ!」


 それを目撃した朋美が悲鳴を上げ、玄関のドアを閉めてしまった。


 早智子を乗せて来たタクシーの運転手もギョッとし、血相を変えて車へ戻って行く。


 凶刃にさらされようとする理佳と神戸。


「やめるんだ!」


 神戸は勇敢にも素手で早智子に立ち向かった。包丁を振り上げる手をつかみ、何とかもぎ取ろうとする。


 だが、早智子は女の細腕にもかかわらず、刑事相手に怯みもしない。激しい抵抗を見せ、決して血にまみれた包丁を手放そうとはしなかった。


「理佳さん! 家の中に入って! 鍵をかけたら110番通報を! は、早く!」


 神戸は苦戦に声を絞り出しながら指示した。しかし、理佳は躊躇する。


「で、でも……」


 杉浦が倒れ、神戸一人だけで立ち向かえるのだろうか。相手は女とはいえ、狂気をはらんだ殺人鬼だ。現に包丁を奪うどころか、神戸の手や腕に切り傷が増え、血が飛び散っているではないか。


「いいから、逃げるんだ!」


「わ、分かった! 助けを呼ぶから、待ってて!」


 神戸の無事を祈りつつ、理佳は急いで玄関から中に入った。慌てふためいた朋美が施錠してなかったのは幸いだ。


 理佳は忘れずに玄関ドアを施錠すると、チェーン・ロックも引っかけ、朋美を捜そうと思った。


 外からはドアに激突するほどの激しい格闘の音が聞こえてくる。理佳は震えを止められなかったが、とにかく神戸を助けるためにも、一刻も早く安全を確保し、警察に連絡しなければ、と思い直す。土足のまま家に上がり込んだ。


「朋美ーっ! 何処にいるの!?」


 理佳は呼んでみた。が、返事がない。恐くて、何処かで震えているのだろうか。


 勝手知ったる他人の家、理佳はまず一階奥にあるダイニング・ルームへ行ってみた。


 勘は冴え渡っていたようだ。ダイニング・テーブルの下に朋美が隠れている。ただし、お尻をこっちに向けた姿は丸見えだ。


 ダイニング・ルームに誰かがやって来る気配を感じたらしく、朋美は丸めた身体をさらに小さくした。


「朋美! 私よ、私!」


 理佳は朋美を落ち着かせようと努めながら、背中を叩いて話しかけた。その声に朋美が振り返る。


「り、理佳……! 何なのよ、アレは!?」


 真っ青な顔をした朋美は唇を震わせながら尋ねた。


 理佳は説明しようかと思ったが、今は緊急を要すのでやめ、


「それより、家中の鍵をかけて、あの人が入って来られないようにしないと!」


 と、テーブルの下から朋美を引き擦り出した。


 しかし、朋美は恐怖によって力が入らないようで震えるばかりだ。これでは役に立たなそうだ、と理佳は判断する。


「玄関の他に出入口は!?」


「勝手口が……」


「勝手口? 何処よ?」


「あっち……」


 朋美は指を差す。この状況で動けるのは自分しかいない、と腹をくくり、理佳は勝手口へ向かう。


「ま、待ってよ、理佳! 一人にしないで!」


 理佳が行こうとすると、朋美が追いかけてきた。最初に逃げ出したのはアンタの方でしょ、と言ってやりたかったが、そんなことをしても詮無い。二人で勝手口へ向かった。


 勝手口はダイニング・ルームと繋がっているキッチンにあった。鍵のついたドアノブに手を伸ばす。


 すると、触れる寸前にドアノブが独りでに回った。


「――っ!?」


 施錠されていなかった勝手口から南早智子が現れた。どうやら玄関から回って来たらしい。文化包丁を持った右手を中心に返り血で赤く染まっている。何より目つきが尋常ではない。理佳はゾッとした。


「返しなさい……」


 まるで空気がひゅーっと洩れるような小さな声で、南早智子は喋った。ひょっとすると、息子の晋一しんいちが死んで以来、まともな食事をしていないのか。


 こうして近くで見ると、落ち窪んだ目やげっそりと肉が削げ落ちたかのような頬など、やつれ方が異常だ。にもかかわらず、先程は刑事を相手に揉み合って、激しい抵抗を見せた。


 すでに彼女を突き動かしているものは体力などではなく、恐ろしいまでの妄執なのかも知れない。


 息子の所有物を取り戻す――ただ、それだけのために。


「返してちょうだい……あれは……あれは……」


 理佳たちの目の前で、南早智子は包丁を振り上げる。そのとき理佳は、初めて南早智子と目が合った。


「晋一のなのよッ!」


「キャッ!」


 とっさに手を前に出してガードし、理佳は後ろに倒れ込んだ。手の平にサッと熱いものが走ったかと思うと、すぐにうずきへと変わる。切られたのだ。


 狭い勝手口での出来事で、理佳は後ろにいた朋美とぶつかった。よろめいた足が引っ掛かり、二人してキッチンの床の上に転がってしまう。


「くぅっ……!」


 理佳は切られた左の手の平を押さえた。切りつけられた瞬間、反射的に身を躱そうとしたのが幸いしたらしく、それほど深手にはなっていない。それでも灼けるような痛みに顔を歪めた。


 そんな理佳へ、早智子は再び襲いかかろうとしていた。床に倒れている今、次の一撃を避けるのは困難だ。


「イヤッ!」


 理佳はたまたま近くに置いてあったプラスチック製のゴミ箱に目が留まり、必死になってそれを右手でつかんだ。そして、早智子に向かって投げつける。


 中身が一杯だったら持ち上げることも出来なかっただろう。思ったよりも軽々としたゴミ箱だったお蔭で、運よく底の角の部分が早智子の眉間を直撃し、相手を怯ませることに成功した。


「今のうちよ、朋美!」


 その隙に理佳は素早く立ち上がると、玄関の方へ逃げた。


 だが、一緒に倒れていた朋美はすっかりと怯え、それに遅れてしまう。


「朋美!」


 理佳が振り返ったときは、もう遅い。


 しばらく顔を押さえて呻いていた早智子だが、まだ倒れたままの朋美を見て、ゆっくりと近づいた。朋美は泣きながら、弱々しく首を振るだけ。


「やめて……許して……」


「逃げて、朋美!」


 理佳は叫んだ。


 その声も空しく、朋美の胸には包丁が突き立てられる。それはまるでスローモーションを見ているかのようだった。


 うっ、と短く呻いたのが朋美の最期。目をカッと見開き、すぐに四肢から力が抜けていくのが分かった。

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