第三話 イケボは侮れない
航空祭が終わると、T-4に乗るパイロット以外の隊員達は、C-130輸送機などの支援機で松島基地に帰ることになっている。先発するT-4を見送ってからC-130に乗り込もうとしているところで、白勢一尉がこっちにやってくるのが見えた。
「あれ? 白勢一尉は、因幡一尉の後ろに乗せてもらうはずじゃ、なかったんでしたっけ?」
来月から一緒に飛ぶことになるから、今日は挨拶がわりに乗せて帰ることにするよと、展示飛行を終えて戻ってきた因幡一尉が話していたのを聞いていたんだけれど、私の記憶違いだったのかな?
「ん? ああ。因幡一尉の後ろには、坂東三佐が乗って帰ることになったんだ。少しばかり気になることがあるらしくて、一緒に乗って帰ることにしたらしい」
「え?! 三番機が不調なんですか?! もしかしてどこか故障したんですか?! 私達、あんなに遅くまでかかってすみずみまで点検しているのに?! さっきだって離陸前の点検をちゃんとしましたよ?! なにか見落としたんでしょうか?! 坂東三佐はなにかおっしゃってましたか?!」
「ちょ、ちょっと浜路さん……」
思わずつめよると、一尉はひるんだように後ずさりをした。
「それに! 訓練展示前には、総出でいつもの三割増しで、心を込めてきれいに磨いたんですよ?!」
一尉がさらに数歩後ずさる。
ブルーインパルスの機体整備には、他の戦闘機の整備手順にはない『磨く』という作業があった。展示飛行でたくさんの人に見てもらうためなのと同時に、いつ写真を撮られても良いようにと、すみからすみまで磨き上げるのが、私達の大事な任務の一つなのだ。インターネットにあふれかえっているうちのT-4達は、どの機体もピカピカだから是非とも見てほしい。
「そんなにせまってこられても、俺も詳しく聞いていないからわからないよ、ハナヂさん。それに、飛ばすんだから機体自体には問題ないと思うんだが」
「……それ、いい加減にやめませんか?」
「なにをやめるのかな、ハマチさん」
「……」
こうも真顔なままナチュラルな口調で言われると、本気で私の名前を、ハナヂかハマチとして覚えているんだろうかと疑いたくなる。でも、この爽やかなイケボにだまされてはダメだ。普段の様子からして、間違いなくワザと言っているんだから。
「なんだか腹が立ってきました。今日はずっとマイクを持ちっぱなしだったんでしょ? のど飴あげますから、それをなめて、あっちに着くまで黙っててください」
そう言いながら、のど飴をさしだした。
「俺にせまってきたのはそっちじゃないか」
一尉はブツブツと言いながら、私がさしだしたのど飴を受けとる。
「せまってなんかいません。私が気になるのは三番機のことですよ。その件でなにも知らないなら、白勢一尉に用はありません」
「まったくひどいな」
「どこがですか」
「ほらほら、そこでじゃれあってないでさっさと乗れよ、お前達。後ろがつまって渋滞しているぞ」
三番組キーパーの赤羽曹長が、ニヤニヤしながら私達を追い越して輸送機に乗り込んでいった。
「じゃれてませんよ。少しだけ話をしていただけですから」
「はいはい、分かったよ」
私が反論すると、ヒラヒラと手を振ってくる。
「ところでいつも思うんだけど、ニッキ味とはしぶいな。浜路さんぐらいの子だと、レモン味とかミント味とか、そういうのを好みそうなのに」
「なに言ってるんですか、のど飴といったらこれですよ。他のなんて普通の飴玉と一緒です。しかもこののど飴、けっこう歴史が長い、由緒あるのど飴なんですからね。ほら、さっさと口に放り込んでください。こんなの持ち歩いていたと知れたら、偉い人に怒られちゃいますから」
「それで叱責を受けるんだったら、なめている俺はどうなるんだ……?」
一尉は、私の横でのど飴の封を切って口に放りこんだ。そして包みを、ズボンのポケットに押しこむ。
「一尉はイケボ枠でお客さん達に好評なんだから、のどは大事で許してもらえますよ……多分」
「イケボ枠……それって俺のこと?」
「そうですよ。あれ? 知りませんでした? お客さん達もよく、今年のアナウンス担当の隊員はイケボだって話してますから」
「知らなかった……」
いつもの席に座ると、一尉が隣に座った。
「なんですか」
なにか言いたげな様子に、隣をうかがう。
「別に。どうやら俺はしゃべったらダメみたいだから、おとなしくのど飴をなめながら、松島に到着するまで黙ってることにする」
全員が乗りこみ後部ハッチが閉じると、両翼についている四つのエンジン音が大きくなった。機体が揺れたところをみると、タキシングを始めたらしい。体験搭乗で一般の人達を乗せる時は、非常に丁寧に離着陸をする輸送機のパイロットも、乗っているのが全員身内となるとまったく容赦がない。滑走路に出るとちゅうで乱暴に曲がると、離陸待機ポイントへと向かった。
窓の外を見ていると、少しの間だけ止まってからすぐに動き出した。徐々にスピードを上げていき、次の瞬間には地面が急激に遠くなっていく。私は入隊してから、輸送機の貨物室の窓からしか見たことがないけれど、コックピットから見る離陸風景って、一体どんな感じなんだろう。
離陸して十分ほど経つと、それぞれが安全ベルトをはずし、リラックスした様子で今回の遠征について話を始めた。お隣の人はさっきと同じで、黙ったままこちらの様子をうかがっている気配がする。
「…………」
「…………」
根負けして溜め息をついてから、一尉のほうを見た。
「もう! いいですよ、しゃべっても! なにか聞きたいことでもあるんですか?」
向かい側の席から、赤羽曹長と森重曹長が、ニヤニヤしながらこっちを眺めている。そのにやけた顔がムカついたので、ポケットに忍ばせていたのど飴を投げつけてやった。二人とも器用に片手で飛んできた飴を受け止めると、こっちを見てさらにニヤッと笑う。
「おい、散らかすのはよせ。飴玉をあっちこっちにまき散らしたら、ここの機長にぶっ飛ばされるぞ?」
「うるさいです、さっさと口に放りこんで、おとなしくしてなさい」
「怖い怖い。どっちが偉いか分かったもんじゃないよなあ」
「まったくだ」
二人はニヤニヤ笑いを浮かべたまま、のど飴の封を切って口に放りこんだ。とたんに顔をしかめる。
「おい、浜路!」
「なんだこりゃ!」
「のど飴に決まってるじゃないですか。誰がニッキ味しか持っていないと言いましたか?」
私が二人に投げたのは、ビタミンCたっぷりの、のど飴史上一番の酸っぱさとうたわれているものだった。試しに私もなめてみたけど、口に入れたとたんに咳き込んでしまったので、のど飴としては逆効果なんじゃないかと思っている。
「ただほど怖いものはないんです。どちらにしろお二人ともタバコを吸うでしょ? タバコを吸う人はビタミンCが不足しがちだって言われているから、ちょうど良いじゃないですか? たしか一粒レモン50個分って書いてありましたよ?」
「にしたってだな、ものには限度ってものがあるぞ」
「そうですね。私も次は買わないかもしれません」
「かもなのか」
二人の曹長のことはさておき、問題はお隣で妙な沈黙を守っている一尉殿のことだ。
「それで? なんなんですか? なにか言いたいことでも?」
「俺の呼び方が気に入らないってことだから、なんて呼んだらよいかなって考えていたんだ。そっちは何て呼ばれたいんだ?」
「普通にですよ普通。とにかくいい加減にハナヂって呼ぶのやめてもらえませんかね? タックが駄洒落っぽいって私が言ったのは、一回きりじゃないですか」
ここまでくると過剰防衛ですよと付け加えた。
「俺、そんな風に呼んでいないと思うんだけどな」
「なに言ってるんですか、さっきだってしっかりハナヂって口にしてましたよ! それとハマチとも言いました!」
「そうかな。俺はちゃんと浜路さんと呼んでいるつもりなんだかなあ。もしかしてそっちの聞き間違いじゃ?」
「んなわけないでしょ! 私の耳は正常ですよ! しっかり「ハナヂ」「ハマチ」と言いました!」
あんな近くで言ったのを聞き間違えるわけがない。
「だったらなんて呼べば?」
「だから、普通に浜路三曹で良いんですよ。無理して変な呼び方を考えることないじゃないですか」
「ふーむ」
そこで一尉は考えこんでしまった。
「どうしてそこで考えこむんですか。考えることなんてないでしょ?」
もしかして人の話を聞いてない?
「だったら……ってのはどうかな?」
「はい? 聞こえませんよ、なんですって?」
そう言いながら耳に手を当てて、一尉の方に体をかたむけた。
「るい……ってのはどうかな?」
いきなり、いつもより低い声で耳元にささやかれて飛び上がった。思わず耳を手で押さえながら、一尉の顔を見つめる。その顔は普段通りの真面目そうな顔だ。
「な、なんでそこでささやくんですか!」
「別にささやいていないぞ。普通に話しただけだ」
「嘘だ。さっきの声はいつもの声じゃなかったですよ!」
「そうかなあ……」
「そうですよ!」
どうしてかわからないけど、その声を聞いたとたん、毛が逆立つんじゃないかと思った。もしかしたら本当に逆立っているかもしれないと、思わず頭に手をやってみる。
「どうしたんだ?」
「なんでもないですよ。とにかく、普通に浜路三曹って呼んでください」
「るいさん、のほうが可愛いと思うんだけどなあ」
「可愛いとかそういう問題じゃないです。それはどう考えても、仕事向きじゃありません」
「タックネーム、るい」
「ですから、それ本名ですから」
まったく、イケボなドルフィンライダー(まだなれるかどうかは未定!)は、油断も隙もあったものじゃない。