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次の日学校に行くと、教室に倉橋さんの姿がなかった。荷物も無かったので珍しく来るのが遅くなってるのかと思っていたが、その日彼女は学校に来なかった。
ちなみに岡本さんは昨日は来てなかったけど、すでに今日から学校に来ているようだった。よく来れるなと思った。
倉橋さんが犯人だと名乗り出てから一週間の間、彼女は学校に来なかった。
原因が自分にあることは明白だったので、僕は放課後に倉橋さんの家に行くことにした。
女子の家に行くなんて経験はなかったのでドキドキしたが、事情が事情なので顔には決して出さないように心がけた。
行く前に一応LINEでメッセージを送ってみたが既読は付かなかった。自分は想像以上にやってはいけないことをしてしまったのではないか、彼女の家に近づくにつれそんな思いが強まっていった。
学校から歩いて二十分ほどの所に家はあった。お父さんがいない割には立派な一軒家で、倉橋さんに似合ってると思った。
深呼吸をしてゆっくりインターホンに指を近づける。ピンポーン、という音に続いておそらく母親だと思われる声が出た。
「はい、どちら様でしょうか?」
「あ、あのっ僕、詩織さんのクラスメイトの笠木って言います。えっと、その、詩織さん最近学校に来てないので心配して来たんですけど」
最後の方はごにょごにょして聴き取れないくらいになってしまった。
「あら、わざわざありがとね。でもあの子は大丈夫だから今日のところは諦めてもらえないかしら?」
なにっ、大丈夫だと?
「いやっ、でも一週間も学校に来てないし、この前、学校で起きた事件の犯人は自分だとか言い出して…」
「その話はしないで!」
急に声が鋭くなった。やっぱりそのことが原因なんだ。
「あ、すいません。でもちょっとだけでいいので話だけでもさせてくれませんか?」
「あなたね、あんまり人の家の子に首突っ込まないでくれる?その問題は今こっちで片付けてるの」
「でも…」
「帰ってちょうだい!」
インターホンを切られてしまった。世間体を気にし過ぎるお母さんだと言ってたから、家では大問題になってるのかもしれない。
仕方なく踵を返して帰路についた。
いつもの公園の前を通りかかった時だった。後ろから呼び止められる声がして、振り向くとそこには倉橋さんがいた。
「ごめんね笠木君。せっかく来てくれたのにお母さんが追い返しちゃって」
「いや、全然大丈夫だよ。それより倉橋さんこそ大丈夫なの?」
「うん…ちょっと中入って話そう」
そう言って彼女は公園の中へ歩き出した。
二人でいつものベンチに座ると彼女が話し始めた。
「わざわざ来てくれてありがとね。別に体調が悪いとかじゃないんだけど、ちょっと行きづらくてね」
「…なんで自分が犯人だなんて言ったんだよ」
僕は直球で質問をぶち込んだ。遠慮なんてするつもりはない。
「岡本さんのことかばったのか?親友だから?あんな酷いことされてまでなんでそこまでできるんだよ」
僕の質問から一拍置いて彼女が話し出した。
「笠木君にはかばったように見えるだろうけど、ちょっと違うんだ。この前私も比奈子ちゃんも休んだ時あったでしょ。あの時二人で話したんだ」
意外だった。岡本さんと会うのが怖くて来ないんだと思ってた。でも、それなら仲直りしたのだろうか。
「比奈子ちゃんは全部正直に話してくれたの。その上で学校で自分が全部話すって、私それが怖かったの。そんなことすれば比奈子ちゃんは学校でずっと除け者扱いされるでしょ。そのこと考えると本当に怖くて…」
「いや、何でだよ。あんなことした奴だぞ。いくら親友だからって自分が犠牲になるなんておかしいだろ!」
彼女は俯いて二人の間に静寂が訪れた。ちょっと言いすぎただろうか、と心配になった時、彼女が顔を上げた。
「犠牲になったなんて思ってないよ。人間だから間違えることだってある。それを責めて親友を失うのが怖かった、だからああした。全部自分のため、自分が嫌だからやったことなの」
「そんなの、納得できるわけないじゃないか…」
次は僕が俯いた。目が熱くなってくる。
「それでも、僕は友達でいるからな」
「あれ、ただの友達?友達以上とかいうやつじゃなくて?」
そう言って彼女は意地悪そうに笑った。
「なっ、それどういう…」
「冗談だよ、わかりやすく照れちゃって」
彼女は笑いながらベンチを立って猫の元へ行った。僕もその横へ行く。
「その猫、名前ないの?」
「あっ、そういえば。ずっと『猫ちゃん』って呼んでたねぇ。どうしよっか」
彼女はこちらを向いた。
「笠木君、名前付けてよ」
「えっ」
突然の注文にしばし考える。
「そうだな…、倉橋さんの名前、しおりだからスピンってどうかな」
「スピン?」
「文庫本とかに付いてる紐みたいなやつのことだよ。しおりの代わりになるやつ」
「あれそんな名前だったんだ」
彼女はよく本を読んでいた。その影響で僕も本を読み出したのだが、今では僕の方が読書家になってしまった。
「じゃあこの子は今日からスピンね。結果いい名前」
彼女が笑った。僕にとって一番明るい笑顔は、今日は少し寂しそうだった。
「そろそろ帰らなくちゃ。お母さんに怒られる量が増えちゃう」
「送ろうか?」
「いいよ、家反対でしょ」
「じゃあ気をつけて」
「うん。来週から学校には行けると思うから」
「わかった。じゃあね」
「またね」
彼女が帰って行くのを少しの間見ていた。これからは僕が守っていかなきゃ。そんなことを思っていた。
それから二日後の給食後のことだった。僕たちは昼休みに入っても教室に残るように言われた。倉橋さんは来てなかった。
「えーちょっと前から話し合っていたんだがな、今日の朝早くに倉橋と親御さんが来て正式に手続きを済ませました」
先生はそこまで言って、一呼吸置いた。
「倉橋が転校する事になりました」
えっ?今何て言った?転校?
教室中がざわめきだす。僕の頭の中は真っ白になった。
「昼ごろには新しい町に引っ越すって言ってたからそろそろこの町を出て行くはずだ。急なことでみんなに会えなくで残念だと言ってた。寂しいが決まったことなのでみんな受け入れてくれ」
そして昼休みに入った。
教室を出て行こうとする先生を引き止めた。
「彼女の家、車無かったですよね。何で行くとか言ってましたか?」
「バスって言ってたな。その後電車に乗るらしいけど、バスはそろそろだな。多分一番近くの公園の所だろ」
「ありがとうございます」
これはもう行くしかない。何で急に転校なんか。直接会って聞くしかない。
靴箱に向かっていると別の教室から岡本さんが出てきた。
「あ、笠木君、詩織ちゃんが…」
「知ってる、僕も聞いた。今から会ってくる」
「私まだちゃんと謝れてないの。この前会ったときもほとんど何も言えなくて…」
「わかった、それも伝えてくる」
そう言って走り出した。急がないと、倉橋さんが行ってしまう前に言わなくちゃいけないことがたくさんある。
頼む、間に合ってくれ。全力で学校を出て行った。一度も止まらず走り続けた。
公園が見えてきた。中に入ってバス停を見ると、倉橋さんとお母さんの姿が見えた。
「倉橋さん!」
出せる限りの大声で名前を呼ぶ。
「笠木君!?」
振り向いて、すっとんきょうな声で驚かれた。
「どうしたの?なんでこんなところに」
「どうしたじゃないよ、何で転校しちゃうんだ。何でこんなに急にいなくなっちゃうんだ」
全力疾走で息を切らせ、何度も息継ぎしながら喋った。彼女のお母さんが周りを気にしてか、離れた所へ逃げるのが見えた。
「そのことは本当にごめんなさい。笠木君と話してた時にお母さんが学校に転校するって電話してたの。休んでた間はずっとそのことでもめていて、抵抗し続けてたんだけど…」
なんだそれ、じゃあ転校するのは僕のせいじゃないか。そんな、酷すぎる。僕はただ、彼女を助けたかっただけなのに。
「ごめん、僕のせいだ、僕のせいで…」
涙が流れてきた。どうしよう、止まらない。
すると、暖かい手がハンカチでその涙を拭ってくれた。
「私のために一番何かをしてくれたのは君だよ。その度に私は何度も救われたの。その君がしてくれたことなんだから、むしろ私は嬉しいくらいなの。こんなに心配してくれる人がいるんだってわかったから」
顔を上げて倉橋さんを見つめた。僕が今まで見たなかで一番優しい笑顔だった。
この人の優しさは計り知れない。周りの人たちに恐れ多いくらいの愛を与えて、自らの身を滅ぼすことにもなってしまうくらいに。でも、それがかけがえのないくらい大切になる人もいるんだ。例えば、僕みたいに。
バス停にバスが到着した。離れていたお母さんがやってきて、行くわよ、って言いながらバスに乗る。それを無視して僕たちは話し続けた。
「バスには乗れる?怖くないかい」
「大丈夫、笠木君が来てくれて勇気でた」
「そういえば、岡本さんが謝りたいって。本当にごめんなさいって言ってたよ」
「よかった。また今度ゆっくり話そうって言ってて」
「うん」
「それからスピンの世話はちゃんとしてよね。一週間に一回は写真送って」
「大丈夫だよ。僕は無類の猫好きなんだ。なんなら家で飼ってもいいよ、もう二匹もいるけどね」
「よかった」
バスの中で彼女のお母さんが運転手に必死で、待ってください、って言ってるのが見えた。そろそろお別れだ。
「それじゃあもう行くね。笠木君に会えて本当に良かった」
「僕もだよ」
彼女がバスの階段を登りだした。駄目だ、まだ一番伝えたいことを言ってない。
「く、倉橋さん!」
「はいぃっ!」
なんとか呼び止めた。彼女の目が丸くなってる、それほどの大声だった。
頭が真っ白になる。彼女のお母さんが本当にあと少しだけって運転手に 懇願している、僕を睨みつけながら。
言え、言うんだ。早く、ほら。
くそっ、ちくしょう、どうとでもなれ。思いっきり息を吸って言った。
「僕は、君のことが、好きです!!」
言った、ついに言ったぞ。
倉橋さんの顔が赤くなる。後ろの乗客たちは驚いた顔で見つめている。にやにやしてる人もいる。お母さんはポカンとしている。運転手は、もういいですかぁ?って聞いてる。
彼女は赤くなったまま黙っていた。湯気でも出そうだ。
お母さんが後ろから彼女の背中を押す。早く返事しなさいよ、って。
彼女がゆっくり階段を降りて来る。最後の段まで降りてバスからは降りずに止まった。
意を決したように頷いて僕の両手を握る。
「笠木君、私もです!」
乗客の一部から歓声と拍手が送られる。お母さんは泣いていた。
やった、やったぞ。二人は結ばれた、これからはずっと一緒に…。
「ドアが、閉まりまぁす」
その声が僕を一瞬にして現実に引き戻した。一緒に、じゃない。彼女は行ってしまうんだ。
彼女が手を離す。ドアが音を立てる。
待ってくれ。行かないでくれ。僕は君がいないと駄目なんだ。僕はー。
手を伸ばそうとする。同時ドアがに閉まり出す。
その時、彼女が微笑んだ。僕は一瞬、目を奪われた。
「笠木君」
僕が見たなかで一番の笑顔になる。
「またね」
そう言った直後ドアが閉まり、僕はドアに手をついた。
バスが動き始めてすぐに手を離した。バスは変なお客のせいで生じた遅れを取り返すべく、すぐにスピードを上げて走り去って行ってしまった。
取り残された僕はその場にへたり込んだ。
彼女が言ってたように、バスは僕の大切な人を呑み込んで行ってしまった。どこか会えないかもしれないような場所に連れて行ってしまった。
体育座りになって泣き出す。
「倉橋さん…」
そして、僕はバスが嫌いになった。
それから三週間が経った。僕は公園のベンチに座ってバス停を見ていた。
あれから僕たちは毎日のように連絡を取り合っている。電話番号を知らなくてもLINEがあればやりとりできる。便利な世の中だ。
内容は新しい学校についての事とか、一週間に一度のスピンの様子の報告など様々だ。その中でも最初らへんに聞いたのが引越し先だ。なんと三つも隣の県に住んでいるらしい。母親の実家なんだとか。
簡単に行き来できる所じゃないし、彼女は元の町には戻るなと言われているらしい。まして母親と一緒に戻ってくるなんてことは天と地がひっくり返ってもあり得ないので、当分の間会うことは無理そうだ。
それでも僕はいつか彼女が帰ってくると信じている。別れ際、彼女は「さよなら」ではなく「またね」と言ったんだ。絶対にまた会える。
そしていつもの公園のベンチで、僕の家で飼うことになったスピンを膝に乗せ、僕は待っている。
いつかバスが彼女をその前の口から吐き出してくれる日を、いつまでも、いつまでも待っている。
〈終わり〉