『加速する拳』11
小鳥のさえずるような跳弾音と共にイヴァナたちが消え行くのを、魔法少女たちは無言のままに見送る。
緋桐の容赦ない射撃と刹那の攻防に戸惑う朱莉と紗雪。無口なのは元より、格闘戦で軽く乱れた息を整えていたシルヴィア。
最初に口を開いたのは、やはり弾丸を放った緋桐自身だった。
「転移先の解析をお願いします!」
「あっ……はい」
咎めるような緋桐の口調に思索の世界から引き戻された紗雪は、あわてて敵が立っていた位置へと駆け寄る。すれ違いざまに紗雪が覗き見た緋桐の眼差しは、虚ろに空を泳いで今にもひっくり返りそうだった。
「緋桐さん?」
心配した紗雪の言葉に応えることもなく、緋桐はその場に崩れ落ちる。
残留思念と共感することによる精神への負荷――――シルヴィアの脳裏に、緋桐が殺人現場で初めて魔法を使った瞬間のことが思い起こされた。
瞬間的に最大出力で行使された緋桐の魔法は、敵の逃走経路だけでなく、囚われ薬物を打たれた少女たちの残留思念をも同時に観測・共感してしまったのだろう。薬物によって理性と知性を破壊される感覚とはいえ、今際の際の苦痛と絶望に比べれば少なからず負担は少ない。が、それを十数人ぶんも味わうとなれば話は別だ。
シルヴィアはとっさに緋桐を抱きとめ、淀みない手際で介抱をはじめた。
術式痕の解析に移ろうとしていた朱莉と紗雪は手を止め、倉庫内を一目に見渡す。
介抱を受ける緋桐、残された数人の被害者たち、気を失ったままの黒服たち。どれもシルヴィア一人では手に余る状況だ。
「追跡は……断念ですわね」
「仕方ないさ。どっちにしろ人手が半分に減ったんじゃ危なっかしいし」
「ええ。それにしても緋桐さんのあの戦いぶりは……」
「…………」
三人が垣間見た、緋桐の秘めたる本質。敵の頭を撃ち抜かんとした彼女の冷酷さと才覚は、三人の心に戸惑いという一筋の影を落とした。
ゆずを連れたイヴァナとリンドウが本拠地にまで帰り着いた頃には既に陽も落ち、日付が変わっていた。
とある場末にぽつりと建つ陰気なクラブ。その裏口にクル・ヌ・ギアの本拠地へと続く扉がある。扉は錆と煤で隅々まで汚れきっており、お化け屋敷の入り口のようにおどろおどろしく気味が悪い。
かびの臭いが鼻を突く薄暗い階段を降りていくと、イヴァナたちにとっては見慣れた地下トンネルが広がっていた。
蜘蛛の巣のように幾度となく分岐を繰り返すトンネルを、イヴァナたちはより奥へ、より入り組んだ方へと迷わず突き進んでいく。二人の目的地は蜘蛛の巣の中央だ。
最奥部の部屋の前にたどり着くなり、リンドウは愉快げに扉をノックする。部屋の主からの返事は一向に聞こえてこず、代わりに招き入れるように扉がひとりでに開いた。
「戻りましたヨー?」
「失礼します」
部屋はコンクリート造りの質素な装いをなす書斎だ。中央に取ってつけたように高級そうなデスクが置かれ、やたらと黒光りして存在感を放っている。
「……先ほど、23人の少女が輸送されてきた」
轟くような低い女性の声。追って備え付けのチェアが反転し、そこに鎮座する者の面貌が露わになった。
部屋の主は、胡桃色の毛に覆われた狐の獣人――――眷属と呼ばれる幻獣だった。
「言い渡した人数は30、早急にと達したはずだが……?」
「私の不手際によりイシュタルの襲撃を許してしまい、直接連れ帰った者を含め計24名までしか確保できませんでした」
「必要となる最低限は揃えおおせたようだが、しかし誹りを免れる結果とは到底言えまい」
「……承知してます」
「処分は追って通達しよう。お前は下がれ」
「…………」
獣人の冷たい視線に射抜かれたイヴァナは、解せないと言わんばかりに表情を曇らせ、おずおずと部屋から退出していく。
扉が閉められ、イヴァナの気配が去っていったのを確認するなり、リンドウはほっと息つき手近なソファに腰を下ろす。ふてぶてしく足をテーブル上に投げ出す彼女の手には、何処から取り出したのか、黒服たちの名簿リストが握られていた。
「イヴァナちんも可哀想だネ~。まさかボクが、エレシュキガル様からじきじきに妨害を命じられているなんてサ」
「言うな。コリウスの飼育にしゃしゃり出てきた奴に非がある。勝手に投薬してくれるものだから、随分と手間取った」
「仕事の失敗を口実にして報酬を減らしていけバ、結果として予定通りの投薬量を推移すル…………何にしても先の長い計画だネ~。ちょっと退屈かモ」
「案ずるな、無聊の慰めならいくらでも用意してやる。……尤も、お前は奴の苦しむさまが見られるなら何でも良いのだろう?」
「そうだネ……イヴァナちんは最高にイイ表情を見せてくれるヨ」
この部屋に至るまでの数時間、ずっと隣で苦悶していた少女の顔が脳裏によみがえる。リンドウは我知らず、股座に指を這わせていた。
イヴァナから向けられる憎悪と殺意の眼差し。遺憾と煩悶の表情。苦痛を噛み殺す歯軋りから柳眉の機微に至るまで、一つ一つが鮮明に思い出され、そのたびに身体を淫らに震わせる。間もなくリンドウは絶頂した。
「…………愛してると言っても過言じゃないネ」
「はしたない奴だ」
「あ、そーいえば忘れてたケド。見つけたっぽいヨ、“本物”」
リンドウの股座を拭き取るのに使われたあと、名簿リストはくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てられる。続いて彼女の懐から取り出された新たな名簿リストには、捕らえた少女たちの顔写真が並べられていた。
「ほう……」
「まさかあの子が“エーデルワイス”だったとは……ネ」