『加速する拳』07
夜が明け、住宅街にも人の往来が増えてくる。
和田町近辺には私立の女子高と共学の公立校が一つずつあり、通学する生徒たちは殆ど女子ばかりだ。
そんな中に四人の魔法少女が紛れ込む。四人はそれぞれ魔術によって異なる顔に変身し、二組に分かれていた。
緋桐と紗雪は先行し、誘拐犯と接触し次第、即座に後退。後方で見守っている朱里とシルヴィアに交代する形で後方支援へと回る。
本来の役割分担なら朱里とシルヴィアのほうが先行するべきなのだが、この二人ではそもそも標的とされないだろうという問題もあってこんな布陣になった。
しかし後方が先に接触する場合を考慮したら、むしろこの布陣が効果的であるとも言える。
(なんにも起きないですね)
(今のところは平和そのものですわ)
(うーん、紗雪と緋桐でもだめかなー)
(…………)
四人は念話を通じて連絡を取る。
些か以上に地味で陰気な雰囲気の容貌に変身した緋桐と紗雪は、ほかの女子学生たちの通学風景に見事に溶け込んでいる。
面貌をまったく違う人のものに変える変装魔術は、変身する顔をどれだけ正確にイメージできているかが重要となる。
シルヴィアと朱里はそのイメージが確かでないために上手く変身できない。
緋桐は昔観たテレビドラマからイメージを得、紗雪は読んだことのある小説からイメージを得たため、上手く変身できた。
なるほど、朱里さんもシルヴィアちゃんも小説やテレビには興味がなさそうだ、と緋桐は納得した。あの二人は根っからの体育会系らしい。
(あっ、学校が見えてきましたよ)
学校と四人との間の距離は徐々に狭まってきていた。
いくら周りと同じ制服を身に着けていたとしても、さすがに校内にまで入るのはリスクが過ぎる。ある程度まで近付いたところで、四人はさっと脇道へと隠れた。
(収穫なし、かねぇ)
(仕方ありませんわ。そのための長期潜入でしてよ)
(そうですね。まだ初日ですし)
(……明日も同じようにする)
四人は周囲を警戒しながら、転移魔術で潜伏先の家へと戻った。
「たっだいまー。はぁー、これで少なくとも今日は何も起きないだろうね」
「まだ下校時刻がありましてよ」
「でも、下校する子たちに紛れる為に、また学校まで歩いて行くんですよね? それって目立ちませんか?」
「先程の脇道に転移陣を配置しておいた。……この隠れ家からまた転移していける」
転移魔術は一見すると何処にでも瞬時に移動できる便利な術のようだが、実際は転移陣を配置してある場所へ一方的にしか転移できない。そのうえ、転移陣は一定期間を過ぎれば自然消滅してしまうため、長期に渡って使用する場合は定期的に再配置せねばならない。
ただしイシュタル本部への転移は普通の転移魔術とは違い、会長と呼ばれる人物の魔法によって形成された結界が、関係者だけが持つパスに反応して自動的に転移させるものだ。
魔法によって形成された転移結界は、使用者が生存している限り機能し続ける。魔術と魔法の違いを象徴するような効果と言えよう。
「そういえば転移で思い出しました。本部の転移結界を展開してるっていう会長さんに、私まだお会いしたことが無いんですけど……」
「ん? あたしらも会ったことないよ?」
「えぇっ?」
「なんか病気療養とかで出てこれないらしい。採用してもらってる以上は、一度は会っておかなきゃいけないとは思うんだけどさ」
「そうなんですか……」
四人はがっくりと脱力し、それぞれソファに腰掛ける。
潜伏用の隠れ家はそこそこの高さのマンションだ。2LDKの部屋で、昨夜の宿泊室よりも格段に生活しやすい。
四階の高さから見渡す眺めは、周りに高い建物がそう無いおかげでそれなりに壮観だ。それゆえに地味ではあるが、緋桐はこの質素な眺めに慣れ親しんできた。
1週間近く前まで住んでいたはずなのに、今となっては不思議と懐かしい。
ほんのちょっぴりの切なさに胸を押さえながら町を見渡すと、すぐ下の路地に見覚えのある黒髪が立っていた。
ゆず。緋桐の親友、高千穂ゆずだ。誰よりも親しくしていたのに、結局未だに別れの言葉一つ告げられずにいる、あのゆずだ。
気がつけば身体は勝手に玄関へ向かっていた。
「どちらへ?」
「え!? あ、その……」
突然慌てた様子になる緋桐に、紗雪が怪訝そうな顔を向ける。あまり褒められないことをしようとしているだけに、面と向かって問われると答えづらい。
浮き足立つ気持ちと後ろめたさの間でしどろもどろしていると、意外なところから助け舟が出た。
「行ってきな、緋桐」
「……はい!」
朱里が笑顔で促す。どうやら緋桐の真意に気づいているみたいだ。昨夜の会話から既に何かを悟っていたのかもしれない。
玄関を出る前にいちど振り返り、朱里に礼を返してから、緋桐は急いで出ていった。
危うく転びかねないほどの勢いで階段を駆け下り、マンションのロビーを出る。既にゆずはマンションの前を通り過ぎてしまっていた。
力なく歩く背中が交差点を抜けて、公園へ向かう道に差し掛かっている。緋桐は迷わず呼び止めた。
「ゆず!」
昼前のがらんとした道路に緋桐の声が響き渡る。
ゆずの小さな背中が一瞬びくりとして、すぐに立ち止まった。だがまだ振り向いてはくれない。
震える肩から恐る恐る確かめるような呟きが放たれる。
「…………緋桐……?」
「うん……久しぶり」
「……っ!!」
緋桐らしい頼りない声を聞きとがめ、ゆずがようやく振り向く。
すこし怒っているような顔を見せたゆずは、瞳に溜めた涙を隠しもせずに緋桐のもとへ駆け寄ってきた。
「どうして帰ってきたの!? ……あと、どうして何も言ってくれなかったの」
「あぅ……ごめんね」
「バカじゃん」
緋桐のいつものしゅんとした顔にゆずは安心して小さく笑った。
それから近くの公園に場所を変えると、二人は矢継ぎ早に互いの近況を報告しはじめた。
無論、イシュタルや魔法少女のことなどは正直に話せないので、それぞれの単語はうまく別の言葉に言い換えて誤魔化す。いつの間にか、親戚の経営する探偵事務所でお仕事の手伝いをしながら生活している、という設定になっていた。
ひとしきり報告を終えた二人は、また最初のしんみりした雰囲気に戻る。
「本当に心配した。っていうか心配して損した。最悪よまったく」
「それは本当にごめん」
「だいたい、どうして今になって帰ってこれるようになったのよ?」
「まぁ、色々と都合がはまって。本当は今こうして会ってるのも、あまり褒められたことじゃないけど」
「私のために無理して来てくれたわけ?」
「うん。悩みがあって相談もしたかったし」
「悩みって?」
「お仕事のための技術みたいなことで、少し伸び悩んで……今は別の人に別のやり方を教えてもらってるけど、なんだか逃げただけのような気がするの」
「…………」
「それはきっと、単に私の覚悟が足りないだけの問題。方法をすり替えてはいるけど、結局、最後は同じことになるんじゃないかなって思う。私には覚悟が足りないんだ」
「…………」
「するとだんだん、今の生活にも同じことが言える気がしてきたの。何も考えないで成り行きに身を任せてきたけど、これで良かったのか不安で。考えることから逃げて、何の覚悟もなくお仕事をしてる。そこで働くことに理由とか目標なんてないし、他の人たちみたいな信念もない。でも覚悟しよう、ってすぐに出来るわけでもないし、どうしたらいいのかわかんない……」
「じゃあ辞めちゃいなよ」
「えっ」
「そんなとこ辞めて、私の家に来なよ。親は無理やりでも説得するわ。お仕事とはすぱっと縁を切って、私と一緒に暮らしなさい」
想像だにしない言葉が飛び出し、緋桐は唖然とする。
それじゃ迷惑をかけてしまう、と言い返そうとしたが、ゆずに目を合わせた途端に反論の言葉は霧散してしまった。
ゆずの目はさっきまでとはまるで違う、闇の深遠を思わせる色に染まっていた。
たった今の言葉は提案でも懇願でもない。もっと強制的で命令調な、歪んだ意思表示なのだ。
イシュタルに拾われる前までの生活では見ることのなかったゆずの表情に、緋桐はぞっとする。
私の知っているゆずじゃない。
そんな心の声に気づいたのか、ゆずははっとして目を逸らし黙り込んでしまった。緋桐も言い返す気力を削がれてしまい、二人の間にひどく気まずい沈黙が流れる。
それから三分間ほど互いに言葉に詰まっていたが、突如としてゆずが沈黙を破った。
「……緋桐」
「?」
「あの人……何?」
ゆずの震える声に振り向くと、二人のほうへと近付いてくる黒服の男性の姿が目に映った。
黒服は懐からカードを取り出すなり、おもむろに走り始める。生気を感じさせない緩慢な所作はひどく不気味で、一目のうちに普通の人間ではないとわかった。
混乱して足が動かせないゆずの前に出た緋桐は、昨日教わった紗雪流の動きを思い出しながら構えを取る。
おそらく相手は件の誘拐犯だろう。緋桐とゆずのどちらが狙われいるのかはまだわからないが、少なくとも対話や交渉の通じる相手には見えない。
立ち塞がる緋桐に向かって黒服が大きく腕を振り上げる。走った勢いに乗せてラリアットを繰り出すつもりだ。
昨日の訓練で想定したのとまさに同じシチュエーションが眼前に迫ってくる。このまま練習通りに動けば、まず間違いなく相手をその場に倒せるし、あとはゆずを連れてすぐ逃げればいい。
紗雪から学んだことを実戦で試せる絶好のチャンスだと緋桐は思った。――――実戦の間合いに入る直前までは。
「……?」
その瞬間に起きたことを緋桐はとっさに理解できなかった。
頬に強烈な振動が伝わり、目の前にいた黒服が90度真横にぐるりと回転した。追って周りの木々までもが回転し、天も地もすべて一緒に回る。
一体何の魔術だろう?
しばしの間、緋桐は自分がラリアットを受けて倒れてしまったという事実に気付かなかった。相手を押し返す為のたった一歩が踏み出せなかったのだ。
地面に倒れ伏したまま、黒服に襲われるゆずの姿を見守る。立ち上がりたくても身体に力が入らず、頭の中にサイコロが転がってるみたいで思考が回らない。
ゆずは戦慄の表情のまま固まってしまい、黒服にカードを貼られてその場から消滅してしまうまでずっと倒れた緋桐を見つめていた。そして消えるゆずを追うように黒服も蜃気楼となって消える。
砂まみれで倒れる緋桐だけを残して、公園はまったくの無人になった。
数秒してどこからともなくシルヴィアが駆けつけた時には、既に緋桐は意識を失っていた。