番外編~美人の定義 第6話~
ミモザでの再会から、私は秋野さんとちまちまと連絡を取っている。内容は専ら6月のハイキングの話だ。
秋野さんは仕事が忙しいみたいだけど、時間をかけてもきちんと返事を返してくれる。
今回一緒にハイキングへ行く秋野さんの友人は3人。
一人目は片瀬啓介さん。秋野さん曰く、昭和のアイドルみたいな外見らしい。中身はオトメンで家事全般が得意なのだとか。今は大学院2年。スレンダーな男前の彼女がいて、彼女の世話を甲斐甲斐しく焼いているのだとか。
二人目は峰岸英史さん。ごりマッチョの大柄な人で、横幅も縦幅も秋野さんの1.5倍はあるらしい。親分肌で面倒見が良く、またお笑いキャラで陽気だという。今は実家の家業を継いでいて、外見に似合わず呉服屋の主人として働いている。彼女はリスみたいな小柄な人で大学の同期らしい。なんと彼女さんからの猛アプローチで付き合い始めたとのこと。
三人目は嶋田和巳さん。インテリ眼鏡って表現がピッタリな人、でも眼鏡は伊達らしい。仲間内では一番頭が良く見た目もそれなりだからモテていたが、Sっ気があってよく女の子を泣かせていたようだ。今の彼女さんは同じ会社の先輩で、包容力のあるほんわかした人。彼にしては長続きしていて、やっと落ち着いたのかな、なんて秋野さんは言っていた。
一人一人紹介を受けながら、私はしっかりと頭に情報を叩き込んでいく。当日、秋野さんの邪魔にならないように行動するには、最低限のパーソナルデータは必要だ。
大学時代のエピソードや、彼らの性格を表す出来事を聞きながら、どんな風に接するか考えていく。
それぞれに彼女がいるとはいえ、拒絶するような態度や相手が不嫌悪を示す対応はできない。けれども親しすぎる接し方は彼女さんたちを不快な気持ちにさせる。
微妙なさじ加減は今までの経験に任せるところだが、ある程度予測していった方がやりやすいのは事実だ。…取引先に出向く営業マンのような心持ちで行ったやりとりなのに、驚くほど続いたのは予想外のことではあったが。
そして迎えた当日。
私は歩きやすく滑りにくい運動靴に、スカイブルーのブロックテックパーカー、中に長袖Tシャツ、黒のトレッキングパンツを身につけ、待ち合わせ場所に立っていた。
秋野さんからは初心者でも大丈夫なコースを散策するからと言われていたが、それでも動きにくい服装で行くわけにいかない。悩んだ結果が、このボーイッシュな格好だったわけだ。
他の方々とは現地集合なのだが、私と秋野さんは最寄りのバス停で待ち合わせをしている。理由は言わずもがな、私が他のメンバーの顔を誰一人として知らないからである。
待ち合わせ時間より少し早く到着したからか、まだ秋野さんの姿は見えない。
「まぁ、仕方ないか」
ぽつりと呟き、私はイヤホンを耳につけて音楽を聴き始めた。
耳に流れ込んでくるのは、今流行りの恋愛ソングではなく、私が高校の時の曲。確かドラマの主題歌だった。
一途な愛を綴りながらもどこか切なさを醸す歌詞に、当時の私は魅了された。
…正確に言えば、初めて本気で好きになった彼氏が歌う、その表情に魅了されたのだ。
彼は同じ高校の同級生だった。学校の人気者で、ちょっと意地悪な男の子。私が今まで付き合ってきた人とは少し部類が違って、硬派な人だった。
彼だけは、私のことをアクセサリー扱いしなかった。ただ隣にいて、不器用に抱き締めてくれた。彼は触れ合うだけのキスをしたがったけど、一度も体を要求することはなかった。
求めるのは常に私からで、彼は照れ臭そうに笑って受け止めてくれるだけだった。
だから、私は彼に惹かれた。
彼だけは『私』を見てくれている気がして。
なのに彼は、素顔を見せた私を無機質な目で見た。何も感情が籠らない、冷たい目をしていた。今までくれたもの全てが幻のように霞んでしまうほど、凍てついていた。
その後に続いた別れの言葉に、私の心は砕けた。もう二度と恋なんかできないって思った。
思ったはずなのに。
「どうして私は」
また恋をしたの。
前半は自嘲的に、後半は心の中で紡ぐ。
きつく目を閉じても、つきりと胸を刺す痛みは消えてくれない。もう2年も前のことなのに、私はまだあの日から抜け出せていないのだろう。
いっそ、そのまま暗闇を彷徨ったまま生きていけば、いつか何も感じなくなるのかもしれない。
重苦しい気持ちを溜め息とともに吐き出すと、泣きたくなるほどの切なさが少しだけ和らいだ。
ぽん、と。不意に右肩に優しい振動があった。
振り返れば、秋野さんが立っていた。秋野さんはネイビーのウィンドブレーカーに、のカーキ色のカーゴパンツ(に見えるけど、多分登山用)を穿いていて、正直なところ少年のようにしか見えない。
きっと高校生に間違われたりするんだろうな、とぼんやり見ていると、秋野さんは何故か小さく笑い出した。
「宮藤さん、少年ぽい」
「え?少年?」
何を言われたのか皆目検討がつかない。困惑して見つめれば、秋野さんの笑みは更に深くなる。
「今まで俺が見た宮藤さんの服って、なんというか…クールな感じだったけど、今日は子供っぽいなって」
にこにこと説明する秋野さんには悪気が無いのはわかる。わかるのだけど…
「子供っぽい…」
告げられた言葉が思いの外、突き刺さる。悲しいとか辛いとかではなく、痛い。
愕然として言葉も出てこない私の頭を、何を思ったのか秋野さんはぽんぽんとしてくる。それはまるで小さな子に行うような仕草で。
泣きたい、真剣に思ったその時。
「可愛いよ」
満面の笑みで紡がれた言葉に、私は目を何度も瞬かせた。
今…可愛いって。
子供っぽい発言の後だから、恐らく『幼くて可愛い』なのだろう。けれども、可愛い、の一言が私の気持ちを一気に浮上させる。
気を抜けば弛んでしまいそうな顔を引き締め、私は秋野さんの次の言葉を待った。
秋野さんの目は驚くほど優しい。似ても似つかない容姿なのに、先ほど思いを巡らせた記憶の中の彼が重なっていく。
心臓の音が、耳鳴りのように響いて。
ただ目の前の唇が言葉を象るのを、ぼうっと眺める。
「本当、キミは目が離せない」
頭を軽く撫でた後、ゆっくり離れていく秋野さんの手が視界の端へと消えていく。
全てが切り取られた瞬間となって、私を取り囲む。
緩やかに時間は流れていくのに、まるで自分だけ時間から取り残されたみたいだ。
鼓動が胸を打つ度、鮮やかな色が世界を彩っていく。いつか捨てたあの景色がここにある気がして、場違いな幸福感に眩暈がした。
………動揺、しないと決めたでしょう。
なんとか心の中で戒め、秋野さんの前で外さないと決めた冷静沈着な仮面が崩れないように、唇を結ぶ。それでも秋野さんは変わらず、朗らかな表情で私を見つめ続けている。
永遠に、このまま。
そう願ってしまうほどに甘美で責め苦のような瞬間は、無情にもバスが到着したことで終わりを告げた。
「さ、行こうか」
動揺抜けきらない私の体をくるりと回転させ、秋野さんはバスへと促す。背に触れる指に、トクリと跳ねた心臓を服の上から押さえつけ、そっと背筋を伸ばした。
こんな感情は、要らない。
声に出さずに紡ぐと、ようやく冷静な自分が戻ってくる。
バスに乗り、後方の空いた席に座る。次いで秋野さんがその隣に立つ座ると、バスは緩やかに発進した。
右腕に触れるか触れないかの微妙な距離を保って座った秋野さんは、飄々とした様子でスマホをいじっている。どうやら友人の誰かから連絡があったらしい。
「もうアイツら着いたんだって。ほら」
事も無げに見せてくれた画面には、可愛いスタンプと「みんな来てるよ」という言葉がある。
「本当。早めに来たつもりだったのに、私たち最後ですね」
「皆、せっかちだからね。約束の時間の30分前に来てるのが当たり前だから」
そう苦笑しながら「早すぎ」と送る横顔は、どこか楽しそうだ。変わらない、友人の一面が見られて嬉しいのかもしれない。
移り変わる景色より、その横顔のが綺麗だなんて。
そんな風に感じた自分を無視して、私は窓の外へ意識を反らす。若木の緑と空の青さのコントラストが美しい、ありきたりな田舎の風景。
長閑な光景が今はありがたかった。
バスを降りると、タイミングよく柔らかな風が頬を撫でた。湿原と聞いていたからもっとジメジメしているのかと思っていたけれど、そんなこともなさそうだ。むしろ涼しい。
待ち合わせ場所であるハイキングコースの入り口は、ここから少し歩いていくことになる。
二人で並んで、他愛もない話をしながら歩くのは、思ったよりも楽しかった。
秋野さんは私よりも少し背が高いだけだから、横を見ればすぐに顔があって、それも話しやすさに繋がるのかもしれない。
社会人2年目になって新しい仕事を任されたこと、通勤途中で可愛い黒猫を見つけたこと、最近オセロにハマっていること…秋野さんは、面白おかしく話してくれるから、あっという間に時間が過ぎていった。
やがてハイキングコースの入り口が見えてきた。人気のあるハイキングコースだからか、私たちのような格好の人たちが目立つ。
「あ、啓介たちだ」
隣にいた秋野さんが、呟く。視線の先を見れば、案内看板の前に男女6人が立っていた。そのうちの大柄な男性がこちらに気づき、手を振ってくる。
「道治!久しぶり」
近づいていていくと、その大柄な男性が快活に笑いかけてきた。たぶん、この人が峰岸英史さんなのだろう。秋野さんの話を思い出しながら、私は目の前の人と記憶を擦り合わせる。
峰岸さんはいかつい感じではあるが、大きな目が少し垂れていて、どこか優しげな印象を受ける。
彼の隣に立つ、小柄で華奢な女性が彼女なのだろう。高校生でも十分通りそうな外見だから、峰岸さんと並ぶと犯罪だ。
「道治は相変わらず時間どおりだな」
そう言ったのは、可愛い顔をした男性。昭和のアイドルみたいだと秋野さんは称していたけれど、普通に現代でも人気のあるタイプだと思う。サラサラの髪に、色素の薄い肌や瞳はどこか日本人離れしている。これが恐らく片瀬啓介さん。
その隣には、モデルのように背が高くてスレンダーな女性がいる。顔立ちは純日本人、という印象だが、キラキラと輝く意志の強そうな目がとても綺麗だ。
「まぁ、普通は待ち合わせ時間の30分も前に来ない。俺たちが早すぎなんだよ」
冷静にそう話すのは、眼鏡をかけた男性。理知的な切れ長の目や、隙の無さそうな引き結ばれた薄い唇がクールな印象を与える人だ。この人が嶋田和己さん、なのだろうか。
その隣の女性はどこにでもいそうな容貌で、本音を言うと、嶋田さんには不釣り合いな気もする。ただ、ふんわりと温かい印象を受けるから、案外この雰囲気に癒されているのかもしれない。
「皆、相変わらずだなぁ。時間どおりに来ると待たせるのは分かってたんだけど、ごめん」
秋野さんはのほほんと笑って応酬した後、私に目配せをする。そして、そっと私の腰に手を添えた。
「宮藤さん、紹介するよ。これが俺の大学の同期で友達。順番にいくと、峰岸英史、その彼女の和田美景さん。片瀬啓介、その彼女の伊藤真広さん、嶋田和己、その彼女の谷川藍さん」
秋野さんの紹介に合わせて、各々が会釈をしてくれる。
「で、皆にも。彼女が宮藤多江さんだ」
「宮藤です。今日はよろしくお願いします」
頭を深く下げると、秋野さんがふわりと微笑んだ気がした。
彼の友人とその彼女さんたちが、私をじっと見つめているのが感じられる。
私は顔を上げると、微笑んでみせた。
「…道治、どこでこんな綺麗な子を捕まえてきたんだよ」
沈黙を破ったのは、峰岸さんだ。大きな目をぱちくりとさせている。
「お前、友達を連れてくるって言ってたなかったっけ?彼女できたの?」
そう呟いたのは嶋田さん。
「道治も隅に置けないね。自分の彼女が可愛いからって、皆に見せたくない気持ちは分かるけど、俺たちには紹介してくれたって良いじゃないか」
片瀬さんは唇を尖らせて不満げだ。
秋野さんは少しだけ頬を染めながら、困ったように目尻を下げる。
「いや、紹介も何も…彼女じゃないんだ。可愛いのは否定しないけど、出会ってまだそんなに経ってないしさ」
モゴモゴと説明をしながら、秋野さんは私に視線を戻す。温もりを感じさせる優しい目が、ごめんね、と言っているみたいで、私は自然と自分の顔が綻んでいくのを感じた。
「秋野さんの言うとおり、彼女じゃないんです」
そしてこれからも、そんな関係になることは無いんだけれど。
心の中で自嘲しつつ、秋野さんの言葉に口添えをする。
呆気にとられた様子の友人たちだったが、やがて相好を崩し、小さく笑った。
「ま、2人がそう言うなら、今はそうなんだろう」
嶋田さんの言葉に、谷川さんが頷く。
「とりあえず揃ったことだし、歩き始めるか」
「私、ここのルート初めてだから楽しみなんだ。ねぇ英史」
恋人同士で楽しげに会話を始めた峰岸さんたちは、ハイキングコースへと歩き始める。それに合わせて、谷川さんを背中から囲うように嶋田さんが歩き出し、そっと手を繋いだ片瀬さんたちがその後に続いた。
「俺たちも行こうか」
「はい。楽しみですね」
「ここ、ニッコウキスゲが有名なんだ。山吹色の花で、見頃はまだ先なんだけど。あと、今は水芭蕉かなぁ。運が良ければ咲き始めてるはずだよ」
仲睦まじい恋人たちの後ろ姿を眩しそうに眺め、そしてその表情のまま私に向き直る。
「疲れたり、歩くの辛くなったら遠慮なく言って。目的地は分かってるし、最終的に合流できれば良いからさ。あいつらもそのつもりのはずだから」
ふかふかした焦げ茶色の土みたいな瞳が、柔らかな色を湛えて緩んでいる。私に春の風を吹き込んでくれたその色が、胸に温かく染み込んでいく。
「…はい」
吐息のような返事に、秋野さんが笑みを深くした。
平凡だ、地味だと、思っていたのに。
彼の笑顔は何よりも眩しい。いつだって、私を照らしてくれる。
けれども、一時の喜びにイカロスは、愚かにも太陽に近づき過ぎて、蝋の翼を溶かし、墜ちて死んだ。
身体の裡を流れたメロディラインに、私はずっと耳を傾けていた。道中、ゆったりと話す秋野さんの言葉を、どこか幻のように聞きながら。
湿原の場所のモデルはありますが、あくまで架空の場所ということで。
じれったい、進まない。でも距離は近づいていく。そんな感じになってたら良いなぁと思います。
今回は多江の過去に関する話題が一つ。少しずつ、掘り下げていきたいです。




