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『加速する拳』04

 和田町の空はうっすらと雲を覆いはじめ、日差しもやや弱い。山のほうから積乱雲がこちらに向かってきている。昼過ぎには雨になりそうだ――。

 誰に披露するでもない自己流の天気予報にも飽き、おかっぱの少女はすこし早足になる。

 しばらくして住宅街の細い道に入ると、向こうから女の子どうしの話し声が聞こえてきた。

「やっぱ顔を変えても、雰囲気がそのへんの学生と違いすぎるなー」

「朱莉こそ」

「そうかぁー……やっぱこういうのってあたしら向きじゃないのさ」

「……」

 声の主は、セーラー服がやけに似合わない長身の少女と鷹のような眼力を放つ少女の二人組だった。

 長身のほうは眠そうなぱっとしない顔で、小柄のほうは狸顔の丸い顔だ。しかしどういうわけか二人とも、その顔と言動の雰囲気が微妙に噛み合って見えない。まるでお面を被っているようにぎこちなくて不気味なのだ。

 立ち止まってまじまじと観察していたおかっぱの少女を、奇人たちの視線がロックオンする。なにやらこちらに興味があるようで、二人はこちらへ歩み寄ってきた。

「あんた、ちょっと話を聞かせてもらえないかい?」

「えっ……なんなの?」

「最近、このへんで誘拐事件が多いらしいじゃん。あたしら引っ越してきたばかりでさ、噂がちょっと気になるわけなんだよ。なにか知らない?」

「さぁ、他の人に聞いてみたら?」

「あれ? ちょっと……」

 二人の間をすり抜け、おかっぱの少女は逃げるようにその場を立ち去る。つい冷たい対応になってしまったが、そんなことに構っていられないほど二人の言動は奇妙だった。そして同時に彼女の神経を逆撫でる質問でもあった。

 曲がり角を二つほど通って、少女はようやく胸を撫で下ろす。振り向いてみても、あの二人の姿はもうない。

「私だって知りたいわよ…………どこに行ったの、緋桐……」



 紗雪の流儀において守りの拳とは、近接戦闘から離脱するための手段だ。

 最短の手数で反撃し、速やかに離脱につなげていく。多彩な手技でもって詰め将棋のように確実に処理するシルヴィアの流儀とは好対照と言える。

 勝つことよりもまず生き延びることに特化したその方法論は、近接戦をなるべく避けたい人間には最適だ。

「守りのための技術ですけれど、必要なことはやはり、たった一歩を踏み出せるか否かの勇気にありますわ」

 それまでトレーニング場の隅に沈黙していた木製の人形が、今はファイティングポーズを構えて緋桐の前に立ちはだかっている。横で見守る紗雪の術行使のもと、ゴーレムを用いた練習が始まっていた。

 呼吸を落ち着けると、緋桐は小さく頷く。それを見咎めた紗雪はゴーレムに向けて軽く指を振り、ゴーレムは緋桐にむけて勢いよく殴りかかった。

 初撃は半歩踏み込んだ右ストレートだ。

 それを左手で逸らしながら、反対側の胸へ体重の乗った右肘を打ち込む。緋桐の動作はほぼ、腕を構えたまま片足を踏み込んだだけに過ぎない。

 肩にエルボーを受けたゴーレムは、その衝撃によってあっさりと分解する。がらがらと音を立てて無数の木の棒と成り果てるさまは、まるで積み木のようだ。

 パーツとパーツの間には灰色のカードが貼られていた。どうやら魔術によってパーツ同士を繋ぎ、有効打が入れば分解するようにしているらしい。

「…………ふぅ」

 張り詰めた糸が切れたように安堵の溜息を吐く。緊張こそすれど、緋桐の呼吸はいささかも乱れていなかった。

 指示された動きを過不足なく完璧に実行して見せた緋桐に、紗雪は賞賛の拍手を送る。

「上出来ですわ。飲み込みが早くて助かりますの」

「いえ、紗雪さんが丁寧に教えてくれたおかげです」

「そんな謙遜を」

「いえいえ」

「いえいえ」

 二人はしばらく謙遜合戦を繰り返しながら分解した木人形を組み立て直した。紗雪が指を振ると木人形はまた動き出す。緋桐もすぐに心構えができたらしく、すぐさま構えを取って頷く。

 次の攻撃は鋭いミドルキックだ。ゴーレムの爪先が半円を描きながら、緋桐の胴へと迫る。

 対して緋桐は、今度は肘も構えずさっと踏み込んだ。ゴーレムの胸に肩をぶつけて押し返す。

 それはタックルと言えるほど体重の乗った動きではない。単にバランスを崩してやるだけでいい。

 後ずさった相手の胴を追って、緋桐は前蹴りを繰り出す。防御の姿勢を取る暇も与えられなかったゴーレムは、緋桐の蹴りを受けて無残に散らばった。

「お見事。これで今日は終わりといたしましょう。朱莉たちが待っていますわ」

「はい。ありがとうございました!」

 二人はふたたび木人形を組み立て直すと、礼を交わしてトレーニング場を出た。

 入口に置いておいた4つのバッグをそれぞれ手に取り、階段を上って寮棟を後にする。

 枯れた向日葵畑をひんやりした風が吹き抜ける。遠くの山々からは緑色がやや褪せていて、いよいよ秋の訪れが近いことを報せているようだ。

「それでは行きますわよ」

「了解ですっ」

 バス停についた緋桐と紗雪は転移結界を通り、またたく間にその場から姿を消した。

 薄暗い路地裏に降り立った二人は、そのままの足取りで表のビルへと向かう。そこは約一週間前、緋桐がはじめて訪れたイシュタルの事務所がある場所だ。

 極道映画に出てきそうな例の殺風景な事務所を通り過ぎ、更にひとつ上の4階へと上っていく。

 4階は打って変わって暖色系の壁紙に囲まれていて、クローゼットを挟んて二つのベッドルームだけがある、簡素ながら息苦しさはまるでない部屋だ。見た感じはビジネスホテルに近い。

 ブラインドのかかった窓際で机を囲むシルヴィアと朱莉が、メモから手を放し二人を迎える。

「……ヒギリ」

「おっ、二人ともお疲れさーん。練習の進み具合はどんなもん?」

「順調でしてよ。彼女はなかなか良い筋をしておりますわ」

「はは……おかげさまです」

 二つのバッグをそれぞれシルヴィアと朱莉に渡し、緋桐はシルヴィアの隣のイスに腰掛ける。紗雪は気がつくと既に朱莉の背中に抱きついていた。

 全員がひと段落したところで、そういえば、と朱莉が口を開く。

「緋桐に説明しておかなくちゃね。基本的にこっちの事務所は窓口扱いなのさ。転移結界の向こうの本部は差し詰め本丸ってやつで、依頼者の応対とかはこっちの3階でやる。ここ4階は見てのとおり泊まってく用って感じ」

「どうして今日は泊まっていくんですか?」

「緋桐の歓迎会をするからさ」

「へ?」

 てっきり仕事にまつわる理由があるものだと構えていた緋桐は、思いもよらぬ答えに素っ頓狂な声をあげる。

 一方、期待通りの反応を得た朱莉はすっかりご満悦のようで、得意げな顔を崩さない。それを見かねて紗雪は横から緋桐に助け舟を出した。

「明日以降は和田町内の空き家を借りて泊り込みの長期調査になる予定ですので、それの予行演習も兼ねていますの」

「あぁ、なるほど……。な、なんか色々気を使わせちゃってすいません」

「そんな遠慮しないでいいよ。緋桐はあたしたちの新しい仲間なんだから」

「ヒギリ……仲間」

 朱莉の屈託ない笑顔が胸に暖かい。紗雪の優しい眼差しが心強い。シルヴィアの無愛想な表情が愛らしい。

 イシュタルという新たな環境に放り込まれた緋桐にとって、三人は家族の代わりになってくれる存在なのかもしれない。


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