『加速する拳』09
檻状のコンテナが開き、黒服が中の少女たちを一人ずつ連れ出す。連れ出された少女はすぐ近くで待ち構えるもう一人の黒服の前で突き放された。
少女たちは平衡感覚を失っていて、まるで赤子のように足元がおぼつかない。
ふらふらと亡霊のように揺れる少女の肩を強引に掴むと、黒服は何の躊躇もなく、そこに灼熱の焼印をねじ込んだ。
「あがぁ……っうぅぅう」
じゅう、という音とともに柔らかな肌が焦げ、円状の奇妙な図形が刻まれる。反抗する力すら持たない少女は、獣のように絶叫しながら気を失った。それを見届けるなり、三人目と合流した四人目がカード――簡易術式符を貼り付けて少女をどこかへ転移させる。
一連の作業は、3時間ほど前ほどからずっと続いていた。
拘束され放り込まれたゆずは、自分の目を疑った。こんな人権やモラルをあっけなく踏みにじる行為が、現代の町外れで起こっている光景だとはとても思えない。
「な、なによこれ……」
何もかもに理解が及ばない。黒服たちはなぜこんな事をするのか。少女たちはなぜ抵抗すらしないのか。少女たちが消滅する現象は一体何なのか。
それら全ての疑問に、どこからともなく現れた緑のメッシュの魔法少女が答える。
「キミの知らない世界だヨ?」
「……私をどうするつもりよ」
「特殊なお薬を打って頭を回らなくしてあげたアト、ボクらの本拠地まで転送するネ」
「何のためにそんな」
「ボクらの仲間になってほしいんダ」
「は?」
メッシュの少女の懐から注射器が取り出される。中に青光りする液体を詰めたそれに針を装着すると、ゆずの腕にあてがってケタケタと笑い始めた。
「これを打つと頭の中がパーになって、幸せになれるヨ。数時間ダケ。……その後は高い中毒性と禁断症状に襲われて、これなしじゃ生きていけなくなっちゃうけどネ?」
「そういうのって決して安くないんでしょ? 私なんかに使わなくてもいいんだけど」
「ウン。ボクも自分に使いたい所なんだケド……あいにくキミたちを魔法少女にしなきゃいけないカラ」
「魔法……少女……?」
「ボクたちと同じように、不思議な力でクズなお仕事をしてもらうんダ! 仲良くしてネー?」
不思議な力、魔法。
現に目の前で起きている奇天烈な現象の数々がそれだというなら、メッシュの少女が言うことも嘘ではないのだろう。そんな超常の力がいまから自分のものになる。
後戻りできない道へ引きずり込まれていると分かっていても、ゆずは沸き立つ心を抑えきれなかった。
「………………人の心を操る魔法って、ある?」
「あるヨー?」
「……いいわね。それって最高じゃない」
「アレレ? もしかして乗り気なのカナ?」
「ええ、私は乗り気よ。……早く連れて行きなさい」
「ヘェ……見所があるネ、キミ」
ニヤリと不敵に笑うゆずを前にして、メッシュの少女は意外そうな顔になる。捕らえた少女達の中で、自ら進んで仲間になりたがるような者はゆずが初めてだった。
何かを確信した様子の彼女はいつになく愉快そうな面持ちのまま、容赦なくゆずに注射を打った。
「あっ……ヒィィィッ!!」
静脈からヒンヤリした感覚がゆずの体内に侵入してくる。それが脳にまで達した瞬間、背骨に破壊的なまでの衝撃が走った。脳から足先までを一直線に電撃で貫かれたような感覚だ。
ゆずがそれを快感なのだと理解するのに、由に数十秒はかかった。脳のキャパシティーを越えた快感というものは、むしろ痛みに近い。
骨の髄までビリビリと痺れて、悪寒とともに震えが止まらなくなる。いつの間にかゆずは意識を失っていた。白目を剥いて仰け反ったまま動かなくなった彼女の姿は、時々思い出したように痙攣するのを除けば死体に見える。
「ヒヒヒ……さっきまであんなに強気だったのに、一発キメただけでこんなになっちゃうんダ? ヒヒヒヒヒヒ!!」
先刻までのゆずの尊大な態度はいまや見る影もない。それが堪らなく嬉しいらしく、少女の笑声はより甲高く耳障りなものへと変わっていった。
倉庫の隅に佇み一部始終を眺めていたイヴァナは、やはり不快そうに顔を歪ませる。メッシュの少女が背を向けていることを確認すると、イヴァナは密かにマジカライズステッキを銃の形へと変身させた。
殺意に滾る瞳と照準がメッシュの少女の後頭部を捉える。人差し指が引き金へと伸び、今にも撃鉄が起こされると思われたその瞬間、甲高い笑声は忽然として消えた。
倉庫の扉が重々しい金属音とともに開かれる。眩い光芒の中心に、四人の魔法少女の姿があった。
「我々は魔法少女派遣イシュタルの者だ! 協定違反の現行犯として現場を押さえさせてもらうよ!」
「こちらは警視庁異能犯罪対策部の協力を得ていますの。抵抗すると良いことは無くてよ?」
「…………あいつ」
並び立つ四人の中からシルヴィアが倉庫内へ踏み出し、中にいる人間を一通り睨みつける。その視線は隅に佇むイヴァナの視線と交差し、互いの面貌を確認すると同時に妙な因縁を予感させた。
うろたえる黒服たちを一瞥し、メッシュの少女はなおも愉快げに嘲笑している。彼女にとってはこの状況すらも鑑賞物に過ぎないらしい。
一方、失神するゆずの姿を見咎めた緋桐は、その隣で注射器を手にしているメッシュの少女に対する憎悪の念を抑えきれずにいた。露骨なまでの殺意を込めた緋桐の視線は、凶悪さにおいては最早シルヴィアのそれと大差ない。無論、シルヴィアほどの研ぎ澄まされた境地には届かないが、粗暴な迫力はむしろシルヴィア以上に動物的だ。
「もう嗅ぎ付けられたんダ? ……やっぱり下請なんかに任せるべきじゃないネ」
「ゆずに…………私の親友に何をしたっ!!」
「親友……ヘェ、イイねそのフレーズ。インスピレーションが沸いてくるヨ」
「……許さない!」
「撤退する。所詮四人とはいえ、バレたらお仕舞いよ。お前ら、始末されたくなければあいつらを足止めしなさい」
イヴァナは手にしたマジカライズライフルの照準をシルヴィアに向けなおしながら、黒服たちに指示を出し始めた。
捕獲している少女たちのうち、現時点で転送が完了しているのは20名。既に半分以上は転送し終えているから、なんとか失敗ではないと言い張れる数かもしれない。どちらにせよ下請の黒服どもに非があることに違いはないが。
「緋桐は中距離から牽制、紗雪は後方で狙撃支援。あたしとシルヴィアは突っ込んであの二人の魔法少女の相手をする」
指示を出し終えるや否や、朱莉はシルヴィアと共に走りはじめる。返事を返す暇もなかったが、どちらにせよ緋桐には従う他に選択肢がない。
朱莉から与えられた牽制というポジションは事実上、自由に動いて良いと言われているにも等しかった。最後尾に紗雪の狙撃が配置されているのも、緋桐の行動をサポートさせる目的だろう。緋桐はむしろ、これといった役割を分担されていない事を不満に思わないでもない。
四人はそれぞれ自分の位置にむけて駆けながら、同時に変身魔法を発動した。
「「「「アウェイクン!!」」」」
“変身魔法”は“変身魔術”とは根本的に違うものと言える。
変身魔術が顔や服装などの見た目を変容させる術なのに対して、変身魔法は身につけている衣服を一時的に全消滅させ、代わりに魔法衣を構築するだけのものだ。
魔法衣がもたらす効果は身体能力の向上・術式処理能力の向上・魔法能力の強化の三つに分けられる。どれも戦闘において重要な効果であるだけに、魔法衣はつまり戦闘形態と言い表すのが最も相応しい。
四人の体を光が包み、着ているものを侵食していく。全身が万遍なく覆われると、光が炸裂して一瞬のうちに魔法衣を形作った。
それぞれ少しずつ形状は異なるものの、イシュタルの魔法衣は青の布地に黄色のラインが走る西洋祭服風の衣装として統一されていた。
魔法衣がもたらす力に確信を得、緋桐はマジカライズステッキを召還する。ステッキはすぐさま拳銃へと変身させられ、その照準をメッシュの少女へと向ける。
引き金を握る指に迷いはない。銃口から実体を持たない殺気の塊が放たれ、メッシュの少女の隣をかすめた。
緋桐の銃口を微動だにせず見守ったメッシュの少女は、満面の笑みをもって緋桐を挑発した。
「くっ……馬鹿にして!」
もう一度撃ってやる、と銃口を向けなおした直後、メッシュの少女に格闘戦を仕掛けはじめた朱莉によって射線は遮られる。
「敵が近づいてますわよ!」
後方から紗雪の忠告が聞こえる。気がつけば、黒服たちのうち3人は緋桐に向かってきているではないか。
以前までならひどく狼狽していた状況だが、しかし緋桐は深呼吸とともに深く落ち着き払って分析を始めた。
1時方向から2人、10時方向から1人。先に片付けるならば、より数の少ない方が容易だろう。しかし1時方向に迫る2人のうち一方は、今朝ゆずを誘拐していった張本人だ。心に湧いてくる怒りとは別にしても、一番簡単に倒せるのは彼だ、と緋桐は考える。
今朝襲われた時の相手の動きを思い出す。ひどく大振りなラリアットだった。あの動きから格闘術に長けているようには思えない。
同じズブの素人とはいえ、こちらは二つの格闘術を学んでいる。決心がついた今なら技術においてまず負けることはなかろう。
緋桐は1時方向に向けて走り出した。
「なっ……一体何を!?」
後方から見ていた紗雪は、セオリーから外れた緋桐の動きに驚きと少々の落胆を覚えた。しかしその直後、評価は一変する。
勢いに乗せて押し蹴りを放つ黒服の軸足を先んじて蹴り、膝をついた所にすかさず肘を打ち込む。頭に強烈な打撃を受けた黒服はあっという間に失神して倒れた。
一歩間違えれば命を奪いかねない強烈な攻撃に、緋桐の気持ちが反映されているようだった。
続いてもう一人の黒服が左ストレートを繰り出してくる。緋桐は肘を上に向けた右腕でそれを遮り、そのまま潜り込ませて相手の左腕を払う。がら空きになった胸に左の突きを入れたものの、まだ相手は屈していない。
強化された魔法少女の突きならば生身の敵など一撃の元に倒せるはずだ。果たして緋桐が下手なのか、躊躇が残っているのか。もし仮に後者だとするならば、そんな甘さは今すぐ捨てなければ。緋桐の眼光は更に冷たくなる。
とは言え相手もかなりのダメージは受けているらしく、反撃として繰り出されるフックは先ほどまでに比べるとかなりキレを失っていた。こうなるともはや他愛ない。
緋桐は迫る反撃をことごとく打ち払い、同時に一撃ずつ確かなダメージを加えていく。
フックを払い裏拳を叩き込む。ニーキックを押し返し手刀を刺し込む。相手の攻撃をことごとく無力化し、生じた隙を間断なく打つ。その闘いぶりはシルヴィアのそれとほぼ同じだった。
七手ほど打ち合いを繰り返す頃にもなると、背後から来るもう一人の足音が既にだいぶ近い。頃合を見た緋桐は、黒服が最後の力を振り絞り放った腕を掴み、足をかけて後方へと放り投げた。
吹き飛んだ黒服は背後のもう一人に見事衝突し、同時に二人をノックダウンさせた。
最初の黒服は軸足を蹴ったときに膝を砕かれてしまい、二人目は呼吸器周りの筋肉を万遍なく打たれ、三人目は下手をすれば頭蓋にひびが入りかねない程の勢いで頭を地面に打ちつけていた。三人とも、とても再び立ち上がって反撃できるような状態にはなく、緋桐の攻撃がどれだけ確実に敵を無力化していたのかがわかる。
一部始終を見届けていた紗雪は我知らず緋桐に畏怖する。
昨日まで使うことを躊躇していたシルヴィア流のマジカルマーシャルアーツをたった今、緋桐は黒服ども相手に披露してみせたのだ。威力そのものはまだ無意識に自制をかけている様子だったが、あの立ち回りではふとした拍子に敵の命を奪いかねない。それは逆説的に“彼らを殺害するつもりでいた”ことの証左となる。最初にメッシュの少女目掛けてマジカライズピストルを迷わず発砲したことも、裏付けとしては十分すぎるほどだ。
覚悟をした、と緋桐は言った。成る程たしかに、彼女の見せた闘いは徹頭徹尾勝つことのみを追求したものであり、勝つために手段を選ばないだけの覚悟を窺わせた。しかし紗雪にとってはそれこそが恐ろしい。
誰よりも親しい友人を自らの迷いの為に守りきれず、目の前でむざむざ連れ去られてしまった無念と悔恨を晴らす為、同じ過ちを二度と繰り返さぬ為、今度こそ迷いを捨てて闘いに挑んだ。ここまでの思考プロセスにおかしな点は少なくとも見当たらない。ただ、そういった思考順路の果てに導き出した“殺害する”という結論は、14歳の少女が選択する手段としては飛躍しすぎている。
紗雪と緋桐は出会ってからまだ僅か一週間ばかりの関係に過ぎないが、彼女がこれほどまでに割り切りの激しい人間だとはとても思えなかった。いや、印象に対する食い違いだけで済ませるには、この変わりようは余りに常軌を逸している。それとも彼女の凶暴性は、元より内に秘められていたものなのだろうか。
とにかく、潜在的な自制心が残っていたのがせめてもの救いだったと言えよう。
少し荒れた呼吸を整えなおし、向こうで戦闘を続けているシルヴィアたちのもとへ向かっていく緋桐の手は、何かを求めるように握ったり離したりを繰り返している。深海生物の口を思わせるその蠢きは紗雪の心に不吉な予感を喚起させた。