新しい年度
自衛官の私達にも当然のことながら異動の季節というのがあって、その時期の一つがいわゆる新年度になる三月から四月にかけての時期。長く苦楽を共にしてきた先輩キーパー達が元の基地に戻っていったり退官したりする中、今年も全国から選抜された整備員達が新たに松島基地にやってきていた。
「……」
「なにが言いたい、浜路」
私の横で、訓練のために離陸していく四機のT-4を見送っていた坂東三佐が、不機嫌そうな声で質問してきた。
「なんのことですか」
「今なにか頭の中で考えただろ」
隠しても無駄だぞ?と言わんばかりのしかめっ面だ。
「えーとですね、三佐が引き続き総括班長として残ってくれて、嬉しいですってことでしょうか」
「長々と居座りやがってと思ってるだろ」
「そんなこと思ってませんよ」
それぞれのドルフィンの整備班クルーはだいたい三人一組で、昨年度までの三番機は機付長の坂東三佐、赤羽曹長、そして私の三名だった。今年度は配置換えが行われて三番機の機付長には赤羽曹長が、それから去年の夏にこちらにやってきた野原二曹と私、という新体制になった。
ただし三番機の整備班から外れた坂東三佐は、ブルーの総括班長として松島基地に残っている。つまり、整備ではなく完全な管理職として、ここに留まることになったのだ。簡単に言うと偉い人から「坂東君、君、機付長をしていられるほど暇じゃないだろ? そろそろ本来の職務に戻ってくれないか?」と言われたってやつ。
そしてこのしかめっ面から分かる通り、三佐にとってこの状況はものすごく不本意なものみたいだ。
「私としては、三佐が残ってくれてホッとしました。でも、今までのように整備を理由に管理職から逃げ回ることが出来なくなって御愁傷様です、とは言いたいかもしれません」
三佐の顔がますますしかめたものになる。
「これは絶対に玉置の陰謀だよな。俺に飛行隊の管理を全て押しつけて、自分は飛ぶことに専念したいんだろ」
「そりゃ飛行隊長としては、飛ぶことに専念したい気持ちは理解できます。他のライダー達の錬成状態にも目を配らなきゃいけませんし。総括班長として飛行隊長を全力でバックアップをするのは、職務の本分だと思いますけど?」
もちろん今までも、三佐は総括班長としてちゃんと仕事をしてきた。たまーに厄介な折衝を、自分の下の者に押しつけていただけで。
「まったく他人事だな、浜路」
「そんなことないですよ。だから御愁傷様って言ってるじゃないですか。でも、たまにはこうやって、三番機のところにも来てくださいよね。飴玉ぐらいは御馳走しますから」
そう言って、ムッとした顔の三佐にいつもののど飴を渡した。
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「そう言えば、クルーに新しく女性隊員が何名か来たんだよな?」
「はい。ただしキーパーとしては一人で、あとのお二人は、整備幹部と総務の担当をされる方なんですけどね」
白勢さんのお皿に自分の唐揚げを二つ乗せて、その代わりにそこにあった海老フライを回収する。
ちなみにライダーの異動もあった。四番機のジッタこと藤田一尉は百里基地に戻り、牛木一尉が正パイロットになった。そして他の基地から、新たなライダー候補のパイロットもやってきている。
「これで紅一点から紅四点。やっと肩身の狭い状態から脱することができて、万々歳ですよ」
「肩身が狭い……」
白勢さんが変な顔をした。
「なんですか」
「一人でものびのびとやっていたと思ったんだけどな」
「そんなことないですよ。色々と肩身が狭かったです」
「安元さん、彼女は今まで肩身が狭い思いをしていたと思いますか?」
白勢さんはそう言いながら、隣に座っていた安元一尉に声をかける。安元一尉は、三番機とは対称位置で飛ぶことの多い二番機のパイロット。そのせいもあってか、白勢さんとは訓練の後にあれこれと話し込むことが多い。だから白勢さんと一緒にご飯を食べることの多い私も、こうやってお昼ご飯の時に一緒の席につくことが多かった。
「それを俺に聞くのか?」
私が海老フライを回収するのを見つめていた一尉が、我に返ったような顔をする。
「ここはやはり、第三者の意見を聞きたいじゃないですか」
「俺の言葉が原因で二人がもめたら困るから、ノーコメント」
「それって、肩身が狭い思いなんてしてなかったということですよね?」
白勢さんがニンマリと笑う。
「だからノーコメント。ほら、浜路。プリンをあげるから、今のタックの言葉はスルーしておきなさい」
そう言うと、安元一尉は私のトレーの横に自分のプリンを置いた。
「えー……」
白勢さんの言葉は気になるところだけど、プリンを置かれたら仕方がない。不問に処しておくことにする。
「だけど女性隊員が来ることで、一つだけ心配なことがあるかな」
「なんです?」
「ここのライダーは既婚者がほとんどだ。そして独身の白勢は浜路とは付き合っている。そのことはちゃんと知らしめておいた方が良いと思う」
一尉はいたって真面目な顔でそう言った。
「は?」
「は?じゃなくて、浜路と白勢のことだよ」
間の抜けた返事をした私に、一尉は少しだけ顔をしかめてみせる。
「ここにいる人間は、白勢と浜路が付き合っているのは知ってるけど、新しく来た人間はそうじゃないだろ? 余計なことで飛行隊内でもめごとが起きるのは好ましくないから、二人が付き合っていることは、早めにカミングアウトしておいた方が良いと思う」
「ああ、なるほど」
確かサポートスタッフに配属されていたお二人は既婚の方だったけれど、キーパーの方は私とそう年も離れてなかったし、独身だったっけ。
「本当に分かってるか?」
「分かってますよ。白勢さんによからぬ虫がつかないように、しっかり見張ってろってことですよね? 大丈夫ですよ。私、隊長からも白勢さんのことを任されてますし、ちゃんと見張ってますから」
「……なあ白勢、これで良いのか?」
「どうやら彼女が俺を守ってくれるみたいですね。これで安心してすごせます」
一尉の言葉に、白勢さんがニッコリと微笑む。
「もちろん俺の方でもきちんと対処しますから、御心配なく」
「ま、お前がそう言うなら大丈夫なんだろうけどな。ところで浜路?」
「なんでしょう」
「俺の海老フライを物欲しそうに狙うのはやめてくれないかな、落ち着かないなら」
一尉がさりげなくトレーを自分の方に引き寄せながら言った。別に狙っていたわけじゃなくて、いつまでも食べないから残すのかなって思ってただけなんだけどな……。
「別に狙ってませんよ。安元一尉からはプリンをもらいましたから、これ以上はお腹に入りませんもの」
「それってつまりプリンを渡さなかったら、俺の海老フライは危険だったってことじゃ? 甘いモノは別腹って、この場合は大丈夫なのか?」
一尉は白勢さんの方を見た。
「彼女に餌付けは禁止ですよ。他の男から何かもらうなんて、俺が許しません」
白勢さんはそう言いながら、私の横にあった安元一尉のプリンを取り上げてしまう。
「あー、せっかく二つ食べられると思ったのに」
「仕事が終わったらアイスをおごるからそれで我慢。これは安元一尉のプリンだから」
「分かりましたよ。アイス、約束ですからね、忘れないでくださいよね」
そんな私達のやりとりを見ていた一尉は、やれやれと溜め息をついた。「カミングアウトする必要もないかもね」と言いながら。
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「えっと、これとこれかな……」
基地前のコンビニに入ると、アイスがある冷凍庫の方へと真っ直ぐ向かった。最近は、色々な期間限定品やコラボ品があって一つに絞るのは難しい。だから好きなだけと言ってくれた白勢さんのお言葉に甘えて、四つほどカゴに入れる。それを見た白勢さんは呆れた顔をした。
「こんなに食べられるのか? いくら暖かくなってきたとはいえ、お腹が冷えて大変なことになるぞ?」
「さすがに一度には無理ですよ。だから白瀬さんちの冷凍庫に置いておいてくださいね。あ、食べたらモンキーレンチでメッタ打ちですから」
「分かった分かった。それだけで十分?」
「あの、これも……」
もう一つ気になっていたものがあったのでそれを指さすと、白勢さんが笑いながらそれをつかんでカゴに放り込んだ。
「あ、浜路さんに白勢一尉」
そこで顔を合わせたのは、今年から整備班に配属されてきた女性隊員の一人、並河三曹だった。ちなみに年は私より一つ上だったかな。
「あ、こんばんは~」
「なに買ってるの?」
「アイスです。タックさんがおごってくれるっていうもので」
「わあ、こんなに? お腹痛くならない?」
「もちろん一個だけしか食べないですよ。残りはちゃんと預かってもらってゆっくり食べるつもりです。……ちゃんと名前を書いておいた方が良いかな?」
基地内でも大抵の物品には、事故を未然に防ぐためにこれでもかってぐらい、色々と注意書きが書かれている。もちろん、白勢さんが私のアイスを食べちゃうことはないと思うけど、たまに遊びに来る他のライダー達が食べちゃう可能性は無きにしも非ずだものね。
「これもついでに買ってください」
マジックを一本追加。
「俺がるいのアイスを食べるとでも?」
「万が一ですよ。油断禁物。注意一秒傷一生ってことわざがあるじゃないですか」
「うっかり食べちゃってもまた買えばよいのに」
「これ、期間限定って書いてありますよ?」
白勢さんの言葉に並河さんが指摘する。ナイスアシスト、並河さん!!
そして並河さんのお蔭で、私とタックさんがどうやら付き合っているらしいということが、新しく来たライダーやキーパーに伝わったらしく、安元一尉が心配したようなことはまったく起きることはなかった。
これもやっぱりナイスアシスト、並河さんってやつだよね?