『加速する拳』06
青い光が明滅し、てらてらとした石壁に反射して目を眩ます。その度に部屋の中心に座る一つの影がびくびくと震えていた。
下水道のような苔むしたトンネルから脇へ逸れた場所に、その部屋はあった。
足首の高さまで水浸しになった床にへたり込む人物はひどく痩せこけている。か細い骨が青ざめた背中に突っ張り、真下にうっすらと浮かぶ血管を強調する。一糸纏わぬ姿であるために、殊更に目立って仕方ない。
顔は腰のあたりまである、くすんだ白髪に隠されている。度を越して痩せ細った体躯だけではもはや判断が難しいが、13,4くらいの女だろうか。
標本ではないか疑いたくなる彼女の風貌は、死体のように不気味で儚い。
部屋の扉がぎぃと音を立てて開き、一人の少女が入ってくる。褐色の肌に金の髪を纏わせ、頬に一文字の傷跡を刻んでいる少女。先日、シルヴィアたちと戦ったあの少女だ。
入ってくるなり泣きそうな表情を浮かべる彼女に目をむけ、白髪の少女は、紙くずがたてる音のように掠れた声で呟く。
「……いう゛ぁな」
「ただいま。……私が戻ってくるまでの間、なにもされなかった?」
「いう゛ぁな、いう゛ぁな」
「…………」
「いたい…………こりうす、いたい」
「……ごめんね。すぐに仕事を終わらせて、お薬、持ってきてあげるからね。そうしたら痛みなんて、すぐ忘れちゃうから」
「いう゛ぁな」
イヴァナと呼ばれた金髪の少女は、自らをコリウスと名乗った白髪の少女の背にやさしく腕を添える。それは彼女なりの、抱きしめるという仕草の再現だ。
抱きしめたくとも、力の加減を間違えてしまえばコリウスの身体を壊してしまいかねない。だから腕を回すだけだ。イヴァナは決してコリウスを抱きしめることはしない。
コリウスの肌からは体温というものが感じられない。身体も微動だにしない。そこに人がいるという実感はまるでなく、石膏像に手を添えているようにすら錯覚する。
こうして抱き締めるふりをするほど、コリウスという一人の少女の存在感が危うく思えて、イヴァナの心は痛んでいく。
やがて耐え切れなくなった彼女はコリウスから離れ、部屋を出た。
扉の隙間から覗いたコリウスは、何もない壁を見つめたままで、こちらを振り向こうともしない。
胸を刺すような切なさに打ちのめされていると、横でちゃかちゃかと金属音が鳴っていることに気づく。扉にかんぬきをかける音だ。
かんぬきをかけたのは、滝のように真っ直ぐ落ちる前髪で右目を隠した少女だ。前髪の端には緑色のメッシュが入っており、鼻のとなりに一閃のスポットライトが当たっているみたいだ。
メッシュの少女は恍惚の表情で、被った帽子のつばを撫でている。
「ビューティフル。実にビューティフル! 堅牢な独房に佇む白の少女、それに寄り添い、しかし抱き締めることができない金の少女。電球の頼りなげな光とでこぼこした独房が生み出す陰影が、このシーンの情緒をより引き立てていル! 私なら引きのワンカットで空間を活かしながら撮りたいヨ!」
「殺すわよ」
「その眼光、70点! 役者としてはまずまずかナ」
「……ッ!!」
イヴァナの拳が空を切る。怒りのあまり咄嗟に出た拳は、簡単に避けられてしまった。
依然としてイヴァナの瞳は怒りの火を灯している。殺すという宣言は決してただの脅しではなかったらしい。
一方、メッシュの少女はあくまで飄々とした態度を崩さず、イヴァナをからかうような口調のまま続ける。
「和田町にロケに行けってサ。あそこの景観は平凡でつまらないけド……攫った女の子たちを例の倉庫で調教してるらしいから、それだけは見物かナ」
「…………悪趣味ね、クズ」
「そんな悪趣味な連中のせいでボクらはクル・ヌ・ギアの狗になってるんだけどネ? ヒヒヒヒ!!」
「…………くっ」
メッシュの少女の話し方はひどく癇に障るものだった。
彼女は目に映るすべてを鑑賞物として楽しんでいる。まるで出来の悪いB級ホラーを笑いながら観ているような、小馬鹿にした話し方なのだ。
イヴァナは彼女のそんな態度が大嫌いだった。
戦闘能力が拮抗しているからそう簡単ではないだろうが、いつか隙を見つけて必ず殺す。そう思っていた。