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第二話

甲高い声や体が震えそうなくらい重い声が飛び交う中で、私と瑞希はちょこんと道場の隅にお行儀よく正座をしている。

多江と友里亜と別れた後、瑞希が私を連れて来たのは剣道場だった。どうも篤史君との待ち合わせ場所がここらしい。瑞希の彼氏である夏木篤史(なつきあつし)君は剣道五段の立派な剣士だ。見た目は今時の男の子でやや華奢な優男の印象なのだが、実は細マッチョで竹刀を持たせたら右に出る者はいないと地元では恐れられている猛者だ。うちの大学の剣道部の副部長でもある。

瑞希は時々差し入れを持ってくるから平然と居座っているけど、初めて道場に足を踏み入れた私はあまりの場違い感に落ち着かず、ソワソワしてしまう。

竹刀を打ち合い練習に励む部員の姿は凛々しい。顔は見えないけれど、それだけでかっこよく見える。ぼやっと練習風景を見回していた私は、ある一点を見て動きをピタリと止めた。

それは道場の中央で行われている模擬試合。二人の剣士が竹刀を構え、間合いを測っている所だった。あちこちで気合いのある声が飛び交う中で、その場所だけは無音の緊迫が漂っているのが遠くにいる私にも伝わってくる。

竹刀の剣先が触れ合い、何度も軽い打ち合いが交わされる。けれども試合を決める決定打にはならないのか、審判は旗を上げることはない。

いつまでその均衡が続くのだろうか。無意識にコクリと喉を鳴らした瞬間、それは崩れた。


本当に一瞬の出来事だった。


体の大きい剣士が一気に間合いを詰めたと思った次の瞬間に、相手の剣士の右脇腹に胴が決まり、体の大きな剣士が旋風のように駆け抜けていった。審判の白い旗が、高く上がる。

「すごい…」

心臓がパクパクと鳴っている。鮮やかに胴を決めた剣士から目が逸らせられない。

目の前では二人の剣士は元の立ち位置に戻り、礼をしていた。その颯爽とした姿も美しくて、心が震える。


どうしよう…カッコいい。


あまりの眩しさに目眩がしそうだ。

「満里子、大丈夫?」

口をポヤッと開いて瞬きすらしない私を覗き込み、そして私の視線の先を追ったらしい瑞希は

「あ〜…」

と複雑な様子で声を出した。そんな友人を横目に、私の視線は先ほどの剣士に釘付けのまま。

その人は道場の隅に座ると竹刀を床に置き、面を外した。手拭いを巻いた頭部と、恐らく汗にまみれた顔が顕になる。そしてその人が目を開いた時、私の目はこれ以上ないくらい大きく見開かれることになった。

「うそ…佐々木さん…?」

遠くでも分かる、きつい印象の双眸。

ドクドクと耳元で鼓動が鳴り響く。胸が、呼吸が苦しい。周りの音が、遠くなっていく。

瑞希が何かを囁いた気がしたけれど、それすら分からないくらい私の意識は佐々木さんに集中していた。


どうしよう…

私、佐々木さんから目が離せない。


まるで、時間が止まってしまったみたいだった。




部活が終わり、私服に着替えてきた篤史君が爽やかな笑顔でこちらに走り寄ってきた。シャワーを浴びたのか、髪の毛は洗い晒しでまだ濡れている。

瑞希は篤史君の頭からタオルをかけて、小脇に抱えていた紙袋を手渡した。

「お疲れ様。これ差し入れ。クッキー焼いたから、剣道部の皆さんにどうぞ」

「お、サンキュ。いつもありがとな。お〜い!田垣(たがき)たち、瑞希から差し入れ!!」

腹から出された大声に、わらわらと部員たちが集まってきた。

「瑞希さん!いつもありがとうございます!瑞希さんの差し入れ、いつも美味いです」

「夏木先輩、こんなに可愛くて料理の上手な彼女がいるなんて羨ましすぎますよ〜」

部員たちは思い思いに好きなことを言いながら小分けされたクッキーの包みを持っていく。道場内は飲食禁止だというから、後で食べるのだろう。瑞希も慣れたもので、ニコニコと対応している。

暫くして部員たちがいなくなると、篤史君は小さく息を吐き、そして私に笑いかけた。

「ごめんね、満里子ちゃん。びっくりしたよね。あいつら良い奴なんだけど騒がしいから」

「ううん。大丈夫だよ。剣道部の練習も見れたし」

「そう言ってくれると助かるよ。それで、何だっけ。凌馬に用事があるんだよね?アイツ、何かした?」

心配そうな表情の篤史君。私はぶんぶんと顔を横に振る。

「そんなことないよっ。あの、あのね…実は私、あの…佐々木さんに一目惚れして」

囁くように告げると、みるみるうちに目の前の篤史君の顔が驚愕に染まった。

「え?ええっ?一目惚れ?凌馬に?人違いじゃなくて?」

「いや、本人だと思う。さっき確認したけど、あの鬼瓦をカッコいいって言ってたから」

驚く篤史君に隣から瑞希が口を挟む。

「え〜…マジかぁ…。あれの外見をカッコいいと言える満里子ちゃん、スゲー」

何故か感心したように何度も頷く篤史君。何を感心されたのか分からない私は、くるくると変わる表情をポカンとして見ていた。

「いや〜…びっくりした。満里子ちゃんって…」

何かを言いかけた篤史君の言葉を遮るように、低くどっしりとした声が響いた。

「篤史、道場閉めて良いか?」

「ん?あぁ、ごめん。もう出るから良いよ。あ、これ。瑞希の差し入れ」

「瑞希さん、いつもありがとう。うちの奴等、毎回喜んでるよ。…けれど本当に、経費払わなくて良いのか?これだけの人数分作るとなると、かなりお金がかかるだろう?」

佐々木さんは気遣わしげに眉を下げ、瑞希と篤史君の顔を交互に見やる。

「だぁいじょうぶだってば。私の趣味だし、それに剣道部の人たちは吹奏楽部の楽器を運ぶの手伝ってくれるからおあいこさまだよ。結構助かってるんだから」

ニッと笑う瑞希に、佐々木さんも肩の力を抜いて小さく微笑んだ。篤史君もそんな彼女を優しい目で見ている。

暫く気軽な応酬をした後、ふっと佐々木さんの視線が私に向けられた。そして、切れ長でやや吊り気味の目が真ん丸になる。

「え?キミは、昨日の…?」

「あ、はい。昨日はありがとうございました」

「あれ?二人とも知り合い?というか、こんな可愛い子と知り合っただなんて、お前言ってなかったじゃん」

お互いを凝視してぎこちないやりとりをする私と佐々木さんを見て、篤史君が不思議そうに首を傾げた。

「いや、昨日たまたま会っただけだ。名前は知らない」

篤史君の言葉を受け、頬に僅かな朱を走らせた佐々木さんは視線をさまよわせた後、鼻先をポリポリと掻いた。

「あの、昨日図書館で本を落としてしまって、それを拾ってもらったの。本当に、たまたま」

しどろもどろになって代わりに私が話すと、三人の視線が私に集中し、頬が熱くなっていくのを感じた。

恥ずかしさに俯いていると、篤史君がははぁ、と面白げな声を出した。

「…あぁ、なるほど。その割には満里子ちゃんのこと、よく覚えてたよね。凌馬っていつもは女の子の顔をなかなか覚えられないのにさ」

「篤史…俺に恨みでもあるのか?」

地を這うようなドスの効いた声。思わず肩を震わせて私は顔を上げると、悪鬼も逃げ出しそうなくらい恐ろしい顔で佐々木さんは篤史君を睨んでいた。ただその頬は真っ赤に染まっている。

それを飄々とした笑みで交わすと、軽薄ともとれる声色で篤史君は佐々木さんに問いかけた。

「いやぁ?珍しいなと思って。

とりあえず、二人はお互いの顔を知ってるだけなんだな?」

「…あぁ」

「じゃあ、まずは彼女から。この人は瑞希の友人の岡部満里子さん。文学部三年生で、俺たちと同い年だよ」

「岡部満里子です。よろしくお願いします」

頭をペコリと下げる。

「で、コイツは佐々木凌馬。法学部三年生で、剣道部の部長なんだ。高校時代は国体にも出たことがある有望な選手だよ。剣道五段だしね」

そう紹介された佐々木さんは姿勢を正した。

「佐々木凌馬です。こちらこそよろしく」

とても綺麗な礼をした後に背筋をまっすぐ伸ばした佐々木さんは、やっぱりものすごく背が高い。肩幅も広いし、腕は私の2倍近くありそうだ。きつく結んだ唇はやや厚く、鼻梁は綺麗だ。意志が強そうな太い眉の形自体は整っているし、切れ長の目もこうやって間近で見上げれば穏やかな海のように静かで落ち着いている。

やっぱり素敵だなぁ…

「それで、この後どうする?俺と瑞希は楽器店に行く予定なんだけど」

「満里子も佐々木君も楽器に興味無さそうだよねぇ。一緒に来てくれるなら大歓迎だけど…」

うっとりと佐々木さんを見つめている私と、やや困惑気味の佐々木さんに、篤史君と瑞希は意味ありげにこの後の予定を話し出す。二人のニヤニヤ笑いからして、私と佐々木さんを二人きりにしようとしているらしい。それは佐々木さんも気づいたみたいで、大きくため息を吐いた。

「俺は遠慮する。流石に友達のデートを邪魔をするなんて無粋な真似はしないさ。岡部さんは、この後の予定は?」

「え?あ、あの…図書館で勉強しようかなと」

「なら、俺も図書館に行こう。道場から図書館までの道は入り組んでるから、送るよ」

「えっ?!」

佐々木さんの提案に息を飲むと、待ってましたとばかりに瑞希がわざとらしく両手を合わせた。

「本当?佐々木君、満里子をよろしくねぇ。じゃあ篤史、行こっか!また明日ね」

「よろしくな、凌馬」

「…ああ」

ヒラヒラと手を振る二人に、若干呆れた表情の佐々木さん。右手を挙げ、早く行けと言わんばかりだ。

薄情な恋人たちに置いてきぼりにされた私は、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。確かに、佐々木さんを紹介してほしいとは言ったけど、こんな風に二人きりにしてほしかった訳じゃない。

うぅ…瑞希のバカぁ!!

友人の要らないお世話のお陰で、心臓が高速で伸縮している。何だか息苦しい。緊張しすぎて気絶、なんてことも有り得そうなくらい頭がクラクラする。

「…じゃあ、岡部さん。道場の施錠してくるから外で待っててくれるか?」

「え、あの…私、一人で図書館に行けますから、これで」

これ以上一緒にいたら、いつ心臓が口から飛び出しても可笑しくない。

先ほどの提案を辞退しようとした私を、佐々木さんはじっと見つめる。

「篤史が何でこんなことをするのか理解に苦しむが…岡部さんを送ると言ったことは本当のことだから。この道場周辺は薄暗いし人気がないから、校内とはいえ女の子一人で歩くのは危ないんだ。俺といれば、少なくとも襲ってくる輩はいない。だから、待っていてくれないか」

佐々木さんは想像以上に誠実で真面目な人柄みたいだ。私のことを本当に心配してくれているというのが、言葉の端々から伝わってくる。

「はい。じゃあ、ここで待っています」

真摯な申し入れに、私はこくりと頷いた。それを見て佐々木さんは満足げに唇の端を吊り上げた。

「すぐ閉めてくる。…あ、同い年なんだから、敬語を使わなくて良いよ」

「はい…あ、うん。分かった。待ってるね」

友人と交わすような口調に直すのは何だか気恥ずかしい。辿々しく答えれば、佐々木さんは少し眉を上げたけれど何も言わずに頷いてくれた。

道場を閉めに行った彼に背を向け、私は道場の外に出る。空には夜の帳が落ちていた。私は近くにある手すりに身を乗り出して、空を見上げた。

まだ心臓は高鳴っている。叫び出したいくらいドキドキしてる。

「わぁ〜〜っ!!!」

私は大きく息を吸い込み、全力で叫んだ。もたらされる体の火照りが心地よい。

「良い声だな。腹から良く出てる」

くつくつと笑い声が背後から聞こえて振り返ると、そこには目元を緩めた佐々木さんがいた。

彼は私の隣に立つと手摺に手を置くと大きく息を吸った。

「うおおぉ〜〜っ!!!!」

獣の咆哮を思わせる野太い声が響き渡り、至近距離でそれを聞いた私の耳はキーンとする。

佐々木さんは叫んだ後、すっきりとした表情で夜空を見ていた。その横顔がまるで少年のようで、私は無意識にクスクスと笑い声を上げていた。

「ふふふ…佐々木さん、すごい声。猛獣も逃げ出しそう」

「岡部さんが叫んでるのを見たら、俺も叫びたくなって。耳、大丈夫か?」

「うん。まだキーンとしてるけどね」

そう言いながら私の笑いは止まらない。

最初は困った表情の佐々木さんも、私に釣られて笑顔になっていく。そして破顔すると豪快に笑い出した。


満里子の目にはフィルターがかかっていると思ってください。実際の佐々木君は顔面凶器の大男です。

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