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番外編~美人の定義 第3話~

秋野さんと出会ってから数週間、私は相変わらずの生活をしている。

いつものようにメイクをし、いつものように澄ました顔で大学構内を闊歩する。あまり表情は顔に乗せず、笑う時は少しだけ唇の端を持ち上げるだけ。

動作は機敏に、背筋は真っ直ぐ。言葉は少なく、できるだけ柔らかく。

何度も何度も諳じては、今の自分が周囲に期待される姿であるのか確認する。些細な乱れも見逃さないくらい、自分の見た目や立ち振舞いに全神経を集中して。

今まではそんな自分が当たり前だった。完璧でなければならないという強迫観念すらあった。


なのに、どうしてだろう。


あの出会いから、私の中で何かが変わってしまった。


どう周囲に見られているか意識するのは当たり前、完璧に所謂『良い女』を演じるのも当たり前。私にとって外見は自分の存在を肯定し、自分の心を守ってくれる唯一だったのに。

今、私の中にあるのは自分の在り方に対する疑問と、不可思議な窮屈さだ。

外身ばかりを取り繕ってきた私にとって、それは有り得ないことでしかない。

「どうして…?」

ぽつりと落ちた言葉は誰の耳にも届かなかったらしい。

隣を歩いている友人の町村瑞希は、これまた友人の岡部満里子、葛城友里亜と昼食の話で盛り上がっている。

瑞希は少し幼さが残るが間違いなく美しい容姿をしており、少女から女性に変わる時期の危うい魅力を醸し出している。性格はさっばりしていて男の子のよう。それがまた周りの目を惹き付ける。

友里亜に及んではバービー人形に生命を吹き込んだかと見間違うくらいの美少女だ。しっかりしたお姉さんタイプだが、時々天然を発揮して不思議ちゃんになっているのはたまらなく愛くるしい。周囲にいる年上男子からの人気は4人の中で一番だ。

満里子は「実は妖精でした」って言われても納得してしまいそうなくらい可愛い。神聖という言葉が似合うほど彼女の容姿は綺麗で、儚い。別の次元を生きている彼女は、男女問わず憧れの眼差しを受けている。


それに比べて私は。


私が安価なイミテーションなら、彼女たちは高価な天然物だ。

それが羨ましいと思う。ずっとずっとそう思ってきた。

最初はその妬ましさから、彼女たちのアラを探して見下すことに躍起になっていたくらいだ。瑞希の兄に恋をしただなんて、嘘まで吐いて近づいて。

けれど一緒にいるうちに、彼女たちにもコンプレックスがあり、それぞれが『何かが欠けた自分』を悩んでいることに気づいてからは徐々に仲間意識が芽生えて、いつしか友人になっていた。

だから、完璧な人間なんてどこにもいないと、私は分かっている。それなのに自分に関してはそれが認められなかった。

外見にコンプレックスがあるために、必要以上に外身に固執して。

私は完璧でありたいと足掻いて、そして自分を見失った。


心から笑うって、いつからできなくなったのかな。


隣で無邪気に笑う三人は、宝石のように輝いて見える。その笑顔が眩しくて、私はそっと目を反らした。


造った容姿が無くなったら、私には一体何が残るのだろう。


どんなに自分を見つめても何も浮かんではこない。自分が伽藍堂になった気がして、背筋が思わず冷たくなる。

もう春だというのに、どうして心がこんなに寒々しいのだろう。堪らなく空しくなって、泣き出したいような衝動に駆られた。そして何故か無性に秋野さんの顔が見たくなった。


秋野さんの前では私はただの『宮藤多江』でいられた。


それが今でもよく解らない。

何故、彼なのか。その答えは掴めそうで掴めない。

もう一度会えたなら、飾らない自分でいられた理由も分かるのだろうか。


でも、どんな顔をして会ったら良いのか判らない。


化粧もせず、あの時と同じように会えば良いのだろうか。それとも化粧をした自分で会えば良いのか。

素の姿を見せるのなら化粧はしない方が良い。けれど、化粧をしない私を、秋野さんはもう一度当たり前のように受け入れてくれるのか。逆に化粧をした私を見て、秋野さんは何を思うのか。今までの彼氏たちみたいな目で見るのだろうか。

考えれば考えるほど、泥沼にはまっていく。


会いたいのに、会えない。会いたいのに、会うのが怖い。


自分を造って生きてきてしまったことをこれほど後悔したことはない。

もしも高校時代に戻れるなら、とどれだけ願ったことだろう。できることなら始めからやり直したい。

けれど私は愚かだから、きっと何度戻っても同じ選択をする。同じ選択をして、同じように悩むのだ。


ありのまま、なんて。


ありのままの私を自分が受け入れられない。受け入れたくない。

なのに、他の人には受け入れてほしい。

なんて矛盾しているのだろう。

自分の我が儘な思考に思わず溜め息が洩れる。

「多江、どうしたの?」

我に返れば、既に食堂に到着していて瑞希がドアを開けるところだった。

心配そうに見つめてくる三人の目が私を突き刺す。

「ううん、何でもないわ。少し眠くなっちゃっただけ」

ゆっくりと微笑んでみせたのに、各々の表情は曇ったままだ。

「クールビューティーな多江が物憂げに溜め息を吐いてる姿は絵になるんだけど…」

満里子が眉根を寄せて、そして隣にいる瑞希に目を遣る。瑞希はその視線に頷くと友里亜に視線を投げ掛けた。友里亜は友里亜で二人を交互に見て、小さく息を吐き出した。

「最近…どうしたの?元気無いよね」

「え?」

友里亜の口から零れた予想外の言葉に、私は目を見開いた。表情が崩れてしまったのが分かる。けれど、崩れてしまったものは簡単に戻らない。

「悩み事?多江が勉強で悩んでるなんて有り得ないし…」

「もしかして私たちが原因?ごめん!何かしちゃった!?」

「恋愛関係?でも私たちよりスマートな付き合いをしてそうな多江が悩む恋愛ってあるのかな?」

それぞれが好きなことを言ってくるが、真剣に私のことを心配してくれているのが分かって、胸が苦しくなる。


自分自身が向き合えない自分に、どうしてこんなに向き合おうとしてくれるの?


他の人たちが気づかない心の中の綻びを、友人たちは簡単に見つけてしまう。

「ありがとう、心配してくれて。本当に大丈夫だから」

どこか落ち着かない気持ちのまま、目元を下げて笑顔を作ると、三人は納得のいかないという顔をしながらも、少しだけ表情を緩める。

「なら良いんだけど。一人で抱え込んじゃダメだよ」

「そうそう。多江っていつも自分のこと何も相談しないけど、私たちは多江の味方なんだから。困った時は頼ってね」

瑞希と友里亜がそう言い、笑う。満里子は私の右腕に抱きつくと「多江、どんなことがあっても私たちは多江の友達だよ」とはにかんだ。


本当にもう…。


この三人なら、本当に何があっても私の味方でいてくれる気がする。私の素顔を知っても平然と受け入れてくれると思う。

肩の力が一気に抜けた気がして、思わず笑い混じりの息を吐き出していた。

「あ、多江が笑った」

満里子が大きな目をキラキラとさせて私を見ている。

「本当だ。多江、可愛い。その笑顔、すっごく綺麗」

え?

瑞希の言葉に目を瞬かせた私に、友里亜が笑いかけてくる。

「うんうん。普段のクールな笑顔も綺麗だけど、力の抜けた笑顔のが可愛いよ。私はそっちの笑顔のが好きだな」

私、今ドキッとしちゃった。

悪戯っ子のように友里亜が目を細め、満里子が更に抱きついてくる。

「可愛い。大好き、多江。顔が真っ赤」

「ええ?」

「も~、多江ったら、どうしてそんなに可愛いの?私が男だったら絶対彼女にしたいよ」

今の自分がどんな顔をしているのか分からない。ただ、混乱した状態で取り繕うことなどできていないのだと分かる。


取り繕わない私が、良いの?


何で?


疑問だらけの思考はうまくまとまってくれない。けれども不思議と心地よい。

先程まで凍りついていた心がじんわりと温かくなる。

「じゃあ、中に入ろうか」

「そうだね。お腹すいた。今日は何にしようかな」

明るい声とともに瑞希と友里亜が中に消えていく。

「多江は何にする?昨日はパスタランチだったよね」

「そうね。満里子は何にするの?」

そう訊くと満里子が満面の笑みを見せる。

「私は今日はがっつり、カツカレー!」

その笑顔に私も自然と笑顔になっていく。

「じゃあ入りましょうか」

「うん!」

ドアを開けて中に入ると、昼食時のざわめきが私たちを包んだ。

「やば、もう混んでる。多江、急ごう」

腕を引っ張られ、私はそれに従う。引っ張られながら、私は密かに決意を固めていた。


やっぱり、秋野さんに会いに行こう。


今度は化粧をして。きっと秋野さんは驚くに違いない。けれど、化粧をした私も私だから仕方ない。

拒まれたら辛いけど、それでも知ってもらうしかないのかもしれない。

もしも拒絶されたら、泣こう。そんな私を慰めてくれる友人たちがいる。


私は高校生の時とは違って、互いを認められる友人がいるのだから。


心に芽生えた優しい何かがそよ風に揺れる。私は小さく口元を弛め、微笑んだ。







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