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第五話

「お待たせ…って、この子」

やや高めの声が戸惑ったように宙に浮く。私が顔を上げると明るい茶髪の男の子が目を真ん丸にしてこちらを見ていた。ハッキリとした二重瞼に、長くてボリュームのある睫毛が縁取る目は大きい。浅黒い肌は滑らかだし、薄めの唇は形が良い。背は私と変わらないくらいだけど、アイドル顔で可愛らしい容姿だ。

目をしばたたかせて立ち竦む男の子に、瑞希がホニャリと気の抜けた笑みを作る。

「前に話した、親友の岡部満里子。可愛いでしょ?」

「え、いや、そりゃ…可愛いけど。え?何で、岡部さんがここにいるの?」

「あ〜…まぁ、諸事情で。図体だけはデカいヘタレが満里子を泣かせたの」

デカいヘタレ…間違いなく佐々木さんのことだろう。ヘタレなのかは置いておいて、体は大きいし。…何だか、瑞希の機嫌が良くない気がする。口が悪くなる時は彼女の機嫌が最悪な時だ。

その原因は私であるし、居たたまれない…。

体を小さくすると、察しの良い友人は「満里子に怒ってるわけじゃないのよ」と苦笑した。

「何、あの剣道部の鬼…できたばかりの彼女を泣かせるってどういう了見なの」

眉間に皺を寄せる男の子。

「まだ、彼女ですら無いんだって。挙げ句に付き合うのは有り得ないとか言いやがるし」

「何言ってんの、あの人。文学部の美人四姉妹の1人を袖にするとか、それこそ有り得ねぇ。他の奴等が聞いたら暴動起きるぞ」

「…あの、美人四姉妹って」

憤慨する二人に恐る恐る訊いてみる。

「ああ、そっか。知らないよね。工学部の男たちが勝手に言ってるだけだけど、町村瑞希、葛城友里亜、宮藤多江、岡部満里子の美人4人が仲良いから美人四姉妹。むさ苦しい工学部の中では憧れの存在なんだよ」

ほら、向こうにいる奴等も鼻の下伸ばして二人を見てるでしょ?

彼はニッと笑ってみせた。

「で、瑞希は何で岡部さんを連れてきたわけ?」

それは私も気になっていた。紹介したい人がいるというのは、その場の方便だと思っていたが連れてこられた先が工学部というのは解せない。

瑞希は待ってました、とばかりに悪戯っぽく唇の端をニィッと吊り上げた。

「少しの間で良いの。満里子と仲が良いフリをしてくれる?」

「は?」

「一希が満里子を好きになったなら、口説き落としてくれても良い。ただし、満里子の気持ちが無いうちは手を出さないこと」

とんでもないことを言い出した瑞希に、私と一希さんはポカンとした。

「ヘタレには荒療治が必要なのよ。一希、お願いできる?」

「いや、まぁ…俺は役得だし良いけど、岡部さんは良いの?」

「え…」

そう問われて、私は暫し沈黙した。正直、あまり気乗りしないけれど、瑞希が私のことを考えて提案していることなのは分かるから無下にはできない。

それに…失恋しちゃったんだもんね。

まだ胸がじくじくと痛む。瑞希の言う通り、違う人にも目を向けることは大切なのかもしれない。

「はい、お願いします」

気づけば私はそう答えていた。一希さんはそんな私を思案げに見ていたが、ふっと表情を柔らかくした。

「分かった。よろしくね、満里子ちゃん。俺は町村一希。工学部の院生で瑞希の実の兄です。年齢は多分、満里子ちゃんの3つ上だよ」

呼び方が岡部さんから満里子ちゃんに変わった。じゃなくて。

「瑞希の、お兄さん?」

言われてみれば、目元や鼻の形は似ているかもしれない。

瑞希はペロリと舌を出して、

「伝えてなくてごめんね。でも見てくれは良いし、亜希姉と朋希兄に調教されてるから紳士だよ。我が兄ながら優良物件だからね」

とあっけらかんと説明した。

「調教って…まぁ間違っては無いけど。満里子ちゃんの嫌がることはしないから安心して。俺のことは兄貴みたいな友達だと思ってくれたら良いよ」

優しい労るような笑顔に私の肩から力が抜ける。

「はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」

「友達なら、敬語は無し」

「あ、はい。じゃなくて、うん。よろしくね」

「よくできました。よろしくね、満里子ちゃん」

手を差し出され、私たちは握手をする。そこでやっと自然に笑顔が作れたのを私は感じたのだった。




次の日から私の生活はガラリと変わった。院生である一希さんは時間の融通が利くのか、私が登校する時間に合わせて大学の正門に迎えに来てくれる。最初の数日は恐縮していたが、2週間経った今では何とか慣れてきた。

今日の一希さんはベージュのステンカラーコートにグレーの無地のパーカーを中に着込んだ、オシャレな格好だ。ネイビーのスキニーパンツも似合っている。一希さんはオシャレな人で、服の組み合わせが上手だ。よく見れば着回してるのが分かるのに組み合わせを変えて、それが気にならないようにしているみたい。

アイドル顔で小柄でも、自分をカッコよく見せる術を知っているから、通りすがりの女の子たちの目がハートになっていることも多い。それをサラリと流している所を見ると、今まで女の子にチヤホヤされてきたんだと想像がつく。

そんな人が私といて良いのか謎だけど、一希さんは大丈夫だと言うからその言葉に甘えたままでいる。その代わり、隣に立っても恥ずかしくないように身だしなみを気にするようになった。

今もグレーのチェスターコートに白ワンピ、黒タイツに黒いエナメル素材のバレエシューズといった上品に見えるような服装だ。髪型もやや前上がりのラウンドボブスタイルで、さりげなく手を加えてあるし、メイクも血色がよく見えるように下地をピンク系に変えた。肌荒れに気をつけたり、マッサージをするようにもなった。

自分でも、可愛く装うことが楽しくなってきて、良い意味で成長したと思う。

「満里子ちゃん、おはよう。今日は大人っぽいコーデだね。似合ってる、可愛いよ」

「ふふ、ありがとう。この前買った白ワンピを着てみたかったの。一希さんがオシャレだから、私もオシャレを意識しないと隣を歩くの申し訳ないなぁって思って。前は本当に野暮ったかったでしょう?」

「いや、それはそれで可愛かったんだけど…最近は本当に綺麗になってビックリしてるよ。瑞希もそう言ってた」

ニッコリと笑う一希さんは、優しく私の髪をすく。

「私ね、今まで本当に何も努力してこなかったの。何もしなくても、そのうち手に入るってどこかで甘えてた。でも、違うんだね。自信も評価も、努力するから得られるものだった。

それを教えてくれた一希さんに、感謝してる。ありがとう」

一希さんに会わなければ、気づかなかった。瑞希が彼を誉める理由が理解できる。彼は自分自身に対する努力は惜しまないし、他者の努力を当然のように誉めてくれる。

一希さんは私の言葉に、優しく微笑んだ。包み込むみたいな温かい笑顔に、私も自然と笑顔になっていく。

「満里子ちゃんは本当に良い子だね。当たり前みたいに相手を受け入れて、美点を見出だそうとする。だからキミの隣は居心地が良いんだね」

「その言葉はそっくり一希さんに返しますよ」

「最初は瑞希の頼み事だからと思ってたけど、想像以上の役得だった。…ねぇ、満里子ちゃん」

こっちに来て、と一希さんが私の手を引いて桜並木の中に入っていく。ちょうど木の陰にいるから、通行人には見えにくいけど、大きな声を出せば誰かが気づいてくれる場所だ。

「俺が満里子ちゃんを好きになったら口説いても良いって、瑞希は言ったけど…。俺は今、キミを口説きたい」

「…一希さん」

「俺はキミが好きだよ。すごく愛しくて可愛くて堪らないんだ」

睦言のようなしっとりとした言葉に、顔が熱くなる。一希さんは右手を私の頬に添え、艶っぽく微笑んだ。

「俺は、キミを拒絶しない。大切にするよ」

私が怖がらないように、ゆっくりと言葉を紡いでくれる。

私は一希さんの目をじっと見つめた。

確かに一希さんは素敵だ。一緒にいて楽しいし、安心できる。こんな人といられたら幸せだなとも思う。

けれど。

けれども、佐々木さんに感じた気持ちは無い。

胸が苦しくなったり、痛くなったり、しない。胸が熱くなることも、ない。

もしかしたらこの先、一希さんに恋ができるかもしれないけど、きっと恋に落ちることはないのだろう。


なんだ。答えは出てるじゃないの。


「一希さんは素敵だし、一緒にいたら幸せなんだろうなって思う。でも私は、一希さんを選べない。…片想いでも釣り合わなくても、良いの。だって、私は佐々木さんが好きだから」

そう、本を拾ったあの人が私に笑顔をくれたその日から。ずっとずっと、心は奪われたまま。

好きだって気持ちは儘ならないけど、それでも忘れたくない。

私の言葉に一希さんは小さく頷くと

「よくできました」

と耳元で囁いてくれた。そして体を離すと、木の後ろに声をかけた。

「…だそうだ。佐々木君。満里子ちゃんの一途な気持ちを聞いた感想は?」

「えっ!」

私が飛び退いて木の後ろに目を向けると、そこから非常に気まずそうな顔をした佐々木さんが現れた。

驚いて一希さんの顔を見ると、悪戯っぽくウインクされる。


一希さんってば…!


全身が熱い。熱すぎる。

私…佐々木さんに告白しちゃった…っ!

羞恥に身悶えて、私は手で顔を覆う。もう佐々木さんの前に姿を現せないかもしれない。恥ずかしすぎる…。

「大体さ…何で、キミが満里子ちゃんと釣り合わないって勝手に決めつけちゃうかなぁ。顔なんか所詮、顔の皮剥いだら皆さして変わらないの。キミのコンプレックスを否定するわけじゃないけど、そんなことで大切な人を傷つけるのは如何なものかな」

一希さんの言葉に、佐々木さんがポツリポツリと話し出す。

「俺の外見は、人に恐怖を与える。道行く人に避けられるのも日常茶飯事です。

でも、岡部さんだけは最初から違った。俺の顔を見ても、笑顔をくれた。避けないでくれた。自分の中で岡部さんの存在が特別に変わるのに時間はかからなかった。けれど、同時に怖くなったんです。この先、岡部さんに拒絶される日が来たら…と思うと、その時自分が傷つくと思うと怖くて仕方なかった。竹刀を交える時より、恐怖を覚えました」

絞り出すみたいに話す声は弱々しい。私は手を顔から離し、佐々木さんを見上げた。

いつもすっと伸びた背筋が今は前屈みになっている。ぎゅっときつく握り締められた拳が震えているのを見て、私は息ができないくらい胸が詰まった。

「最後に会った時、俺の言葉に血の気の引いた顔をした岡部さんを見た瞬間、息が止まるかと思いました。今まで俺は自分のことばかり考えていて、岡部さんがどう思っているのかまで気が回ってなかったんです。

瑞希さんに連れられていく岡部さんの背中を見て、心に大きな穴が開いたみたいでした。その時初めて、岡部さんのことが好きなんだと気がついたんです。

そこからは坂を転げ落ちていくみたいだった。貴方の隣にいて笑う岡部さんを見て、胸が痛くて叫び出したくなった。どんどん綺麗になる岡部さんに、そうなるきっかけを作った貴方に気が狂いそうでした。…恋が人を狂わせる、という言葉がこれほど身に染みる日が来るなんて思ってもみませんでした」

自嘲的に唇を歪め、佐々木さんは顔を上げた。その目には鋭さはなく、懇願するような必死さが映っている。

私はその視線を外すことすらできず、ただ佐々木さんの目を見返した。


どんな理由であれ、満里子を傷つけた輩には制裁を加えるのが瑞希。そのために周りを振り回すトラブルメーカー体質の人です。一希と瑞希は見た目より性格が似てるので、一希もその傾向あり。シスコンのお兄さんは可愛い妹のためなら何でもします。

そんな二人に翻弄される佐々木君はある意味不幸な人かもしれません。

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