番外編〜美人の定義 第2話〜
雑貨屋から歩いてすぐの所に広場がある。待ち合わせや休憩スポットとして多くの人に利用されているこの場所だが、実は桜のシーズンの時だけは閑散とする。ここから一本逸れた通りが桜並木で有名なので、通行人はそちらの通りに流れてしまい、こちらに来ることはあまりない。
人がほとんどいない静謐な雰囲気の中、ふわりと花の香りを乗せてそよいだ風が心地よい。
気持ち良いな…
私が目を細めると隣からクスリと笑う声が聞こえた。ハッとして横を見れば、男性がこちらに目を向けて楽しそうな笑みを浮かべている。
…何で、笑われた?
春の陽気に緩んでいた心の中が、一気に警戒に染まる。
この人も、私の顔のことを批評するのだろうか。
仄暗い気持ちに囚われ口をきゅっと結んだ私を見て、更に笑みを深くした。
「キミって、猫みたいだね」
私の顔に、何か?
問おうとした声を遮ったのは予想もしていなかった言葉。思わずポカンとした私に、男性は「ほらね」と得意気だ。
「目を細めた時は日向ぼっこして気持ち良さそうにしてる時みたいだったし、口を噤んで睨み付けた時は威嚇して毛を逆立ててるみたいだった。それに今。驚いて目が真ん丸になって硬直してる所は猫そのまんま」
「はぁ」
すっかり毒気を抜かれて唖然とする私を男性はベンチへと誘う。拳3個分間を空けて腰かけると、男性は手に持っていた小箱を自分の脇に置いた。
「キミ…本当、猫っぽい。表情なんかうちの猫とそっくりだし。よく言われない?」
無邪気な様子で男性は先ほどの話を続ける。
「…」
最早何と返したら良いのか分からない。
大体、フルメイクの時ですら言われたことがないことを素っぴんの状態で言われるわけがあるだろうか。化粧をしてれば綺麗だ可愛いだと誉めそやかされるが、素の私では見向きもされないのに。
何とも複雑な気持ちが胸の内を渦巻く。顔には出ていないはずだが、奇妙な沈黙に男性は何か感じたらしい。
「え、ごめん。猫…嫌いだった?」
などと検討外れも甚だしいコメントをくれた。本当にどうしようという、情けない顔に私はプッと噴き出してしまった。
不思議な人だな。
フワフワしていて掴み所が無いのに、こうした一瞬の表情に親近感を覚えてしまう。何よりも、彼の纏う空気は温かい。うっかり絆されて心を許したくなるような、そんな感じ。
「貴方って不思議な人ね。…あ、小箱の中身を確認しないんですか?」
笑いを納めて告げてちらと小箱に目を向ければ、男性はまじまじと私の顔を見つめた後、ゆるゆると表情を崩した。
「よく言われます。けれども、それはキミもだよ」
「え?」
「最初は『うわ、初めてナンパされた』とか思って動揺してたのに、様子を見てるとナンパっていう感じじゃないし…」
そう言われてみると、確かにナンパと変わらない。普段なら社交辞令だけで逃げてしまうのに、何でこんなことしたんだろう。親近感を持ったのは事実だけど、小箱の中身を一緒に確認する必要はなかったはずだ。それに、初対面の男性とこの距離感はない。常に警戒心が先に立つ私には有り得ないことだ。
自分でも不可解な行動の数々に首を捻ると、男性がふわりと微笑む。
「…そういう所が、猫みたい」
「そう、ですか…?」
「うん。…あぁ、小箱」
男性は小箱の包装紙を綺麗に外し、段ボールを開けた。そして中からそっとガラスのコップが取り出される。光を浴びて不思議な屈折を見せるコップはやや青みがかっていた。
男性は空に翳してコップの傷を確認している。
「う〜ん…ヒビは無さそうかなぁ」
鑑定士みたいな難しい顔をしてコップを眺め、男性はやがて元の箱に仕舞い直した。包装紙を器用に元の状態に戻す手つきは丁寧で慣れた様子だ。そっと男性の表情を窺えば、小箱を愛おしそうに見つめている。
「…それ、恋人へのプレゼントですか?」
気がつけば私はそう尋ねていた。別に誰の手に渡ろうとも私には関係が無いのに、何で訊いたんだろう…。自分の質問に後悔をしていると、男性はきょとんとこちらに視線を向け
「妹にあげようと思って。…プレゼントのチョイスがおかしいかな…?」
と逆に尋ねてきた。
「え?あ、妹さんに?」
予想していなかった返答に、私は目を忙しなく瞬かせた。
あれ…
今、私…ホッとした…?
どうして、と自問自答する私を置いて、男性が照れ臭そうに頬を掻く。
「妹は15歳なんだ。僕が今23歳だから8歳離れてて」
私とこの人は3歳違うんだ。ぼんやりと男性を見つめて思う。
「妹は……体が弱くて今も入院してる。いつも病院の窓から、空を見てさ」
明るく話そうと努めているのか、違和感を覚えるくらい声のトーンが高い。それに、体が弱いと言い淀んだ中には私が聴かれたくない何かが隠されている気がした。躊躇うように泳いだ目に映ったのは、ひどく淋しい色だったから。
私は何も言わず、微笑んで先を促す。
「晴れ渡った空が本当に好きだから、曇りや雨の日も青空を傍に置いておけるようにって誕生日プレゼントにこれを。…明日が妹の誕生日だから」
瞳を彩っていた淋しい色は、いつの間にか慈愛に満ちたものに変化していた。
私は男性の手の中にある箱を見つめる。どうしてか、胸がとても熱かった。
「とりあえず、割れてなくて良かった。…初対面なのに、こんな話を聴かせてごめんね」
「いいえ。気になさらないでください。…妹さん、きっと喜びますよ。お兄ちゃんが一生懸命考えてくれたプレゼントなら、もらえて嬉しいに決まってます」
私が妹だったら、その気持ちがすごく嬉しいから。
「そっか…。ありがとう」
男性は私を真っ直ぐに見て、優しく目を細めた。その表情がやけに眩しく感じてしまう。
男性は背中に背負ったスポーティーなリュックを肩から外して前に持ってくると、コップの入った箱を慎重にしまって、また背負い直した。座る時に背中にリュックがあれば座りにくいのに、わざわざ下ろさなかった理由を私は考える。恐らく…いや、確実にこの人は私とこんな場所で長居するつもりはないし、すぐにでもこの場を去りたいのだろう。それをしないのは女性からの誘いを断って相手の矜持を傷つけないための優しさ、なのかもしれない。
だってこの人、誠実そうなんだもの。
今まで私が付き合ってきた人たちは、こんな風にただ穏やかに話す時間はくれなかった。
私を隣に侍らせてあちこち連れ回したり、そうでなければすぐにホテルへ誘ったりと、自分の欲を満たすためだけに私を欲した。
私じゃなくても、見目が良くて軽い女なら誰でも良かったんだろう。確かに舌触りの良い甘い言葉はたくさんくれたけど、それはその場を盛り上げるスパイスでしかなかった。中身がスカスカの虚しいだけの心をくれたんだ。
今なら解る。
私が彼らを遊びに使ったように、彼らも私を愛してなどいなかったのだと。不誠実な間柄でしかなかった。だから、自分の望む形を失った私など、彼らにはただのガラクタでしかなかったのだ。
あぁ、なんだ。そういうことなの。
今までのことが、ストンと心にできた穴に収まる。
どうして今まで気づけなかったんだろう。お互いの欲を満たすだけの関係に愛など存在するわけないのに。
「…じゃあ、僕はそろそろ行くよ。妹に見舞いに行くって約束してるから」
暫く黙り込んでいた私に男性は声をかけて腰を浮かせた。ハッとして見上げれば、微笑みを浮かべた彼と目が合う。
どうしよう…
まるで蛇に睨まれた蛙みたいだ。何か言わなきゃ、と思うのに唇が動いてくれない。
「やっぱり猫みたい。
ねぇ…次から次へと可愛らしい表情を見せられると、自分に気があるんじゃないかって勘違いする輩が出てくるから、注意しなよ。僕みたいに話をして終わり、なんてヤツは少ないから。そんなに無防備だと食われるよ」
可愛らしい…?
信じられない言葉に、私の思考は停止した。そんな私を見て彼は「注意した側からこれだもんな…」なんて呆れたように溜め息を吐いている。けれども私の頭の中は様々な言葉が絡み合ってうまくまとまらない。
可愛い?どこが?埴輪とも評された素顔の何が可愛いの?
「私、可愛くなんか…顔も薄くてブスだし」
動揺を隠せないまま言い募ると、男性の眉が跳ね上がった。それはまるで不出来な生徒を見遣る先生のようだ。男性はう〜ん…と唸り、腕を組んだ。
「…キミが自分をどう評価してるか知らないけど、人が可愛いって感じるのは、別に顔立ちのことだけじゃないよ。表情や仕草、言葉や雰囲気…そういったものも十分に人に可愛いと思わせる要因だからね」
「え…?」
「キミは可愛いよ。自信持ちな。少なくとも初対面の人間が可愛いと感じるくらい魅力的だ」
もう少し自覚した方が良い。
男性は自然な動作で手を伸ばし、頭をポンポンと軽く叩くと、にっこりと笑った。
「春とはいえ、夕方になると寒くなるから早いうちに帰りなよ。じゃあ僕は行くから」
そう言って手を離し、迷いもなく去っていく男性。私は弾かれたように立ち上がると、その背中に叫んだ。
「私、宮藤多江って言います!すぐそこの大学の2年生です。貴方の名前、教えてください!私、また貴方に会いたい」
また会いたい。それは本音だった。男の人に会いたいと追い縋るのは初めてだし恥ずかしくて仕方ないけど、そんなこと無視できるくらい、今はただ彼のことを知りたかった。彼との繋がりが欲しい、心からそう思った。
男性は数メートル先で振り返り、そして手を上げる。
「やっぱり学生さんか。僕は秋野道治。またどこかで会えたら良いね」
その言葉に力が抜けていくのが分かった。またどこかで会えたら…って、遠回しに会う気は無いと言われたようなものだ。
そっか、もう会う気はないんだ。それはそうか。すれ違っただけの相手に、会いたいなんて思うはずない。
涙が滲み出した私に、秋野さんはいたずらっぽい笑顔を向ける。
「もしも会いたくなったら、ここの通りにある『ミモザ』って洋食屋においで。僕の叔父が経営してる店で、結構な穴場。
僕、ここの通りを使って毎日通勤してるからよくミモザに行くんだよね。今日は午前中が休日出勤で真っ昼間に通ったけど…普段は朝夕だけここ通る。
じゃあね」
え…?
返事もできずに呆然とする私を余所に秋野さんは今度こそ去っていく。私はその背中を見つめ続けていた。
秋野さんの姿が見えなくなると、じわじわと喜びが沸き上がってくる。また、秋野さんに会える。そのことがたまらなく嬉しい。
秋野さんは私に、これから関係を築くか、それともこれで終わりかを決めることを譲ってくれた。ある意味、秋野さんは卑怯だと思う。決定権を私に譲った、というより押し付けたのだ。それでも私はこのチャンスを逃したくない。秋野さんと、関わっていきたい。
自分の容姿だけに囚われていた私にとって、秋野さんの言葉は衝撃だった。彼の言葉を反芻すると目から鱗が落ちたように視界がクリアになっていく。
胸の中に芽吹いた何かに気づかぬまま私は自然と微笑み、空を見上げた。綺麗な青空に心が洗われていくのを感じていた。
こんなシチュエーションって普通あるのかな?と思いますが、そこはフィクションということで。
多江に激突した秋野さんは不思議系お兄ちゃんです。かなりキザですが、素で言えてしまう人なのです。
外見にコンプレックスのある多江の恋がやっと動き始めました。




