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第四話

次の週の頭、私は学部棟から学食への道をゼミの友人と歩いていた。今日はアルバイトのシフトが空いたので、ゼミに顔を出してきた所だ。この後お昼を食べてレポート作成の資料を探しに図書館に行く予定になっている。

「それで、この前読んだ本なんだけど…」

「あ、前に話してた最近ドラマ化された本だっけ。どう?面白い?」

「ん〜…複雑な人間関係も面白いけど、何より謎を解くヒントが巧妙に隠されていて、読み進めた後に『さっきのはこのことか!』って驚かされるから読んでいて飽きないかな」

友人はのほほんと話していたが、ふと自分の鞄を探り出し、そして何かが無いことに気がついたらしい。

「満里子、ごめん。ゼミ室に資料を置いてきちゃった。ランチは次回埋め合わせするね」

「良いよ、気にしないで。そういえば教授の出張に今度付いて行くんでしょ?」

「うん。その時に使う資料の整理を頼まれてたのをすっかり忘れてた」

「お疲れ様。じゃあまた明日」

「うん!またね」

友人は学部棟へ駆け出していく。私はその背を見送りながら、ふぅとため息を吐いた。大学院進学希望の彼女は教授のお気に入りで、学会に連れていかれることも多く、その分他の学生よりも忙しい。公務員志望と決め込んでいる私とは違い、友人たちは何かと慌ただしく、それを見る度に置いてきぼりにされたような疎外感を覚えるのは最近では当たり前の日常になってきていた。

「また、一人でご飯かぁ」

一人で学食に行く気にもなれないし、コンビニでパンか何かを買ってきて食べようかな。

方向転換をして正門に向かって歩き出す。今日は踵の低いパンプスだから歩きやすいのに、どうしてかな…足が重くて仕方ない。

とぼとぼと歩いていると、法学部の棟の方から大柄な男性が歩いてくるのが見えた。体型や歩き方が佐々木さんと似てるな〜…。ぼんやりと考えていたら、その人と目が合った気がした。あくまで『気がした』だ。私とその人との距離は結構あったし、視力が人並みの私では顔の輪郭さえな朧気にしか判別できない。

それなのに、その人はこちらに向けて手を上げた。私は周りを見回したが人はいないので、どうやらその仕草は私に向かってのものらしい。

「って言っても、私には誰だかよく分からないんだけど…」

困惑する私とは違い、その人は迷いのない足取りでこちらに歩いてくる。シルエットがだんだん大きくなりその輪郭がはっきりしてくると、ようやく私にも誰だか分かり、思わず頬を緩めた。

「こんにちは、佐々木さん」

目の前に立った佐々木さんに挨拶をすると、佐々木さんは爽やかに挨拶を返してくれた。

「佐々木さん、視力どのくらいなの?」

唐突な質問に、彼は器用に眉を上げる。

「2.0だけど…それが?」

「2.0ってすごい!道理であんな遠くでも人物の認識ができるんだねぇ。私、佐々木さんが手を上げてこっちに歩いてきた時、誰だか分からなかったもの」

感心をする私に、佐々木さんは質問の意味に合点がいったらしい。唇の端を持ち上げると、小さく頷いた。

「昔から目は良いんだ。もちろん細部まで見えてたわけじゃないけど、岡部さんだと認識できるくらいには見えた。…それで途中まで不審そうな顔をしていたのか」

「誰が手を上げて合図しているのか分からなかったの。周りに誰もいないから、たぶん私に用事かな〜くらいに思ってた」

「なるほど、それは仕方ないな。…で、今からどこに行く予定なんだ?俺は篤史と学食で落ち合う予定になってる」

「私も友達と学食に行く予定だったけど、急なキャンセルで。仕方ないからコンビニに行こうかなと思ってた所だよ」

努めて軽い口調で言ってはみたけれど、改めて言葉にすると淋しく感じてしまう。あぁ、一人ぼっちだなと思うと、つきんと胸が痛んだ。

こんな感傷的な時は一人になるのにかぎる、と話を切り出そうとした瞬間、佐々木さんが先に言葉を紡ぐ。

「なら、一緒に学食へ行かないか?」

「え、でも…」

「篤史なら気にしないと思うから、遠慮しなくていい。それにこの前、最近瑞希さんと時間が合わなくて会ってないと嘆いていたから、岡部さんから彼女の話を聞けば喜ぶと思う」

そう言われても…と口ごもる私に、佐々木さんは尚も言葉を重ねて言い募る。普段は口数が多くないのに、こういう時は多弁になって相手をうまく言いくるめてしまう辺りはさすが弁護士志望だなと感心してしまう。

「…分かった。私も行く」

「うん」

結局佐々木さんの提案が通り、私は学食へ向かうこととなった。隣で満足そうな彼の顔を見ると、仕方ないなぁという気持ちと少し嬉しいという気持ちが沸き上がってくる。

先ほどまで重かった足が一気に軽くなるのを感じながら、私は佐々木さんの歩に足を急がせたのだった。



学食に着くと、何故か瑞希と篤史君がいた。

「あれ?瑞希、この時間って講義取ってなかった?」

今の時間はゼミの教授の講義が入っていたはずだ。そう思って尋ねると、瑞希は苦笑してスマホを見せてくれた。

「私もそのつもりで来たんだけどこの通り、急に休講になったから。それで篤史に連絡したら学食で佐々木君と落ち合うって言うじゃない。なら私もお昼一緒に食べたいってことになったの。…それで、満里子は?今日はバイトでしょ?」

「あ〜…今日は無いの。この前他の人の代わりで入ったから」

「そっか。なら、満里子に連絡すれば良かった。最近ゼミの中間発表のせいで会えてなかったし」

この時期は4年生の卒業論文の中間発表に合わせて、3年生も卒業論文のテーマを決めたりし始める。考古学専攻みたいなゼミだとフィールドワークの計画を立てたり、実際に県を越えて何日間も実地調査に行くこともあるという。私は日本文学の専攻だから、そう慌てることもないけど、大変なゼミは大変だ。

「そういえば、凌馬と満里子ちゃん、仲良くなったんだね。この前も一緒に歩いてるの見たし」

ニヤリと篤史君が人の悪い笑みを浮かべる。

「最近、偶然会うことが多いんだよ。見てたなら篤史君、声かけてくれたら良かったのに。ねぇ、佐々木さん?」

「あぁ」

「俺は声をかけたんだけど、仲良く話し込んでて気づかなかったの、そっちじゃん。音に敏感な凌馬にしちゃ珍しいとは思ったけど…まぁいっかって」

むぅっと不服そうな顔の篤史君。私と佐々木さんは絶句して顔を見合わせた。じわじわと顔が熱くなる。それは佐々木さんも同じみたいで耳が焼けたように赤い。

そんな私たちに瑞希が呆れたように口を開いた。

「何だ、うまくいってるんじゃないの。やきもきしてた私がバカみたい」

「「えっ?」」

椅子にふんぞり返った瑞希に、私と佐々木さんが間抜けな声を出した。

「そういえば美女と野獣はハッピーエンドだったわね。残念ながら佐々木君の顔が今さら美形にはならないけど。ちゃんと愛を育んでいたわけ」

「瑞希っ?!」

「二人とも、まだ付き合ってないの?剣道部内でも法学部内でも、二人が恋人同士だって話で持ちきりだよ」

「篤史…それは、誤解だ」

しどろもどろな言い訳は佐々木さんらしくないけど、そうなってしまう理由はよく分かった。私も脳が沸騰しそうなくらい煮立っている。

そんな私の熱を一気に下げる言葉を、佐々木さんが放った。


「俺と岡部さんは、そんな関係じゃない。有り得ないだろ」


冷水を頭からぶっかけられたみたいだ。


有り得ない…の?


私じゃ、そんな対象にもならないというの?


全身から血の気が引いていく。

それに気づいた瑞希がさりげなく私を抱き締めた。

「当たり前じゃないの。そんな意気地無しに私の大事な親友はあげないんだから」

「瑞希?」

「二人が付き合ってないんなら、ちょうど良かった。満里子って美人だし、正真正銘の天然で鈍ちんな所も可愛いって人気があるの。紹介してほしいって男の子もいるんだ。

ねぇ、満里子。今から…その人に会わない?外見も中身も良い奴だから」

驚いて瑞希の顔を見れば、彼女は口パクで「何も言わずに頷け」と言っている。私はよく分からないまま、言われた通り頷いた。

背後で息を飲む音が聞こえたけれども、後頭部を瑞希が抑えているから振り返ることは叶わない。

「てことで、篤史。今から行ってくるから今日はデートはパスね。さっき会った時、その人もこの後の予定はないって言ってたし、満里子も講義入ってなかったでしょ?

ごめんね、明日埋め合わせするから」

そう言って立ち上がった瑞希と私に、篤史君はため息を吐き、そして苦笑した。

「キミの気まぐれは今に始まったことじゃないから良いよ。行っておいで。俺はゼミに寄ってから帰るよ」

「ありがと。篤史のそういう寛大な所、大好き。じゃあまた後で連絡するね!」

「うん。待ってるから」

やっと瑞希から解放されて篤史君を見れば、何故だか可笑しそうに目をくりくりさせてウインクをしている。

一方佐々木さんは無表情で、あだ名の通りの鬼瓦みたいな顔になっていた。感情の見えない目が、じっと私を捉えている。私はその視線から逃げるように顔を背けると、瑞希の腕に抱きついた。



「やっほ〜!一希(かずき)いる?」

勢いよく瑞希が開け放ったドアは、工学部の棟にあるゼミ室。文系学部とは違い、機械やら実験器具やらが並んでいて、実験室という感じだ。中には作業着の男の子たちがいて、頭を突き合わせながら何かを相談している。

その男の子たちのうちの一人が私たちに気づき、大きく手を振った。

「お、瑞希じゃん!どした?」

「一希に用事。抜けられる?」

「う〜ん…あと5分後なら。そこで待ってて。椅子使っていいから」

「ありがと、分かった」

テンポのいい会話をして、瑞希は部屋の中に入った。私も続いて入る。

初めて見る工学部のゼミ室の内部をキョロキョロと見ていると、瑞希が眉を下げて情けない顔をした。

「勢いで連れてきてごめん。びっくりしたでしょ?」

「うん。でも、あの場にいたら泣いちゃいそうだったから嬉しかったよ。………私じゃ、佐々木さんの相手にはなり得ないって、本人に言われると思ってなかった。佐々木さんって優しいし、最近一緒に過ごす時間が増えてたから、心のどこかで期待してた。でも違ったんだね」

佐々木さんにしたら、親友の恋人の友人の1人でしかなかったのに。どうして、もしかしたら…なんて思ってたんだろう。

「満里子…」

「諦めた方が良いのかな。あ〜ぁ…結局、連絡先すら聞けなかったな〜…」

「…どうして、二人とも不器用なのかしらね。まぁ、いきなり忘れるのは無理だよ。だから、まずは佐々木君以外の人にも目を向けてみたら?そしたらまた違ったものも見えてくるはずだよ」

瑞希が頭をぽんぽんと叩く。それが佐々木さんの手を思い出させて、胸が締め付けられる。涙を堪えて俯いた私に、瑞希はそっと肩を貸してくれた。


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