番外編~美人の定義 第7話~
出発してから、1時間以上は確実に歩いているが、そこまで疲れを感じることもなく、周りの景色を楽しむことができた。
平坦な木道が整備されていて、歩きやすいということもあるのだと思うが、それよりも私のペースに合わせて秋野さんが歩いてくれているのが大きい。
普段、やんわりとした言動を心がけている私だから、どうも運動ができるイメージとは遠いらしい。秋野さんも、たぶんそうだろう。
けれども私は高校時代、陸上部に所属していた。だから体力はあるし、運動も人並みにはできる。体を動かすこと自体は好きだから、今でもジョギングはしているくらいだ。
ただ、そんなプライベートをわざわざ披露しても仕方ないし、秋野さんの優しさに水を差すようなことはしたくない。
本当は、それだけじゃない。
心にぽつんと染みが落ちる。
「秋野さん」
私は左隣の秋野さんを呼んだ。
なんとなく…というには無理があるくらい無意識に、名前を紡いでいたというのが正しいかもしれない。自分の声がどこか遠くで響いている錯覚すら覚えた。
「ん?どうしたの?結構歩いてるし、疲れた?」
呟きに近い声に、秋野さんはきちんと反応してくれる。
顔を覗き込まれて、咄嗟に視線を落とした。
言葉が出てこない、なんて初めてだ。
笑顔で応えればそれでいいのに。何でもない、と言えば、きっとそれだけなのに。
自分の意思に反して、唇はきつく閉じたままだ。
まるで嘘つきな私を戒め、嘲笑うかのように。
今までの自分が、秋野さんの前では無様に崩れていく。どれだけ平静を保っているつもりでも、僅かな綻びからそれは広がっていく。
自分の行動に落ち込んでいると、突然、肩が軽くなった。
腕を撫でるように何かが滑り降りて、体が自由になる。
驚いて目を開ければ、目の前に、私のリュックをカンガルーの袋みたいに前にかけた秋野さんがいて、にっこりとしていた。
「こんなに重いリュック、大変だったんじゃない?宮藤さんって見かけによらず力あるんだね」
「え、そ、そうですか?」
「うん。そりゃあこれで歩き続けたら誰でも疲れるよ」
そう言いながら、よいしょ、とリュックを抱え直した秋野さんは、私に向かって右手を差し出した。
「宮藤さん、手」
明るく言われても、意味が分からない。
一般的には手を繋ごう、の催促なのだが、私と秋野さんはただの友人同士だし…そもそも秋野さんの行動は予想外のことが多い。
どう反応していいか分からず、困り果ててその手を自分の右手で握ると、秋野さんが楽しそうに笑う。
「それじゃ握手だよ。左手、出して。引っ張ってあげるから」
引っ張ってあげる?
最早全く理解できない。
困惑する私をよそに、秋野さんは私の左手を握り、軽く引いた。
「休憩所まであと少しなんだけど、まだまだ急な坂もあるから」
「そう…なんですか」
「そうなの。だから、引っ張るよ。その方が頑張れそうな気がしない?」
ふわりと浮かぶ笑みは、そよ風みたいに私の胸を吹き抜けていく。
手のひらが重なった部分はすごく熱いのに、日向ぼっこをしている時の温もりを感じる。
心が、軋む音がした。
軋んで、胸が痛くなる。
「宮藤さんは、人を頼らないね。自分の足でしっかりと歩いてる。…でもさ、頼るって、そんな悪いことじゃないよ」
滲んでいく色は優しい優しい木洩れ日の色。
目の前には、日向みたいな笑顔。
「俺を頼りなよ。そんなに柔じゃないからさ」
心が軋んで、ひび割れていく。
「…ありがとう、ございます」
やっとのことで紡いだ辿々しいお礼は、子供のそれみたいに幼い。
それでも秋野さんは満足そうに頷くと、私の手をきゅっと握り直し、歩き始めた。
さっきよりも歩調が遅くなる。
端から見ればきっと、初々しい恋人たちのほのぼのとした一場面なのだろう。すれ違った老夫婦が、微笑ましげにこちらを見ていた。
でも、違う。
分かっているから、私の心が悲鳴を上げる。
「そんなに優しくすると、誤解されますよ」
「え?」
なけなしの理性と平常心をかき集めて、精一杯悪戯っぽく詰れば、隣から間抜けな返事が返ってきた。
私はできるだけ穏やかに、優しく微笑みながら秋野さんに顔を向ける。
「優しさは、人に期待をさせます。秋野さんの優しさは、相手を好いていると誤解を与えるものです。
私は誤解しません。でも他の女性なら、誤解しますよ。気をつけた方が良いです」
期待を与えておきながら他に想う女性がいるだなんて、あなたはなんて残酷なの。
そんな批難も込めて、私は笑みを浮かべ続ける。
戸惑ったように秋野さんの瞳が揺れた。湖面にできた波紋みたいで、とても綺麗だった。
目の前で柔らかそうな唇が躊躇うように何度か動き、そしてゆっくり形作っていく。
「…優しくしたいって、思っちゃいけない?」
何を言われたか、解らなかった。
分かっているのに、解らない。
秋野さんは噛み締めるように言葉を続けていく。二人の足は完全に止まっていた。
「宮藤さんが俺を心配して、苦言を呈してくれているのは分かる。俺だって、女の子に少し親切にしただけで勘違いされて困ってる啓介を見てきたから、そのことは理解してる。
だから普段はこんな風にしたりしない。しようとも思わない。
…なのに宮藤さんには、どうしてか優しくしたいって気持ちが溢れてくる。気づくと体が動いてる」
長く、長く、でも丁寧に紡がれた言葉には、本心が詰まっている。そう感じられた。
その場を取り繕うものでなく、本当の気持ちがそこにあると、自然と心にすとん、と落ちてくる。
でも、そこまで思われる謂れは私にない。
「なんで、そんな風に、思ってくれるの?」
解らない。解らないから、怖い。
「俺も、何でなのか解らない。
だって、ひかりにはこんなこと感じなかった。ひかりに頼られれば嬉しいし、一緒にいるのは楽しかった。
ひかりが喜ぶことをするのは苦じゃない。好きだったから、望まれれば何でもした。
けれども、こんな気持ちにはならなかったんだ。だから解らない。どうしてこんなに宮藤さんに対して、優しい気持ちが溢れてくるのか」
「秋野さん…」
「本当に、自然なんだ。自然とそうしたくなる。だから、理由を聞かれても解らない。
俺は宮藤さんが笑顔を見せてくれたらそれでいいんだ」
繋いだ手がきゅっと、握り直される。
「ごめん、うまく言えない。でもこれだけは知っておいてほしい。
俺が宮藤さんにしてることは、俺がしたいことなんだ。だから、宮藤さんが嫌じゃなければ、させてほしい」
真っ直ぐで、飾り気のない思い。
それはまるで熱烈な睦言のようだ。
胸がきつく締め付けられる。
秋野さんが好きなのは土屋さんだ。私じゃない。
きっとこれは妹に対する思いと同列なのだ。初めて会った時の秋野さんは、やっぱり妹さんのために動いていた。
「わかり、ました。
秋野さんの優しさに応えられるよう、私も自分にできることをやっていきます」
秋野さんが望むのが、妹ならば。
私は妹のように秋野さんのことを見守る、良い友人でいよう。
秋野さんは一瞬、悲しそうな、困ったような、変な顔をした。けれどもすぐに柔らかく微笑み、そして頷いた。
急な坂や階段を昇り、さすがに息が切れてきた頃、そこには拓けたスペースがあり、山小屋などがあった。近くにはベンチや自動販売機もある。
「ここって、結構見晴らし良いんだよ」
そんな風に秋野さんが私の手を引く。それに従い、私も広場の奥へ歩いていった。
近づくにつれ、木々の隙間から湖畔が見えてくる。ちょうど太陽が差し込んでいるからか、水面に光が反射して、きらきらと輝いていた。
「綺麗…」
周りに人が疎らにいて、ざわめきは感じるのだが、それが気にならないくらい凪いだ湖面に、私は言葉もなく立ち尽くす。
心に響く風景、とはこういうものなのだろうか。
体の奥から湧き上がる高揚感が心地よくて、先ほどまで感じていた足の疲れはどこかに消えていた。
「ここ、人気スポットなんだよ。静かで幻想的な湖畔でしょ?ま、正確には沼らしいけど。それがいい証拠に湿地特有の草があちこち生えてる」
隣に立つ秋野さんがおどけたように説明をしてくれる。
高くもなく低くもなく、本当にどこにでもありそうな特徴のない声。その声が、木々のさざめきと混ざって不思議な音になる。
「この後歩く湿地帯の方は水芭蕉とかリュウキンカ、イワカガミも咲いてて、もっと綺麗だと思うよ。キジムシロなんかは黄色の花よりも、広がった葉の方に目がいって面白いし」
秋野さんの声はそよ風みたいだと思いながら、私は小さく頷くと、左隣に目を向けた。
「ここへは、土屋さんともよく来るんですか?」
偏見かもしれないが、男性はあまり草花に興味を持たない人が多い。
花の名前がさらりと口にできるということは、何か必要があって覚えたか、思い出深いエピソードがあるかだろう。
そう考えて質問したのだが、当の秋野さんは目を何度も瞬かせて不思議そうな顔をしている。
挙げ句、彼は私の予想とは異なる返答をしてくれた。
「ひかりと?来たことないよ、一度も。ひかりは虫が嫌だって、こういう所来ないし。でも何で?」
想像と違う展開に、頭の中で糸が縺れていくのが分かる。
じゃあ、何でそんなに詳しいの?
まさか植物に興味があるタイプではないだろう。バスから降りた時に見たイヌダテを「何このピンクのつぶつぶ」と言っていたくらいだ。
「あちこちで見かけるイヌダテのことを知らない秋野さんが、花の名前を知ってたから。もしかしたら以前土屋さんと来て、それで覚えてたのかなと思ったんです」
素直に答えれば、秋野さんの頬にさっと朱が走った。
「…そういうこと。でも、花の名前を知ってたのはそんな理由じゃないから」
「そうなんですか。てっきり私は土屋さんのために調べたのかと…」
拍子抜けして気が緩んだのか、ついうっかり本音が漏れてしまう。
秋野さんは苦虫を噛み潰したみたいな顔をした。
「あのね…別に俺の行動基準は、ひかりじゃないから」
「え、違うんですか?」
寧ろ、土屋さんを中心に秋野さんの世界が回っているのだと思っていた。だからエスコートの仕方も覚えて、彼女が望む、兄妹のような関係でいるのだと。
どうやら私は秋野さんに対して、勝手なイメージを抱いていたらしい。
自分の中の秋野さん像を修正しつつ、私は先ほどから考えていた疑問を口にする。
「じゃあ何で、そんなに詳しいんですか?私、リュウキンカとかキジムシロとか、知りませんでした」
取り繕うことをせずにストレートに訊ねれば、秋野さんの顔はさらに赤くなった。
「…調べたんだ」
「それは分かってます」
調べなくて知っている訳がない。
私の巻末入れない返答に、ぐっと息を詰めると、私を軽く睨めつける。恨みがましい視線に思わずたじろぐと、秋野さんは赤くなった顔を隠すように俯いた。
「宮藤さんとハイキングに行くことが決まってから、散策ルートや人気スポット、見頃の花とか、調べたんだ。
せっかく誘ったんだし、色んなこと説明しながら歩けたら良いなと。その方が宮藤さんも退屈しないと思ったから」
「じゃあ、」
「ひかりのためじゃなくて、宮藤さんに教えたくて調べた」
照れが限界に達したらしく、秋野さんは右手で目を覆った。
私はぽかんとそれを見つめ、そして自分の頬が一気に火照り出すのを感じた。
今まで、男の人にそんな風に気を遣われたり、楽しませようと努力してもらったりすることはなかった。
こんなに他人を思いやれる人がいることに驚きつつ、その優しさを受け取れることに喜びが湧き上がってくる。
「嬉しい…。ありがとうございます」
嬉しい、の言葉が恥ずかしくて、自分の顔が自分の意思に反してふにゃりと緩んだのが分かった。
私らしくない顔。けれどもそれを隠したいとは思わなかった。
満里子たちが好きだと言ってくれた、取り繕わない笑顔を、もう隠したくなかった。
私の言葉に、弾かれたように顔を上げた秋野さんが、目を大きく見開いてその笑顔を凝視している。
やっぱり私らしくないのだろう。それでも不思議と、秋野さんは否定しないでくれる気がした。
一呼吸、二呼吸おいて、秋野さんの顔が真っ赤になった。耳まで赤くなって、湯気が立ちそうだ。
「…それは、反則だろ」
「え?」
「何でもない」
仏頂面で答えた秋野さんは視線を沼とは反対側に反らし、そして何かを見つけたのか「あっ」と声を上げた。
不思議に思って視線を追えば、そこには生温い目で私たちを見つめる友人たちがいる。
「道治、遅かったな。どこ回ってたんだよ」
峰岸さんが若干呆れを含んだ顔をして、腕時計をちらりと見た。
それに気づいた和田さんが、峰岸さんの腕をつねる。
「英史のバカ!ちょっとは空気読みなさいよ」
「は?だって、痛てっ」
何を言いかけたか想像つくが、和田さんがさらに腕をつねったらしく、峰岸さんが顔をしかめる。
「英史も美景も相変わらずだな。でもまぁ、確かにお前にしては遅かったな。あと少し待って来なかったら、置いていこうと思っていた」
痴話喧嘩を始めた二人から言葉を引き取った嶋田さんが、目を細めてニヒルな笑みを浮かべた。含みのある笑いが、何を言わんとしているか丸分かりだ。
「…たく。待たせてごめん。待っててくれてありがとう。けど、お前ら、絶対面白がってるだろ」
大きく息を吐いた秋野さんが、疲れた様子でぼやく。
すると、片瀬さんが右眉を器用に跳ね上げた。
「面白がってるわけじゃないけどさ、なんたって道治、」
「あ~!啓介君もそこまで!も~、どうしてそう、あなたたちってデリカシーないの?信じらんない!」
何かを言いかけた片瀬さんに和田さんが怒り、何故か峰岸さんを叩いている。
そういえば和田さんも大学の同級生だと言っていたから、気安い応酬は親しさ故なのだろう。
「そんなに話がしたいなら、英史も道治君と歩けば良いじゃない。その代わり、私は宮藤さんと歩くから」
「何でそうなる」
和田さんの突然の宣言に、困惑した峰岸さんが追い縋るが、和田さんはぷい、と顔を背けると私に近づいてきて、右腕に抱きついた。
親しくない人に腕を捕まえられると思っていなかった私は内心慌てたが、和田さんと目が合った瞬間、それは消えた。和田さんが目で、私に話があると訴えてきたからだ。
「分かりました。私も女子トークしながら歩きたいです。…秋野さん、良い?」
私は秋野さんにお伺いを立てる。ダメだとは言わないだろうが、勝手に決めるのも気が引けたからだ。
秋野さんはじっと私を見つめた後、仕方ないという様子で微笑むと頷いた。
「宮藤さんが良いなら、俺は構わないよ」
優しい口調に、私は詰めていた息をそっと吐き出した。知らないうちに緊張していたらしい自分が可笑しい。
そのやりとりを見ていた和田さんが、私の腕を引っ張った。その仕草が満里子とよく似ていて、微笑ましくなる。
「じゃあ、しばらくは私と宮藤さんは二人で歩くから。英史は道治君とね。女子トーク、邪魔しないでよ。
そうと決まったら、道治君。宮藤さんの手、離してくれない?」
その言葉に、一瞬にして秋野さんの顔が赤くなった。
「こ、これはその」
しどろもどろの秋野さんに、皆はニヤニヤしている。
「友達とか言いながら、ちゃっかりと手を握っちゃって。道治って爽やかな顔してムッツリだな」
片瀬さんが笑いを堪えて溢した言葉に、嶋田さんが同意する。
「お前もそういうこと、人並みにするんだ。結構大胆だね」
「ま、しばらくはお預けだけどな。御愁傷様」
言いたい放題の友人たちに、秋野さんはさらに顔を紅潮させたが、言葉もないらしく、あわあわとしている。
その姿は、落ち着いた大人の男性とは程遠い、少年のような姿で。可愛いな、と思ってしまう。
「道治からかうのはこの辺にして。ま、行くか」
一頻り秋野さんをからかった一同は、峰岸さんの言葉で動き出す。
「じゃあ、また後で」
からかわれて私の手を離した秋野さんが、小さく笑みを浮かべる。
「はい、また後で」
私がそれに答えると、安心したのか、秋野さんは峰岸さんの背を追って歩き出した。
小さくなっていく背を、淋しい思いで見送っていると、隣で和田さんがくすくすと笑いつつ、私を進路へと誘っていく。
「あんな道治君、初めて見た。本当に宮藤さんのことが大事なんだね」
てっきり、女の子にはドライなんだと思ってたけどな。
和田さんは心底可笑しそうにそう呟く。
大学時代を共に過ごした友人だから、秋野さんのことをよく理解しているのだろう。当たり前のことなのに、少しだけ胸がちくりとした。
「どうなんでしょうか。出会った時から秋野さんは優しくて、温かかったから」
平静を装って答えてみると、和田さんが声を上げて笑い出した。
「道治君が温かい?そんなこと言えるの、宮藤さんくらいじゃないかな」
「え?」
「道治君って確かに誰にでも親切だよ。男女分け隔てなく。だから勘違いしちゃう女の子もいるんだけど、そこに熱が無いのに気づくと去っていくの」
想像もつかない話に、私の思考は一瞬停止する。
固まった私に構わず、和田さんは話を続けた。
「道治君はドライなの。親切ではあるけど優しくはない。ちゃんと線引きがされていて、線を越えることを許さない。
例えて言えば、医者と患者、消防士と救助された人みたいな感じ?親切にするのは仕事だから。任務が完了したらそれで終了、みたいな?」
その例えに、私も納得する。
確かに初めて出会った時、秋野さんは私との間に明確な線を引いていた。必要以上に近づけさせたくない、という意思も感じなかったわけではない。
けれども私が追い縋った時、秋野さんはその線を越えることを許してくれた。
それはどうして?
警戒心の強い秋野さんが、初対面の人に何故、距離を縮めることを許してくれたのだろうか。
その疑問に答えるように、和田さんが微笑んだ。
「だから、道治君が宮藤さんを友達だって言って連れてきたことも驚いたし、大事に大事に扱っているのを見て、もっと驚いた。
しかも線引きどころか自分で距離を縮めようとしてるし、宮藤さんを見る目がやたら優しいし。
皆が宮藤さんを道治君の彼女だと思ったのは、道治君が普段と違ったからなんだよ」
「でも私…」
彼女じゃない。
そう告げようとした私に、和田さんは分かってる、と頷いた。
「彼女じゃないのは私たちも分かってる。だって、宮藤さんの方が道治君に線引きしてるもの。
でも道治君にとって宮藤さんが特別な人なのが分かったから。だから、応援したいなと思ってる」
「応援って…。秋野さんは土屋さん、幼馴染が好きだって。だから私はその恋愛がうまくいくためにお手伝いをしているんです」
そもそも、それがスタートだ。土屋さんのことがあるから、私たちは繋がっている。
和田さんは私をじっと見た後、小さく溜め息を吐いた。
「あぁ、道治君の拗らせすぎの初恋の話だよね?
…私たちはその幼馴染さん一回しか会ったことは無いんだけど、たぶんそれは宮藤さんの勘違いだと思う。まぁ、道治君も勘違いしてるんだろうけどね」
勘違い?何を勘違いしているのか、よく分からない。
「勘違いするって、何を」
「これは私たちの見解だから言えない。でも、道治君の幼馴染さんへの想いは、たぶん宮藤さんが想像しているものとは違うと思う」
曖昧に微笑んだ和田さんは、私の腕から手を離す。
「…ごめんなさい。本当は余計なお世話なの分かってるの。でも、私たちは道治君が幸せになってほしいから。私が代表してこんなこと言ってるけど、皆も同じ気持ちなんだよ。
宮藤さん、道治君をよろしくお願いします。彼、自分のことに鈍感で、不器用だから」
その真っ直ぐな目を見ていると、何故だか泣きたいような笑いたいような、不思議な気持ちになる。
秋野さんを理解してくれる人たちがいることに安堵して、同時に淋しくなった。
私と秋野さんを繋ぐのは、彼の片想いだけだ。彼の恋が終わっても成就しても、繋がりは無くなってしまう。
そんな脆い関係ではなく、もっと深い所で繋がっている彼らが羨ましい。
それなのに、秋野さんの恋心が勘違いだなんて言われてしまったら。
私は、どうしたら良い?
「あ、英史と道治君だ。結局待ってたみたい。…本当に心配性なんだから」
先ほどの落ち着いた様子から一転、幾分か弾んだ声色で和田さんが呟いた。
ちらりと横を見れば、可愛らしい顔が華やいでいた。それはもう恋する乙女そのものだ。
「美景、話は終わったのか?」
彼らとの距離が手が届くほどになったとき、今まで優しく見守って待っていた峰岸さんが、あっという間に距離を詰めて、和田さんを自分の腕の中に囲った。
「うん。終わったよ!」
峰岸さんの腕に包まれて、和田さんは嬉しそうだ。
胸焼けがしそうな雰囲気が漂い始めて、居心地が悪くなってくる。
そっと秋野さんに目を遣ると、苦笑いをしている姿が映り込んできた。仕方ないなぁ、と言わんばかりだが、その目はとても柔らかい。
「二人ともイチャつくのは良いけど、二人きりになってからにしてくれ。目のやり場に困る」
ねぇ、と同意を求めてくる秋野さんに、私はほんのりと笑顔を見せた。消化しきれない思いは胸の奥へしまいこんで。
「和田さん、ありがとうございました」
頭を下げると、和田さんはくすぐったそうに笑った。
「美景、でいいよ。そのうち名字変わるし。私も多江ちゃんって呼びたいな」
暗に、これからも交流をもってくれるという、和田さんの提案だとすぐに分かり、私は迷いなく頷いた。
「美景さん、また話を聞いてくれたら嬉しいです」
「もちろん!こちらこそよろしくね!連絡先は道治君に聞いて」
峰岸さんも彼女の意図を理解しているらしく、うんうん頷いている。
私たちが話し終えるのを見計らって、峰岸さんが美景さんを解放し、二人は当然のように手を繋いだ。
「じゃあ、ここからはまた別行動で。次は出口でな」
「分かった。俺らが遅かったら待ってなくて良いよ。どうせ帰りにいつもの店に寄るんだろ?」
「だろうな。ま、ゆっくり楽しんでこいよ」
峰岸さんが秋野さんの肩にこつんと拳をぶつける。それを秋野さんも拳を峰岸さんの肩にぶつけて応えた。
あっという間に去っていく二人の後ろ姿は寄り添っていて、まるで最初から一つの存在だったみたいに見える。
「じゃ、俺らも行こっか」
ふわりと笑う秋野さんに、私は言葉を発さず頷いた。
私たちの想いは重なることはない。
それなのに私は少しだけ願ってしまった。
あともう少し、このまま二人でいたい、なんて。




