シニガミ様と死にたがり少女
「いつになれば、私は自由になれるのかしら?」
少女は、病室のベッドの上からそう呟いた。ガランとした大部屋の病室。そこには、この少女だけが入院していた。少女はこの大部屋に来る人達を何人も見てきた。その人達皆が、死んでしまうことも知っていた。だから少女はこの病室のことを死神の部屋と名前をつけた。
なぜ、死神の部屋とつけたのか、それは小さい頃母に読んでもらった絵本に出てきたからだ。その絵本は、何度も修復をしながらも形をいまだ保っている。
この絵本は少女の大切な、大切な絵本でもあり、母の形見であった。
「雫、また外ばかり見て、駄目じゃない! あなたの病気は治るんだから」
ね? と同意を求める目をする女性。雫と呼ばれた少女は一瞬だけその女性を見て、また視線を窓の外に移した。女性は気にも留めず話し続ける。
「今日は雫の大好きな物買って来たわよ」
ほら、と女性は持っていた袋を机の上に出した。袋の中は白い箱があり、箱の中にはケーキがいくつか入っていた。
「ほら、これ一番人気のケーキみたいだから二つ買ってきちゃった」
「お母さん……携帯」
あっ! と着信音に気づき、急いで病室を出た。雫はケーキを一瞥した。
「……最低」
はあ、と雫はため息をついた。
母は死んでいない、だが、雫には死んでしまったと思っている。それは雫が入院してから数年、地味な服を好んでいた母が、だんだんと明るい服を好み始めた。そして看護師さんたちの会話。子供の世話に疲れた母が、若い男と付き合っていると言う噂。その話を聞いてしまった時から、雫はずっと母を疑っていた。そして雫の中で母を死んだものとした。
「雫、ごめんなさいね……お母さん用事が入っちゃって……もう、行かないと」
食べきれないケーキは看護師さんにでもあげなさいと一言、病室から出て行った。
「また男かな……」
もしも、私がいなければ母は今頃結婚しているはずだ。まだ、母は若い。父は私が生まれてすぐに事故で死んでしまった。だから、ずっと母の後ろを見て生きてきた。
「……死にたい」
死んでしまえばきっと母は悲しむだろう。だが、それは一瞬だけで一周忌が終われば付き合っている男と結婚するのだろう。それは、目に見えていた。
「なぜ、泣いているのだ」
「誰……?」
雫は辺りを見回した。だが、周りには誰もいない。幽霊かとも思ったが、今は夕方だ。まだ、幽霊が出る時間ではない。
「お前は……死にたいのだろう?」
まただ、と雫は呟いた。声は近くで聞こえる。
「そうよ……私が死んだら、お母さんは喜ぶもの。それにこの大部屋は死神の部屋。この部屋に来る人は皆死ぬ……でも、私はいつまでたっても死なない」
「……お前はオレの声が聞こえるのか」
「うわっ!」
雫のベッド脇に現れたのは、白い服にフードを深くかぶった青年。ただ、ちらりとフードから金髪の髪が漏れる。
「あなたは……何者?」
そう呟いたが、雫はあっと気づいた。もしかして、この人は死神なのではないかと。
「……聞いてどうする」
青年はぶっきらぼうに答えた。
「死神なんでしょ? ねっ、私の願いを叶えてくれる死神さん」
青年はその言葉に少しだけ反応した。
「死神……? オレはシニガミ様だ」
雫はその言葉に?マークを浮かべた。何が違うのだろうか? と考えたが、本人がそう言っているのだからそれでいいかと雫は自己解決した。
「それじゃあ、シニガミ……様、早く私を連れて行って」
シニガミは首を横に振った。雫はえっ? と驚いた顔をしてシニガミの服をつかんだ。だが、シニガミは微動だにしない。ただ、雫をジッと見下ろしている。
「ど……どうして! 早く、私を……」
雫は言いかけて止めた。
「……いない」
スッといなくなった。服をつかんでいた手は、空気をつかんでいた。
「神代さん? どうかしたの?」
「……い、いいえ、なんでもないんです」
一人の看護師が雫に近寄り、心配そうな顔を向けた。雫は何も言えず、無理やり笑顔を作り大丈夫と看護師を安心させた。
「シニガミ様、か」
看護師が部屋を出てから雫は、引き出しから本を取りだした。その本はボロボロでいくつもの修復跡が残っていた。その本の名前は「夢の国」。主人公が夢の国で敵である死神と戦う話だ。ありきたりな話しだが、子供には不評な絵本だった。
「本当にいるのね、死神って」
雫はその絵本を抱きしめ、ページを開いた。
「どうして姿を見せた?」
「……オレの声が聞こえるようだった。シニガミの声が聞こえる人間は、まだ死期が近くないと言われている。そして、まだ生きる希望がある人間」
「オイ、ゼロよぉ、そんな規則通りにやってどうすんだよ。それに、お前はいつも規則、規則とか言って仕事をしない。だから上からの命令で、この俺様が着いてきてやったんだからな」
ゼロと呼ばれた男は、さきほどの少女と話をした男と似ていた。ゼロの隣には、白いコートを着た、筋肉質の男が立っていた。
「オレは人を殺したくない」
「……勝手にしろ。お前とは付き合ってられない」
男は、捨て台詞を吐くとその場から消えた。一人になったゼロはフンと男のいた場所を見て嘲笑った。
「馬鹿な男だ」
ゼロはそこから移動し、雫の部屋へと向かう。肩と肩がぶつかったとしても、人間はゼロのことには気づかない。ゼロはまるで空気のようだった。
「あっ! さっきのシニガミ様、また来てくれたのね」
ビクリとゼロの体が震えた。ゼロはゆっくりと雫の側へと向かう。
「シニガミ様、フード取った方がかっこいいね」
雫はニコリと笑い、ゼロは無言で雫を見ていた。
「ねえ、私死にたいのよ。いつ私をあっちの世界に連れて行ってくれるの?」
「お前はまだ死ねない、まだその時ではないからだ」
「……どうして」
どうしてと聞かれたゼロは首を横にした。そう聞かれても、どう説明したらいいのかゼロには分からなかった。そもそも、ゼロはあまり話すことが得意ではなかった。
「……お前は心の底から死にたいと願っているのか」
「それは……もちろんよ」
雫の目が一瞬泳いだのをゼロは見逃さなかった。何人もの人間を見てきたゼロは、この娘が本当に死にたいのか、それとも死にたくないのかが分かった。
「お前に一つ言っておこう。オレが見える人間は死期が遠い人間であり、逆に死ぬのは見える人間の近くの人間だ」
「それって……」
雫は布団をギュッと強く握った。顔は真っ青になっていた。
「そういうことだ」
ゼロはまたふらりとどこかへ行こうとした。だが、ゼロは動けなかった。それは雫がゼロの服の裾を握っていたからだ。振り払わないのはゼロの優しさだろう。
「待って、行かないで」
「なぜだ」
ゼロは立ち止まり、ゆっくりと雫の方を見た。
「私を殺しに来たのでないのなら、あなたは何をしにきたの?」
「……分からない。気づいたらここにいた」
雫はゼロの無表情の顔を見て、握っていた裾を離した。
「シニガミ様の名前は何ていうの?」
「ゼロ、と皆が呼んでいる。オレはそれでいいと思っている」
「ゼロ……じゃあ、私もゼロって呼ぶわ、よろしくねゼロ」
勝手にしろとでもいう風にゼロは歩きだした。雫はベッドを抜け、ゼロの後をついて行った。ゼロはピタリと隣を歩く雫に目を細めたが、何も発しない。ただ、なんとなく居心地がいいと感じただけであった。
「ここって屋上じゃない。いつも扉が閉まっていて開かないのよ、ここ」
そうかとゼロは呟き、雫を抱き上げた。雫は一瞬のことで反応できなかった。
「オレは屋上が好きだ」
ゼロは雫を横に抱き上げ、軽々と歩きだす。雫は降ろしてとゼロに叫ぶが聞き入れてもらえない。
ゼロは屋上への扉をすり抜けた。だが、雫は何が起きたか分からず、口をパクパク動かしていた。
「……そんなに驚くことでもないだろう」
雫はブンブンと激しく首を振った。
「普通なら驚くわよ」
ゼロは怒る雫を無視し、地面に降ろした。
「ここが屋上なのね」
雫はゼロから離れ、鉄格子に手を置いた。ゼロは鉄格子に寄りかかり、雫の様子をうかがった。
「私、本当に病気が治るのかしら」
「治る、そうしたらお前はどうするんだ」
「うーん、取りあえず遅れてる分の勉強かな?」
雫はふふっと笑い、ゼロは雫を見てフッと笑った。けれど、ゼロ自身、何がおもしろいのかは分からなかった。
「私、あなたと一緒にいると心が穏やかになる気がする。でも、それはずっと一人だったからだと思うけど」
「そうか」
短い返事でも、雫は喜んだ。その様子を見たゼロは首をかしげる。けれど、また居心地がいいと感じた。
「お前と一緒なら、オレが人間だった時の記憶が思い出せる気がする」
「人間だった時の記憶?」
ゼロは雫から目を離し、空を見上げた。空は綺麗な秋空だった。
「オレ達は元々人間だったらしい」
ゼロは淡々と話す。だが、すぐにその話は終わりになった。
「雫っ! 駄目よあなたは生きるんだから」
「お母さん……?」
何を言っているのか分からない雫は身を乗り出し、声の主を探す。だが、人が多すぎて分からなかった。
何故か、外はざわざわしていて皆が屋上を見ているような気がした。
「もしかして私がここにいるのバレているんじゃ」
雫はゼロに助けを求めようと後を振り返る。だが、そこにはゼロではなく知らない男がいた。
男は雫に向かって手を翳した。雫はいつの間にか宙を舞っていた。母の悲鳴と人々の叫び声。だが、母の悲鳴はすぐに消えた。母は地面に倒れ、もがいていた。
(お母さん……)
落ちていく時に見えた母の涙。こんな時に後悔するなんてまさか思ってもみなかった。こんな娘でごめんんなさいと一言、言えたら良かったのに。
一筋の涙が雫の頬を伝う。
「ゼロ……私、死んじゃったのね」
亡骸になった私を取り囲む人々と、母を助けるために必死になる看護師たち。
「雫……あいつを止められなかった。すまない」
「いいの、いいのよ……ゼロ、あなたと話していて楽しかったから」
「……雫」
雫はゼロの腕の中で光となって消えてしまった。残ったのは白いビー玉のようなものだった。
ゼロはそれを握りしめ、涙を流した。その姿を馬鹿にしているかのように後に立つ男がいた。
「ゼロ、俺たちは人間の命を狩るのが仕事だ。命令があれば、それを実行する。例え、その人間が見えるとしてもな」
「オレは……どうしてシニガミなんだ」
「さあな、選ばれたからとしか言えんな」
男はゼロが握っているビー玉を空の瓶に入れた。
「回収完了だ、行くぞ」
「……ああ、そうだな」
ゼロにはもうこの男に反抗する気力はなかった。さっきも、もう少し力が上ならば雫を助けられたかもしれないと後悔していた。
「もう、これきりだ」
雫を失ってから、ゼロは空っぽになったかのように仕事に打ち込んだ。雫の母は、一命を取り留めたが娘の死のショックでなのか、次の日に亡くなった。
「ゼロ、お前このごろ規則だとか言わなくなったじゃねーか」
「……くだらない」
ゼロはそう言って人間界へと落ちた。残された男はそうかいと豪快に笑った。