春よりもとおくへ
生物の春町先生は私に優しい先生だった。
この春新しく赴任してきた春町先生は、私たち三年生の文系選択者に生物を教えている。和やかな名前がぴったりなのんびりゆったりの三十路だ。近所のおじいちゃんに似た雰囲気だ。
さて、そんな春町先生の優しさとは。
それは別に私をお気に入りの生徒として分かりやすくひいきする、という意味ではなくて。むしろ先生は誰のことも否定しない人だった。授業中指名されて、間違った答えを出しても自分のせいにする。俺の聞き方が悪かったな、って。最前列で爆睡してても起きるまで(もしくは近くの席の子が起こすまで)そっとしてくれる。英語の井上先生みたいに露骨に「寝ているあんたが悪い」みたいなオーラを出して突然夢の中の生徒を指したりしない。
それが高校という教育現場の中で良いのか悪いのかは分からない。正直、疑問に思う部分もある。あくまで個人的な意見だけれど。
けれど、やっぱり、春町先生は私にとって優しい先生だった。
もともと、私はこれでもかというくらいの文系だった。自慢じゃないけど、化学は一年の最初で習うモルで諦めた人間だ。数学だって、出来ればⅠAでおさらばしたかった。当然、生物なんてできるわけがなく。いくら文系必須の教科といえどあんなの苦手意識の塊だ。でも受験生だから逃げるわけにもいかなくて、とうとう授業終了後、問題集片手に質問をしに行った。机上のノート類もそのままに、どうせ教えてもらっても分からないんだろうな、って半ば自嘲しつつ。
チャイムが鳴っても、先生はしばらく生物室にいる。自分が黒板に書いた文字を消すためだ。科目ごと教科係がいるのに、春町先生はその人たちに仕事をさせない。一緒に黒板消しを持ってとなりに並べば手放しに誉めてくれるくらいだ。「ありがとう、優しいねぇ」なんて労働量に比べ大袈裟だ。黒板がきれいじゃなきゃ授業を開始しないこれまた井上先生とは大違いすぎる。
その日も上に伸ばした腕を左右にせっせと揺らす春町先生。先生用の実験台の向こうで忙しそうだが、構わず向けられた背中に声をかける。「春町先生」
ん? 振り返る先生。どんぐり眼が私を見つめる。くりくりとした目のせいで、三十路超えても時々先生がかわいく思える。そのかわり、黒い髪の中にはちらほら白いものが見つかって、そこは三十路らしい。
「どうした?」
「ちょっと分からないところがあって……」
言いながら付箋を貼っておいたページを開き、机に置く。チョークで汚れた指先を払ってから、先生も身を乗り出してくれた。大きな机を挟み向かい合わせで一冊の本をのぞきこむ。
「このグラフ。私には抽象画にしか見えません」
とん、と人差し指でグラフを叩く。自分のセリフを口にしてから、失敗したなと後悔した。ここは普通に、「分かりません」で通る場面だろうに。
何のグラフかは忘れたけど、確かにそれは抽象画に見えた。それはもう、美術の教科書で何度も目にしたピカソやダリの絵のような。何を伝えたいのかさっぱり分からない。
でも、そう思っているのは私だけなのだ。自分のものの見方が少数派なのは、だいぶ前に気付いた。事あるごとに「変わってるね」と言われれば嫌でも気付くものだ。
今更この性格を直せるとは思っていない。けど、なんとなく「変わってるね」の中に否定のニュアンスを感じてしまいなるべくそういう言動を控えようとした。
それなのに、やってしまった。どんな反応をされるのだろう。人の好い春町先生がどう返すのか次の動向を気にしてしまう。
でも、春町先生は優しかった。
「木瀬はおもしろいなぁ」
間延びした口調で、おだやかに。とげとげした物言いじゃなく、素直に受け止められる口ぶりだった。
たったそれだけだけど、ほんのちょっぴり、春町先生を他の先生より好きになった。
自分の胸のわだかまりを、何てことはなしに取り除いてくれた人。魔法みたいだ。
それから少しずつ、先生を目で追いかけることが増えた。といっても、唯一の繋がりである生物の授業をまじめに受ける程度なんだけど。
顕微鏡をのぞきこんでピントを合わせる気難しそうな表情が珍しくて好きだった。
窓際で飼育しているカニにまで挨拶をする律義さがらしくて好きだった。
奥さんと娘さんの話をしているときの笑顔が一番幸せそうで好きだった。
好き、だった。
好きだったんだ。
底冷えする体育館、私たちのための卒業式が粛々と執り行われる。公立の大学を受験するので、私の進路はまだ決まっていない。なのにしっかりと卒業だけはするなんて何だか納得がいかない。パイプ椅子に行儀よく腰かけながら一人考え耽る。スカートで覆われない膝裏に触れる金属の冷たさがただただ嫌だ。
急に浮かび上がった好きの二文字がまだ体に馴染まない。上の空で、次々と読み上げられる同級生の氏名が知らない人のようだ。卒業生全員の名前がクラスごと出席番号順にコールされる中、手持ち無沙汰に高校生活とやらを振り返ってみたらこの結果だ。
どうして、今日この日、今になってなんでだろう。卒業式当日に理解したって、しょうがないじゃないか。
先生には家庭があって、それでなくても私は生徒で、その生徒という立場も今日で終わりで。もうどうしようもない。認めた途端、過去形にしなければならない思いだった。
「木瀬亜衣さん」
担任が声を詰まらせて呼ぶ名前に、何の感慨も湧かない。
それでも、となりで嗚咽を漏らす女の子と同じ形の涙がこぼれる。
この涙の意味を、私だけが、知っている。
卒業シーズンですので。